中国ハンセン病快復村2「90後の大学生たち」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第8週



快復者と部屋で話し込む学生ボランティア


今回は中国ハンセン病快復村に飛び込んだ90後(「ジョウリンホウ」、1990年代生まれの世代)の大学生のリアルに迫っていきます。

私がこれまで社会人ワークキャンプに参加して、一緒に活動を共にしたジョウリンホウは次に述べるようにとても逞しいものでした。そして、感動したことに、かつて社会から差別され、恐怖と絶望の象徴だった快復村が今では彼らにとって人間的に大きく成長する場になっていました。

1.ハンセン病快復者の心の拠り所に
何十年にも渡って社会から隔離・差別され、孤独に亡くなっていくハンセン病快復者がいまだに多くいらっしゃいます。しかし、10年以上に亘る『JIA』の活動のおかげで、我々がワークキャンプの村に着いた時、ハンセン病快復者たちは顔見知りの大学生たちの顔を見ただけで笑顔いっぱいに出迎え、お互いに名前を呼び合い、そして抱き合いながら再会を喜んでいました。大学生たちはワークキャンプ中、快復者と一緒に座り込み、コミュニケーションを実に楽しくとり、快復者と学生たちの間に家族関係とも思えるほどの親しい関係が構築できていました。

社会に無関心と批判されがちなジョウリンホウですが、このように社会的弱者の心の拠り所になり、快復者から必要とされ、それに報いようと一生懸命に奉仕する姿は実に逞しく感じました。

学生たちが作った料理を前に乾杯!



学生たちが作った料理を前に乾杯!

2.自立心が強い(生活力が高い)
ワークキャンプ参加者の食事は、自分たちで市場で食材を買って、村の厨房を借り料理することになっているのですが、学生たちは市場で良い食材を見極め、お店の人と値段交渉し、食材を購入。1日目の夕飯、2日目の朝飯、昼飯は自分たちで料理し、怠け者の私たち大人の分まで料理を作ってくれました。これがとっても美味しいんです!

さらに、快復者の部屋や便所掃除を厭わず進んでやったり、JIAのスタッフから言われなくても快復者のために何かできることがないか考え、行動に移していく姿は、一人っ子政策の後遺症として甘やかされて育ち、自立心に乏しいと批判されがちな一般像とは全く異なっていました。

3.ワークキャンプを通して人間として大きく成長

学生ボランティアたちは、大学入学後、JIAの活動に興味を覚え、入会し、4年間このようなワークキャンプを通して、村人に奉仕しながら社会勉強をしていきます。快復村での村人のニーズ調査から、計画書の策定、参加者募集・面接、参加者へのオリエンテーション、ワークキャンプ実施、報告、引継ぎまですべて学生ボランティアによってなされ、活動を通して人間としてとても成長することができるようです。そして、家族や友人など身近にいる人たちこそもっと大切に接しなければならないと感じ、活動を通して身近な人との人間関係が改善していくそうです。

また、快復者の方々は高齢の方が多く(平均年齢70歳越え)、お亡くなりになる方が増えており、学生ボランディアたちは親しくしていた快復者の死に直面することも少なくありません。学生の頃から人の死を見つめながら、自分と向き合い、社会にどんな貢献ができるか考えることが多いようで、活動を継続する力となっているとのことです。

以上、このように逞しく、人間的に成長していくジョウリンホウが、様々な社会問題の解決に取り組み、より良い未来を創っていってくれることを願ってやみません。実際に、大学卒業後、社会問題の解決に取り組むNGOやNPOに就職し、活躍される方がどんどん増えているとのことです。

文・写真:大内昭典





Akinori Ouchi

投稿者について

Akinori Ouchi: 現在、日系事業会社の香港を拠点に中国関連の事業投資に従事、中華圏在住8年目。 1980年11月生まれ。大学在学中に日本の公認会計士試験(旧第二次試験)に合格。 大学卒業後、米系投資銀行でIPO引受/M&Aアドバイザリー、ネット系ベンチャーで事業開発を担当。 30代は「海外で活躍する」という夢を実現しようと、29歳のときアジアの時代に中国のトップビジネススクールである長江商学院に私費MBA留学。優秀なクラスメートたちに刺激され、卒業後は中国に残ることを決意。 留学や仕事で4年過ごした北京を離れ、2014年7月から香港へ移住。