日中両国民が日中関係の未来を憂え始めている理由は、何かが起こったからではなく日中関係の改善に向かうようなことが“何も起こりそうにない”ことだ。日中関係は前にも後ろにも進まない硬直状態に陥った。これは企業人の立場で考えてみれば、中国ビジネスの今後をどう考えたらよいのかを非常に悩むような事業環境になっているのだと言える。
日中双方とも表面的に国情は安定化している。日本は安倍政権の長期化が見込まれ、政権内で表立って異論を唱える人が少ないため、大きな政策変化が見込めなくなった。そして中国も同様に習近平氏の権力基盤が強固になってきており、足元で中国経済が覚束なくなって構造改革が求められているにもかかわらず、思い切った政策は意外に出てこない。日中双方とも今は大きな手が打てない、このことも日中関係の硬直化につながっていると思う。
日中関係が近未来に劇的に良くなると予測する人はあまりいない。隣国する大国同士がいがみ合うのはいつの時代にもあることだし、外交的な対立は自国民に説明がつかなければ安易に妥協はできないからだ。しかし戦争のような行為は、双方にも周囲にも大きな悲劇をもたらすのでおそらくあり得ない。だから対峙する国同士のトラブルは、戦争以外の手段で何らかの落とし所を見つけて妥協するしか解決の道はない。
日本人は、日本の政治体制の方が優れているに決まっていると思っているし、一方の中国人はと言えば、国内にある様々な問題はある程度認識しつつも、高度成長を遂げて既に経済規模で日本を追い抜いたし、世界での存在感もある面では日本を上回った。だからもう日本からあれこれ言われたくない。
筆者の住む北京では今年の9月初旬、抗日戦勝記念と称した軍事パレードが行われた。こういう国家行事があると北京はとても住みにくい街になる。政府の都合で交通などがいたるところで制限され、商店も休業を余儀なくされる。
北京市民はこういう事態をどう思ったのだろうか。どうも「何も考えない」という態度を決め込んでいたようだ。日常生活が不便になるのは内心では面倒だと感じているが、だからといってお上のやることにいちいち逆らう必要もない。富裕層などは休みになるのを利用して北京を離れて旅行に行ったりしていた。要するに大半の北京市民は、こういう行事に対して基本的に無関心であり、同時に過去の日本との関係に対しても今は徐々に関心が薄れてきているのではないだろうか。
では在北京の我々日本人はどうかと言えば、テレビや看板に頻発する「抗日」の文字に本当にうんざりした。我々は中国に来ている客人であり、中国のGDPに貢献をしているはずなのに、なんでこんな扱いを受けるのかと思った。
日中関係の悪化は、日中両国の相手に対する無理解が原因だとずっと言われてきた。しかし中国は経済大国化して国際的なプレゼンスが拡大し、日本企業も製造拠点をコストが低い東アジアに移転するいわゆる「チャイナ・プラスワン」戦略に移行しつつある。長く続いた日本のODAも基本的に終了した。日中両国民は「相互無理解」のレベルを超えて「相互無関心」の時代に入りつつある。
日中の国民やビジネスマンは、そろそろ相手国に対して新しい付き合い方を見いだしていかなければならない時期に来たのではないか。極論を言えば、日本人は中国人を無理に「理解」する必要はないが、中国人の思考回路を「認識」するということに徹すれば何か道が開けるかもしれないということだ。
そこで中国人の思考回路を「認識」してみると、あることに気がつく。それは民間企業のビジネスの世界であれば、中国人と充分につき合っていけるかもしれないということだ。既に戦後70年もたち日中ビジネスを担う世代はほとんど入れ換わった。実際のビジネスにおける商談の場では、今や中国人でも民間企業の人は政治的な話題はほとんど口にしなくなった。何故ならビジネスの現場では明らかに共通の目標があるからだ。
中国政府も最近、経済成長の減速を受けて民間資本の活用とか民間企業のイノベーションといった言葉を連発し始めた。中国経済には巨大な国有企業が主導するイメージが強いが、いわゆる国有経済が全体に占める割合は半分以下である。中国経済は、少なくとも量的な観点で言えば民間企業が主役なのである。
