青島で女子的人生探し

ある日、BllionBeatsにメールが舞い込みました。

送り主は、商社勤務の20代女性です。
青島に企業派遣留学生として滞在中の彼女が、中国女性との物語を書きたいと言うのです。

青島と日本で知り合った中国の4人の女性とのおしゃべりは、その人たちの人生の物語に耳を傾ける時間でした。それは同時に、未来の輪郭がまだくっきりと見えない彼女自身が、現在と未来を考える時間にもなっていました。

4回シリーズです。



青島で女子的人生探し 第1回 めくるめく、中国大陸への入り口

めくるめく、中国大陸への入り口

中国語研修に出発する直前の数日間、私に集中レッスンを施してくれたK先生は、中年以上に見える年齢に反して天真爛漫、底抜けの明るさを感じる女性だった。満州族だという彼女は、そう言われてみると確かに漢族とは少し違う、所謂チャイナドレスの時代を彷彿とさせる切れ長の目。目を細めて微笑む表情がとても安心感を与えるひとだった。



共産党のキーワードモニュメント

数年前に学んだ中国語を少しずつ思い出しながら、会話をだんだんと加速させていく。

K先生「毛沢東は知っているよね?彼がどんな人物だったかは?鄧小平はどう?」

「中国人は自分たちのことを黄帝、炎帝の子孫だって言うんだけど、黄帝、炎帝の神話は知っている?」
「チベット自治区に行ったことある?彼らの宗教ってすごく面白いんだけど聞いたことある?」

K先生との5日間は、私にとってまさに中国大陸への”入り口”だった。彼女の知識の広さ深さに舌を巻きながら、自分の無知を少し恥ずかしく思う。



中国の象徴、万里の長城

K先生「私の祖父はね、たくさんお妾さんがいたのよ」
先生はいたずらっぽく私の表情を窺う。
K先生「一昔前の中国ではそんなの当たり前のことだったからね。男の子が生まれなかったら、正妻が旦那にお妾さんを作ることを勧めることもあったのよ。日本の男女関係も、昔は近いものがあったのかな?」

K先生「本当に技術のある漢方医は患者が部屋に入ってきた歩き方、話し方、姿勢でだいたいの診断をしてしまうのよ。西洋医学のように一時的な治療ではなくて、生活、食事から患者の健康をサポートするのが漢方なの。本当に仙人みたいに不思議なのよ。奇跡みたいに難病が治ったひとがたくさんいるの」

K先生「あなたの中国語は本当に台湾訛りね…私台湾人の友達もたくさんいるのよ、彼らのこと大好き。日本の大学に進学して、台湾人の留学生にたくさん会って、いろんなことを教えてもらったの。ある時ひとりの大陸嫌いの台湾人が部屋がいっぱいになるくらいの繁体字の本を送りつけてきて。大陸の人間は本当の歴史を知らないだろうから勉強しろなんて言ってね。嫌な気はしなかったし、実際、私の知らない歴史がたくさんあった。彼らは中国大陸の人間の悪口も言うけど、とっても可愛くて優しいひとたちだった。何十年も経ったいまでもいい友達」

しばらく話すうちに、彼女の様々な知識と物語は実体験に基づいているんだなと気づく。彼女自身が中国の現代史を体験し、中国の古き好き文化の中で育ち、日本に来てそれらを外から改めて眺めている。彼女が信じていること、信じていないこと、繊細で信心深い視点と豪快で歯に衣着せぬ語り口に、中国人の”粋”を感じる。

同時にふと、歳の離れた女性とこれまでこんなに何時間も話し込んだことがないことに気づいて不思議な気持ちになる。母親の愛でもなく、同僚の目でもなく、全く思いもしなかった角度から自分の短い人生を思い返す。

K先生「文化大革命聞いたことある?私が高校を卒業する頃、ちょうど文革のまっただ中だったの。中国の大学になんてもちろん進学できなくて、1年くらいふらふらしてたかな。各地で活動してる同級生の男の子たちを点心を持って訪ねて行ったりしてね、彼らの先輩が彼らを殴るのが許せなくて先輩たちを大声で怒鳴りつけたりしてた。お転婆だったの。いま考えたら、あんなことしててよく身の危険が無かったものだと思うけど。家族もきっと私を見かねたのね、ふらふらしていても意味がないからと、日本での進学の手はずを整えてくれて、私は日本の大学に入学したの」

私「日本はどうだった?好きになれた?」

K先生「初めはあまり好きじゃなかったような気がする。私も若かったし。日本語の先生がとても素敵なひとでね、私がもう帰りたいと言ったとき、こう言ってくれたの。「日本で少なくとも数年過ごして、それでも好きになれなかったら帰国しなさい。こんなに短い時間で、日本のことを理解せずに帰ってしまうのは、せっかくの機会がもったいない。」私はいまでも先生の言葉に感謝しているの。おかげで日本で大学を卒業して、日本の銀行で働いて、いまの主人と結婚することになったんだから」

私「銀行!一番保守的な業界じゃない?先生そんなに奔放で大丈夫だったの?」

K先生「大丈夫じゃなかったから辞めちゃったのよ(笑) 他の日本人にも言われたわ、わざわざ銀行にしなくてもよかったのにって。でもそんなこと当時は知らないじゃない?」

私「大変だった?」

K先生「最初はなんにも気づかず好き勝手にやっていたの。もともと正義感が強いから、おかしいと思ったことには口を出さずにいられないし、不公平は嫌いだし。でもだんだん孤立しちゃったかな。というか、だんだん同僚達は私を利用して上司に意見を言ったりするようになって。本来は関係無いのに私が矢面に立たされたりね。こんな私でも少しは悩んだのよ。そんなとき、大学で知り合ったいまの主人が相談に乗ってくれて。彼とも大学時代は相当ぶつかった仲だったんだけど、だからこそ私の気質をわかってくれてて、それじゃ日本企業でやっていけないよ、って何度もアドバイスをくれたの。最終的には、もう君は日本企業では働いていけないから、結婚しようって!それもいいかなって思っちゃった」

彼女の人生のどの時間どの決断も、彼女の口調ほど明るくて単純で楽しいものでは無かっただろうと思う。それでも弾けるように笑いながら、ときにいたずらっぽく声を潜めながら中国と日本と自分の人生を語る。文化を跨いで生きてきた強さとしなやかさに圧倒され、思わず黙りこみそうになるのをなんとか堪え、先生との授業は続いていく。



K先生との授業を経て、初の中国大陸へ―青島五四広場







田村渚

投稿者

田村渚

1990年東京生まれ、埼玉育ち。
筑波大付属高校、早稲田大学を経て某総合商社入社。
大学時代に台湾へ半年間交換留学、入社後は社費留学でさらに半年青島へ。日本人にとって近くて遠い中華圏の、謎と魅力を理解しようと格闘中。

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