The Edge #7

2016年8月22日 / The Edge




(写真)ポートレイトの撮影を頼むと、恥ずかしながらも笑顔をみせてくれるCK

連載7回:旅2日目ー03

 キルギス遊牧民の女の子CK(9歳)と彼女の兄(後に私の命の恩人となる)SB(19歳)との出会いは、この「ボルド」が飛び交う彼らの親戚の家だった。女の子CKと兄SBは、私がお世話になるキルギス一家の三女JRの子供達だ。 真っ赤なほっぺが印象的なCKは谷一番のお転婆で、中国語(標準語)に長けており、話好きの女の子だ。よそ者の私を見つけると、中国語を皆に見せびらかすように話しかけてきて、皆の通訳をかって出た。皆が「ほー」とか「へー」とか、私の解答に頷くと、彼女は飛び上がるほどうれしがった。すこぶる愛嬌があり、また私も会話が通じるのでCKとはすぐ仲良しになった。三女JRの勧めもあって、今夜は彼女達の家へ泊めてもらうことにした。その知らせを聞くや否や、CKは飛び上がり私の腕を引っ張って喜んだ。

 女の子CKが住む家は、TVアンテナを設置した土の家から川の対岸に位置する。この家も谷にある一様の四角い土壁で、室内には一段高い居間に敷き詰められた手縫いの絨毯が鮮やかだった。三女JRの夫KPは谷でも指折りの羊飼いらしく、その数は80頭を超えていた。日の入りが早い谷では、夕方家族総出で放牧から戻った羊と山羊に餌を与える仕事が残っている。まず、羊と山羊を分別して違う場所に囲う。特に数の多い羊はその群れを2組にわける。干し草や乾燥したトウモロコシを餌箱にまき散らすと、羊達は一心不乱に食らいつく。お預けをくっているもう1組の羊の群れは、目前に見る幸せ絶頂の同胞に、「メー」「メー」と再三非難の声がもの凄い。そのなかの数頭は羨ましさの限界に達したとみえ、狂うように飛び跳ね餌箱を目指して走り出す。その暴走を抑えるのが、私と兄SBの仕事だ。手の平に収まるくらいの石を持ち、羊に当たらない程度に投げ上げる。その度に羊の一群は後方へと後ずさりするのだ。

 餌に夢中になる羊の後ろから夫KPは手を伸ばし羊のお腹の辺りを探っている。食事中に突如身体検査をされた羊は、驚いた様子で隣の餌箱へ小走りに移動する。兄SBに聞くとこの時期メスの羊は子を身ごもるという。その発育をKPは毎日触って確認しているのだ。その間、羊の頭数を数えるのも大切な仕事の一つだ。子を産んだ母親は一頭800元から良質な羊で1000元を超えて売られると聞いた。家畜に餌を与え終えると、ようやく我々人間が食卓を囲めるのである。ただ、食卓ではなく居間に円を囲むようにして座り、中央に置かれた羊肉たっぷりのアルミのボールに手を伸ばして食べる。食事が済むと、兄SBがさっそく親戚の家へテレビを見に行こうと言い出した。私は一家と共に真っ暗な谷を一列に並んで昼間来た道を引き返した。


The Edge #8

2016年8月22日 / The Edge




(写真)布団に包まる夫KPと息子SB。SBはいまだ夢心地。KPにパンツ一枚姿の写真を撮らせてと頼んだがあっさり断られた。

連載8回:旅3日目 ー 01

青白い光がようやく室内に差し込むか否かの早朝、三女JRは薪ストーブに火をくべた。枕元で枯れ木が燃焼する耳慣れない音に起こされた私は、隣に並ぶ3人を写真に収めようとカメラバックに手を伸ばす。厚手の布団から身を起こし冷気にさらすと、背中にブルっと身震いを感じた。布団に戻りたい衝動を抑えて三脚までたどり着くと、夫KPが布団からヌゥッと顔を出した。こちらを無言で凝視している。私は数枚シャッターを切った。するとKPが突然色白い二の腕を布団から突き出してポーズをとる。「寝るときおれはパンツ一枚だ」という夫KPの突飛な発言に私は吹き出し、三女と息子SBもケラケラ笑っている。ようやく娘CKも眠たそうな目を開けた。
 