その民間企業が中国経済の減速に直面して、ようやく外に目を向け始めたようだ。筆者はここ数年の間に、中国の企業家倶楽部の依頼で日本の大企業への訪問を何度もアレンジさせていただいた。彼らは日本が世界にも冠たる長寿企業国であることを知り、企業の事業継続の秘訣を勉強したいと考える。また訪日中国人から伝え聞く日本企業のサービスレベルの高さにも大きな興味を持つようになってきた。
実際筆者が訪日団と同行してみると、日本に行くこと自体が初めてだという企業家が過半を占めるケースも多かった。そして彼らは日本に行き、日本企業のプレゼンテーションを聞いて一様に評価する。中国人の企業家は、日本の企業が細かな中長期的計画を立案して事業を展開していることに驚くのだ。
また中国では、会社の事業について語れるのは限られたトップの人間だけであるが、日本企業は幹部だけでなく現場の管理職クラスに至るまできちんと会社の説明ができ、またそのための資料やスライドもしっかり準備されていることに感心してくれる。我々日本企業にとっては普通のことだが、中国の企業家に指摘されて、筆者も改めて見直したものだ。
今中国の企業家は、自社の新しい事業領域での成長戦略を探ったり、グローバルに事業を展開したいと真剣に考えている。彼らにとっては、日本企業の計画的な事業戦略は極めて参考になるという。中国の民間企業家にとって日中関係というものは、事業環境のひとつとして多少は懸念されるものかもしれないが、少なくとも「政冷経熱」といった言葉のように政治と関連づけて考えるものでは既になくなっている。
日中往来の歴史はとてつもなく長い。過去に学ぶ点がないとは言わないが、現代中国は、政治体制も世界の中でのポジションも過去とは大きく異なっている。現在の日本もしかりだ。だから近未来のビジネスでの成功のために、日中の民間企業が手を組むという選択肢は確実に拡がってきている。民間企業のビジネス交流は、硬直化した日中関係の突破口になる可能性が大きい。
文・写真:松野豊
現在中国の大都市に住んでいる人なら誰でも実感できることがある。それは「中国の物価が高い」ということだ。僕はたまに日本に行くと「日本のモノは何でも安い」と実感してしまう。北京でごく普通の小奇麗なレストランでランチを食べると50~80元ぐらいは平気でする。これは日本円で1000~1600円だ。北京でスーパーや衣料品店などで日常品の買い物をすると、300元(6000円)ぐらいは普通に支払わなければならない。もちろん円安の要因も大きいだろう。また格差の大きい中国社会だから10元で食べられるランチももちろんある。しかしこれとて200円だ。「中国って何でも安く買えるんでしょ?」という日本人の中国観は、もういいかげんに更新しなければならない。
このように物価が高くなった原因は、中国人の給与が瞬く間に増えて多くの人が豊かになったからだ。中国では今、「中間所得層」と呼ばれる人たちが爆発的に増加している。野村総合研究所の調査によれば、中国で出現している中間所得層の人々は、これまでの「価格コンシャス」から「品質・安全コンシャス」に明らかに変化してきている。日本に大挙してやってきて爆買いする中国人は、富裕層ではなく中間所得層の人たちなのだ。中国の消費を支える中間所得層の人の中身は日本とは全然違う。まず年齢層が低く25~50歳が中心だ。そして驚くなかれ、中国の中間所得層は7割が家を持ち6割が車を持っている。そして何と3割もの人が家も車も持っているにもかかわらず、さらに平均60万元(1200万円)の金融資産を持っているのだという。
日本のニュースでは、株が暴落して持ち金を失くした人、不動産価格が下がって資産を減らした人の姿などが報道されているが、北京や上海のショッピングモールにあふれる人々の購買欲は全然衰えていないように感じる。また中国は既にネット大国だ。中間所得層のスマホ普及率は9割近くにも達する。消費意欲の旺盛な人々がスマホで情報を比較し、質の高い商品を支付宝(アリペイ)などを使ってどんどん買う時代なのだ。大都市での中国人の暮らしぶりは、日本で想像する姿とはもう全然違う。
それでも相変わらずなものがある。それは政治体制だ。実は政府の中でも行政の姿はかなり変わってきている。サービスの劣悪なお役所仕事は相変らずだが、それでもここ10年ほどで行政サービスはかなり改善されてきたと思う。だから政府のサービス機能は変わってきたと言える。
