小柄な体格に角ばった顔。手綱一本で黒馬の背中に飛び乗る勇ましさは気高くも感じられる。口笛で羊を自由に移動させ、山塊深くに湧き出る泉で喉を潤す。足を負傷した羊を肩にからい、ロバの手綱を引いて山脈を下る。人から頼まれた小麦や米、油などの生活の品を1日に何往復も山頂へ運ぶ。20代前半の顔は日焼けと垢で30前後にみえる。その黒い笑顔に光る細い瞳と小さな歯が印象的だ。
撮影を続ける新疆ウイグル自治区天山山脈地域の移牧民の家族。
その家族の次女アリメの長男がアスルンベクだ。今年の春に出稼ぎから帰郷した。約5年ほど中国の東沿岸部の工場を転々と「出稼ぎ移民」していたらしい。その際に覚えたつたない中国語と私のなまかじりな中国語が、互いになんとか意思表示できるかできない会話を保っていた。
2年ぶりに家族を再訪した翌日、私はアスルンベクのバイクの後部席に跨っていた。弟のダニエルを2人で挟むように、3人一丸となりマフラーの音よろしく出発した。
途中、路上に胡坐をかき、酒とタバコで昼過ぎの太陽に愚痴でもこぼしているような若者2人組がいた。少し面倒を予想したが、アスルンベクが交わす挨拶やその後の馴れ馴れしい様子にたかりではないと安心する。どうやら、そのしかめづらの矛先は我々の遅刻らしい。彼らはこの炎天下の路上でビールの空瓶を並べる宴会を3時間ほど続けていた。すぐにでも発つかと思いきや、宴会が余興から本番へと移行するかのように、その2人組はむき出した白い歯で勢いよくビール瓶を次々に開けた。炎天下の路上宴会はその後1時間ほど続いた。
ほどよく酔った2台のバイクが山道の覇者を競い始めるのにそれほど時間はかからなかった。崖っぷちの並行走行や転がる石をよけながらのレースは肝の冷える瞬間の連続だった。特にダニエルが相手バイクの後部座席の腕をつかんだときは、正気の沙汰とは思えなかった。彼らは死に急ぐことで生きてることを感じてるようだった。
その後、水嵩の増した渓谷の川を何度も迂回した。日が暮れてトワイライトに入る頃。世界が一日で最もフォトジェニックになる瞬間。我々はようやくジュマラ兄のゲルにたどりついた。
文・写真:Go Takayama