第10回 廖雯丽(リャオ・ウェンリー)「伝統的な風習の残る江西省から上海へ。自由で向上心溢れるこの街が好き」
最終回のインタビューは現在華東師範大学日本語学科2年生廖雯丽です。文学少女の彼女と街を歩いていると、道路の脇を流れる川や風に揺れる木々の様子を、楽しそうに生き生きとした言葉で表現してくれます。彼女の目に映る世界の美しさにいつも魅了されます。そんな彼女の故郷は、古い伝統文化が根強く残るようです。
自由で向上心溢れる上海という街が好き
なんで上海に来たの?
子どものころから上海に対して良い印象を持っていたから。私は田舎で育ったから、テレビが唯一外の世界に触れられる窓だった。でもそのころ両親は上海で出稼ぎしていたから、休みに上海まで会いに行ったの。その時初めて外に出て、新しい世界を見て感動したんだ。
当時は故郷でまともに稼げる職がなかったから多くの人が沿海部に出稼ぎに行っていたんだよ。祖父母、おばあさんが私のことを育ててくれた。今は近くの地域でも稼げるようになってきたけど、やっぱり外に出て働く人も多いから農村では高齢化が深刻になっている。
実際に来てみて、何か気づいたことはある?
上海人は口うるさい、他の省から来た人に対して差別的と聞いたことがあったけど、実際は皆親切。学生だからかなあ。でも家庭教師先の家庭も皆いい人ばかりだよ。
来てから故郷について気づいたことは?
上海はやっぱり機会が多い。故郷の周りの人はも向上心に欠けていて現状に満足しているから、あまり良い環境とは言えないし、なんだか窮屈。人情味があって自然環境が良いところは好きだけど。
普段はどんな大学生活を送っているの?
話す相手が少なくて1人で過ごす時間が多いから寂しい。高校に比べて暇な時間が多いのに、やるべきことが増えて時間管理が難しいから、あまり充実してない気がしてしまう。でもルームメイト、同級生、先生は皆面白いし親切だから、まあ楽しいよ。
一番印象深かったことは?
コンピューターの授業。先生は何も教えず、他人の作品を見せて私たちに自分たちで作品を作るように指示した。自分たちで舞台劇のドキュメンタリーを作ったんだけど、自己解決能力やチームワークが身についたように思う。私は講義を一方的に聞くよりも、議論して、自分たちで何かを作るのが好きみたい。
夢は大学の教師
将来は上海に残る予定?
理想的には上海にいたい。故郷に帰ったら日本語関連の仕事がそもそもないから帰れないかな。でも上海は家賃が高いし就職を見つけるのも難しいから、女の子1人だと厳しいかもしれない。
将来は先生になりたいの?
うん、大学の教師になりたい。ずっと教師が立派な仕事だと思っていたし、他人に何かを教えることにやりがいを感じるから。
どういう先生になりたい?
もっと学生たちと友達のように意見を言い合える関係を築きたい。
故郷と上海、対照的な2つの都市を見てみて、中国についてどう思う?
貧富の差が大きい。私は中国が好きだけど、まだまだ改善が必要なところもある。例えば今の教育制度は勉強を重んじすぎて、子どもは小学生の時からずっとストレスを感じているし、学生1人1人の個性が発揮できない。家庭教師先の子どもたちも習い事をしたくても暇がなくて勉強に追われてばかり。頑張り屋が多いのはいいことだけど、点数や資格だけで人の価値を決めるような気がする。成績がよくなくても、他の面で優れている人に対する道が開けたらいいなと思う。良い大学に入れたら学費も安いけど、普通の大学に入ると学費も高いし就職も難しい。上の人はずっと上、下の人は下であり続けるみたいな感じね。上海は中学生の、故郷は高校生のプレッシャーが大きい。上海では良い高校に入れたらほぼ確実に良い大学に入れるけど、故郷では高考が運命を決める瞬間だからね。
故郷には伝統的な風習が数多く残る
故郷はどんなところ?
内陸東南部に位置する江西省というところ。森林の面積が中国で一番大きく、自然環境がとても良い。特に菜の花がきれい。経済は発展していなくて、貧困地帯とも言える。でも最近は開発が進んできて、建物や交通インフラが建てられてきたので畑や森林の面積が減ってきた。昔、家の近くの川はきれいだったけど、今では水が減って少し異臭がする。私が小学生くらいの時から10年の間で随分と大きな変化があったなあ。空港も今建てられているところ。あと故郷には独特の風習がたくさんあるよ。
特別な慣習、気になるなあ。詳しく聞かせて。
何かおめでたいことがあると、近所の人にものを配るの。出産や竣工祝いのときにはまわりの人にビスケットとかを配る。結婚式のとき、お客さんはお祝儀を渡すけど、主人は代わりに飴を配る。あと、葬式のときは皆薄い布で作った白い服を着て、家の人は頭に被り物をつける。白は中国では葬式を連想する色だからね。通夜のときは人を招き入れて、ラッパを鳴らす。そして家族は皆寝ずに、死んだばかりの亡き人を見守るんだ。あと、悲しみを象徴とするから泣き声が大きく、涙が多いほど良いとされる。だから近所で誰かが亡くなると、とってもうるさくなる。私はそんなに泣けなくて、周りの人に悪い印象を与えてしまったかも。葬式のときは行列で山へ向かうよ。先頭の家長が遺影を抱えて、前方には家族、後方に棺を担ぐ人、参列者がぞろぞろと歩く。行列の後ろの力持ちは花輪や死人用の布団を手に持っている。それから、、
他にもあるの?
今はなくなりつつあるけど、農村での結婚のしきたりかな。お嫁さんが家を発つときはお嫁さんを古い自転車に乗せて、親戚の男の人が自転車を押すんだ。脇ではおばさんが縁起の良い赤色の傘をさして、新婦側の家族が皆一緒に歩くんだけど、後ろの方では爆竹を鳴らす。大通りでは飾りのついた新郎側の車が待ちかまえていて、新郎が新婦を抱えて受け取る。このとき足をつけてはいけないんだ。後方の車には花嫁家具を載せたり、カメラマンが祈念写真を撮ったりする。最近では直接男性が女性を迎えに行って結婚式会場に直接行くことが増えてきたけど、お嫁さんが歩けないのは相変わらず。あと、姑が新婦に髪をとかされたり、靴を履かせようとさせるけど、それを新婦は断らないといけない。これは嫁姑関係を象徴していて、言いなりになってしまったら姑の権力が強くなることを意味する。
やっぱり農村では男尊女卑の価値観がまだ強い?
変わりつつあるけど、農村ではまだまだ女性の地位が低い。女性は家事や家の人の世話をすべきで、女性は男の子を産むべき、という伝統的な価値観が今も上海より色濃く残っている。私の祖父母もそういう考えだったけど、母はそんなこと気にせずに育ててくれたから、彼らも変わったよ。故郷では高齢化が進んでいるから、子供・女性に対する意識を変えていく必要がある。女性は結婚すべきだと考えている人が多いけど、女性1人でも生きていけると思うんだ。
若者は変わりつつあるみたいだね。こういう風習はこれからも残るかな?