しかし肝心の政治、つまり政府や党の体制や思考・行動原理は全然変わっていない。先日の「抗日なんとか軍事パレード」なんかは、北京市民の生活をどれだけ犠牲にして行われたことか。北京に住む外国人にどれだけの迷惑をかけたことか。中国政府はそんなことはまったくお構いなしだ。先進国ならまず損害賠償で訴えられるレベルだろう。国家行事を揶揄するつもりはない。しかし例えば赤じゅうたんの上を来賓たちが歩く記念式典を見ると、何十年も前の録画を見ているようだった。中国では政治がすべてに優先する。北京市民もそのことはよくわかっている。だから政府の言うことにはみんな大人しく従う。その従順ぶりは見事なほどだ。こと政治体制に関しては、中国は「変わらない国」なんだと思う。
十年で大きく変わった中国、十年一日の如く変わらない中国。中国は、この2つが併存している国家だ。そしてこのアンバランスこそが現代中国の大きな特徴なのだ。しかし日本からみればそんな中国のイメージは全然想像できない。中国と聞けば政治も庶民も一体的に考えてしまう。日本にやってくる中国人が年間1000万人という時代になった。だから中国人の日本イメージはどんどん塗り替えられていく。それなのに、日本人が持つ中国のイメージは全然変わっていないのではないか。こうして日中のすれ違いは、ますます拡大していくのだろうか。
文・写真:松野豊
「この分野は中国政府が力を入れているし、中国の市場も大きいので日本企業も関心が高いでしょう?両国の関係者を集めた交流会をやりませんか?」。交流会というイベントは通常、セミナー、シンポジウム、サミットのような会議体として設定されるが、その実内容は交流会的なものも多い。中国側だけの思い入れだけではなく、こういう話に乗ってしまう日本側の団体も少なくない。今でもごまんとある日中交流という名の行事、本当に成果があるのだろうか?
僕がなぜこのようなことを言うかというと、今まで交流会という名の会議やイベントに参加して、ビジネス上の示唆とか実ビジネスにつながったという経験があまりないからだ。こんなことを言うと、「私は○○交流会で知り合った方とお付き合いが始まり、大きな商談ができた」と反論する人もいるだろう。確かに人を知る、友人を作るという効果はそれなりにあると思う。中国は人と知り合うことは大きな財産になるからだ。でも交流イベントの為に使った費用と労力を考えれば、企業として見た場合かなりコストパフォーマンスが悪いと思う。
僕がこう喝破する背景には、最近の中国自身の変化がある。中国ビジネスにおいては、人件費のみならず事業全体のコストは高騰している。今やビジネスをする環境だと東京の方が安い場合だってある。また中国の産業界が求めるニーズも変わった。今や中国も「技術を持ってきてくれ」とは言わずに「エネルギーを消費せず環境負荷も少ない最先端の技術を持ってきてくれ」と言われる。さすがに対価は払ってくれるようになったが、それでも価格交渉は相変わらず厳しい。交流会で成果を出すハードルはますます高くなっていく。
中国は紛れもなくも経済大国であり、世界経済への影響力もハンパではない。だから中国側のニーズも戦略も大きく変わってきているのだ。ただ変わっていないのは「すべて政府が何かを決める」ということだけだ。だから日中交流会のような所にも、相変わらず中国政府の偉いさんがやってきて中国の政策を滔々と語る。中国側からみれば、交流会の格を上げるために政府高官が出席することが必須なのだ。そしてこうおっしゃる。「これは我が国の重点政策です。ぜひ日本企業に投資して欲しい」。もっとも最近ではこう言われることも増えた。「ぜひ日本や日本企業に投資したい」。
日本企業の業績もとりあえずは好調だ、だから日本企業にカネがないわけではない。日本企業だって投資のチャンスを虎視眈眈と狙っている。だけど中国事業に新たな投資をするのだったら、まず本社の「中国本部長」クラスが評価することが必要だ。そのためには、もっと投資先の環境や内情を正確に伝えてくれる実質的な担当者の話が聞きたいのだ。
「政府の幹部が企業のトップに会えば話が決まる」と思っている中国側。「中国本部長の腹に入らない限り、物事は何も進まない」という日本側。しかしその媒介となるべき“日中交流会”は十年一日の如くの内容だ。
