中日ある記2「やかんの水」と「池の水」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第1週

2016年9月11日 / 中日ある記







 中国とは異なり日本の企業の人事異動は4月に集中している。10年来の友人であるKさんも再び日本に帰国することになった。かれこれ40年近く中国で仕事をしている彼が今後再び中国に来る機会は少なくなるのではないだろうか。

 Kさんの中国の友人たちと共に送別会を開いた。やはり寂しいものだ。10数年前上海で初めて会ったときのことから近年数回参加した植樹ボランティアのことなどとりとめなく話をした。時の流れは実に速い。Kさんもそれを強く実感している。就職当時、中国語の勉強のためにはまだ台湾しか行けなかった頃から、中国大陸で様々な仕事をしてはや40年近く、本当にあっという間だったという。

 「中国と日本、この2つの国をどのようにとらえていますか?」
私はKさんに尋ねた。
 「日本はやかんの水のようだと思います。熱くなるのも速いが、冷めるのも速い。一方で中国は池の水のようです。熱くするのは非常に難しいが一度熱くなり始めたら冷ますのは容易でない」
 Kさんの30年あまりの日中両国に対する理解はこの言葉に凝縮されている。

 おしなべてそれなりの生活水準を保ち、行動スタイルに大きな差がないという意味で日本は画一的である。やかんの水はかき混ぜる必要なく沸くのも速い。多くの国も工業化(近代化)を進めたが、水温が80度、90度になったところで突然ストップしてしまった。例えばラテンアメリカ諸国だ。中所得の罠に陥ってしまったのだ。今後それを乗り越えて成長する可能性はあまり高くない。水は100度に達してこそ沸騰する。沸騰した水は冷めても白湯であり、ただの水とは違う。日本にも停滞した時期があった。メディアは「失われた20年」と表する。だがその停滞と、他のアジア諸国が予想する停滞は全く異なるのだ。日本は「失われた20年」で国民の生活レベルが大きく下降したわけではなく、常に安定した社会を保っている。

 中国を池の水に例えるとは、言い得て妙である。私が子どもの頃出かけた大浴場では係員が常にお湯をかき混ぜていた。そうしなければ熱いところ冷たいところとムラが出てしまい利用者からは不満の声があがる。日本には温泉がたくさんあり、湧き出る水は熱いか、温度が低ければ加熱している。湯が熱すぎれば冷たい水を差して入浴に適した温度に調節する。やはり中国とは違う。

 中国の30数年の変化を体験してきたKさんも、ふりかえるとその変化が当初想像したよりもかなり大きかったことに気付く。80年代、中国も工業化を謳ったが、実際その兆しを肌で感じることはなく、90年代に入ってようやく熱気を帯び始めた。そして2000年以降は想像以上の勢いで工業化の波が押し寄せた。

 「冷まそうと思っても容易ではない」
そうKさんが言うのもまた感慨深い。2008年の金融危機ではすぐに日本の企業の不良債権問題が表面化した。しかしその時中国ではさほど問題がないように見えた。それは中国企業のリーダーが優秀だったわけではなく、冷まそうと思っても難しかっただけなのだ。中国経済は逆風の中でも成長を続けていた。

 やかんの水と比べれば、池いっぱいの水を沸騰させるためのエネルギーはもちろん、時間も多く必要だ。10億以上の人口を有し「中所得の罠」が待ち受ける国なら尚更だ。中国崩壊論や中国脅威論はこの池の水から得られる感覚だろうが、いずれも正確とは言えない。やかんの水が沸く過程やその特徴を結論づけるのは簡単だが、池の水となれば話は別だ。やかんがどれほど大きくてもそれなりの結論は出る。小さな池であれば多少分かる事もあるかもしれないが、大きくなれば無理な話だ。ましてや自分が見た事もない大きな池について何らかの結論を導くことの難しさは言うまでもない。

 やかんの水と池の水、両国の分析にふさわしい例えだと思う。

文・写真:陳言 | 翻訳:勝又依子





ChenYan

投稿者について

ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。