守りたい風習もあるけど、今の若者にそんな意識はないから時代とともになくなっていくと思う。顺其自然(時代の流れに任せる)しかないね。
インタビューを終えて
故郷の風習についてたくさん知ることができた今回のインタビュー。上海ではあまり昔ながらの風習が残っていないので、彼女の説明はとても新鮮でした。舞台は違いますが、昔見た「初恋の来た道」という映画の葬式の様子や、田舎の風景が彼女の話に重なるようでした。また、ご両親が出稼ぎ労働者というのも、リャオさんが初めてでした。江西省を初めとし、河南省、安徽省などから農民工とよばれる出稼ぎ労働者が多く沿岸都市部に出て働いています。夫婦で出稼ぎに出ることも多いようで、その場合リャオさんのように祖父母や親戚に育てられるのが一般的だそうです。地方と都市間の格差を是正する戸籍制度改革や反貧困を掲げる政策も施行されていますが、格差はまだまだ根強く、地方の人々が政策に翻弄されてしまっているような気もします。中国の教育制度に関しては、以前インタビューした王志杰(第7回)と同じように、やはり全てを点数化してしまうというところを問題視していました。彼女は今、日本の奈良に留学中です。どんな環境に置かれても常に前向きで、良いところを吸収していく彼女は、1年後どんな風に日本での留学生活のことを話してくれるのか、今から楽しみです。
第9回 饭饭(ファンファン)「中国のデザインも、若者の働き方も変わりつつある」
第9回のインタビューは現在華東師範大学3年生デザイン学部のファンファンです。彼女とは大学の空手部に入部したてのころ、練習でペアになってから意気投合し、仲良くなりました。陽気でおしゃべりで、絵を描くことを愛する彼女。彼女の作品も色鮮やかで遊び心に富んでいて、見る人を笑顔にしてくれます。そんな彼女との、終始笑いが絶えなかったインタビューです。
専門は景観デザイン-中国のデザインも、若者の働き方も変わりつつある-
いつからデザインに興味をもったの?
ずっとアニメと絵を描くことが好きだったから。
デザイン学部の学生の大学生活ってどんな感じなの?
大学ではいろんな側面からデザインを学べるから面白い。専門の景観デザインのほかにもインタラクションデザイン、グラフィックデザイン、シルクスクリーンとかね。上海にはたくさんの展覧会や、国外の学生と交流する機会があるから楽しいよ。こうやって綾子にも出会えたしね!笑
在学中の一番印象的な出来事は?
大学2年生の時の3週間のイタリア人講師による特別授業かなあ。水泥や石膏などの多くの材料をいろんな割合で混ぜ合わせて、2日間で1つの設計のスケッチや模型を作った。英語はわかりにくいし、知らない材料だらけで大変だったけど、皆で団結して徹夜して頑張ったから今も心に残っている。ちなみに、基本的にイタリアの提携大学で教えられていることを参考に師範大で教えているんだよ。
中国のデザインについてどう思う?
ヨーロッパと比べると、まだまだ。まず、模式化されていて創造性に欠ける。山寨(偽物・模倣の意味)の問題もかなり深刻。でも若者は気づいていて、クリエイティブアート空間が増えつつある。地方政府管轄の設計院に入る代わりに事務所を起業したりして、自分のスタイルを追及する若者が増えている。あと一つ問題を挙げるとすれば、優秀な人材の欠如。デザインを専門にする人は増える一方だけど、専門をとことん突き詰める人が減っている。私たちの年代の人々は責任感に欠けると言われることが多い。まあ、社会が開放的になったから仕方ない気はするけど。
これから若者の働き方も変わるかな?
これからはもっと起業を選ぶ人が多くなるんじゃないかな。私の後輩は既に起業して成功しているし。友達は網易(中国4大ポータルサイトの1つ)でコスプレの絵をデザインして売ることでお金を稼いでいる。私は小規模のベンチャーに就職したいな。大企業に入ったら生活は安定するだろうけど、自己成長はあまり期待できないよね。ヒエラルキーがあって昇進しづらいし。
大学卒業後は景観デザインに関わる仕事をする予定?
うん。まずは国内で働いて自分にとって何が足りないかを見極めたい。卒業生を見ていると、5、10年後くらいにみんな疲れてやめるっていうからもし無理だったら子供たちに絵を教えたいなと思っている。
大学でデザインを勉強し始めてから故郷を誇りに思うようになった
故郷はどんなところ?
私の故郷は中国の北部、山西省。故郷は北部内陸に位置している。北部は農園が多く、資源はあっても自由に開発できるような状況ではないし、内陸部もインフラがまだまだ発達していない。実家は山西省中心の太原市から2時間ほど離れてるんだけど、街中に地下鉄なんて通ってないよ。中心部太原市でやっと建てられ始めた。友達や家族が皆故郷にいるから帰りたい時もあるけど、飛行機で2時間半、火車だと20時間もかかって遠すぎるんだよね。
上海に来た理由は?
海辺の少し湿っぽい気候が好きだから。
上海の印象は?故郷と何が違う?
上海は国際化が進んでいて、金融業が発展しているね。それに対して地元の経済を支えているのは鉱業。最近になって、産業構造を刷新しようという動きも出てきていて、観光業が盛んになってきた。王家大院や乔家大院など、有名な観光地があるよ。
故郷では職がなくて若者が皆都市部に出て行ってしまうので高齢化問題が深刻化してしまっている。それに対して上海は各区に驚くほど多くの学校があって、電車で通ったりするけど故郷ではそんな選択肢もないし、私なんて家から自転車で5分圏内の学校に通ってた。
あとはやっぱり利便性かなあ。上海は夜でも街が活気に溢れている。上海は24時間営業の店がたくさんあるけど、故郷だと冬は夜11時くらいで誰もいなくなっちゃう。飲食においても、故郷だと他の地方からの影響は少ないけど、ここだと何でも揃っている。故郷でも商業複合施設は増えつつあるけど。
風習も違うんだよね?
風習で言えば、24節気、太陰暦に基づいて誕生日を祝う。性格も、私を見ればわかるように北の方が活発で率直、こっちの人は穏やかで甘ったるい話し方をする。食べ物で言うと、酢や麺類が有名。上海の人は甘い食べ物が多いけど、故郷の人は酸味、辛さ、塩気の強い料理を好む。今では実家の料理がたまに塩辛く感じる。
卒業後は上海に残りたい?
上海、北京、広州あたりの大きな都市にいると思う。故郷では就職の機会少が少ないし、親も帰ってくるなって言うしね。「山西=国家から見放された場所」という意識が強いのかもね。故郷はまず経済の刷新、就職の機会の増加にまずは取り組んで若い人が残れるような選択肢を作る必要がある。
上海に来てから気づいた故郷の良さってある?
