何よりも困るのが病院。まずは受付のための長い列と人々の喧噪に圧倒される。待合室で待つも、いつ自分の番がくるかわかりにくいことが多く、ちゃんと呼んでもらえるかと不安になる。そして、検査のたびに、まずは支払い窓口でお金を払わなければならないシステムに疲労感倍増。
自分が外国人だから、一向に慣れずにイライラするのかと思っていたのだが、どうやらそうばかりでもないらしい。風邪をひいて病院に行ったときのことだ。待合室で自分の番を待っていると、近くに3歳くらいの子どもを連れたお母さんが座っていた。そして、一緒に来ていたお父さんが、診察室と下の階を行ったり来たりしている。
診察したところ、血液検査といわれ、まず検査代を支払いに下の階にある会計窓口へ。会計済みの印が押された紙を持って検査。検査結果を受取に検査窓口へ。その結果を診察室の先生へ。検査の結果、点滴となり、点滴薬代を支払いに再び会計窓口へ…...
何往復もさせられ、点滴薬を両手に抱えながら
大きなため息とともに、
「真麻烦(zhēn má fán/本当に面倒だ)」
と、そのお父さんが苛立ちをあらわにした。
周りにいた人たちも、まったくその通りだと、うなづいている。
小さな子どもが受診する場合は、『子どもの側にいる人』と『会計や検査の手続きをする人』と、必ず大人2人が付き添っていかなければならない。まさに『真麻烦(zhēn má fán/本当に面倒だ)』。
子どもがまだ6ヶ月の頃、理由があって、夫がひとりで風邪をひいた息子を病院に連れていったことがある。子どもを抱えながら手続きをしていたところ、受付の看護婦さんに「なぜひとりで連れて来たの!」と怒られたそうだ。それほど、中国で診察を受けるのは『麻烦(má fán)』なことなのだ。
その時は、診察を待つ間、会計や薬の受取をしている間、夫に怒った看護婦さんが受付をしながら、うちの子を抱っこしてあやしてくれていたという。病院の『麻烦(má fán)』さゆえに知り合ったその看護婦さんは、その後、子どもを病院に連れて行くと、「大きくなったね〜」と、いつも笑顔で手をふってくれる。
『麻烦(má fán)』なことが本当に多い中国。でも、だからこそ、困った時に手を貸してくれる人も多い。
「真麻烦(zhēn má fán/本当に面倒だ)」と叫びながら、お互いに助け合って日々をやり過ごしていくのだ。
中国語を勉強して、北京が気に入り、思いがけず長く住むことになった。せっかく外国で暮らすのならば、その国の人に間違われるぐらいに現地に馴染みたいと思っていたが、なかなかそう上手くはいかない。特に、ビザを申請する時期になると、自分が外国人であることを思い知らされるのだ。
ビザの申請に、パスポートの更新時期が重なってしまい、今年の手続きは大変そうだと思っていたところ、さらに急に日本へ1週間ほど行かなくてはならない用事が出てきてしまった。北京に戻ってからでは間に合わない。とにかく急いで手続きの準備を始めた。
パスポートの更新は北京日本大使館でできるので、書類も対応も日本語だ。時間はかかるが、こちらは手順通りに進めればできる。さて、問題はビザの申請だ。北京市公安局で手続きするので、中国語の窓口に、中国語の書類。わからないからとサービスカウンターに向かうと、早口の中国語でまくしたてられ、頭が真っ白になる。ビザの申請にはパスポートを預けなければならないが、日本行きの日程が迫っているので、それまでに何としてでも終わらせて、パスポートをもらわなければならない。
中国語辞書を片手になんとか申請書を準備してみたが、最後の最後で不安が出てきた。ちょっとしたミスでやり直しになってしまうと大事だ。悩んだ末に、書類を提出するときに、近所に住む中国人の友人に付き添ってもらうことにした。
「書類も全部そろえてあるし、大丈夫だと思うのだけど一応……」と言ったものの、実際に書類を窓口に出したら不備があったらしく、友人と服務員が口論となってしまった。私が当人だというのに、言い争いの原因も状況も把握できず、呆然として立っていることしかできない。そして、最終的に友人が交渉してくれて、若干の書き直しだけで無事に書類を受け取ってもらうことができた。
友人がいなければ、どのように修正するのかもわからず、時間がかかってしまっていただろう。1週間後に、新しいビザが貼られたパスポートを公安局で受け取るとすぐに、携帯メールでビザが発行されたことを報告し、お礼のメッセージを送った。
すると、すぐに友人から
「太好了!(tài hǎo le/それは良かった!)」
と、返信があった。
それを見て、日本に行く前にすべて終わらせなくてはとピリピリしていた気持ちが一気にゆるんだ。突然呼びだしたり、交渉してもらったり、かなり迷惑をかけてしまっている気がするのだが、「太好了(それは良かった)」と、一緒に喜んでくれている気持ちが伝わってきて嬉しかった。
どれだけ長く住んだとしても、その国の人たちと全く同じようにできるようにはなかなかならない。 北京で暮らして、日本との違いに戸惑ったり、思うようにいかず立ち止まったりすることも多かった。しかし、そのような時に、優しい友人のひと言から、お店のおばちゃんとの言い合いも含めて、誰かと言葉をかわすことで気持ちが救われてきた。私の北京生活は、たくさんの人たちの『コトバの魔法』に包まれていたおかげで、落ち込んでいられないほどいつもにぎやかに輝いていたのだ。 (終)