The Edge #1

2016年6月10日 / The Edge




(写真)日暮れ頃、放牧していた羊が麓へ戻ってくる

連載1回

そこは真っ暗な雪山。中型バイクの後部座席に股がっている私は、凍てついた冷気で顔面を叩かれているようだ。
足の感触はすでにない。
鎧のように重く着込んだ身体がバイクから弾き飛ばされないように、左手で必死に後部座席を握っている。
力む指先の皮が零下の外気にさらされた鉄にへばりつく。皮膚がもっていかれそうだ。垂れ流しの鼻水がマスク内に付着し息苦しい。
吐く息で眉毛が凍り、瞬きが重く感じられる。もうどのくらい経っただろうか?

眠気と疲労で意識が朦朧とする。前方を照らすバイクのライトが、暗闇のなかに唯一現実を照らし出している。見上げると溢れんばかりの星々。天然のプラネタリューム。

タイヤが小刻みに滑ると同時に両足に力が入る。暗やみのなか、氷った川を渡っていることを確認した。突然、「バキバキ!」と静まり返った空気が息を吹き返した。
氷が割れ、後輪が沈むのを感じた。重さの負担を軽くするため、私は氷った川を歩いた。
川幅がどれほどなのか、暗くて想像もできなかった。
 後方はついて来ているだろうか?
振り返りヘッドライトの数を声に出して数えた。
1つ、2つ、3つ……
7つのライトは、まるで蛇のように、伸びたり縮んだり、上がったり消えたりしながらこちらに向かって来ている。

こう回想して思い出すのは、私が7日間過ごした冬の遊牧民生活を夜の闇に残し、氷の山を麓へと目指している旅路だ。

中国の首都北京から約3000キロに位置する新疆ウイグル自治区のウルムチから、南西に列車で約25時間下るとカシュガルに着く。すでに現代化が深刻なシルクロードの古都カシュガルから、乗り合いの車で西へ更に数時間、そして今回訪れた遊牧民が生活する谷は、そこからバイクで北上9時間半の人里離れた山深い谷である。遠いと形容詞するより、中国は広いのだ。

今回私が訪れた雪山は中国の西の端。西方に隣国キルギスタンのアレイ谷。南方には「世界の屋根」と呼ばれるパミール高原。高度3000メートルを超える中国天山山脈に位置する辺境である。

中国の克(ク)族(キルギス少数民族)の村を訪れるのは、今回で2度目だ。昨年2011年の夏、個人の撮影プロジェクトとして訪れた際に出会った家族を再び2012年の冬に訪問したのである。彼らの言葉、宗教、食べ物、住居は、我々が「中国」とまとめる中華人民共和国、主に「漢族」のそれと全く異なるのである。キルギス語を使い、イスラム教を重んじ、豚を食べることは御法度。羊が主なタンパク源で、ナンという小麦粉を薄く伸ばして焼いたパンが、主要な炭水化物である。

2度目の訪問にも関わらず、この場所は中国からは遠い「異国」だと錯覚してしまう。



The Edge #2

2016年6月11日 / The Edge




(写真)16歳のUHと乗った中型バイク

連載2回 旅1日目ー01

5ヶ月ぶりにこの村に再来した夜、雪山行きの話が持ちあがった。遊牧生活をリタイアした両親はすでに山を下りている。家族の次女AR、三女JR、そ して長男JMは天山山脈を1年に4回移動する遊牧民だ。ちょうど冬の約4ヶ月間を過ごす雪山の谷から帰ってきていたJMと姉ARが、数日以内に谷に戻ると いう。私は好奇心と期待だけで、いっしょに行かせてほしいと訴えたのである。

運転したことのない雪山を中型バイクで走行するというのが、彼らが私に課した同行の条件であった。私の根拠のない自信と無謀な決断で話は一端まと まったかにみえた。しかし、JMは山を熟知している。私の不安を読み取ったのだろう。出発前夜、夏に連れて行くとの約束で今回は断念するよう言われた。迷 惑はかけられない。命あっての撮影だと、私も一度は諦めた。ところが、彼らが村を出発する朝、JMに電話がかかってきた。姉ARからである。もう一人谷に 行きたいという人間が現れたというのである。そして、私をいっしょに連れてってもいいと言う。急いで準備した。靴下2枚、スパッツ2着、フリースのズボン と更に綿パンを重ね着すると、短足を極めたような格好になった。上半身は、Tシャツ、長袖のシャツ、セーター、フリースのベスト、その上に厚手の防寒ジャ ケット。持参した上着は全て着込んだ。首から上は、ネックウォーマー、マスク、ニット帽で身体の露出を最低限におさえた。夜は氷点下15度を下回る雪山 だ。カメラを首から下げ、厚手のジャケットで保護した。もう一台を収納した小型バックと三脚をたすきがけに背負った。機材の多さに家族は目を丸くしていた が、その時私はこの先9時間を超す雪山走行になるなど考えもつかなかった。