大学で景観デザインを専門に勉強し始めて気づいたけど、山西には榫卯という技術を使って建てられた世界一古い木造建築の应县木塔が残ってるんだよ。先生が教えてくれるまで私も知らなかったから、今度帰省したときに行ってみようと思っている。昔は山西が古臭い街だと思っていたけど、最近は故郷のことを誇りに思う。上海なんてまだまだ歴史が浅い街じゃない!て感じ。笑 山西は伝統文化が色濃く残る都市。最近はテレビで取り上げられることも増えてきたので、どうやって保存していくかを考えないといけないね。
インタビューを終えて
先日久しぶりに連絡をとったところ、大学院で研究を続けることが決まったと嬉しい報告をしてくれました。今回のインタビューは中国のデザイン、若者の働き方について考える良いきっかけになりました。インタビューの中でクリエイティブアート空間のことが出てきましたが、歴史的・文化的価値のある建造物保護を目的にこのような创意园区と呼ばれる文化の発信地が増えているようです。ファンファンとも一度、新しくできたシェアオフィスで行われたイベントに一緒に参加しましたが、スタイリッシュなカフェや開放的な共有スペースに感度の高い若者がたくさん集まってきていて、その活気に驚きました。起業家精神も旺盛な若者たち、これからますます勢いを増していきそうです。
第8回 匿名「冒険が大好き、でもまずはお金を稼ぎたい」
第8回のインタビューは上海交通大学公共管理学部4年生の学生です。友人と一緒に何度か食事をした仲の彼。好奇心旺盛で、留学、インターン、旅行すべてに妥協せず忙しい学生生活を送っています。将来の夢はてっきり観光関係の仕事をするのかと思いきや、意外と現実的なようです。
留学中の旅を通して気づいた世界の広さ
普段はどんな大学生活を送っているの?
とっても豊富で多彩だよ。友達と出かけたり、交換留学をしたり・・・。日々の生活でプレッシャーを感じることはあまりないね。
留学していたよね?
カリフォルニア大学バークレー校のサマースクールとシンガポール国立大学に半年留学していた。交通大学は奨学金も豊富だし、国内では良い大学だけど、世界的に見るとまだまだだと気づいた。留学先の教授は熱心でしっかりと毎回の授業を準備してくるし、生徒も教授に対して挑戦的な質問を様々な視点から投げかける。中国では高考で良い成績を修めて良い大学に入ったら順風満帆という感じだけど、国外は入るのは簡単でも卒業が大変。特にシンガポールの学生の勤勉さに本当に驚いた。
授業外で印象的なことはある?
留学中は暇さえあれば1人で旅行していたので自らの見聞を広げることができた。インドネシアやシンガポール、マレーシア、インドなどを旅する中、特に印象的だったのは宗教的価値観と民族問題。シンガポールでは3つの民族が混在していて、それぞれがグループの利益を追求しているのが垣間見えた。マレーシアでは華人とマレー人間の緊張が目立った。
中国でも民族問題は存在するよね?
中国にも少数民族はいるけど東部ではあまり影響がないからあまり深く考える機会がないし、一部の民族を除いて漢民族との差がなくなってきている。僕は民族問題について、どちらかというと悲観的。民族が調和して暮らせることなんてあるのだろうかと懐疑的に思う。特に中国では民族紛争が暴力的になっているしね。
まずはたくさんお金を稼いで自立したい
特に印象的だった旅の話を聞かせて。
インドのガンジス川近くで過ごした時間かな。ガンジス川辺で沐浴する人を観察したり、瞑想したり、マリファナも試してみた。空間と時間の流れがわかるようなとても奇妙な感覚だった。ホステルの滞在を通してかなり敬虔な信者とも知り合った。彼に宗教についてどう思うかと聞かれたとき、僕はビジネスだと答えた。ショーを見て宗教がビジネスに使われている気がしたんだ。
今は旅行代理店大手でインターンしているよね。将来も旅行関係の仕事がしたいの?
たくさんお金が稼げれば、どんな仕事だってかまわない。旅行は好きだけど、旅行業界の成長は限られていると思うから、本業にはしたくないな。C-tripとか大企業が寡占状態でパッケージプラン等ありきたりな商品を売り出しているだけ。小さな会社が富裕層向けの個人向け商品を販売しようとしているけど資源が足りなくてなかなかうまくいかない。金融、ITとかもっと儲かる時代に合った仕事をして経済的に自立したい。
たくさんお金を稼いで、その後何かしたいことはある?
冒険が大好きだから世界中を旅するのもいいけど、チャリティー団体を旅行中に見て、素晴らしいと思ったからそういう団体の運営もいいかなと思う。まあでもそんな真剣には考えてないし、現段階ではわからないな。
なぜお金を稼ぐことがそんなに重要だと思うの?
うーん。もしかすると、僕の生い立ちかもしれない。結局自分は浙江省の小さな街から出てきたから、社会的地位とか富とかに憧れるんだと思う。
両親や祖父母は大学で勉強する余裕なんてなかった
故郷はどんなところ?
故郷は上海の隣、浙江省の海辺の小さな町。上海に比べると都市としての規模は小さいけど、沿岸部に位置しているので経済はとても発展している。産業構造でいうと上海は主要産業がサービス業になっているけど、故郷では未だに工業や農業が地元の産業を支えている。スイカやサトウキビの栽培で有名だよ。教育水準は明らかに上海のほうが高い。故郷では両親や祖父母のように大学で勉強する暇もなく働いてきた人が多いから、進学率も上海に比べると低いと思う。
なぜ上海に来たの?
獲得した高考の点数で行ける一番良い大学に入った。ただそれだけ。
卒業後も上海に残る?故郷に対する特別な思いはある?
おそらく残るかな、状況によるけど。正直良いチャンスがあればどこだって構わない。故郷は故郷。特に思いは変わってないかな。
逆に上海にはどのような思いを抱いている?
僕は上海という街のエネルギーが大好きだ。美術館やカフェ、有意義に時間を過ごすことができる場がたくさんある。でもどこか自分はこの街に完全には属していないような、そんな感じがする。
インタビューを終えて
以前食事をした時、もうすぐ始まろうとしていた旅行代理店でのインターンについて興奮気味に話してくれた彼。将来もその方向に進むと思っていたので、彼の現実的な目標は予想外でした。自らの生い立ちがそう思う理由だと、彼自身が認識しているのがさらに印象的でした。中国人は拝金主義だと煙たがる人がよくいますが、彼のご両親のように、数十年前の貧しい状態から、国の政策に翻弄されながら身を粉にして働いて今の地位を手に入れた人が多くの割合を占める中、そうなるのは生き抜くうえで自然なことなのかもしれません。彼の言葉を聞いて、第3回のあとがきで紹介した友人の言葉を思い出しました。優秀で好奇心旺盛の彼にとって「たくさんお金を稼ぐ」という目標は達成可能のはず。10年後彼と再会して、彼の新しい目標を聞いてみたいです。
第7回 王志杰 (ワン・ジージエ)「故郷新疆には、ゴビ砂漠に高い松がそびえたつ。将来の夢、理想の教師像とは」
第7回のインタビューは日中交流会で知り合った華東師範大学3年生王志杰です。何事にも熱心、積極的できらきらとした目が印象的な、模範教師のような学生です。そんな彼の故郷は新疆。彼の目に映る故郷・上海はどのような姿なのでしょうか。
故郷は新疆―料理と人が豪快
故郷はどんなところ?
新疆の田舎町、沙湾というところ。中国南部と違って北部は水資源に恵まれていない。都市中心部を離れるとゴビ砂漠が広がり、高い松の木が聳え立つ、そんな風景。春と秋が短くて、夏と冬が長い。夏だと日中が特別長いので22時くらいになってやっと外が暗くなる。だから皆散歩しながら買い物に行ったりして、のんびり家族との団欒を楽しんでいる。ちなみに冬は豪雪で氷点下20度にもなる。
それから新疆の料理は塩や香辛料など調味料を多く使った濃い味付けが多い。特に鶏肉のぶつ切りを炒めて大皿に盛った沙湾大盘鸡という特産品が有名。この料理と新疆の人々の気質には通ずるものがある。皆豪快なんだ。上海はどちらかというと淡泊かつ甘い味付けで小さなおかずが多く出てくるよね。
なぜ遠く離れた上海に来たの?
