中国ハンセン病快復村1「90後の大学生たち」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第8週



ハンセン病快復村の村人と談笑する原田さん(右)




中国で90後(「ジョウリンホウ」、1990年代生まれの世代)というと、1978年に始まった中国の改革開放政策により彼らが物心ついた2000年代以降、パソコン、薄型テレビ、携帯電話などが爆発的に普及し、満ち足りた豊かな時代に育ったため、ハングリーさが足りず、タフではない、一人っ子世代のため、親の金を使い金遣いがとても荒いなど、ネガティブな文脈の中で語られることが多くなっています。

一方、私がこれまで3回、中国ハンセン病快復村で週末ワークキャンプに参加したときに出会ったジョウリンホウはそんなネガティブな印象を覆す逞しいジョウリンホウでした。

このワークキャンプのコーディネーターは認定NPO法人『家-JIA-』、代表は中国広東省にこの活動のために移住した日本人の原田燎太郎さんが務め、2004年から中国華南5省に住むハンセン病快復者への支援活動をされています。年間約100のワークキャンプを開催し、年間参加者は約2,000名以上(内9割が中国人学生)に上ります。

原田さんが北京でドリームプラン・プレゼンテーション(北京ドリプラ)で講演されたときに、私と同世代の日本人がここまで中国社会に深く入り込み、この10年間で1万人以上の地元大学生を巻き込んだインパクトのある活動をされているのに心を打たれました。一方、組織は財政面で相当苦しい状況に追い込まれており、寄付などを通して少しでも彼の役に立ちたい、そのためにはまずは現場に入って現状を肌で感じようと思い、私が香港に移住したのを機に定期的に参加するようになりました。



ハンセン病快復者の部屋を掃除する中国の大学生(左)



ハンセン病快復者の部屋を掃除する中国の大学生(左)

活動主体は中国の大学生で、学生ボランティア(加盟大学数33校、学生会員13,466名)が、中国華南5省にある8つの地区委員会に所属し、ワークキャンプを自主的に実施。『家-JIA-』は学生ボランティアが各地でワークキャンプを開催しやすい条件を整えるため、人材育成、情報共有、ネットワーク構築の3つの側面から後方支援が役割です。ワークキャンプでは、村の家屋建設、道路舗装などのインフラ整備や、ハンセン病に対する差別をなくし、理解を深めるためのプロモーション活動などを実施しています。
このような活動に従事するジョウリンホウは社会からネガティブに語られる姿と違って、私は以下のように感じました。

1.彼らが社会から隔離され、家族も排除されたハンセン病快復者の心の拠り所になっている
2.自立心が強い(生活力が高い)
3.ワークキャンプを通して人間として大きく成長している

次回は、中国ハンセン病快復村に飛び込んだジョウリンホウのリアルに迫っていきます。

文・写真:大内昭典





中国ハンセン病快復村2「90後の大学生たち」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第8週



快復者と部屋で話し込む学生ボランティア


今回は中国ハンセン病快復村に飛び込んだ90後(「ジョウリンホウ」、1990年代生まれの世代)の大学生のリアルに迫っていきます。

私がこれまで社会人ワークキャンプに参加して、一緒に活動を共にしたジョウリンホウは次に述べるようにとても逞しいものでした。そして、感動したことに、かつて社会から差別され、恐怖と絶望の象徴だった快復村が今では彼らにとって人間的に大きく成長する場になっていました。

1.ハンセン病快復者の心の拠り所に
何十年にも渡って社会から隔離・差別され、孤独に亡くなっていくハンセン病快復者がいまだに多くいらっしゃいます。しかし、10年以上に亘る『JIA』の活動のおかげで、我々がワークキャンプの村に着いた時、ハンセン病快復者たちは顔見知りの大学生たちの顔を見ただけで笑顔いっぱいに出迎え、お互いに名前を呼び合い、そして抱き合いながら再会を喜んでいました。大学生たちはワークキャンプ中、快復者と一緒に座り込み、コミュニケーションを実に楽しくとり、快復者と学生たちの間に家族関係とも思えるほどの親しい関係が構築できていました。

社会に無関心と批判されがちなジョウリンホウですが、このように社会的弱者の心の拠り所になり、快復者から必要とされ、それに報いようと一生懸命に奉仕する姿は実に逞しく感じました。

学生たちが作った料理を前に乾杯!



学生たちが作った料理を前に乾杯!

2.自立心が強い(生活力が高い)
ワークキャンプ参加者の食事は、自分たちで市場で食材を買って、村の厨房を借り料理することになっているのですが、学生たちは市場で良い食材を見極め、お店の人と値段交渉し、食材を購入。1日目の夕飯、2日目の朝飯、昼飯は自分たちで料理し、怠け者の私たち大人の分まで料理を作ってくれました。これがとっても美味しいんです!

