第3回 長江商学院MBA Novel(女性)34歳 ー 女性の悩みは万国共通?家庭とキャリアの狭間で生きる“神仙姉姉“

<プロフィール>
 1978年、山東省生まれ。南京の東南大学にて電力工学を専攻。卒業後は、北京理工大学にてコンピューター科学の修士号を取得。長江商学院入学前はクアルコム社にて9年間勤務。2006年に結婚して、現在は1児の母。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Q. 小さい頃の家庭環境について、簡単に紹介してもらえる?

A. 父親は国有企業のエンジニア、母親は経理。私の世代はぎりぎり一人一戸政策の前だったから、2つ上の姉がいるの。両親はとても寛容で、教育と医療についてはお金を掛けてくれたと思う。高校生までは、ひたすら「高考」(※日本のセンター試験のようなもの)のために勉強していたという感じだったわ。

Q. 大学では理系を選んだんだよね?

A. そう。父親の影響でね、電力工学を専攻したの。学生時代の想い出というと、宿舎暮らしで10kgくらい痩せたことかしら。南方の料理が口に合わなかったのかも(笑)。進路については、3年生の時に電力工学は女性には厳しいと思って、専攻を変えようと決めたわ。この分野は工場や現場に出る事が多いし、女性の先輩も少ない。そう考えて、コンピューターサイエンスがある北京理工大学に進学したわ。



SARSの影響で留学を断念、外資系に就職

Q. 大学院での生活について教えてもらえる?

A. 2000年に理工大で学び始めて、プログラミングやサーチエンジンについての研究をしたわ。JavaやVC++、COBOLなんかを使ったかな。マスターを取ったら留学してもっと研究を続けたいって考えてたわ。アメリカの幾つかの学校からオファーはもらえたのだけど、SARSの影響があってビザがなかなか取れなった。1年待ってビザを取ってからアメリカに行くか、そのまま中国で就職するかということになって、いろいろ悩んだ結果、良いオファーがもらえたこともあってクアルコムという米系の会社に就職することにしたわ。それが2003年のことね。

Q.クアルコムではどんな仕事をしていたの?

A.最初の2年はエンジニアとして、サーバーの管理、特にセキュリティ関連の仕事を担当していたわ。その時の上司はアメリカ人だったけど、仕事はしやすかった。中国企業と比べると、外資系の方が能力重視で成果主義。やることをしっかりやっていれば人間関係もシンプルだし、長く続けられる環境だと思う。実際、クアルコムの同僚には10年以上働いているっていう人がたくさんいたから。
2006年頃に配置転換があって、営業職に移ったわ。その頃には、エンジニアとしての仕事にも飽きてきていて、新しいことにチャレンジしたいっていう気持ちが強くなっていたの。営業部では、携帯電話用のチップセットを華為やハイアール、ハイセンス、レノボといった顧客に売るのが仕事だったわ。



順風満帆に見える人生。そんなNovelが抱える悩みとは?

Q.クアルコムで働いている時に、結婚したんだよね?

A.そうね。入社したのと同じ時期に彼と出会って、ちょうど部署を変わるくらいのタイミングで結婚したわ。結婚して家と車を買って、新婚旅行ではモルディブに行ったわ。

Q.よくそんなお金あったね。

A.車は彼の両親が結婚祝いということで買ってくれて、家はもちろんローンで(笑)。その頃は今と比べると不動産もかなり安くて、5分の1くらいの価格だったかな。私の友達で当時買い損ねた人がいっぱいいるけど、今はもう高すぎてなかなか買えないみたい。

Q.子供ができて、仕事はしばらく休職してたんだよね?

A.そう。出産の前後半年くらい産休を取って、その後元の職場に復帰したわ。2008年には夫が上海のCEIBS(MBA校)に入学したので、私たちも一緒に引っ越ししたの。北京に戻ってきたのは2年後の2010年ね。子供ができてからは、ワークライフバランスをどう取るかということに、ずっと悩んできたわ。

Q.中国は共働きの家庭が多いけど、働く女性のステータスについて何か変化を感じる?

A.昔と比べても、今の女性の方がもっと自分のキャリアにこだわるようになってきていると思う。特に、北京とか上海の大都市に住む女性はそうね。それ自身は良いことだと思うけど、家庭について考えた場合、家族、特に子供と過ごす時間が減ってしまっているのは、良くないことだと思うな。



40歳までは仕事に集中。それから先はもっと家族を大事にしたい

Q.会社を辞めてMBAを選んだわけだけれど、今後のキャリアパスについてはどう考えているの?

A.キャリアパスって言われると、正直、これまで深く考えて来なかった気がする(笑)。クアルコムを辞めて長江商学院に入ったのは、もっと自分の市場価値を上げたいと思ったから。9年も勤めたし、これ以上長くいると、外部の人と比べた時の自分の相対的な価値が下がってしまうと思ったから。例えば、もっとクアルコムで働き続けるとすると、5年後に私はもう40歳でしょ。その時に、もっとステップアップしたい、新しい事にチャレンジしたいと思ったとしても、遅いと思ったの。MBAはキャリアチェンジするためのプラットフォームでしょ。私は卒業したら企画やマーケティングの仕事をやりたいなって思ってる。

Q.学業と子育てを両立させるのは大変なのでは?

A.そうね。大変だけど義理の両親がサポートしてくれているわ。毎朝私が息子を幼稚園に送って行って、夕方に義理の父が迎えに行ってくれているの。平日はなかなか時間が取れないから、週末は私が一緒にいるようにしていわ。サッカークラブに連れて行ったり、それからレゴブロックを使った学習塾があって、そこに毎週末通わせてるの。息子は、私の状況をよく理解してくれていると思うわ。私が忙しいのを知っているから、一緒にいる時はいつも時間を気にしてくれているみたい。

Q.基本的にはこれからもずっと働き続けるんだよね?

A.あと5年くらいは仕事に集中したいって思ってる。それから先は、時間に余裕のある仕事を見つけて家族や自分自身のための時間を増やしたいな。読書が好きだから、小説とか旅行関連の本をたくさん読みたい。とにかくもっとリラックスした生活を送るのが夢かな(笑)。



  
<インタビューを終えて>
 「神仙姉姉」というのは、香港の有名な女優が演じた役から来ている彼女のあだ名です。自己主張の強い中国人クラスメイトの中で彼女の物腰の柔らかさと品の良さは、際立っています。際立っているというか異次元です。オーラです。そんな「神仙姉姉」のインタビューを通じて、中国のキャリアウーマンが抱える悩みと日本女性のそれとの、「共通性」と「違い」について感じ取っていただければと思います。


Nao Ishikawa

投稿者について

Nao Ishikawa: 1977年 埼玉県出身。 筑波大学人間学類卒業後、2000年に海上自衛隊に入隊。 テロ対策特別措置法案に基づくインド洋派遣任務に従事した後、2005年に退官。 民間では、ITコンサルタントとして、顧客の業務改善に貢献。真っ赤に炎上した大規模プロジェクトを立て直すのが専門。 好きな言葉は「焼け石に水」。 2012年9月、長江商学院に入学。北京では大好きなブラジリアン柔術ができないけれど、毎朝、地下鉄で戦っています。