新疆時間の午前9時過ぎ(非公式ながら北京時間より2時間遅い)、仲間との集合場所である慌ただしい駐輪場に到着した。林檎、蜜柑、バナナ、干し た梅、ナン、米、小麦粉、生卵などが、バイクの両脇にぶら下がる麻の袋にはち切れんばかりに押し込まれる。後ろから見たバイクは太った羊のお尻みたいだ。 冬の谷へ向かうバイクは5台。一行は私を含め11人。無論私以外の10人はその谷で暮らすキルギス人。同行する母親は赤ちゃんを毛布でグルグルに巻いて 抱っこし、運転席の夫と彼女の間に赤ん坊をはさむようにバイクにまたがった。赤ちゃんが平気なのだから、私などへっちゃらだろうと確信のない安心が動揺す る心をすこしだけ落ち着かせてくれた。

いよいよ私の相棒が明らかになった。JMが指差す方向には、なんと先ほどまで赤ん坊を抱いていた16歳の少女UHがいた。私は目を疑い尻込みし た。運転したことのない雪山でも、私が運転したほうがましだろう。16歳の少女が荷を積んだ中型バイクに男一人後部座席に乗せ雪道を走行できるのか? 私の甥っ子と数歳しか違わないではないか。急速に募る不安は突如皆の高らかな笑い声で鎮圧された。運転手と後部座席の者が通常逆であるべき状況が地元の男 達には滑稽にみえたのだろう。私は情けなさと恥ずかしさに苦笑するしかなかった。


The Edge #3

2016年6月12日 / The Edge




(写真)キルギス遊牧民が暮らす冬営地へ向かう途中

連載3回 旅1日目ー02

冷えきった風が意外と心地いい。町中の道路は舗装されており、快適に飛ばす少女UHは、仲間を次々追い越して行く。スピードに乗る彼女の肩越しから 険しい雪山が威圧的にそびえ立つのを確認できた。一行は町を抜けると進行方向を北東に向けた。舗装された道路はここまでだった。前方には限りなく続く雪 道。反射的に両足に力が入った。後輪が白い雪に乗った瞬間だった。突如タイヤは滑り少女UHと私は呆気なく宙に放り出された。低速と積雪のため怪我こそな かったが、バイクのエンジンがかからなくなった。早々と「断念」の二文字が頭をよぎる。数分後、後方から追いついた仲間の手助けで、運転は再開できたが、 バランスが非常に偏っているせいか、やけに後輪が滑りやすい。少女UHの腕力では無理なのではないかと心配になる。彼女の背中がうんと小さくみえた。再度 転倒。その数分後、またもや転倒。次第に、後輪が滑ったと感じた瞬間に身を投げ出す受け身の取り方を覚えた。少女UHに「大丈夫?」と尋ねると彼女は笑顔 で「平気だよ」と答えた。どうやらクラッチとギアに問題があり、減速と加速の際に気を取られ、その間にタイヤを雪に奪われるらしかった。話し合った結果、 修理のため長男JMが我々のバイクに乗って町まで戻ることになった。

そこからは徒歩だった。新疆時間の午後12時頃。少しでも距離と時間を稼ぐため前進した。歩いて実感したのだが、氷の上に積雪していたらしく、徒 歩でも滑らないよう踏ん張るような雪道だった。スパイクなしのタイヤで運転してきたことが恐ろしく感じられた。歩くと呼吸がすぐに乱れる。目指す谷は、 3000メートルを超える天山山脈にある。照らす太陽と反射する雪が眩しかった。両手が自由になったため、カメラを取り出した。フィルム交換の際に足を止 めると、限りなく無音に近いことがわかった。無風のなかに、やけにギラギラと光る雪、どこまでも青い空。数時間歩いた後、私を含め徒歩3人組は川の対岸で 待つ仲間のバイクを発見できた。川はうねりの形状を残したまま止まるように凍っていた。時間が静止しているようで美しく感じられた。川底を流れる水の低い 音は、その川が生きていることを語っていた。

