青島で女子的人生探し 第2回

2016年11月18日 / 青島で女子的人生探し

中国で、キャリアウーマン入門

”副総経理”なんて呼び方せずに、”姐(Jie=お姉さん、先輩)”って呼んでね、と、短いメールが返って来て、私は舞い上がると同時にほっと胸をなでおろした。現地採用の女性として、日系企業の副総経理まで上り詰めた”姐”に、私は自然と緊張していた。引っ込み思案の私が、なぜ急にこの1歩を踏み出して、連絡を取ろうと思い立ったのか自分でも不思議に思う。

ランチの時間にお話きかせてくださいと言った時には、まさかこんなにビッグランチになるなんて思いもしていなかった。刺し身、てんぷら、牛タン、焼き鳥、に、納豆。納豆なんて、きっとしばらく食べてないでしょう、日本人は納豆をご飯にかけて食べるのよね、と、少し得意げな彼女に合わせて笑う。確かに、数ヶ月ぶりの納豆。このもてなしぶりは”さすが中国”なのか、私を後輩として認めてくれたからなのか、判断に迷う。そして恐らく、中国ならではの”歓迎”なんだろうという考えに落ち着く。

上品なボブヘアーにふち無しのメガネをかけて、短い黒いスカートを履いた”姐”は、青島ではなかなか見かけないほどに垢抜けて若く見えるが、もうあと1年半で引退なのよ、と楽しそうに笑う。
文化大革命終了の数年後に大学に入学し、進められるままに日本語を勉強したという。卒業後、結婚出産を経ながら大学に残り毎日日本語を教える日々。少しつまらなく感じてきたころに、日系商社の採用を見つけた。当時の大学講師としての給料がひと月約500元、対して日系商社の月給は2500元。それでも小さな声で、いまとなっては大学教授も悪くなかったと思う、と私に目配せをする。「いまは大学教授の待遇も悪く無いし、やりがいのある仕事でもあるしね」

30歳近かったであろう彼女の人生の転換と、いまの自分を重ねて見る。いまの自分は、彼女からどのように見えているのだろう。道に迷いながら、すがるように話を聞きに来た日本人の小娘に、内心呆れているだろうか。

北京で商社勤務を初めて半年、病気にかかり退社を申し出ると、地方都市での勤務を勧められたという。海のそばがいいって言ったら青島に来ることになったの、と軽い調子で言う。



海と桟橋が美しい青島

「当時の青島総経理の日本人はね、最初は中国人の女性はいらないって言っていたの。たった数日前に言い合いになってひとり首にしたばかりだからって。でも、北京の人事が話をしてくれたの、今回の中国人女性はそんなに”強く”ないからって」けらけらと笑う。
やめようと思うことは無かったんですか?思わず人生に迷う二十代が顔を出す。「それからも、何度もやめようと思ったんだけどね、機会が無かったのよ。やめるって言うたびに会社がもっと良い条件を提示してくれたから」
ふと、中国人女性の口からよく聞くキーワードを2つ思い出す。”結婚”と”実家”。「北京に行ってすぐに、離婚したわ。それからはずっと娘とふたり。実家は遼寧省だけど、なんだか機会がなくてずっと青島に居座ってるの。引退したら遼寧省の実家と青島を行ったり来たりの生活かな。娘は青島で結婚しちゃったから」見せてくれた携帯の写真には、彼女に勝るとも劣らぬ美人の娘さんが写っていた。

恐らく青島ではトップレベルの待遇で働いているであろう”白領(=ホワイトカラー)”のイメージとは裏腹に、彼女が語る人生はとても自然に流れているように聞こえた。



青島新市街のオフィスビルと夕焼け

「毎年秋に会議があるから、日本に行くのはだいたい紅葉の頃。すごく綺麗よね」
「日本の本社で働く機会もあったんじゃないですか?」
「もちろんあったわよ。当時は少し迷ったけど、娘がいたし、結局やめちゃったの。日本の夏って青島より暑いんでしょう?行かなくて良かったかも(笑) 紅葉と桜の季節に毎年行ければそれでも十分ね」

低い優しい声で少しずつ私に話を聞かせながら、中国人らしく私に食事を勧めることも忘れない。中国人女性らしい華やかさ豪快さと、日本の会社員然とした気配り、後輩への鋭い視線が同居する彼女に、緊張するやら安心するやら、落ち着かない。普段は優しくて面倒見の良い副総経理だが、商談のときには人が変わったように厳しいという評判を思い出す。たまに携帯が鳴って、恐らく部下であろう相手に指示を出す声は、確かに私に対するものとは少し違うトーンだった。

食事をしながら、正確にはほとんど私が食べるのを眺めながら、手元のティッシュや箸の袋を細かくちぎっていく。これ、最近の私の癖なのよ、精神的に何か問題あるのかしら、と困った顔で冗談半分に言う。少女のような表情に、私も思わず微笑んでしまう。ありきたりだけれど、仕事のストレスが大きすぎるのでは?と本音を返す。そうかもしれない、と彼女も頷く。営業担当の頃は自分の業績にだけ責任を持てばいいけれど、上に行けば行くほど、コントロールが難しい部分にも責任を持たなければいけなくなるのがサラリーマンの常だろう。

再婚はしないんですか、と少しだけ低い調子で聞いてみる。まさか、しないしない、と意外な答えが返ってきた。こんなに綺麗で可愛らしい女性なのに。不満丸出しの私に、彼女はすぱっと言い切る。「これから新しく男のひとと生活を始めるなんて面倒!」私は思わず声を出して笑ってしまう。細かく刻まれティッシュの山が嘘のような一刀両断だ。仕事に家族に恋愛に、凝り固まった私の”have to be””must to do”が溶けていく。

さっきよりも更に少し遠慮しながら、切り出す。姐、あなたについて、文章を書いてネットに載せてもいいですか。言い終わらないうちに豪快な「もちろん」が返ってくる。「私は長年日本人と一緒に仕事をしてきたけれど、悪いひとになんて出会ったことないわ。もちろん仕事だからいろいろある。合う合わないもある。いろんな日本人の上司がいたけど、総じてすごくいい人達。あなたも中国に来て、中国人も悪くないって思ってくれたでしょう?あなたのその姿勢、とっても応援する」
ふっと、肩の力が抜けたような気がした。


TamuraNagisa

投稿者について

TamuraNagisa: 1990年東京生まれ、埼玉育ち。 筑波大付属高校、早稲田大学を経て某総合商社入社。 大学時代に台湾へ半年間交換留学、入社後は社費留学でさらに半年青島へ。日本人にとって近くて遠い中華圏の、謎と魅力を理解しようと格闘中。