<プロフィール>
1983年、天津生まれ。両親は旧鉄道省にて勤務。地元の高校を経て、2001年、北京大学に合格。英文学専攻。卒業後は、赤十字にてインド洋大津波からの災害復興支援に携わる。2011年、長江商学院に教育プログラム開発スタッフとして採用された後、12年からはMBAプログラムに学生として参加している。
Q. まずは、家族や小さい頃のことについて話してもらえる?
A. 両親は旧鉄道省の天津支部に勤めていたわ。私は一人っ子で内省的な性格だったと思う。もっとオープンで気楽な性格になりたいなって思ったこともあるわ。小さい頃は本を読むのが好きだった。ジャンルはノンフィクションが好きだったわ。スポーツはバドミントンやテニスなんかをしたかな。そんなに特別なエピソードはないの。
Q. 勉強は?たくさんした?
A. そうね。というか、それ以外の選択肢がなかったって言う方が正しいかも。私たちの世代は、大学に入るまでは携帯電話もインターネットもほとんどなかったし。外の世界を知る機会も限られていたと思う。
退屈だった高校時代までの生活。障害者との出会いが人生の転機に
Q. 進路についてはどう考えていたの?夢とか、興味のある仕事とかはあった?
A. なかったわ(笑)。学校も親も「あなたの夢は?」なんて聞いてこなかったし、いい仕事に就いて、それなりのお給料がもらえればいいかなっていうくらいの考えだった。将来のプランなんて考えてなかったと思う。
Q. 大学は北京大学だよね。専攻は?
A. 英文学。でも好きな作家は中国人で「王小波」という人。
Q. 勉強以外に大学で注力したことと言うと?
A. ボランティア活動ね。障害者に対する正しい認識を広めるということを目的に写真展を開くっていう活動があって、それに参加したの。その時の事は今でもよく覚えている。政府の民事局と協同したり、民間のスポンサーを探したり、写真を暗室で現像したり、全部自分たちでやるのよ。北京は他の都市と比べると障害者用の学校が充実していて、地方の親が子供を北京に送って来ていたりするのね。この活動を通じて、実際に障害者ともたくさん会って、そのポジティブな考え方にとっても刺激を受けた。NGO/NPOといった活動に興味を持つようになったのも、これがきっかけ。その後、環境保護のNPO団体を訪ねて内モンゴルまで行ったりもして、ボランティア活動なら情熱を持って取り組めるって気がついたの。
外資系企業就職の代わりに選んだ道
Q. 大学卒業後の進路について教えてもらえる?
A. 大学3年生の時に、フランスの重電機メーカー「ALSTOM」でインターンをしたの。そのまま就職をするっていう道もあったのだけど、代わりに赤十字に入ることに決めたの。理由はシンプルよ。世の中ってピラミッドみたいな構造になっていると思うのね。大部分の人は貧しい底辺部で生活をしていて、ほんの一握りの豊かな人が頂点にいる、そういう形になっている。私は底辺で苦しんでいる人をできるだけ助けたい、そこに自分の情熱を感じるの。だから赤十字に入った。情熱を持って取り組める仕事をした方が効率も上がるでしょ。
Q. 赤十字ではどんな仕事を担当したの?
2004年末にスマトラ島沖で発生した津波で多くの国に被害が出たでしょう。その復興支援のためのポジションに応募して採用されたの。当時、世界中からたくさんの義援金が集まっていたのだけど、それを現地政府や各地域のコミュニティと話し合って、適切なプロジェクトに配分する必要があったのね。そういう仕事を担当したり、ロジスティクスの調整をしたりしたわ。
Q. 他にはどんなプロジェクトに関わったの?
A. 復興支援プロジェクトを担当した後に、所属する組織が変わったの。それまでは、Red Cross Society China(RCSC:中国紅十字会)という中国の赤十字組織に属していたのだけど、International Committee of the Red Cross(ICRC:赤十字国際委員会)に移籍したの。ICRCでは、国際人道法の遵守を促進させるためのプログラムに参加したわ。具体的には、3つのミッションがあって、1つ目は政府機関への対応。政府関係者を教育したり、共同でセミナーを開催したりする仕事ね。2つ目は雑誌等のメディアを通じた広報活動。英文関連書の翻訳なんかも担当したわ。3つ目は、学会を利用した啓蒙活動。学生向けの模擬法廷を開催したり、教授を呼んで講義を行ったりしたわね。
こうした活動に2~3年携わった後に、また元のRCSCに戻ったわ。
私の人生はとてもシンプル
Q. 赤十字での仕事の次は、長江商学院のスタッフとして働いていたんだよね?
A. そう。赤十字はとても安定していて働きやすい場所だったけど、随分長くいて自分の成長スピードが落ちてきている気がして、新しい事にチャレンジしなきゃって思っていた。長江商学院はEMBAプログラムでは学生にボランティア活動を義務づけていたりして、NGO/NPOとも接点があるでしょ。教育プログラムを開発する職があったから、転職することにしたの。
Q. で、そのままMBAプログラムに入学したんだよね?
A. 最初から決めていたわけじゃないのよ。長江商学院で働くうちに、NGO/NPOにも経営の視点が必要だなって思うようになったの。NPOであったとしても、限られたリソースを有効活用できないと活動を続けられないでしょ。それで、もっと勉強したいって思って入学を決めたの。
Q. 長江での生活についてはどう感じている?
A. クラスメイトから刺激を受けることが多いわ。とても積極的でポジティブな人が多いと思う。問題があったら、どうやって解決しようかって考えて実行するでしょ。そういうところが好きかな。講義は、ブライアン教授の「ミクロ経済学」がとてもよかった。経済学の考え方って、どんな分野で働くとしても基礎になるものだから。
Q. 卒業後の進路はどうするつもり?
A. そうね。短期的にはコンサルティング・ファームで働きたいなって思っているわ。今、プロボノ(※)団体の活動でNGO/NPOの支援をしているのね。アクセンチュアやデロイト、アーンスト・ヤングといったファームがそれぞれの専門スキルでボランティア活動を支援してくれているのだけど、自分もそういうファームで働いて力を付けられたら、将来役立てることができると思うの。
長期的には、NGO/NPO団体でまた働くつもりよ。私の人生はシンプルなの。人を助けること、自分が情熱を持てることをして楽しむ。それを続けるだけ。
※各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般。
<インタビューを終えて>
「私はお金とか利益とか全然、興味がないの」。入学当初のパーティーで話していた時のDeborahの言葉です。そこまできっぱり言い切るMBA学生はなかなかいないと思います。普段の物腰はとても柔らかで自己主張も控え目な彼女ですが、課外活動として様々なボランティア活動にクラスメイトを招待してくれています。彼女と話をすると、いつもビジネスに携わる意味や動機といったものについて、考えさせられます。
Nao Ishikawa: 1977年 埼玉県出身。 筑波大学人間学類卒業後、2000年に海上自衛隊に入隊。 テロ対策特別措置法案に基づくインド洋派遣任務に従事した後、2005年に退官。 民間では、ITコンサルタントとして、顧客の業務改善に貢献。真っ赤に炎上した大規模プロジェクトを立て直すのが専門。 好きな言葉は「焼け石に水」。 2012年9月、長江商学院に入学。北京では大好きなブラジリアン柔術ができないけれど、毎朝、地下鉄で戦っています。