「バルカン」という現地の言葉(キルギス語)も覚えた。燃料用の低木だ。
暖房や料理用に使う燃料は、この他に羊の糞などをストーブに焼べる。
このストーブで川の氷を溶かして生活水とする。(連載10回の写真参照)。
雪山滞在6日目の朝に家族総出で「バルカン」を集めに出かけた。
この雪山にはラクダがいる。
雪とラクダは違和感があった。
ここで暮らすみんなで数頭のラクダを共有しているらしい。
四季で移動する彼らにとって、運搬用のラクダはとても重要だ。
「バルカン」もラクダの背に積んで運ぶようだ。
家族とラクダと凍った川を山頂の方へ歩いた。
細い川沿いに成人男性の背丈ほどある低木の群生が見える。
春には芽を出すという枯れたような低木「バルカン」だ。
一行はその群生のなかにそれぞれ踏み入り、低木を根元から力一杯蹴り倒した。
「バキバキッ」と踏み倒す音が山岳に響く。
9歳の女の子CKも大人並みに働く。
無差別に蹴り倒された「バルカン」は一カ所に集められ、ラクダの背に積み上げる。
これが驚くほど高く積み上げる。そしてラクダの両側から縄をかけ、大人3人で引っぱり、積み上げた「バルカン」をラクダの背に固定する。
大人1人が重石のように山積みされた「バルカン」の上に座ると、ラクダは右に左にと体を大きく揺すりながら立ち上がった。
ラクダが滑らないように凍った川の上に砂を撒く。
細く黒い砂の道が氷の上に伸びていく。
その晩、「バルカン」の火で準備された夕食はいつも以上に有り難く美味しく感じられた。
省こうとする手間隙に省けない大切さを実感する。
夕食後の団らんを終えて家族と床に就こうとしたとき、バイクの音が近づいてくるのがわかった。エンジン音は家の外で静かになり、開けられた戸からJMが慌てて顔を出した。
「これから麓に帰るらしいよ」と女の子CKが通訳してくれる。
あの雪山の道をこんな夜中に運転して帰るのかと不安が募った。
麓へ着いたのは辺りが青白い光に包まれようとする明け方。
町はずれの舗装されていない道の上で、我々のバイク7台は前方から順に停まった。
緊迫した足とカチカチになった重たいお尻をバイクから降ろすと、
突然、前方の男が大泣きし始めた。
恥ずかしさなどこれっぽちもない様子で、とにかく辺りかまわず泣いている。
わけがわからない。嘘泣きかと思わせるほどの大胆な泣き方。
その男の両側を2人の男が肩で持ち上げるように支えている。
2人に支えられた男は泣きながら前に進んでいる。
混乱する気持ちをよそに写真に収めようと彼らの前方に回るが、
すぐにJMの鋭い視線が撮影の禁止を意味していた。
信頼を得ることが最大の難関であるこの類の写真で、悔しいがJMの指示に従うことが最善の道であることも感覚的にわかっている。
シャッターに指を置いたまま3人が向かう方向へ進んだ。
どうやら誰か亡くなったらしい。
お葬式のため、急遽山から戻ったのだ。
どうやって山頂に連絡が入ったのかはいまも謎。
彼ら独自の連絡方法があるのだろう。
のちに泣く男の親族と聞かされた故人の家へ恐る恐る足を踏み入れた。
陽も出てない早朝、すでに沢山の親戚や知人が室内を埋めている。
視線が吸い付くように私に集まる。カメラを向けるが再度JMに目で控えるように指示される。
このような状況での心境はかなり複雑だ。
遠慮や礼儀を重んじる心が、撮影したいと焦る衝動と入り交じる。
超えてはいけない一線を慎重に慎重に広げていく。
結局、今回その一線は超えられず、室内では撮影を許されなかった。
人の死に対して、それぞれの迎え方や送り方があると思う。
この地の人はとにかく泣いて故人を送り出す。
土地柄の習慣か宗教的な理由か。
路上で泣き始めた男は、室内でも親戚がなだめればなだめるほどに大声で泣いて止まなかった。
その日の午後、故人は町はずれの丘に埋葬された。
丘の斜面にスコップで掘られた大きな穴のなかへ埋葬された。
JMはまたすぐに山へ戻るらしい。
さすがにその日は私も彼も夕方までこんこんと眠った。
おわり