北京大学・光華管理学院(Guanghua School of Management)の坪井大樹(つぼい たいき)と申します。2013年9月からMBAコースのInternational Classの留学生です。MBAクラスメイトのストーリーを紹介していくにあたり、初回の今回は自己紹介をさせていただきます。
私は大学院卒業後、プラントエンジニアリング会社に入社し、7年間国内外のエンジニアリング及び事業投資に関わってきました。仕事で関わった国は日本、UAE、サウジアラビア、オマーンなど主にアジアが中心です。その後「受注者側ではなくプロジェクトを作り上げるところから仕事をしてみたい」と考えるようになり、経営コンサルタントとして働いていました。
MBA取得を意識したのは、「一度これまでの業務経験を整理したい」と考えるようになったためです。それではなぜ「中国でMBA」か、というと私の妻が中国でMBAを取る、と言いだしたからです。彼女は今後のキャリアで中国ビジネスへ関わりたいと思っていて、中国ビジネスについて理解を深める必要性を感じていました。現在は 北京大学の隣にある清華大学・経営管理学院というMBAに通っています。私が彼女と別の大学を選んだのは、別の大学に通ってお互いの大学の人脈をシェアするほうが、MBAの目的の1つであるネットワーキング には都合がいいと考えたためです。
とはいえ、決して世界的には有名でないMBAのために30代半ばに差しかかろうとしている時期に2年間のギャップイヤーを取ることでの今後のキャリアへのネガティブな影響や、今の中国の状況、例えば2012年9月の日本政府による尖閣諸島国有化の際に発生した反日デモのこと、さらには長らく懸念されている「中国経済(バブル)崩壊」のことを考えると、中国に来ることが果たして私にとってプラスとなるのか、という思いは少なからずありました。しかし、私の中の「天の邪鬼」な部分が、今の中国に好んで行く人がいないからこそ行くべきである、と 後押ししてくれたことが、現在私が北京にいる理由です。
過去のMBAクラスメイトのストーリーでは「80后」や「エリート」の中国人にフォーカスを当ててきましたが、今回から私が紹介する中国人に共通するテーマは「移民」です。
私がこのテーマを取り上げるのには大きな理由があります。私の妻も中国に生まれ、日本に帰化した移民だからです。私の妻は上海で生まれ、7歳のときに来日しその後日本で育ちました。その間中国語も使い続けていたため日本語・中国語を両方とも完璧に話せます。でも彼女は、中国で仕事をするために戻ってきました。では、同じようなバックグラウンドを持つクラスメイトはなぜ中国に戻ってきたのだろうか。そんな疑問を持つようになったことがきっかけです。
今回私が紹介する中国人には2つのケースがあります。
1つめは妻と同様、「中国で生まれた後、海外へ移民した中国人」です。海外で教育を受け、ある人は就業まで経験した後にMBA取得、さらに中国で働くために戻ってきた人たちです。
2つめは「中国で生まれ育ち、これから海外で出て行こうとしている中国人」です。現在MBAで学んでいるクラスメイトの中にはこれまで中国で生まれ育ち、働いてきたけれど卒業後は海外に出て行きたいと考えている人が数多くいます。
中国を起点に「中国に帰ってくる人、出て行く人」という2つのケースのコントラストの中で現在の中国の若者が持つ「中国(人)観・日本(人)観」をお伝えしたいと思います。
最初は、「中国に帰ってきた中国人」のストーリーです。彼らはなぜ移民し、なぜまた中国に帰ってきたのか、彼らは日本(人)や中国(人)をどう捉えているのかを質問しています。
Taiki Tuboi: 坪井大樹(TAIKI TSUBOI)1979年生まれ。 大学院卒業後、エンジニアリング会社にて国内外(UAE、サウジアラビアなど)の石油化学プラント建設関連プロジェクトに関与したのち、経営コンサルティング会社にて主に国内化学品メーカー向けのコンサルティング業務に従事。 2013年9月より北京大学・光華管理学院に入学。 中国人コミュニティに入り込むべく最近はボードゲームの練習に励む日々を送る。