10「不知道能发生什么事儿」〜大陸時間で生きるひとたち〜

2016年8月30日 / コトバの魔法




 約束の時間はキッチリと守り、5分前には待ち合わせ場所に到着、もしも少しでも遅れるのなら事前に連絡をする。日本でなら、社会人として当たり前のルールかもしれない。しかし、わかってはいるもののこれがなかなか出来ず、いつまでたっても時間にルーズすぎると怒られてばかりいた。日本で暮らしていた頃は……

 中国に来てから、時間のことで怒られたり注意されたりすることが激減した。相変わらずちょっと遅れてしまうのだが、それでも中国人の友だちたちより早く着いていることが多い。そもそも約束の時間がアバウトなのだ。「朝行くから」「午後に届けます」という感じで、時間を指定してこない。そして、待っているこちらも、朝一番でやって来るとは思っていない。午後に届くというなら夕方ぐらいだろうと推測する。

 もともとが時間にきちんとしていない私からすると、このいい加減さは快適だ。のんびりとした時間感覚を『大陸時間』とよんで満喫していた。しかし、何事においても許容範囲というものがある。想像を上回る大物があらわれた。

 長いつきあいの友人なのだが、中国の南方に住んでいるのでなかなか会う機会がない。それでも、たまに出張で北京に来ることがあり、「来週、北京に行くから会おうね」と彼女から連絡がくる。「もちろん!楽しみに待っているよ!」と返事をするのだが、さて来週のいつ来るのか、どこで会うのか、まったく伝えてこない。そして、その週末になってもまだ音沙汰がなく、北京に来なかったのかなと思っていると、「近くの駅にいるのだけど、今から会える?」と電話がかかってくるのだ。

 時間とか約束の概念をはるかに超えてしまっている。日本人とは時間感覚があきらかに違う。彼女が来るのを一緒にまっていた中国人の友だちに、なぜ中国の人たちは約束が大雑把なのかと尋ねてみた。

すると、 
「不知道能发生什么事儿
(bù zhī dào néng fā shēng shén me shì ér/何がおこるかわからない)」
という答えがかえってきた。

 バスや電車が時間通り動いているわけではない。渋滞になれば10分で行けるところに1時間かかったりする。ちょっとした用事をするのにも思った以上に時間をとられたりするのだ。細かな約束をしたところで、その時になってみないと何がおこるかわからないじゃないか、というのだ。確かにそれは一理ある。しかし、急に近くに来たから会えるかときかれても、こちらに予定がはいっていたらどうするのだろう。すると、友だちは「それも含めて、何がおこるかわからない」のだと笑って答えた。

 そんな彼らからすると、私は時間に几帳面で細かすぎるらしい。日本にいたらそんな風に言われることはまずない。異文化で暮らしていることを感じながら、久々の再会を祝って乾杯したビールを飲みほした。



「不知道能发生什么事儿」
(bù zhī dào néng fā shēng shén me shì ér/何がおこるかわからない)


Kiyomiy

投稿者について

Kiyomiy: [投稿者名]Kiyomiy [投稿者経歴] 1976年生まれ。静岡県出身。 コマ撮り (ストップモーション)映像撮影やデザイン制作、 オリジナルグッズの企画制作を行う『FrameCue』(http://framecue.net)主宰。 ブログ『ツクルビヨリ』(http://framecue. net/tsukurubiyori/)にて仕事からプライベート まで365日つくる毎日を記録中。