第1回 「ワークキャンプ」が日中をつなぐ ー始まりはハンセン病ー
12年前の夏。僕らは「家」と書いて中国語で[jia](ジアー)と発音する団体を設立した。中国で立ち上げるNGOなので、漢字一文字で名前をつけたい。発起人のひとりが「家」という漢字を挙げる。日中韓から集まった発起人6名は即、賛同する。
「家」の「JIA」は「Joy in Action」の略であるとした。考えたり、議論するだけでは何も変わらない。まずは動いてみよう、という意味だ。これを組織の理念とする。
JIAは2004年に広東省広州市に設立された民間非営利団体で、「ワークキャンプ」と呼ばれる合宿型ボランティア活動を行う。ワークキャンプでは、活動参加者が社会問題に直面する現地の人々と生活を共にしながら、その人々のニーズに合わせたプロジェクトを行い、その社会問題の解決を目指す活動だ。
JIAは2001年から2017年2月までに、中国華南地方(広東、広西、湖南、湖北、海南省)のハンセン病快復村(元隔離病院)68ヶ所でワークキャンプを900回行い、快復村の生活環境整備やハンセン病差別を減少させるプロジェクトを1.9万人のボランティアと共に展開してきた。村々のトイレや水道、家屋や道路などのインフラを整備し、ボランティアたちが村に出入りするようになったため周辺住民がハンセン病への恐れを和らげ、活動に地元メディアや慈善団体、病院や政府を巻き込み、こく一部ではあるが村人たち(ハンセン病快復者)は家族との絆を取り戻した。
JIAの活動は、「ハンセン病快復者支援」「ハンセン病啓発活動」のみに留まらない。この活動は、活動参加者が成長し、社会貢献意識と行動力を備えた人材となる「社会インフラ」として機能することを目指す。この若者たちが未来の社会を創る。いわば、JIAは社会問題に直面してる当事者(目下はハンセン病快復者)と共にワークキャンプを通して未来を創る団体だ。こうして今、中国華南地方において、ハンセン病快復者の存在は「社会問題」と関連して捉えられるより、「社会財産」として価値を転換しつつある。
とはいっても、ただ単にハンセン病快復者と若者が出逢っても、化学反応は起きにくいだろう。なぜ、JIAの活動を通して若者がハンセン病快復者に出逢うと、成長が促されるのか。通常約1-2週間のこの活動において、開始間もないころは「ハンセン病快復者」と「ボランティア」という、集団と集団の関係に過ぎない。しかし、共同生活を送りながら共に働くうち、徐々にお互いの顔が見え、性格が見え始め、次第に個人と個人の関係が生まれる。そして、お互いにこれまで歩んできた人生を垣間見ることになる。
ハンセン病快復者は「ハンセン病元患者」という烙印を押され、ハンセン病隔離村で生活せざるを得なかった。つまり、「生きる場所」を選ぶことができなかった。しかし、そこで、彼らは自分が「いかに生きるか」は選ぶことができた。そこに弱さも、強さも、その人の生きざまが現れる。彼らに向き合うとき、若者たちは多くの気づきや学びを得、成長していく。
この活動を学生ボランティアが自主的継続的に行うことのできるように、JIAの組織はつくられている。若者が自ら思考し、行動し、意思決定することができるようエンパワーメントされている。若者たちはそこから、自主性と責任を持ってチームとして仕事をする方法を身に付けていく。そんな、社会貢献をする意識と行動力を備えた人材のネットワークをJIAは徐々に築いている。
そして、この活動はインドネシアやインドにすでに飛び火し、近い将来、日本に戻ってくる可能性もある。
JIA設立当時、僕ら設立発起人はビールを片手によく語り合った、
「World as One Family by Work Camp」―ワークキャンプが世界をつなぐ。そして、それはひとつの家族に…という意味だ。この言葉はJohn Lennonの『Imagine』を聴きながら想いついた。
「でも、ちょっと、クサくないかな」。
「いや、こんな時代だからこそ、こんな言葉を掲げる団体があってもいいんじゃないかな」。
当時、この言葉は全くの夢物語だった。
活動開始から15年を経たいま振り返ると、案外、実現不可能でもないかもしれない。
Ryotarou Harada: NPO「家-JIA-」創設者。 1978年生まれ、2002年2月広東清遠楊坑村ワークキャンプに初参加。2003年早稲田大学政治経済学部卒業。快復村に卒業直後の2003年4月から1年半住み込み、2004年に日中韓の発起人6名でJIA創設、事務局長就任(2004年~2015年)