一度も家から出たことがなかったから、遠くの栄えた都市に行ってみたかった。中国の最西部にある故郷から4500kmも離れたこの地に。あとは北部より、南部のほうが日本に行く機会が多いから。
上海に来てから気づいた故郷の良さはある?
上海で家庭教師をする中で、たくさん良いところに気づけた。新疆の実家では週末は勉強せず、家の小さな中庭で読書しお茶を飲みながら、昔ながらの田園生活を送っていた。放課後の補講がなかったから、学習に対するストレスを感じず自由な生活を送っていた。
上海では忙しさに追われてばかりだけど、気づけば夢がなくなって意味もなく忙しく過ごしているように時々感じることがある。緊張状態が続いてずっと落ち着かなくて、精神的に疲れてしまう。例えば故郷ではのんびり映画を見る時間があるけど、上海では映画を見ながら勉強したり、ご飯を食べたりする。集中力が散漫して結局どれも中途半端に感じるね。将来多くは望まないから、自給自足で来てゆっくり本を読めるような幼いころのような生活を送りたいな。
将来は数学教師になる。でも憧れは村上春樹みたいな作家
普段はどんな大学生活を送っているの?
普通の大学3年生の生活を送っている。授業に出て、復習して、テスト前の1か月は図書館にこもる、そんな感じ笑。僕は新疆出身だから、高考の結果で人生が決まると思っていたけど、入ってから違うと気づいた。大学卒業後の具体的な目標が大事なのにしばらく見つからなく悩んだなあ。今では村上春樹のような作家になりたいという夢があるけど、自分の専門と夢とのギャップが大きいから迷う時間が長かった。今でも大きな夢は変わらないけど、それまでは物を書くのに必要な経験を積もうと思うようになったよ。交流会などで様々な国の人や事情について学んで視野を広げようとしている。現代人は他人の人生に目を奪われて孤独な感覚に陥ることが多いように思うけど、僕たちは皆人生の作者で記録者なんだ。大学生活でいろいろ試してみて、こうやって自分が何をしたいかを考えられたからよかったと思う。
ではなぜ数学専攻を選んだの?
成績が一番良かったからかなあ。実は理系科目の中だと化学と数学が特に好き。でも家族にお給料が少し高い数学教師の方が安定した生活を送れると指摘されたんだ。自立して生活していくためにやっぱりお金は重要だから。
卒業後の予定は?
まずは数学の教師になりたい。それから数年働きながらいろいろな地方や国に行って、経済的な余裕ができたら30歳前後で定住したい。
上海に残るの?
いや、新疆に戻って教師になる予定。上海に来て、教育環境がいかに重要かを学んだ。大都市である上海の学生は教育環境に恵まれて、名高い高校、大学へと入る。自分の経験や数学の専門知識を生かして子どもたちに少しでも多くを教えたい。そのためにまずは自分がちゃんとした人間であろうと思う。将来ある一定の地位に就いたら自分の言動や行動が他人に影響を及ぼすと思うから。
ちゃんと遊んで、好奇心旺盛な子どもを育てたい
教育において一番重要なことは何?
華東師範大学の校訓、求实创造,为人师表(実際を重んじ創造し、人の手本となる)かな。教師になるには専門的知識を要するけど、もっと重要なのは自分がどのような教師であるか。つまりは人徳。それは生徒においても一緒。僕はずっとテストが大嫌いだった。テストの成績だけをもとに生徒の出来を判断し、ランク付けすることに対してずっと嫌悪感を抱いていた。重要なのはテストの成績の高低ではなく、成績に反映されている生徒の学習状況や心理状態を理解しようとすることだと思う。
故郷との教育格差についてどう思う?
上海は中国で一番発達したところ。でも新疆は北西に位置していて発展が著しく後退している。まずは工業の発展が重要で、教育は発展過程の最後に位置しているからまだ長い時間を要する。上海の子どもたちは幼いころから勉強するから学び取ることも多いし、知的好奇心豊かで自発的に学ぼうとする。学習が食事と同じくらい自然なことに感じられるくらいにね。教師になったら知的好奇心を持てるように子どもたちを育てたいと思うけど、勉強とか体育だけじゃなくちゃんと遊んで青春時代を過ごしてほしいな。
インタビューを終えて
長いインタビューだったにも関わらず、まっすぐな目で丁寧に、一つ一つの言葉に気持ちを込めて話してくれました。インタビュー後に彼が国家についてどう思うのかと聞くと、こんな答えが返ってきました。「国外に行ったことがないから外からどう見えるかは知らないけど、中国文化や文学に親しんできた僕にとっては中庸の国。非難や衝突を好まず、友好的な手段で問題解決しようとする。」国外でこのように中国が語られることは少なく、政治学ではこのような思想を懐疑的に捉えることが多いと思います。でも目の前に座っている、まっすぐな文学青年には、確かに中国という国が穏やかな表情に見えている。今の政治情勢ばかりにとらわれず、この国のことをもう少し広い目で見てみることも時には重要なのだろうなとはっとさせられました。
第6回 「文学から思想を学ぶ―教育と思想は相関関係にある」
第6回インタビューは現在教育実習をしている友人(匿名)です。普段は一見能天気に見える人ですが会話の端々に現実的でクリティカルな視点が垣間見えます。
上海には自分の時間、空間がある
故郷・上海は自分にとってどんなところ?
故郷は経済がまだあまり発達していない山西という中国の中部地区。故郷では人との距離が近すぎると感じることが多いけど、上海は一定の距離感を感じる。上海は発展していて、開放感がある。私は個人的に、上海にはもっと自分の時間、空間があるように感じるから好きだよ。上海には成長できる可能性がたくさんあるからこれからも住み続けたい。両親も同意しているしね。
教育実習を通して気づいた教育格差
どんな大学生活を送っているの?
授業に出る以外はサークル活動のようなものやクラスの集まりに参加している。インターンシップでは上海の高校に出向いて教育実習をしたりもしたよ。
故郷の高校、上海の高校の違いに気づくことはあった?
まず、上海と故郷では使われている教材が違う。また、高考の点数配分や必要受験科目数も違う。例えば山西では6科目の受験が必要なところを上海では4科目のみの受験で済む。山西の人口は多いのに定員が少ないから名門校への入学はかなり難しい。特別良い教育資源にも恵まれていないね。
この格差についてはどう思う?
この現象はどうしようもないと思う。一线城市(上海、北京、広州、深圳などの大都市)で生まれ育った若者が大学に入学できなければは社会的に不安定な分子になってしまう。家はここにあるのに教育が受けられないと社会的な問題もたくさん起こりうるから。だから一线城市の学生に対して優遇措置が設けられていることは理解できる。優遇されているとはいえ上海でも名門校に通わないとなかなか良い大学には進学できないし。
文学を通して思想を学ぶー教育水準の低さは思想にも影響を及ぼす
学部では何を勉強していたの?