さらに、快復者の部屋や便所掃除を厭わず進んでやったり、JIAのスタッフから言われなくても快復者のために何かできることがないか考え、行動に移していく姿は、一人っ子政策の後遺症として甘やかされて育ち、自立心に乏しいと批判されがちな一般像とは全く異なっていました。

3.ワークキャンプを通して人間として大きく成長

学生ボランティアたちは、大学入学後、JIAの活動に興味を覚え、入会し、4年間このようなワークキャンプを通して、村人に奉仕しながら社会勉強をしていきます。快復村での村人のニーズ調査から、計画書の策定、参加者募集・面接、参加者へのオリエンテーション、ワークキャンプ実施、報告、引継ぎまですべて学生ボランティアによってなされ、活動を通して人間としてとても成長することができるようです。そして、家族や友人など身近にいる人たちこそもっと大切に接しなければならないと感じ、活動を通して身近な人との人間関係が改善していくそうです。

また、快復者の方々は高齢の方が多く(平均年齢70歳越え)、お亡くなりになる方が増えており、学生ボランディアたちは親しくしていた快復者の死に直面することも少なくありません。学生の頃から人の死を見つめながら、自分と向き合い、社会にどんな貢献ができるか考えることが多いようで、活動を継続する力となっているとのことです。

以上、このように逞しく、人間的に成長していくジョウリンホウが、様々な社会問題の解決に取り組み、より良い未来を創っていってくれることを願ってやみません。実際に、大学卒業後、社会問題の解決に取り組むNGOやNPOに就職し、活躍される方がどんどん増えているとのことです。

文・写真:大内昭典





中国ハンセン病快復村3「90後の大学生たち」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第8週


 
村にて。右が方方(ファンファン)、左はハンセン病快復者


今回は私が中国ハンセン病快復村で活動を共にした90後(「ジョウリンホウ」、1990年代生まれ の世代)の大学生にワークキャンプを通してどのように自身が成長を感じているかインタビュー した結果をお届けしたい。

【方方(ファンファン)】 <プロフィール>
⚪︎中山大学医学部3年生(2015年)、大学にあるサークル“Allshare”を通じて、JIAの活動に参加。
⚪︎2013年に初めて甘石径という村で夏ワークキャンプに参加。
⚪︎これまで新沙、甘石径、大茅、馬州、紅衛など、様々な村を訪問。

(方方)ワークキャンプに参加する前は、人付き合いが下手で、性格はちょっとひねくれており、どうやって友達と付き合えばよいのか分かりませんでした。でも、初めてハンセン病快復村に訪 れた後は、思い出すのは楽しいことばかりで、次回村を訪問した際にどのように村人と交流しようかばかり考えています。なんか不思議な感じで、村を訪問するのがとっても好きになりました。

当時の私の性格は二重人格のようで、村に訪問している時はとっても親しみやすく明るいのに、普段は憂鬱で無口なんです。でも、何度も村に訪問したり、何度も自分のことを振り返っていると、徐々に村に訪問時と同じような朗らかな自分が普段の生活の中でも出せるようになり、周りの人に関心をもったり親しく接することができるようになりました。また、以前とは違って、独りよがりで人の意見を受け入れようとしなかったり、家族に対してもわがままに振舞うことはなくなりました。このように、どのように他人と親しくするかや、どのように人と付き合えばよいのかを学べたことがワークキャンプに参加して得た大きな収穫のひとつです。

村人も私たち学生が村を訪問するととっても喜んでくれます。なぜなら、村人に関心をもつことで、村人は外界と隔離されておらず、差別もされないし、普通の人と同じように接して理解し、親しくしてくれると思うからです。時には私たちを自分の子供のように思ってくれ、わざわざ料理を作って私たちにご馳走してくれます。このような交流を通して、関係が深まって行くことはとても気持ちがいいものです。

村人との関係が深まるだけでなく、ワークキャンプに参加したボランティア同士も共同作業を通じて親しくなります。よく連絡を取るようになり、普段の生活でもよき友達になります。このような掛け替えの無い友人たちも私が村で得た大きな収穫のひとつです。

<インタビューを終えて> 私がワークキャンプで活動を共にした方方はまさに親しみやすく明るい性格の大学生で、インタ ビューにあるような以前の暗く、人付き合い下手な様子は全くありませんでした。また、広東語が話せない私たち社会人のために村人との通訳を率先して買って出てくれたおかげで、村人との交流を楽しむことができました。

