ファンちゃんは26 才、ADだ。社会派ドキュメンタリーで定評のある映像制作会社で昨春から働いている。最近情報番組配属になりドキュメンタリーとのやり方の違いに戸惑っていると、スパゲティをフォークに巻きつけながらファンちゃんは近況を話し始めた。
初めて会ったのは、2012年の春、北京の地下鉄国貿駅のスタバだ。早稲田大学の大学院でジャーナリズムを専攻する留学生からBillionBeatsについて話を聞きたいとメールがあった。それがファンちゃんだ。明るいストレートの髪と白い肌をした女の子は、赤いチェックのシャツにデイバック、こざっぱりとした雰囲気で現れた。
2010年の漁船衝突事件がきっかけでニュースにならない中国人のストーリーの集積を始めたBillionBeatsの問題意識について、高校生のようなあどけなさの残る女の子は完璧な日本語で丁寧に問いを重ねた。2時間近いインタビューの中で、将来メディアで働きたい彼女自身が、「伝える仕事」の課題や限界を考えないわけにはいかない状況にあるとわかった。
その後もファンちゃんからは忘れた頃にメールが届いた。宮古島では尖閣諸島問題について漁師と話し込もうとしたが方言が聞き取れなかったとか、中国のハンセン病患者村のキャンプに参加したとか、日中を境目なく動き回り、合間にはプレスセンターや通信社でのバイトを詰め込む学生生活には伝える仕事への本気が溢れていた。
ファンちゃんは修士論文でマスメディアと個人の情報空間の違いと融合の可能性の証明にチャレンジした。その論文は、BBを中心的事例に取り上げつつ「日中関係が戦後最悪と言われている今日、市民感覚に基づき、ミクロな視点での個人発の情報空間の必要性と重要性を明示したい」と締めくくっていた。BBは日中の新しいコミュニケーションの創造などという壮大なゴールを掲げてはいるものの、それは大海に小石を落とすほどにもなっていない。手探りを続ける中、日本で番組制作に携わっていく若い中国人に支持され、3年経ったBBがひとまずの「合格」をもらえたような気持ちになった。
「JIAを企画会議に出したんです」
食後のコーヒーを飲みながらファンちゃんがいった。日本人が中国で立ち上げたハンセン病患者支援村のことだ。学生だったファンちゃんは、JIAで日中のボランティア学生が汗する姿に衝撃を受け、ドキュメンタリーの仕事に就く決心をしたのだという。企画が通れば、きっとファンちゃんは中国の無名の90後(90年代生まれの世代)たちの、日本に伝えられていない側面を指し示すものを撮るだろう。「何を伝えるか」に悩んでいたファンちゃんが自分のテーマに近づいていた。
そういえば、ファンちゃんから「日中友好」という言葉を聞いたことがない。自分の眼でみて確かめる取材の基本に忠実なファンちゃんは、額縁に入れたような言葉にはそもそも興味がないのだ。「知る」ことをせずには何も始まらないという自身の体験に支えられた「13億分の1の中国人のリアル」を、ファンちゃんは日本人に日本語で伝え始めようとしている。
文:三宅玲子 | 写真:ファン
Reiko Miyake: ノンフィクションライター。 週刊誌で人物ルポやひとと世の中を取材・執筆。 2009年~2014年まで北京。 現在は東京、ときどき北京。 建築家・迫慶一郎氏と所員たちの10年の軌跡を追いかけたノンフィクションを書き下ろし中。 BillionBeats2011年開始の発起人。 BBウェブサイトの編集および、 立体プロジェクトでは日本側のコーディネートを主に担当。