川岸の仲間に合流すると、私は次女の夫KPの後ろにまたがり再出発することになった。少女UHはと振り返ると、今度は大人の女性2人を後部座席に 乗せていた。なんと逞しいこと。ちなみに2人ともJMのお姉さん。姉妹ともにハイヒールを履いていた。私には困難に感じられるこの旅路でも、彼女達には モールに買い物に行く感覚なのだろうか。そもそもモールに出かけたことはあるのだろうか。

安定したKPの運転にホッとしていると、間もなく休憩場所である土壁の家に辿り着いた。家のなかに入ると薪のストウブで部屋が大変暖かい。細かく 刻んだ揚げパンに無言でくらいついた。小さな窓から差し込む光を受けて、大きなアルミのボウルは、皆の空腹を満たしていった。ここで長男JMと合流。少女 UHと私は再び相棒として雪山を目指す。


The Edge #4

2016年8月22日 / The Edge




(写真)キルギス遊牧民が暮らす谷。 9時間以上の旅路のあと、ようやく谷に着いたとき谷はすでに真っ暗だった

連載4回:旅1日目ー03

  空に明るさが失われ、辺りは青白くなった。寒さが私の不安を駆り立てる。少女UHは疲労困憊だ。バイクを停めて小刻みに手を振っている。ハンドルを固定する握力が限界なのだろう。見ると本当に小さな手だ。辺りは午後4時過ぎの太陽だろうか。出発してすでに5時間は雪道を運転している。心配そうな少女UHを説得して、私が運転を代わることにした。実は数時間前にも私は運転を試みたのだが、川を渡るはめになり、後輪をバキバキと凍った川に沈めてしまい、進行不可能という失態を犯してしまっていた。その後なんとか押して川岸へ着いたが少女UHの信頼を損なうこととなった。そういうわけで、今回は気合いを入れ、相当集中して運転していた、はずだった。しかし、バイクは玩具のように転げ、2人は再び積雪の上へ放り出される。「大丈夫?」と彼女に駆け寄ると互いに顔を見合わせ苦笑した。その後何度か転倒を重ね、段々と要領を体得していった。左下に落差のある崖を目視しながらの走行は、スリルを超えて緊張のため背筋が数センチ伸びる感覚だった。後輪が右に滑り車体が崖へ傾くと、左足で地面を蹴って体制を立て直した。腕も足もパンパンに張っていた。この道のりを少女UHは何時間も運転してきたと思うとつくづく彼女の逞しさに敬服し、また小さな体が疲れ果てている事実を身をもって感じた。

 日が沈むか沈まないかの頃に、仲間達が待つ谷越え地点へ到着できた。後部座席の者は歩いて谷を下る。道らしきものを崖下に確認できたが、そのすぐ先は崖に隠れてみえない。私が運転すると言ったけど、相棒は決して譲ってくれなかった。同行中の仲間にも彼女に従えと目で合図を受けた。心配しながら彼女の後ろについて見守っていると、突如ブレイキをかけたせいで、彼女はバイクもろとも滑り出した。目の前は崖。私は焦るよりはやく走っていた。滑るバイクの後部座席を掴んだと同時に両足で踏ん張った。だがいっしょに滑り落ちる。体が倒れると同時にその力を利用して、バイクごと転倒させた。背負っていたカメラが背骨へあたる痛みを感じた。バイクは崖前で停まり、ホット胸を撫で下ろした瞬間、後ろで笑い声が聞こえた。キルギスの人々はどこまで陽気なのだ。必死に人命を救ったと思ったのに、少女UHまでケロッとしていた。とにかく、自分一人胸を撫で下ろした。

 しばらく下ると目下に広がる村SRの壮大な景色が一望できた。俗にいうトワイライトの時間帯でそれは美しかった。夕食を仕度しているのか煙が点々と昇り、陽が沈んだ後の数分間の青と紫のなんとも表現しにくい色合いが、雪山の無地に溶け込むように映えていた。長い道のりをここまで来たことが急にうれしくなった。

