坪井(以下(坪)): どんな家庭で育った?
Carly(以下(C)) : 両親と住んでいたけれど、父の仕事(航空系の国有企業)の関係で両親は私が3歳のときと10歳から12歳のときにイギリス、アメリカに駐在していた期間があって、その間は南京にいる祖父母に育てられた。学校が休みの間には、両親を訪ねて一緒にディスニーランドに行ったりしていた。
父は私の教育に熱心だった。これが中国の一般的な親のあり方かどうかわからないけれど、例えば私が中学校のころ、市共通の学力テストで高得点を取ったときに父は地域の有名な高校に「私の娘がこのテストでこんなに高得点を取った」と連絡したりしていた。そういったのが影響したのかはわからないけれど、市内のトップ校から早い段階で入学許可を得ることができた(注:中国では、高校入試の前に各省・直轄都市が管轄している統一試験が定期的に行われている)。
英語の勉強を始めたのは、小学校3年生のころ。でも、別に勉強したくなかったし、海外で働きたいとも考えてなかったけれど、両親に勉強しろって言われたからしかたなく勉強していたと思う。
(坪): 大学は多くの有名大学がある地元北京ではなく香港へ。
(C): 私がラッキーだったと思うのは、2005年に大学入試制度が変わって、中国本土の学生も中国の大学入試の成績を使って香港の大学を受験できるようになったこと。 その前までは、香港の大学を受験するためには個別に出願して別の試験を受ける必要があったから。それと新しい制度が導入された年だったから、受験者側に情報が無かったので挑戦する学生が少なかったんだと思う。その結果、香港の名門である香港中文大学に合格して幸いにも全額授業料免除に加えて生活費、住居費のサポートも得ることができた。同級生はみんな、そんな珍しい選択をした私に対して「なんで香港に行くの??」って聞いてきた。北京の人は普通外に出たがらないから。たくさんいい大学あるし、いい大学を出れば中国では職に困らないし。だから高校の同級生は9割方今でも北京に残っていると思う。
でも私は家から遠くに行きたい、とずっと思っていた。香港に行くことになるは私も予想しなかったけれど(笑)、父は「アメリカに行ったら、100%外国人として扱われる。だから社会に適応するのは難しいだろう。でも香港はまだ中国文化圏だし」といつも言っていた。今思えば、両親は私を香港に行かせたかったのだと思う。北京の大学を選ぶことも一度は考えたけど、違った環境での生活を経験してみたかった。
大学時代はとにかくいろんな活動に参加していて、Mainland AssociationのVice Presidentを勤めていた。これは大陸から来ている学生のほとんどが参加している大きな団体で、11日間続く入学オリエンテーションをはじめとして様々なイベントを企画したことが一番大きな仕事だったかな。夏休みの間もほとんど何かの活動に参加していて、杭州やカナダなどのサマープログラム、1セメスター使って、香港の投資銀行でインターンシップをしていた。大学の成績にはまったく関心がなかったね(笑)。
(坪): 香港での生活で何か変わった?
(C): 北京にいる間は、両親が私の生活のほとんどを管理していたけれど、香港に行ったあとはもちろんサポートは得られない。だから全てを自分で管理することを学んだかな。あとは適応能力。これは今の私のひとつのアドバンテージでもあるけれど。香港は北京とは環境が異なる。人のマインドセットも異なる。でも違った環境に適応することは私にとって難しいことではないということがわかった。
香港の人は、よりリアリスティックで自ら目標を定めてそれに向かって行動することができると思う。例えば学生の行動もそうで、彼らは「なぜ大学でいい成績を取らなければならないか?」を知っている。それは就職に影響するし、交換留学の条件の1つにもなっているから、いい成績を取らなければいけないから。けど、大陸の学生は、なぜいい成績をとらなければいけないかわかっていなかったと思う。「昔から勉強ができたから」、「いい成績をとることが当然だから勉強する」、「みんなが勉強するから勉強する」とか。だけどその先にある目的は全く理解していない。その影響は多少受けたかな。
(坪): 大学を卒業した後は?
(C): 卒業後は台湾系の銀行に入行した。大学では会計を専攻していたし、最初に内定をもらったのは会計事務所だったけれど、監査業務には就きたくなかった。数字だけを扱うのではなく、もっと人と取引をするような仕事をしたかったから。入行した銀行ではマネジメントトレーニングプログラムを受けていた。マネジメントトレーニングプログラムは銀行の各部門を数年ずつ経験していくローテーションみたいなもので、最初は金融マーケットのディーラーをしていた。例えば、銀行の香港ドルが不足しているときには、どこかから不足分を調達してくるとか、そんな仕事。それに加えて、私の上司は多くのプロジェクトを私に与えてくれ、銀行の預金構成や資産構成の分析、資産の最適な分配方法の提案など、金融マーケット部門以外の仕事もやらせてもらえた。上司は銀行のエグゼクティブディレクターだったので、部門をまたいだ仕事をつくることができて、そのおかげで違う部門の人と仕事をする機会があり、彼らといい関係をつくることができた。毎年昇進し続けていた「デキる」上司でとても厳しかったけれど、彼からたくさんのことを学んだ。
この銀行では多くのことを学んだけれど、小さい銀行でできることには限界があって、特に情報量の差は埋めがたいものがあった。メガバンクでは今業界で何が起こっているかをすぐに知ることができたけれど、その情報が回ってこなかったりとか遅かったりとか。だから商品開発にもおのずと限界がある。交渉力もない。他のメガバンクの人や投資銀行の人と話をすることでわかったその違いは、思っていたよりも大きかった。
それで私はこの銀行で学ぶことはなくなったかな、と感じるようになり、次のステップに進もうと考えるようになった。これは上司の勧めでもあって、私が持つ言語、文化などのバックグラウンドから、自分の強みを活かすためには大陸に戻った方がいいと。それで清華大学のMBAプログラムをとろう、と思った。
(坪): なぜ清華大学を選んだ? そしてアメリカにも行こうと思ったのは?
