妄想地鉄4「家がほしい11歳」 BBパートナーリレーコラム「日中コミュニケーションの現場から」第2週

2016年9月11日 / 妄想地下鉄


 


 ある会合でBillionBeatsについて話す機会を与えられ、準備のためPPTに1枚の画像を取り込もうとして、ふと手が止まった。
 スンリンがふっくらとした丸い顔をこちらに向けて笑っている。
 あれからもう5年が経った。

 スンリンは、BillionBeatsのウェブサイトで連載した北京の子どもたちのフォトインタビューシリーズ「11歳」の記念すべきひとりめの取材対象者だ。
 2011年、11歳だったスンリンを撮らせてくれたのは彼の母だ。主に外国人向けにジェシカというイングリッシュネームで白タクのドライバーをしている母親とは、北京に移り住んだ年の夏に不動産会社の紹介で知り合った。おおらかだけどテキトーなドライバーもいる中、ジェシカは毎回目的地へのルートを事前に調べ、時間に正確な“デキる”ドライバー。アラフォーのジェシカの助手席に座ってお互いの身の上話をするうちに、離婚した彼女に11歳の一人息子がいることを聞いていた。
 北京の子どもたちの日常をちょっとでも覗き見したいと企画したこのシリーズ、取材対象者は人海戦術で掘り起こしていくしかない。恐る恐る息子くんの取材を相談したところ、断られることも覚悟していたが、ジェシカはすんなりオッケーしてくれた。
 ジェシカは息子と別に暮らしていた。彼女は客 から電話があればいつでも飛び出せるように、外国人が多く住む北京東部の簡易宿泊所のようなところで仮住まいみたいに暮らしていた。
 息子・スンリンはジェシカの両親と住んでいて、雨上がりの夕方、ジェシカが車でわたしと写真家の佐渡多真子さんを連れて行ってくれた。そこは高層アパートが並び立つ東部をさらに東に行った郊外の集落だった。
  車を降り、ぬかるんだ路地を入っていく。粗末な平屋がギュッとくっつき合っているその一室が、祖父母とスンリン、そしてやはり預けられているジェシカの弟の子どもの4人の住まいだった。
 地元の小学校に通う5年生のスンリンは、いかにも健康で利発そうに見えた。私のおぼつかない中国語で繰り出す質問に礼儀正しくつきあい、答えていく。最後の質問「欲しいものは?」に、彼は「家」と答えた。
 そうか、中国では子どもでも不動産投資の意味をわかってるんだねえと感心しながら理由を聞いたところ、返ってきた答えに佐渡さんと私は驚くことになる。
 彼の話した理由はこうだ。彼ら一家は四川省出身で、北京市の市民証を持たないため、高校は戸籍のある四川省でないと通えないのだが、賃貸ではなく自前の不動産を持っていれば北京市民でなくとも北京の高校と大学に進学できるから。だから家が欲しいのだと、スンリンはにこやかな表情を変えずに説明した。
  数学が得意で成績のいいスンリン。だが、学力ではなく家庭の経済状況が進学のハードルとなっている「教育の機会不平等」を、11歳ながらスンリンが淡々と受け入れているのが切なかった。
 厳しい現実の一端を教えられるとは予想しなかった私にとって、「11歳」インタビューは頭を一発殴られるようなスタートとなった。その後約2年で50人の11歳たちと子ども部屋で向き合うことになる。

 5年が経ち、中国では景気が後退し、ジェシカはまだ家が買えず、16歳になったスンリンは四川の親戚のもとで高校に通っている。どういう人脈で調達したのか、3年前からジェシカの車は黒塗りのアウディに変わり、最低400元(約8000円)からの仕事しか引き受けなくなった。自分で生き延びるすべをどこからでも見つけ出して生きていくたくましさは、ジェシカだけでなく北京で知り合ったどの中国人にも共通するものだ。
 私には以前と同じ友達価格でいいよと言ってくれるが、もう気安くは頼めない。以前ならジェシカの車で出かけたような遠方にも、私は地下鉄を乗り継いでいくようになった。

 
文:三宅玲子 | 写真:佐渡多真子





Reiko Miyake

投稿者について

Reiko Miyake: ノンフィクションライター。 週刊誌で人物ルポやひとと世の中を取材・執筆。 2009年~2014年まで北京。 現在は東京、ときどき北京。 建築家・迫慶一郎氏と所員たちの10年の軌跡を追いかけたノンフィクションを書き下ろし中。 BillionBeats2011年開始の発起人。 BBウェブサイトの編集および、 立体プロジェクトでは日本側のコーディネートを主に担当。