 中腹から約1時間後、さきほど眺めた村を左方向に走り抜けていた。人のお尻以上ある石をバイクで右へ左へ避けながら更に進む。辺りはすでに真っ暗だが、川を渡っていることを耳で確認できた。「後輪沈むなよ」と心のなかで祈っていた。川を渡り終えると先方を行く2台が停車した。近づくと見覚えのある女性と子供が出迎えてくれた。長男JMの奥さんと息子だった。こうして約9時間半の旅は終わった。ソーラーパネルを使い発電させた電球が、細々と皆の笑顔を照らし出した。それぞれ目で確認し合い、笑顔で喜び合った。するとJMが麻の袋から白酒を取り出した。お祝いするらしい。ドンブリになみなみと注がれた酒は、回り回って私のところへやってきた。いっぱいにつぎ足された白酒をほこりで詰まる喉に流し込んだ。胃のほうへスッと冷たくたどりついた白酒が、その後カッと燃えるように熱いのを感じた。2杯目のドンブリはさすがに飲めなかった。私はその夜4回嘔吐した。目を閉じると転倒の恐怖が蘇り、吐き気は治まらず遅くまで寝つけなかった。


The Edge #5

2016年8月22日 / The Edge




(写真)凍った川に斧を振り下ろすJM。自給自足に近い生活をおくる雪山では、生活水を確保するのも一日の需要な労働。

連載5回:旅2日目ー01

 ようやく頭があがったのはお昼前だ。部屋には私以外見当たらない。6畳ほどの土間を下りてまず水瓶に手を伸ばす。鉄製の柄杓から喉にグイグイと流れ込む水が体の末端に届くような気持ちよさで2度目の目覚めを感じた。右隅のドアから外へ出ると、家の前で長男JMが6歳の息子BNと薪割りをしていた。見渡す限り私たち以外にはなにも存在していない。

 JMと笑顔で挨拶を交わしたのだが、少々笑われているように読み取れたのは、昨夜数回にわたって無様に嘔吐したせいだろう。隣にいる息子BNは恥ずかしそうにしながら、私のほうをチラチラと気にしている。彼のニックネームは「老師」と呼ばれている。顔つきが妙に落ち着いていて、私から言わせれば、先生よりも僧侶というほうが適切だと思うのだが。綺麗な丸刈りでもあったし。
 間もなくJMが水を汲みにいこうとジェスチャーをした。自給自足に近い生活を営むこの谷では、水汲みは大切な日課であり、また力仕事でもあった。大きなバケツ2つと斧を持って、谷の対岸へと歩いた。(谷の端から端まで約380歩ほど。歩幅で計算すると谷幅はざっくり380メートル以上はあることになる。)JMの家から対岸に数百メール歩くと凍った川を確認できた。深い鮮やかな緑色をしていた。突如声もなくJMの一打が振り下ろされた。斧で叩かれた氷が周辺に飛び散る。薪を割る要領で、何度も的確に同じ場所を叩いていた。やがて直径50センチほどの穴ができあがった。掘り下げること約30センチ。川底を流れる清く透明な水に私は手を伸ばして少量口元へ運んだ。新鮮な雪解け水が口内を洗った。

 バケツの水を家まで往復し終わった頃、JMの奥さんが帰宅していた。地元の言葉で「アッシュポロ」という炒めた麺と羊肉を絡めた料理を昼食として出してくれた。これが大層うまくおかわりをして食べた。その後、JMの誘いで谷奥の姉達の家を訪れることになる。


The Edge #6

2016年8月22日 / The Edge




(写真)ボルド”というかけ声が飛び交う雪山の家。屋根ではテレビ用の衛生アンテナを調節中。

連載6回:旅2日目ー02

 谷奥の幅の狭い場所に姉ARの家はあった。長男JMの家とそっくりで、四角い積み木を置いて並べたような家だ。ドアを開けると姉ARが笑顔で迎えてくれた。昨日の困難な旅路を共にしたせいか、女性の包容力か、彼女を前にすると不思議な安心感に包まれ互いに笑顔で頷き合った。地面よりも一段高くなっているところに腰をかける。綺麗な手編みの絨毯が敷き詰められているこの十畳ちょいの空間で、寝たり料理をしたり、また家族団らんを過ごす。