僕は交流会にもっと目的がはっきりしたテーマを与えたら良いと思う。例えば「環境技術売買商談会」、「中国有望チャネル買収情報交換会」、「アフター5サイドビジネスを語る日中ベンチャー企業の会」といった具合に。
今週末も何とかというサミットに出席する予定だ。僕はこういう交流会に出席していつも何かすれ違いを感じてしまう。「国家戦略とやらのややこしい条件がついた中国側からの事業提携ニーズ」と「以前よりも懐疑的かつ慎重になった日本側の事業提携ニーズ」は、すれ違ったまま交流イベントだけが進んでいく。もっと目的をしっかりもって日中交流会をやれば、日中でやれることは山ほどあるのに、と感じてとても歯痒い思いだ。
文:三宅玲子 | 写真:ファン
今年の4月は温度差には悩まされた。日本は桜が咲いたかと思えば雨が降って散ってしまい、その後4月だというのにオーバーコートを着るほど寒い日が続いた。ここ北京では、4月に入って急に温かくなりもう夏が来たかと思っていたら、急に寒さがぶり返した。日本と中国って、大陸の高気圧や低気圧を共有してるのだと改めて気がついた。大きな気象図でみれば、日中には温度差がないのだ。しかし政治、外交、ビジネスそして生活に至るまで、日中には温度差が結構ある。
現在の日中関係をどうみるか。日本では、円安などで業績が大きく改善し史上最高利益の会社も結構あるのに、中国に対しては賃金上昇や外国企業への締め付けでちょっと熱がさめてしまい、東南アジアやインドなどに目が向いている感じだ。北京とかに旅行にいく人も少なくなり、旅行会社のツアーも激減してという。つまり日本では、ビジネスも生活も中国に興味がやや薄れてしまった感がある。
一方中国はというと、メディア報道もお決まりの日本右傾化批判などが少し減ったような気がする。僕の周りにいる人たちには「日本行きた~い」ヒトが増え、僕が日本出張に行くと聞きつけると「魔法瓶と化粧品買ってきて」と頼まれる。中国人はすっかり政治と生活を分離し、安倍さんはキライだけど日本は大好き、なんて人が増えたようだ。
ビジネスの世界の話をすると、日中企業の提携においては温度差があると言える。中国は「新常態」といって高度成長期の歪を修正し、構造改革をして安定成長に何とか向かおうとする政策が進められている。もっとも「新常態」は中国経済の減速をも意味するので、それ自体がビジネス機会をもたらすわけではない。重要な変化は、中国企業がこれまでの国内市場から海外に目を向け始めたことだ。
昨年中国は、対外投資が対内投資を上回り事実上の資本輸出国になった。中国企業がこれまでの高度経済成長で蓄積した富はすごいものがある。だから国内で一定の成功を収めた中国の企業家は、虎視眈眈と世界の投資先を探している。
日中の企業提携の温度差をみれば、明らかに中国が高く日本が低い。日本だって円安にもかかわらず対外M&A金額などは史上最高レベルにある。だから別に日本企業の対外投資熱が低いわけではない。中国の企業家は、「中国は市場が大きく発展しているから、日本企業はみんな中国で事業をしたがっている」と思い込んでいる。ところが日本側はと言えば、提携や投資には意欲はあるものの中国と聞くとまず最初は身構える。中国企業との提携も、あくまで事業戦略上のひとつの選択肢に過ぎないと冷静だ。しかし中国人の友人は常々言う。「日本企業のマインドは内向きだ、ビジネス機会を理解しない」。
しかし考えてみよう。こんなに情報化が進んだ現代でも世界のビジネス界では未だに会合やパーティが重視される。スマホのLINEやWeChat(微信)を使えば、会社、商品の映像そして相手方の話しぶりまでリモートで確認できる。しかし唯一わからないのは相手の人間としての“温度”だろう。
我々日本企業は、やっぱりもっと人に会うことに貪欲になりたいものだ。言葉や手続きの問題などで中国人企業家に会うことに臆しているとしたら、とても惜しい。双方の国で得られる情報にはある種のバイアスがかかっているので、日中ビジネスの世界では、直接会っていろんな人の“温度”を感じることがとても重要だと思う。ビジネスの世界でもまさにBillion Beatsを感じなければならないのだ。
文・写真:松野豊