取り壊される直前の「六里屯の家」を撮った時、ロンロンとインリはあの家との関係性を確認した。そして、そこから彼らは作品の主題を、自分たちの生活におき展開を始めた。インリがロンロンの家族のあり方に人間関係の原点を見いだし、関係について多面的なつながりを受け入れられるようになったことが、ひとつの伏線となっているのかもしれない。
こちらの友達から「もうこの人も半分中国人だから」と言われたときには 、嬉しい半分、考えさせられるところもありました。海外で暮らすようになって、日本という国や日本人であることを改めて認識するようになりましたから。
日本人として同時に中国人の大家族の中に存在するということは、私という個人を考えることにもつながっています。日本人の私と中国人のロンロンとの間に生まれた3人の子どもたちが、この中国で大家族に囲まれながらアイデンティティが確立していく過程を見ていくことで、また新たな発見があるかもしれません。
先日写真祭の一環として開催した東日本を支援するチャリティイベント『愛と希望』には、ドイツ大使が共感を寄せてくださいました。ドイツ大使は私たちがこの活動を発起したときに「私は日本人。私たちはみんな日本人です。そう思って私はこの活動を全面的に支持します」と言って下さいました。それ以上の言葉はないだろうと思いました。本当に感激しました。
表現において、個人と他者、家族、そして社会など、個人を取り巻く社会との距離感や関係性は作品から自ずと滲み出てきます。日本とは異なる家族観の中に暮らしたことが幸いして、家族が私にとって重要なテーマとなりました。ドイツ大使のこの言葉は、日本を支えるメッセージであると同時に究極の家族観として私の心にずっしりと重く響きました。
6月27日、設立8周年を迎えた「三影堂撮影芸術中心」にて「第二回三影堂実験映像開放展」「太宰:森山大道展 」開幕と合わせ、記念晩餐会が開かれました。8年前の2007年、中国においてまだ作品の発表の場が限られていた時期に、中国の写真芸術発展・普及に尽力したいと、世界的写真芸術家ユニット・榮榮&映里のおふたりにより「三影堂撮影芸術中心」は設立されました。中国人の榮榮さんと日本人の映里さんは、表現とプライベートの両方で支え合ってきたパートナーです。
「商業主義に流されず、いい作品を展示し続けていくこと」を理念とする三影堂の運営は楽ではありませんでした。北京の再開発、取り壊しにも直面します。最初の5、6年は、運営難に直面しながらの厳しい日々でした。しかし、規定の枠にとらわれず、常に新しい運営方法、展開方法を作り続け、国際的な評価を得ることで状況を変えてきました。三影堂の理念に賛同する若いスタッフの協力が大きな助けだったと映里さんは語ります。
今後は、国内で写真文化をさらに広げるべく、地方政府と協力した国際的な写真フェスティバルを開催するなど、世界的な関心を得られるようなイベントを計画中。また、日中の写真文化交流、特に若者の交流に力を注いで行きたいと二人は語りました。
「太宰:森山大道撮影展」6月28日ー8月27日
「第二届三影堂実験影像開放展」6月28日ー8月2日
三影堂撮影芸術中心
北京市 朝陽区 草場地 155号 TELl:010-6432-2663
10:00~18:00 月曜休館 入場無料
上海市 10歳 両親と妹の4人暮らし。
Qすきな科目は?
体育。
Qにがてな科目は?
国語。
Qもしうんとお金があったら、何がしたい?
一部は自分のために残して、あとは両親にあげたり、寄付する。
Qおとなになったら何になりたい?
地質・地理学者。
北京市 9歳 両親と妹の4人暮らし。
Qすきな科目は?
体育。
Qにがてな科目は?
国語。
Qもしうんとお金があったら、何がしたい?
レゴ(ブロック)をたくさん買いたい。
Qおとなになったら何になりたい?
戦車の設計士。
上海市 11歳 両親と妹の4人暮らし。
Qすきな科目は?
バスケット
Qにがてな科目は?
音楽
Qもしうんとお金があったら、何がしたい?
家を買いたい、世界を買いたい
Qおとなになったら何になりたい?
建築家