大学教育の現場から4「私の学生指導」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第6週

2016年9月11日 / 大学教育の現場から


 
初めての教え子謝さん。現在は北京の大学で教鞭をとっている


 大学教育の現場から4「私の学生指導」
BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第6週

私が所属する対外経済貿易大学・国際経済研究院は大学院のみのコースです。つまり、所属する学生は本科生(学士課程の学生)ではなく、博士・修士課程に通う大学院生のみとなっています。大学院生の主な任務は研究。我々教師も日ごろの講義だけではなく、学生たちの論文指導も極めて重要な仕事となります。

中国において大学院生以上の学位論文の指導教官は国家資格となっており、博士課程、修士課程の指導教官はそれぞれ『博士生导师(博导)』、『硕士生导师(硕导)』とよばれています。『硕导』は副教授以上と規定されていますので、2013年に副教授昇進を果たした私が直接学位論文を指導した学生は多くありませんが、これまで合計4名の大学院生の指導教官をつとめてきました。

その中で初めて副指導教官として論文指導にあたったのが、当時博士課程に所属していた謝さんです。「副」がついているのは、私に『博导』の資格がないためで、彼女は他の教授に師事しながら、私から指導を受ける道を選びました。研究対象は、「為替レートのパススルー(為替レート変動がもたらす国内・輸出入価格の変化)」です。

初日に聞いたのは卒業後の目標、進路でした。

「北京の大学で働きたい」

彼女の返答は明確でした。ただ、北京の大学教師は海外帰国者も狙う狭き門、中途半端な業績ではとても入れません。その事実を伝え覚悟を求めました。彼女は迷いながらも「それでもなりたい」と私に告げたのです。これで私の覚悟も決まりました。

私にとって初めての学生、彼女の目標を達成させてあげたいと、一生懸命になりすぎてしまいかなり厳しく指導しました。自ら積極的に研究に取り組むような雰囲気を作り、定期的にミーティングを開いて議論を繰り返しました。目標を高く設定し、それに向かって努力するよう導きつつ、私自身もできる限りのバックアップを続けました。他の研究者との交流を深めさせるために、学内資金を工面し学会にも積極的に参加させました。

その結果、彼女は厳しい指導に耐え、三年間で4本の論文を中国国内の査読付き学術誌で発表、博士論文も無事に通過し、ついに自らの目標を達成して、昨年から北京の某大学で教師として活躍しています。

「私が大学教師になれたのは西村先生のおかげです」

本心かどうかはわかりませんが、そういってくれる学生がいるのは私にとっても大きな心の支えになっています。私の指導方法は間違っていなかったと。

時には優しく時には厳しく、学生目線に立ち、一人ひとりと真剣向きあう。決して押し付けず、自主性を重んじ、自由に取り組ませた上で、最終的な責任は指導教官である私が負う。これが私の教育スタイルです。

中国には『桃李满天下(自分の教え子が全国至る所にいる)』という言葉があります。

9月は中国の新学期。今年は二人の新入生が私の門戸をたたきました。今度はどのような「桃」、「李」に育ち、全国各地に広がっていくのでしょうか。

文・写真:西村友作





Yusaku Nishimura

投稿者について

Yusaku Nishimura: 対外経済貿易大学副教授  2010年6月に中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士を取得し、同大学国際経済研究院で専任講師として採用される。  2013年1月より同大副教授。日中両国でのコラム執筆や講演活動も精力的におこなっている。  中国の外国人の大学教員の立場は、自国の言葉で教える非常勤講師か、海外の大学教員でありながら中国でも講義する客員教員が一般的。日本人を中国人枠での専任講師として採用するのは極めてまれで、人民日報やChina Dailyなどでも大きく紹介された。