 皆お昼を済ませたあとのようで、我々来客には杏子を砂糖で煮た甘い飲み物を出してくれた。これがまた旨い。その美味しさが顔に出たか、姉ARは杏子を次々と皿に盛ってくれた。人間の基本的な感情を伝達するには言葉は不必要なのかもしれない。杏子の種はなかの実まで食べる。便利な生活とはほど遠い谷では、この実が貴重に思えた。子供達はうまくその辺の石を手に取り、パチ、パチと種を叩き割ってなかの実を吟味している。

 姉ARの家を後にして私とJMは谷を更に奥へ進んだ。30分ほどバイクで走って、次なる家へ到着。この家はなんだか慌ただしい。来客も多数いるようで、誰かが屋根へ登って、なにやらアンテナみたいなものをいじっていた。「ボルド!」「ボルド!」と家のなかから叫び声が聞こえた。恐る恐る室内へ入ると、大人数名が15インチほどのテレビを囲み、映像が映し出されるたびに「ボルド!」と叫ぶ。その声に応答して、窓から顔を出しているもう一人が屋根の上へ「ボルド!」と伝える。ただ、時間差が微妙にあり、この「ボルド!」が何度も繰り返されているのだ。私は皆の叫び声に調子を合わせて「ボルド!」と叫んでみた。皆がフッと笑い、暗い室内に笑顔が映えた。このキルギス語は、「ok」や「十分」という意味に当たるらしい。漢族の中国人さえ足を踏み入れたことのないというこの辺境でテレビを見るとは思ってもいなかった。アンテナの設置には約1時間半を超える労働と「ボルド」という叫び声が何度も谷にこだましたのだった。


The Edge #7

2016年8月22日 / The Edge




(写真)ポートレイトの撮影を頼むと、恥ずかしながらも笑顔をみせてくれるCK

連載7回:旅2日目ー03

 キルギス遊牧民の女の子CK(9歳)と彼女の兄(後に私の命の恩人となる)SB(19歳)との出会いは、この「ボルド」が飛び交う彼らの親戚の家だった。女の子CKと兄SBは、私がお世話になるキルギス一家の三女JRの子供達だ。 真っ赤なほっぺが印象的なCKは谷一番のお転婆で、中国語(標準語)に長けており、話好きの女の子だ。よそ者の私を見つけると、中国語を皆に見せびらかすように話しかけてきて、皆の通訳をかって出た。皆が「ほー」とか「へー」とか、私の解答に頷くと、彼女は飛び上がるほどうれしがった。すこぶる愛嬌があり、また私も会話が通じるのでCKとはすぐ仲良しになった。三女JRの勧めもあって、今夜は彼女達の家へ泊めてもらうことにした。その知らせを聞くや否や、CKは飛び上がり私の腕を引っ張って喜んだ。

 女の子CKが住む家は、TVアンテナを設置した土の家から川の対岸に位置する。この家も谷にある一様の四角い土壁で、室内には一段高い居間に敷き詰められた手縫いの絨毯が鮮やかだった。三女JRの夫KPは谷でも指折りの羊飼いらしく、その数は80頭を超えていた。日の入りが早い谷では、夕方家族総出で放牧から戻った羊と山羊に餌を与える仕事が残っている。まず、羊と山羊を分別して違う場所に囲う。特に数の多い羊はその群れを2組にわける。干し草や乾燥したトウモロコシを餌箱にまき散らすと、羊達は一心不乱に食らいつく。お預けをくっているもう1組の羊の群れは、目前に見る幸せ絶頂の同胞に、「メー」「メー」と再三非難の声がもの凄い。そのなかの数頭は羨ましさの限界に達したとみえ、狂うように飛び跳ね餌箱を目指して走り出す。その暴走を抑えるのが、私と兄SBの仕事だ。手の平に収まるくらいの石を持ち、羊に当たらない程度に投げ上げる。その度に羊の一群は後方へと後ずさりするのだ。