将来は医者になるために華南地域で最高学府の中山大学医学部に入学し、普段は必死に勉強する傍ら、このような社会的弱者へのボランティアを通して、心の優しい医者になりたいと熱く語ってくれました。大学教育を補完するJIAが果たす役割=『心の教育』の大きさに改めて気付きました。

以上

文・写真:大内昭典





中国ハンセン病快復村4「ワークキャンプで「社会は自分たちで変えられる」と学んだ!」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第8週

前回はJIAのワークキャンプに参加する現役大学生へインタビューしましたが、今回は卒業生2人にワークキャンプで何を得て、卒業後の人生にどのように役に立っているかを聞き取った結果をお届けします。

1人目:謝韵(しえゆん/seven)
<プロフィール>
・中山大学日本語専攻、2008年卒業
・2004年8月、大学2年時に初めてワークキャンプに参加
・在学中、広東省にある藤橋村で長期のワークキャンプに4回参加
・ショートステイの村訪問は、数えきれないほど参加


 
村にて。左が謝韵(しえゆん/seven)、右がハンセン病快復者


 ワークキャンプを通して、行動を起こせば、自分が変えられる社会があるということを学びました。何かをしようと思っても、見返りや効果がなければやらなくなる人が多い中で、私たちはワークキャンプを通して、何かが変わっていくのを実際に見てきました。私たちが初めて村に行ったとき、村人の人生はもう90%終わってしまっていたけれど、村人がそこから新しい世界を知って、諦めていたことも実現していく姿を見て、村人からが生きるって素晴らしいことだと改めて教えて頂きました。

中には、ワークキャンプは村人のためにならないという人もいました。誰も使わないトイレやコンクリートの道を作っても意味がないって。でも、初めは使い慣れないトイレも、村人が1人、2人、4人と行くようになれば、村の衛生環境は絶対に良くなります。道だって、確かに足や眼が不自由な村人は歩けないかもしれないけれど、その道から外の人が村へ入って来られるようになって、村人にとってかけがえのない交流が生まれました。成果がすぐ見えなくても、大切なこと、変わることはたくさんあるはずです。

今はワークキャンプには参加できないけれど、ワークキャンプで得た勇気や信念、価値観は、自分を成長させ続け、人生を豊かにし続けてくれています。今では、ワークキャンプ当時の学びを日常生活で生かしています。

例えば、チャリティーやボランティア、環境保護、食品安全に対して意識を持つようになったのも、ワークキャンプと無関係ではありません。当時ワークキャンプに一緒に参加した同年代の日本人の考え方に刺激を受け、自分の周辺の環境に意識を向けるようになりました。商品、食料を購入するときは、出来る限り環境に害のないものを選んでいます。自分たち一人一人が購入するものをいかに選ぶかで、環境だけでなく、未来を変えることが出来ます。ひとりの力は小さいけれど、行動を持ってたくさんの人に伝え続ければ、多くの人が同じように考えるようになると信じています。また、より多くの人、特に子供たちに自然の素晴らしさを伝え、一緒に環境を守っていけるようにと思って、“鳥類、動物、昆虫、植物自然解説員”というトレーニングを受けました。今では、自然の中で私たちがどのように楽しむことが出来るかを人に伝える、簡単な資格を持っています。

2人目:張一冰(じゃんいーびん)
<プロフィール>
・広州大学広告学専攻、2012年卒業
・2010年、大学2年時に初めてワークキャンプに参加
・在学中は、広州地区委員会の資源情報チームの責任者を務めた
・2011年にJIA事務局でインターンを始め、卒業後JIA事務局で勤務開始、現在に至る。


 
村にて。左が張一冰(じゃんいーびん)、右がハンセン病快復者

ワークキャンプを通して学んだことのひとつに、ひどい条件下にあっても楽しい生活を自ら作り出すことができるということです。例えば、生活環境が不便なハンセン病快復村でワークキャンプをしますと古びたレンガ、たきぎ、料理器具だけでご飯を作るのはとても不便ですが、村で過ごす時間は短いので適当に食べ物をこしらえ、数日我慢すれば済みます。でも、私たちは自分たちでちゃんとした厨房やご飯が作りやすいかまどを作り、水を厨房まで引いてくれば、参加するキャンパーたちは楽しくそして気持ちよくご飯を準備できるのです。このように自ら進んでいやな生活環境を良いものに変えることで生きる希望ややる気がでてくるのが分かりました。

普段の生活でも嫌なことに出くわすと、「こういうものだ。ちょっと我慢すれば済むから。」と考えてしまいますが、もし自分から進んで状況を良くしようと行動を起こせばきっと状況は好転すると思います。私はこのように自ら進んで環境を変える行動力がワークキャンプを通じて身についたと思います。
以上

文・写真:大内昭典