「指が黒くなる。
黒さで一回り太い指に見える。
皺は垢でより濃く、深くなり
指先は裂け、腕に切り傷がいくつもある。
歯はざらつき、鼻は常に詰まっている。
髪の毛は固く頭垢もでる。
鼻の頭と周りの頬が日に焼けて痛い。
頬のガサガサは髭か指先の悪化したひび割れか。
肺が土で埋まり、喉から飲む埃で更に息苦しい。」
移牧民と春の放牧地に九日間滞在した後、
七日間かけて夏の放牧地へ移動を共にした後の日記である。
疲労もピークで帰りたい寂しさが少しずつ精神を支配し始めていた。
2015年6月14日。
継続中のフォト・プロジェクトのため再度新疆を訪れた。
撮影場所の地理や家族については、2012年の回想記「The Edge」の連載を参考にしてほしい。
移牧民の彼らは1年に4回、四季で移動すると聞いていた。
今回その放牧地の「引っ越し」に同行できたわけだが、この4年間で最も厳しい実りある旅となった。
今年の春頃、「アパートに移住した」と移牧民の家族から連絡をもらった。
牧民定住化政策により開発が進む定住区の新築アパートのことだ。
移牧生活からリタイヤしている両親が入居したらしい。
移牧や遊牧と聞くと生涯草原や山脈を移動している人達を想像するが、
私の出会ったほとんどの老夫婦は、息子や娘に放牧を任せ、「リタイヤ村」とも呼ぶべき小さな集落に定住して生活している。この点在するリタイヤ村から開発が進む定住区に移住する老夫婦が近年増えている。
家族の新しい住まいと生活を撮影するため、まずは中継地点となるカシュガルへ向かった。
「初めて来たときは、すごく緊張して不安だったことを思い出した。」
4年前のカシュガルを思い出し、今回の日記に書いてある。
カシュガル空港から常宿であるユース・ホステル「喀什老城青年旅舎」へ向かうためバスに乗る。整備された道なりには土色の四角い住居がいまでも多く立ち並んでおり、交通量が増す市内に差しかかると次第に緊張感がもどってきた。
カシュガルのランドマーク「エティガール寺院」へ向かう交差点で私はバスを降りた。そこから徒歩で旧市街へ20分ほど進むと、黄土色の低い建物が並ぶなかに堅牢な扉が見える。押しても人が1人通れるほどしか開かないその扉を抜け、中庭に立つと、相変わらず闘い尽くしたような自転車や武装解除後のような大型バイクが放置してある。
以前このホステルに宿泊していた白人男女のグループは、ユーラシア大陸を自転車で渡って来たと教えてくれた。島国出身では計るスケールを持ち合わせない規模のストーリーで、そんな流離人やならず者が集うホステルの2階に機材と荷物を置いた。安堵のためか少しベッドで横になる。
家族が定住する街は、ここから更にキルギスタン国との国境へ向かった先にある。
文・写真:Go Takayama