 餌に夢中になる羊の後ろから夫KPは手を伸ばし羊のお腹の辺りを探っている。食事中に突如身体検査をされた羊は、驚いた様子で隣の餌箱へ小走りに移動する。兄SBに聞くとこの時期メスの羊は子を身ごもるという。その発育をKPは毎日触って確認しているのだ。その間、羊の頭数を数えるのも大切な仕事の一つだ。子を産んだ母親は一頭800元から良質な羊で1000元を超えて売られると聞いた。家畜に餌を与え終えると、ようやく我々人間が食卓を囲めるのである。ただ、食卓ではなく居間に円を囲むようにして座り、中央に置かれた羊肉たっぷりのアルミのボールに手を伸ばして食べる。食事が済むと、兄SBがさっそく親戚の家へテレビを見に行こうと言い出した。私は一家と共に真っ暗な谷を一列に並んで昼間来た道を引き返した。


The Edge #8

2016年8月22日 / The Edge




(写真)布団に包まる夫KPと息子SB。SBはいまだ夢心地。KPにパンツ一枚姿の写真を撮らせてと頼んだがあっさり断られた。

連載8回:旅3日目 ー 01

青白い光がようやく室内に差し込むか否かの早朝、三女JRは薪ストーブに火をくべた。枕元で枯れ木が燃焼する耳慣れない音に起こされた私は、隣に並ぶ3人を写真に収めようとカメラバックに手を伸ばす。厚手の布団から身を起こし冷気にさらすと、背中にブルっと身震いを感じた。布団に戻りたい衝動を抑えて三脚までたどり着くと、夫KPが布団からヌゥッと顔を出した。こちらを無言で凝視している。私は数枚シャッターを切った。するとKPが突然色白い二の腕を布団から突き出してポーズをとる。「寝るときおれはパンツ一枚だ」という夫KPの突飛な発言に私は吹き出し、三女と息子SBもケラケラ笑っている。ようやく娘CKも眠たそうな目を開けた。
 
朝はまずヤカンを持ち出し顔と手を洗う。この習慣は天山山脈でも麓の街でも同じだ。外へ出ると改めて周囲を壮大な自然に囲まれているのに気がつく。吸い込む空気は焼きたてのパンの香りを嗅いだ幸福のようで、つい鼻が持ち上がる。すると、「もう洗ったの?」と地面にしゃがみ込んだCKが催促するように見上げて言った。

朝食を食べ終えると,一旦長男JMの家へ戻ることとなった。川の氷面をすり足で前進していると、放牧されているらしいラクダや毛並みの良好な太った馬が点在しているのが前方に見える。腹部が丸々と膨らみ、栗色の毛並みは太陽光を鋭く反射している。ふと、私が暮らす北京市内の果物を売る荷台に繋がれた馬を思い出し、同じ馬ならこの谷がいいなと与えられる環境の不公平さを思った。

更に進むと今度はこちらを敵視している犬の群れに出くわした。足下の適当な石をすばやく拾った三女は、低く構えるその群れへ力強く投げ込んだ。それでも野犬か猟犬はうなりながら近づいてくる。拾う石も大きくなる。投げた数投が危険な集団をかすめていった。その瞬間、「行くよっ」と怯む犬群を置いて三女は駆け出した。

逃げ込むように次女ARの家へ辿り着くと、外では息子DNと弟2人が野鳥を捕る仕掛けで遊んでいた。もしや今夜は羊以外のものが食べれるのではとの期待が頭をよぎった。


The Edge #9

2016年8月22日 / The Edge




(写真)重石に仕掛けを巻き付けるJMとDN(左)。JMの息子BN(後方右)は一人で遊んでいる。お目当ての鳥は捕まるかどうか。

連載9回 旅3日目 ー 02

正午を過ぎた頃、私はザクザクと雪の上を歩いていた。目指すはJMの家。両側にそびえ立つ岩肌は、陽の当たる褐色と陰に隠れた柔らかい雪がおうとつを出していた。40分ほど歩くと「老師」ことJMの息子BNが我々を発見する。日頃少ない来客にうれしくはしゃぐBNにチョコレートを渡すと、一つを頬張りながら残りを両手でしっかりと握りしめていた。

薪割りをする手を休めたJMは、私と息子BNとJMのお姉さんの息子DNを部屋へ招き入れた。どうやら「仕掛け」をつくるみたいだ。釣り竿から垂らすテグスのようなものを、広げた両腕の間隔で噛み切る。その1.5メートルほどのテグスに等間隔で手のひらほどの輪っかを括りつけている。これで鳥が捕まるのか不思議に見守っていると、JMが作った輪っかに指を入れてみろとの指示。引っ張るとヒュッと輪っかが締まり指を捕らえた。「どうだぁ」と言わんばかりの笑みを浮かべるJM。相槌で答えたが実際の効用は半信半疑だった。幼いときに母方の祖父が家の前の運動場で釣り針にミミズを引っかけ、雀を獲っていたことを思い出した。釣り針も餌もないキルギス方法で捕れるならこれに勝るものはない。