(C): 単純に清華MBAプログラムを見ていいな、って思ったことと、私は北京で育ったにも関わらず北京を知らなすぎたこと。同僚に「北京ではどこで遊べばいい?」と聞かれても答えられなかったり。実務面で言うと、香港の金融市場が大陸と密接につながっていることが関係している。香港の金融市場については実務を通じて学んだけど、大陸側の情報は制限されていて、香港からでもアクセスがしにくくて。私が仮に大陸に戻って仕事をする場合、このマーケットについて知っておくことは私に取ってプラスになるだろうと。他のMBAプログラムについて検討する余裕はなかったな。
海外、特にアメリカには子どものころからいつも住んでみたいと思っていた。それは子どもの頃に行ったことがあったことも少しは関係あるかもしれない。だけど若いうちに海外を多く経験しておきたかっただけ、というのが正直なところ。幸いにもMITからオファーをもらえたけれど、もらえなかったらフランスの別のMBAに交換留学に挑戦するつもりだった。とにかくこのMBAという機会を使って海外に住む、という経験ができるのはありがたいことだね。
(坪): 卒業後は何をする?
(C): MITのプログラムが始まったらすぐに仕事探しをするつもり。場所はもちろんアメリカも含まれるけど香港、大陸も視野に入れている。周りの人は数年アメリカに留まるべきだ、というけれど、まだわからない。投資関連業務においてはアメリカは最高の場所だし、先日上司と話をする機会があったけれど、アメリカ、特にニューヨークに留まることを強く勧められた(笑)。
将来の夢は…幸せな家族(爆笑)。最終的には生まれた国である中国に帰ってきたい。中国は特に金融分野においてまだまだ他の先進国から遅れている。プロフェッショナルと呼べる人材がまだまだ不足しているからだと思う。私がもっとキャリアを積んだらこの分野の発展に貢献していきたいと思っている。ディーリングは私にとってとてもエキサイティグな仕事だから、当分はこの仕事に関わっていきたい。
(坪): 日本や日本人についての印象は?
(C): まず日本人については、あなたたちを除いて日本人に会ったことがなく、知らなすぎる、というのが正直なところ。次に日本という国について、また日中間の政治的な問題についてどう思うかだけど、誰が間違っているかと言うのは非常に難しいね。私は他の中国人と比べてオープンな性格だと思っているし、香港に長くいるから多くの情報に接してきていると思っている。そうだとしても、この問題について個人的な見解を語るのは難しい。私は中国を愛しているし、この国がもっと大きく強くなり、人々がよりよい生活を送れるようになることを望んでいる。ただ、今は社会的な問題の方が政治的な問題よりも大きくなってきていると感じている。今起こっていることは、中国の社会的な問題が表面化して、それを見直している過程なんじゃないかと思っている。
(坪): 海外から来た中国系学生との違いを感じることはある?
(C): クラスメイトの移民との違いは、彼らには「余裕」を感じることができる。いろいろな違いについて理解を示すことができるし、受け入れることができるのだと思う。彼らとの関係は、中国人よりももっとシンプルかな。中国人はウラで動くのが好きなんだと思うし、それに中国人同士はハイコンテクストな関係。だから全てを言わなくてもわかる関係だったり、表面上すごく仲よくみえても実際はそうでもなかったり、その逆のパターンもしかり。そういった中国独特の文化というべきか文脈みたいなものがあるのかな。
クラスメイトの移民に限って言えば、彼らは「中国人」だと思う。たぶん中国語を話すからだと思うし、アジア人は比較的近い文化背景を持っているから。言葉が違うと、自分の思っていることが正しく伝わらなかったりするでしょ?
大陸育ちの中国人クラスメイトは、中国人同士で固まるのが好きだし、あまり留学生に話しかけてこない。中国語で話す方が楽だっていうのと、 同年代が抱えている問題など、価値を共有しているから楽だっていうのが理由かな。あとは人をカテゴライズするのが好きだと思う。「この人はこういう人で、こういう長所/短所を持っている」とか。彼らと話していると、そんな話ばっかり聞こえてくるよ(笑)。
Taiki Tuboi: 坪井大樹(TAIKI TSUBOI)1979年生まれ。 大学院卒業後、エンジニアリング会社にて国内外(UAE、サウジアラビアなど)の石油化学プラント建設関連プロジェクトに関与したのち、経営コンサルティング会社にて主に国内化学品メーカー向けのコンサルティング業務に従事。 2013年9月より北京大学・光華管理学院に入学。 中国人コミュニティに入り込むべく最近はボードゲームの練習に励む日々を送る。