学部では中国言語・文学専攻で、古代中国語、現代中国語、中国や国外の文学作品を勉強していた。幼いころから本を読むことが好きだったから。
文系学部、特に文学部は最近存在意義を問われているけど、学部研究で何を学んだと思う?
文学部の研究は社会に入って役に立たないからもっと専門的な技能を身に着けるべきという人が多くいるけど、私はそうは思わない。中国語で「无用之用(役に立たないと思われることがかえって役に立つこと)」という言葉があるようにね。私は本科生の時、国内外の文学作品を多く研究した。文学自体の内容は確かに時間が経つと忘れてしまうかもしれないけど、学習の課程で様々な思想に多く触れることができた。一つの具体的な技能を学ぶことによって思想は学べないけれど、私たちは文学から思想を学ぶことができる。すると思想から1人の人間の教育水準の高低やどのような人間かを判断することができる。中国でも抗日映画や過去の歴史のせいで未だに反日感情を抱いて、不買運動等をする人がいるけれど、それは彼らの思想や教育のレベルが低いからだと思う。
大学卒業後の予定は?
まだ決めていないし、正直明確な目標は立っていない。でも教師にはあまりなりたいと思わないかな。試験のために何かを教えることにあまり気が進まないし、高考の言語の科目等では文化や政治との関係が強い内容が多々見受けられる。私がその内容を教えることによって、学生の思想に制限がかかってしまうことが嫌なんだ。
インタビューを終えて
普段はとても気さくな人ですが、今回インタビューをするとなると少し硬い表情になってしまい、話を深堀するのに苦労しました。以前大学の講義で政府に対する失言をして追放された教授のことや、ネット上での発言について友人が話してくれたことがあります。おそらく今回発言が消極的だったのも一人の教師としての自分の立場や発言について人一倍気を付けているからだと思います。
彼女が言うように、やはり地方都市に行くと反日感情を表す人が多くなるように思います。雲南に旅行した時には「日本人・犬お断り」と掲げる看板を目にしたこともあります。都会にいると考えることがなくなってしまう歴史問題もやはり地方都市では人々の記憶に未だ深く刻まれています。歴史問題の解決や教育水準の底上げはそう簡単に実現することではありません。だからこそ両国民間の実際の交流や対話の機会を増やすことが重要なのだと、改めて思いました。実際雲南でもあまり嫌な思いはせず、親切な方にもたくさん出会いました。観光地化が進み外国人との接触が増える中、人々の意識も変わりつつあるのかもしれません。
第5回 于瑞川 「ボランティアは社会を理解する手段」
第5回目のインタビューは現在上海交通大学公共管理学部4年生の于瑞川(ユ・ルイチュアン)です。同じ奨学金団体のプログラムに参加していたことをきっかけに知り合った彼。のほほんとした性格、口調の中にも彼の鋭い視線がうかがわれます。
ボランティア活動を通して中国の発展について学ぶ
普段はどんな大学生活を送っているの?
学習以外もインターンやボランティア等の課外活動に参加している。例えば大学2・3年の夏休みには中国中西部の田舎でのサマーキャンプでボランティア教師をしたり、大学4年次に早稲田大学に留学していたときは日本の小学校で中国を紹介した。大学内では海外の著名な科学者を招いた特別な講義に参加し、時には遠方を訪ねた。大学や奨学金団体が提供してくれた機会に感謝している。
どうしてボランティアに興味があるの?
社会を理解する手段の一つだから。自分自身も幼いころに農村で育った身として、やはり農村部と都市部の格差が大きいと感じる。公共サービス、生活の利便性,生活スタイルなど、様々な側面でね。中国の農村部は地理的に不利な位置に置かれているので、なかなか発展しにくい。また、地元の若者が都市に出て仕事をしたがるので、人口流動も加速している。この格差をなくすには長い時間がかかる。
ボランティア活動の内容は研究テーマと関係ある?
あるよ。所属する公共管理学部では、国家や市民の生活という側面から、どのように中国の発展を理解し、更にはどのように発展過程で生まれた問題を解決するかを学んでいる。卒業後、ハンガリーの大学院でも引き続き比較政治を学ぶ予定。東南アジア諸国の多くは中国と同じく社会主義の影響を受けているが、違う発展の道をたどった。それぞれの発展の課程や問題を学びたい。
中国の発達する中、直面している一番の問題はなんだと思う?
都市と農村部、貧富の差が大きい。これらの問題はだれか1人の手によって発生したものでも解決されるようなものではなく、大衆全体が向き合い、解決に努める必要がある。
将来はどうしたい?
国際組織か国境をまたがる企業で働くか、研究を続けたい。まだ明確ではないけれど。
沿岸経済都市・青島から上海へ
故郷はどんなところ?
故郷は青島。沿岸都市で、中国では最も早い段階で解放された都市のひとつ。山も海もあって、海鮮が美味しいし山東省で最も高い山である崂山もある。歴史的には、青島は春秋戦国時代からある古代都市。ドイツの租借地として、その後は日本の占領によって現代化した。未だに当時の建築や青島ビール等、ドイツや日本の影響が色濃く残る。また、青島は地域の経済の中心。日本と韓国との関係がとても強く、商業の往来が盛ん。公共交通手段も発達していて、生活は一般的な都市生活という感じ。
上海の印象は?故郷と何が違う?
国際化のレベルがやはり違う。そして上海で生活している人は全国、世界各地からやってきている。交通や生活において利便性が高いし、教育レベルも高い。ここに来て勉強できて幸運だと思う。
卒業後上海に残りたい?
今はあまり残りたくない。まず、外地人として上海に残るのはあまりにも障壁が高い。戸籍制度によって、上海人と同じ公共福利を享受するために彼らより多くの仕事や時間を要する。他の条件はまずまずだけれど、僕は個人的にまずは異国に行って見識を深めたい。もし仕事の機会があれば戻ってきたいけれど期的に住むのは厳しい。
故郷への思い
故郷は僕にとって変わらない場所。青島は発展した街だけど、上海に比べたらまだまだ遅れている部分が多いなと気づいた。でも当分の間僕は外にいるし、すぐに帰る気はない。
インタビューを終えて
今回のインタビューから浮かび上がったのは中国の農村部と都市部の発展の格差。香港留学中に中国の地理についての授業を受講していましたが、中国沿岸部と内陸部、南部と北部の発展の差に驚きました。実際現地を訪れてみるとなおさらです。一帯一路政策の影響もあってか、最近は内陸部の開発も進んでいるようですが、まだまだ先は長そうです。また、ボランティア活動で得た経験を一過性のものではなく、しっかりと研究に活かそうとしている彼の姿勢に感銘を受けました。
第4回 艾雨 「朝鮮族や日本人、様々な文化や価値観に触れ、自由に生きる」
第4回目インタビューは東華大学日本語学科4年生艾雨(アイ・ユー)さんです。大学進学を機に自らの視野を広げるために大都市上海にやってきました。友人の紹介で上海で知り合ったのですが、なんと秋田に留学経験があるという彼女。インタビュー中地元トークで盛り上がりました。
北朝鮮との国境で生まれ育つ
アイユーの故郷ってどんなところ?