我々は作ったばかりの仕掛けと羊の糞や干し草を持って裏山へ出かけた。石を投げるとバサバサと鳩ほどの大きさの鳥が飛び出した。お目当ての獲物らしい。長男JMは辺りを見回し適当な場所を選ぶ。仕掛けを置いて両端にその辺の重石を置く。持参した干し草と羊の糞で仕掛け全体をカモフラージュする。これで完了。

結局三女JRとJMの奥さんが戻ってきたときまでは仕掛けの出来は解らずじまいだった。JRの家へ帰宅するまえに夕方の斜光で切り取られた谷を撮影したく、家の裏手へ回ると、「キャー」っと仲良く並んで用を足していたJRとJMの奥さんに出くわした。慌てて目を伏せ、彼女達の笑い声を後ろに、視界から逃げるように崖を登った。この谷では無論トイレという固定の場所はなく、私もこの恥ずかしいご対面をなんどか体験していた。夕日は谷を囲む崖の陰陽を色濃く照らし出していた。


The Edge #10

2016年8月22日 / The Edge




(写真)凍った川の表層を斧で砕き、持ち帰った氷を溶かして生活水とする

連載10回 旅4日目

朝から「バオズ」(包子)を5つも食べた。中身はヤギの肉。5人で熱々の肉まんをハフハフとボールいっぱい食べた。一つ食べ終わると三女JRと夫KPが「もっと食え」と肉まんはみ出る口をモゴモゴさせて言う。コンビニの定番メニューに満腹も限界だった。
食べたら仕事。私と息子SBで家畜の放牧に行くことになる。「どこ」と手を宙にかざすと、山頂を指しグルリと回した。羊が行くとこだ。さほど辛くもないと高をくくっていた。約50頭ほど。列を乱す羊には小石を投げるか、手を叩き「ヒュッー」と口を鳴らし警告する。臆病な一行は早足で駆け出す。SBは慣れたものだ。19歳の彼は「山での生活がすべてだ」と語るこの土地を熟知した一人前。私はというと、見よう見まねで手を叩き、声を出して羊を追う。

しばらくすると左手にそびえる崖へ進路変更。崖の合間に伸びる細道へと奥へ進む。先頭の羊は裏山でも登るように勝手に先を急ぐ。私とSBが休憩をしている間、辺りには一頭もいなくなった。私の心配を余所にSBは「チェス、チェス」と繰り返す。写真を撮ろうという意味だ。カメラを向けると、はにかむSBはまだ十代だった。

「近道」をしようと崖を指すSB。迷う私を置いて勝手に見上げる崖を登り始めた。引き返すわけにはいかず、登ったはいいが、途中までくると私は恐怖と後悔で動けなくなってしまった。崖に生えるやっとの草に足をかけ、もげて取れ落ちそうな岩を頼りに掴む。ゴツゴツする岩肌を顔で感じながら、へばりつくように密着して動けない。命綱なしのロック・クライミングだ。

「落ちたら死ぬな」と後悔の念が頭を支配する。恐怖がじわじわと心を浸食する。すると手足までも答えるように脱力し始め、呼吸まで乱れてくる。「うわぁ、だめだ」と家族を想った。そのときSBが下りて来てくれた。崖登りには慣れてる彼には想像できなかったのだろうが、必死の私をみてカメラバックを引き受けてくれ、足をかけられるような小さな穴を岩肌に掘り始めた。一つずつ慎重に登る。最後は引き上げてもらい、てっぺんへ上がった。SBと抱き合い安堵の意を示すと、彼も大分ほっとしたようだった。

日が落ちる頃、家に戻ると命がけの初放牧は一変して家族の笑いの種となった。どれだけ笑われても構わないと、崖にしがみきプルプル震える自分を再現して皆の笑いを誘った。私が10年前に兄達からプレゼントしてもらった腕時計をSBにあげたのは日が暮れる前だった。