私の故郷は中国東北部の街、遼寧省丹東市。北朝鮮との国境に接していて、実際新鴨緑江大橋という橋で北朝鮮と繋がっている。北朝鮮の近くだから危ない印象を受けられがちだし、私自身幼いころは核実験や戦争を恐れて引っ越したいなと思ったりした。でも、国境に接している影響で朝鮮族の人が多く、独特の文化を持つ程よく発展した街です。最近は緊張が少し緩和したおかげで、丹東の印象が良くなって家賃も上がったみたい。
朝鮮族、「独特の文化」って?
中国と朝鮮、2つの文化が影響しあって、共存しているということ。北朝鮮と国境を接しているので、丹東には朝鮮族、北朝鮮から出稼ぎに来る人がたくさんいる。だから中国語と朝鮮語、どちらも話されている。街の看板にはハングルが併記されていて、料理も中華料理と同じくらい朝鮮料理もよく食べる。昔は朝鮮語しか話せない人もいたみたいだけど、今は朝鮮族の人も中国語を話すようになった。
アイユーも朝鮮族なの?
私は朝鮮族ではなく、漢族。でも父は満族だから、本当は満族になる予定だったけど、戸籍の手続きに手違いがあって母親のほうの漢族になってしまった。満族だったら高考で追加点もらえたのに、と思ったりもする。笑 満族も昔は独自の言語を話したけど、今は皆普通語を話すね。
上海で気づいた北と南の文化の違い
東北部、特に丹東と上海は全く違うよね。上海に来て何か気づいたことはあった?
地元の方が田舎だから、人が優しくていい意味で世話焼きな人が多い。中国の北部は男性が強くて男らしいけど、上海は女性が強くて家事も男性がすることが多いのは驚きだった。
でも一番の驚きは北部と南部の風習の違い。南は食べ物が甘くて、北は辛いものが多い。最初こっちで甘いお粥を食べたときは慣れなかったなあ。あと、北部はどんな行事ごとでも餃子を食べるし、皆手際よく作るけど、南部の人は作れない人もいてびっくり。代わりに彼らは他の物を食べるね、例えば清明节のときは青团とか。
そういえば日本に留学中も東北・秋田大学に留学していたよね?故郷と比べてどうだった?
故郷と同じで、秋田は穏やかで人が優しいけど少し不便。だから就職は上海でするけど、いつか遊びに帰りたいなと思っている。あと、中国東北部は暖气の設備がしっかりしているから冬もあまり寒く感じないけど、日本はそうでもないみたいで冬の寒さが身に染みた。笑
北と南、両方見た今、中国ってどんな国だと思う?
とにかく広い。留学中に韓国人の人と付き合っていたことがあったけど、中国国内でもこんなに大きいから国家間の距離は全然気にならなかった。
ファーストリテイリングでインターン中・就職予定
大学生活について聞かせて。
もう4年生だから授業はほぼなくて、ファーストリテイリングでインターン中。3か月のプログラムで4月から6月までは店舗で接客、陳列等をしていて、7月からは正社員として生産管理を担当する予定。日系企業かつ昇進制度に優れているという点に惹かれて入社を決めた。
日系企業で働いてみて、何かきづいたことはあった?
細かいところにこだわることころ。例えば部屋に入る前には「失礼します」と必ず言って、部屋の人の返事を待たないといけなかったり。中国にいるとあまり周りに気を使わないから楽な分、ちょっと面倒くさいなと思う。でも留学中には挨拶をたくさんする日本の習慣はとても素敵だなと思ったよ。
これからも上海に残る予定?
上海は物価が高くて1人暮らしをするのが大変だけど、上海は日系企業もイベントも多いから日本語を活かせる機会がたくさんある。地元に帰ったら理想的な仕事はないし、給料も低いので上海に残って、1年に数回故郷に戻るのが一番だと思う。語学が好きで、今は韓国語も勉強しているから、ほかの仕事もしてみたい。
インタビューを終えて
今回のインタビューで印象的だったのは、中国の少数民族について。中国には約90パーセントを占める漢族のほかに55の少数民族がいて、独自の文化を形成しています。マイノリティは教育等様々な点で不利な立場に置かれており、それを克服するためにアイユーが言及していたように高考の際に加点される制度が設けられています。私自身も朝鮮族自治州である延辺に行ったことがありますが、中国にいるのに韓国にいるような、不思議な感覚に陥りました。現地の友人が、両親が出稼ぎに韓国に行っていて年に数回しか会えないと言っていたこと、朝鮮語よりも中国語を重視する人が増えていると言っていたことが印象に残っています。これから中国の少数民族、言語はどのように変化していくのだろうか、加点政策のような制度は本当に機能しているのだろうか。改めてこのような問題について考えさせられたインタビューでした。
第3回 匿名 「雲南から、上海、海外へ。彼女の目に映る中国の姿とは」
第3回目のインタビューは現在上海交通大学の学生(匿名)です。香港留学中に出会い、私にとって初めてできた親しい中国人の友達である彼女。私の中で無意識的に形成されていた、あまりポジティブでない「中国人」のイメージを変えてくれた人物です。
雲南から上海へ
故郷はどんなところ?
雲南は曲靖というところ。上海に比べて小さい都市で、生活リズムももっとゆったりとしている。教育水準はあまり高くないけれど、幸福度は高いと思う。家賃も低いし、大気汚染もない。上海の人々みたいに常に高い目標を追い求めていないしね。
上海の印象は?故郷と何が違う?
故郷に比べて暑いというくらいかな。中学の卒業旅行で当時開催催されていた上海国際博覧会を見に行ったことがあったから大体想像がついた。故郷との一番大きな違いはやはり機会の多さ。上海は国際化が進んでいるからその分機会が多い。
雲南への思い
雲南で培ったもの、例えばリラックスした生活、自然を大切にする気持ちや「天人合一(本来天と人は一体であるという考え方)」という観念をこれからも大切にしたい。でも現代社会に生きる人は技術を使って居心地よい生活を送れると思うから、技術と自然、その二つの間のバランスをうまくとって生きていきたいと思っている。
大学生活―香港やアメリカ、国外で勉強し視野を広げる
普段はどんな大学生活を送っているの?
忙しい。競争が激しいので不安に思うことも多々ある。頑張っても周りよりGPAが低かったりすると特に。でも学部がミシガン大学と提携していて授業がすべて英語で開講されていたりと、視野を広げられる機会が沢山あって充実しているよ。
在学中の一番印象的な出来事は?
香港への半年の留学。半分遊びの感覚だったけど(笑)、いろんな人・考え方に出会えたおかげで自分の考え方を変える大きなきっかけになった。香港の学生は皆キャリア志向。一方中国の大学は学術志向。香港に行ってから自分のキャリア形成と大学生活はつながっていると気づいたから、帰国後すぐにインターンを始めた。
最近はカリフォルニアでプロジェクトをしていたよね?
そう。大学の授業の一環で、ミシガン大学の学生とのチームで様々なプロジェクトに取り組んだ。一番印象的だったのはシリコンバレー、スタンフォード大学で過ごした1週間。とっても活気があって、熱意を持った人がたくさんいて感銘を受けた。シリコンバレーのスタートアップで働いている卒業生の1人と話しているときに、「キャリア=自己投資」と言っていたのが特に印象的。アメリカは製品や組織、あらゆる面で管理制度に優れているなという印象。スタンフォードの本屋さんのカテゴリーの仕方とか、学ぶ意欲を駆り立て、自己研鑽できるもので溢れていた。香港と同じく自然も豊かでよかった。
様々な大学・場所で教育を受けた今、中国の大学教育についてどう思う?
交通大学の私の学部は奨学金や独特なプログラムを提供しているから少し例外的だけど、中国の教育はまだまだ海外から学ぶ必要がある。アメリカの大学のキャンパスは門がいつも開いている。それは同時に社会と大学が繋がっていて、オープンだということ。中国の大学は大規模なレクチャーが多すぎるから、もっと社会とのつながりを持つべき。学習態度も個人主義で、GPAばかりに固執しすぎ。
スイスの大学院に進学、その後もとどまる予定
将来はどうしたい?
今秋からスイスの大学院で技術経営と経済学を勉強して、その後もおそらくスイスに残って働くと思う。先進国はやっぱり生活水準も教育水準が高い。雲南に戻ることはあったとしてもしばらく先だね。
なぜ上海の大都市じゃなくて、海外にとどまるの?
上海にとどまってここで自分の将来を切り開くという道も確かにあるけれど、あまりにもプレッシャーが大きすぎる。中国はまだ発展途上国、街のインフラは素晴らしいし、表面的には発展しているけど、マインドセットはまだ10年くらい前の状態のまま。例えば、政府や会社の管理制度があまり発達していないし、規制も多いから、完全に安心感を得ることは難しい。この点が改善されて、自分が完全に自立して人生の目標も明確化されたら中国、故郷に帰ってきてもいいかな。まだまだ時間がかかりそうだけど。
中国のよい点・悪い点は?
客観的に見ると経済が急成長していて、GDP成長率も高い。その分機会も多いし、規制が及んでいないところではIT技術関連のスタートアップがどんとん発達している。環境汚染もましになりつつあるし、教育水準も素質も上がりつつある。逆に問題点は創造性の欠如。組織体制が概してトップダウンだから長期的な成長を考えるとあまりよくない。
インタビューを終えて
今回は、彼女との余談を紹介したい。彼女は同世代の学生には3タイプの人間がいると言っていた。「1つ目のグループは、小さい都市出身だが高考で一生懸命勉強して大学から都市、ときに国外で活躍する人。国際的な理解が低い場合、多くのこのタイプの人間は部屋を買うことやお金を稼ぐことだけが人生における目標になってしまいがち。なんせ田舎で資源がなくて辛い状態で育っているから。彼らはどうやってうまく資源をうまく利用するかを学ぶ必要がある。2つ目は、都市で生まれ育ち、あまり特別な努力なくして大学に入った人。彼らは現在の状態に満足しがちでモチベーションがなく、コンフォートゾーンにとどまりがち。一般的に視野が狭くて排他的。3つ目は、大都市で育ち、もっと上を目指す人。残念ながらこのタイプの人間は大学入学の時点で既に国外へ出ていく。私は1つめのタイプの人間だからもっと自分のパッションを見つけなければと今思っているところ。」あくまでも名門校に通う彼女の個人的なざっくりとしたカテゴリーだが、うまく言い表していると思った。やはり海外に出て勉強をしているだけあって、かなり冷静に、批判的に国のこと、自分の将来のことを考えられているという印象だ。「第1タイプ」に属しかつ資源をうまく活用できている彼女がこれからどう世界で活躍していくのか、とても楽しみだ。
第2回 张 思「北京近郊から上海へ 上海で気づいた質の高い暮らし」
記念すべき第1回目のインタビューは現在上海外国語大学日本語学部2年生の张思(ジャン・スー)さんです。上海でなかなか中国人の友人ができないと知り合いの方に相談し、紹介してもらった私にとって初めての現地の友人である思ちゃん。大学進学を期に、2年ほど前に故郷の河北省は石家荘市を離れて上海にやってきました。
上海での発見:質の高い暮らし
故郷はどんなところ?
石家庄市は天津と北京の間に位置していて、高铁で北京から3時間くらい。一応河北省の省会城市だけど、北京と比べるとあまり歴史も深くなくてこれといった観光スポットではないかな。でも交通も便利だし地価も高くない。平凡な街だけど、何不自由なく暮らせる大好きな街だよ。
上海の印象は?
上海はとてもいい街だと思う。おもしろいお店がたくさんあって、住んでいる人1人1人が生活を楽しんでいるという気がする。皆質の高い生活を求めている感じ。北京は首都ということもあって「中国っぽい」んだ。古い建物が立ち並んでいて、地名にも「宮」がついている。至る所で古い歴史を感じるね。上海ほどカフェとかも少ないし、首都だから政治的な色が強くて海外とのつながりが弱い。迷ったけど若いうちにオープンな上海に来てよかったと思うよ。
石家庄と上海の違いは?
まずはアクセントが全然違う。私の故郷はかなり標準的な中国語を話すけど、上海の人は方言も含め独特な話し方をする。
それから上海の女の子はみんなおしゃれ。自分のためにおしゃれをして、モチベーションを高めている。それが「高精致的生活(質の高い暮らし)」に繋がっている気がする。北部の女の人は「女汉子」と呼ばれるだけあって男勝りで直接的なものの言い方をする人が多いけど、ここの女の人はもう少しやわらかい印象で、それぞれ個性を楽しんでいる。もちろん、上海には休む間もなく忙しく働いている人もいるよ。対照的な2種類の人々を見て、私は生活を犠牲にしてまで働くような人にはなりたくないと密かに思った。
外国語学校から上海の外国語大学へ
上海にきたきっかけは?
中学から外国語学校に通っていて、その頃から日本語を勉強していました。進路選択の時、北京か上海、どちらの外国語大学に進学するか迷ったけど、海外の人や物が多く、オープンな雰囲気の上海に惹かれて上海に来ることを決意した。ずっと北部で生まれ育ったから南に行ってみたかった、というのも大きな理由かな。
ちなみに私は外国語学校に通っていたから幸い推薦枠をもらえて、高考を受けなくて済んだ。推薦枠は基本的に私みたいに外国語が得意な人や数学や物理で受賞歴がある人が対象。
普段どのような生活を送っているの?
郊外の学生街、松江に住んでいるよ。1年生の間はサッカーサークルと勉強に集中していたけど、今はのんびりとした生活を楽しんでいる。せっかく上海にいるのだからもっとこの街のことを知りたい、楽しみたい、そう思って週末は積極的に街に出るようにしているよ。そのほかにも、外部のスピーチ大会に参加したり、外に出てもっと広い世界を見ようとしているところ。
寮生活について聞かせて。
4人部屋の寮に住んでいる。中国の寮は基本的にキッチンなしでシャワーも共有、でも特に不満はない。喧嘩する人もいるけど、私たちは基本的にみんな支え合って楽しく生活しているしよく一緒にでかけたりすることも多い。高校の時も寮に住んでいたことがあるから私は慣れているのかも。中国では高校3年生になって勉強が忙しくなると、家が遠い、勉強に集中したい、等の理由で寮に入る人が多いよ。
将来の夢はある?
まだ決めていないけど、上海で通訳の修士をとろうかなと考え中。修士だとキャンパスも中心地にあるからこの街のことをもっと知れると思う。でも実家に近い北京に戻ることも考えている。私は上海に残りたいけど正直上海は厳しい街だと思う。給料は高いけど、その分生活費も家賃も高い。家を買うなんて到底無理だし。将来が見えないし大きなプレッシャーを感じる。5年くらい頑張って将来の見通しが立たなければ故郷に戻るか小さい街に移るしかないかな。でもどこにいたとしても日本に関わる仕事がしたいなと思っているよ。
日中関係に対する思い
中学から日本語を学んできて、日中関係についてはどう思う?
中国人には、日本のどこが好き、と具体的にはっきり言える人がたくさんいる。例えば日本食とか、アニメとかね。でも日本人ははっきり言える人って少ないと思う。上海や北京を知っている人は多いけど、中国にはもっとおもしろいところがたくさんある。それをこれからもっと中国側がうまく伝える必要がある。
あとは民間交流が一番大事。外国語学校でも高校生の時1年間留学する人がいて、やっぱり若いうちから交流することって本当に大切だなと痛感した。高校生は大学生と違って毎日現地学生と同じ時間割で授業を受けるから、交流の程度が全然違う。政治的には厳しい過去があっても、日本と中国は近隣諸国で経済的にも重要なパートナー。世界はどんどんグローバル化しているし、そのポジティブな流れに乗るべきだと思う。
インタビューを終えて
終始穏やかな表情で楽しそうに話す彼女はすっかり「上海の女性」の表情をしていました。今回のインタビューでの新たな発見は外国語学校、推薦入試の存在。インターナショナルスクールに通う学生以外は皆統一試験である高考を受ける他ないと勘違いしていましたが、選択の余地が少し残されているようです。中国の大学入試には主に高考と呼ばれている統一試験のほかにも、推薦入試や、優秀な学生向けの枠である「保送」という制度もあるようです。
また、上海の女性は強い、といわれますがその「強い」の意味が少しわかったような気がします。自分の好きなこと、上質な生活を実現するために妥協しない、そんな「強さ」を持った女性なのではないかなと思います。新しい街に引っ越し、その土地での生活を楽しむ。そんな彼女に共感することがたくさんあり、本当に楽しいインタビューでした。
BB第1回 「香港人と大陸人が口をきかないという驚き」
ニュージーランド→香港→そして、上海
こんにちは。国際教養大学4年、現在上海留学中の長谷川綾子です。
初回ということで、まずは私が上海にやってきた経緯について少しお話させていただけたらと思います。
私は幼い頃から英語に興味と憧れを抱いており、高校1年次には1年間ニュージーランドに留学し、国際教養大学に入学しました。
大学には台湾・香港からの留学生が多数来ており、親睦を深めていくうちに彼らの中国に対する微妙な感情に気づくようになりました。恥ずかしながら大学に入学するまでは「台湾、香港、中国」この政治的に不安定な関係性についてあまり深く考えたことがありませんでした。もっと彼らのことを理解したい、そんな気持ちから私の興味は北東アジア圏、中華圏へと傾倒していきました。
そんな中やってきた、3年次の交換留学。私は迷わず香港と台湾の大学を志望しました。高校在学時の留学とは違って、様々なバックグランドを持った人が混在しているアジアの国際都市に身を置きたいと考えていた私にとって、香港は特に理想的な留学先でした。
2016年1月から1年間、香港大学での留学生活が始まりました。
香港人と中国人が口を効かないという驚き
留学中、私は香港・香港島にある香港大学の医療系学部向けのキャンパス近くの寮に住んでいました。約370人の寮生のうち、香港人、中国大陸からの学生、外国人の割合が大体7:2:1とローカル色の強い寮でした。香港大学の寮では、ドラゴンボートやソフトボール、合唱などのクラブ活動が盛んに行われています。
現地生が寮に住み続けるには寮内の活動に参加することが必須のため、彼らは授業後すぐにクラブの練習に参加し、帰寮すると休む間もなく夜深くまで日々の学習に取り組んでいました。多忙な毎日を送っているからか、最初あまり話しかけてくれなかった現地の寮生も、留学後半に突入すると心を開いて寮のイベントにも積極的に誘ってくれるようになりました。
留学当初から抱いていたぼんやりとした違和感が大きくなったのは、ちょうどこの頃でした。
寮内のイベントに中国人学生の姿がまったく見えないのです。また、同じ階には中国人学生も現地生も一緒に住んでいるのにかかわらず、彼らが同じ部屋に割り当てられることはまずありません。イベントに誘わないどころか、廊下ですれ違って挨拶を交わすことすら稀でした。
現地生になぜ中国人学生と交わらないのかと聞いてみたところ、中国の学生はマナーが悪い、勉強ばかりでクラブ活動にそもそも積極的ではないから誘う必要はない、などと皆中国人に対するネガティブな意見を口にしました。
もちろん2014年9月に香港の高校生と大学生が中心となって「真の普通選挙」を求めて立ち上がった雨傘革命など、デモの様子は留学前から目にしていたので、香港の学生が年々存在感を増している中央政府に反発しているということは事実として知っていました。ですが、このような対立構造が日常的に学生の間でも存在するのかと、私は驚きました。
確かに、中国人の行動規範は香港の人のそれと異なるかもしれない。でも本当に彼らはマナーが悪くて勉強しかしない、つまらない人々なのだろうか。もちろん決してそんなことはありません。私が個人的に仲良くなった中国人の友人は、深夜まで中国語の授業のプレゼンの練習につき合ってくれ、将来の夢に向かって高い目標を掲げ努力を惜しまない、心優しく優秀で尊敬できる人たちばかりでした。
中国とそこで生きる人を知りたい
香港は政治的に厳しい状況に立たされており、若い世代が反発する理由もよくわかります。でも私は第三者として、彼らが反発する中国という国を、そこで生きる人たちをこの目で見て、もっと知りたい、そう思いました。そんな気持ちから一念発起し、現在日本の大学を休学し中国・上海の華東師範大学に、2017年9月より1年間の予定で公費留学中です。
私が上海に来て驚いたのは、この街の発展の勢い。次から次へと巨大な商業ビルが竣工していくことはもちろん、IT関連の技術が進んでおり、生活全般の利便性が非常に高いです。
空腹でも外に出るのが億劫なときはデリバリーサービスを頼み、歩くのが面倒なときはレンタルバイクを借り、レストランでお会計の時は電子マネーでさくっと清算。現金を持ち歩くことがなくなりました。無人コンビニなどもどんどん増えてきています。もちろんこの優れた利便性の裏には、社会問題や環境問題も潜んでいるということも忘れてはなりませんが、本当に何不自由ない生活を送っています。
地方からチャンス求めて上海にきた学生
そして何より、国際的な印象が強い上海には外国人のみならず、中国全土から人々が職や機会を求めて集まってきている、ということに気づきました。すると上海という大都会で暮らす中国の若者と、中国に反発しもがく台湾や香港の若者の姿が少し重なって見えました。中国という大きな国の影響下で、形は違えど懸命に生きているという点では彼らは同じなのではないか、そう思ったからです。
そこで、この連載では地方出身かつ上海在住の学生に焦点を当て、対話形式で進めていくことにしました。大都会で揺れる若者の故郷への思いや将来の夢を伝えることで、大きな国としてとらえてしまいがちな中国という国の多様性を読者の皆さんに伝えられたらいいなと思っています。
どうしてもどこか得体のしれないように感じてしまう「中国人」のイメージが、1人1人のストーリーを通して少しでも身近な存在の「人」へと変わってくれますように、そんなささやかな願いを込めて上海からお届けします。