朝はまずヤカンを持ち出し顔と手を洗う。この習慣は天山山脈でも麓の街でも同じだ。外へ出ると改めて周囲を壮大な自然に囲まれているのに気がつく。吸い込む空気は焼きたてのパンの香りを嗅いだ幸福のようで、つい鼻が持ち上がる。すると、「もう洗ったの?」と地面にしゃがみ込んだCKが催促するように見上げて言った。

朝食を食べ終えると,一旦長男JMの家へ戻ることとなった。川の氷面をすり足で前進していると、放牧されているらしいラクダや毛並みの良好な太った馬が点在しているのが前方に見える。腹部が丸々と膨らみ、栗色の毛並みは太陽光を鋭く反射している。ふと、私が暮らす北京市内の果物を売る荷台に繋がれた馬を思い出し、同じ馬ならこの谷がいいなと与えられる環境の不公平さを思った。

更に進むと今度はこちらを敵視している犬の群れに出くわした。足下の適当な石をすばやく拾った三女は、低く構えるその群れへ力強く投げ込んだ。それでも野犬か猟犬はうなりながら近づいてくる。拾う石も大きくなる。投げた数投が危険な集団をかすめていった。その瞬間、「行くよっ」と怯む犬群を置いて三女は駆け出した。

逃げ込むように次女ARの家へ辿り着くと、外では息子DNと弟2人が野鳥を捕る仕掛けで遊んでいた。もしや今夜は羊以外のものが食べれるのではとの期待が頭をよぎった。


The Edge #9

2016年8月22日 / The Edge




(写真)重石に仕掛けを巻き付けるJMとDN(左)。JMの息子BN(後方右)は一人で遊んでいる。お目当ての鳥は捕まるかどうか。

連載9回 旅3日目 ー 02

正午を過ぎた頃、私はザクザクと雪の上を歩いていた。目指すはJMの家。両側にそびえ立つ岩肌は、陽の当たる褐色と陰に隠れた柔らかい雪がおうとつを出していた。40分ほど歩くと「老師」ことJMの息子BNが我々を発見する。日頃少ない来客にうれしくはしゃぐBNにチョコレートを渡すと、一つを頬張りながら残りを両手でしっかりと握りしめていた。

薪割りをする手を休めたJMは、私と息子BNとJMのお姉さんの息子DNを部屋へ招き入れた。どうやら「仕掛け」をつくるみたいだ。釣り竿から垂らすテグスのようなものを、広げた両腕の間隔で噛み切る。その1.5メートルほどのテグスに等間隔で手のひらほどの輪っかを括りつけている。これで鳥が捕まるのか不思議に見守っていると、JMが作った輪っかに指を入れてみろとの指示。引っ張るとヒュッと輪っかが締まり指を捕らえた。「どうだぁ」と言わんばかりの笑みを浮かべるJM。相槌で答えたが実際の効用は半信半疑だった。幼いときに母方の祖父が家の前の運動場で釣り針にミミズを引っかけ、雀を獲っていたことを思い出した。釣り針も餌もないキルギス方法で捕れるならこれに勝るものはない。

我々は作ったばかりの仕掛けと羊の糞や干し草を持って裏山へ出かけた。石を投げるとバサバサと鳩ほどの大きさの鳥が飛び出した。お目当ての獲物らしい。長男JMは辺りを見回し適当な場所を選ぶ。仕掛けを置いて両端にその辺の重石を置く。持参した干し草と羊の糞で仕掛け全体をカモフラージュする。これで完了。

結局三女JRとJMの奥さんが戻ってきたときまでは仕掛けの出来は解らずじまいだった。JRの家へ帰宅するまえに夕方の斜光で切り取られた谷を撮影したく、家の裏手へ回ると、「キャー」っと仲良く並んで用を足していたJRとJMの奥さんに出くわした。慌てて目を伏せ、彼女達の笑い声を後ろに、視界から逃げるように崖を登った。この谷では無論トイレという固定の場所はなく、私もこの恥ずかしいご対面をなんどか体験していた。夕日は谷を囲む崖の陰陽を色濃く照らし出していた。


The Edge #10

2016年8月22日 / The Edge




(写真)凍った川の表層を斧で砕き、持ち帰った氷を溶かして生活水とする

連載10回 旅4日目

朝から「バオズ」(包子)を5つも食べた。中身はヤギの肉。5人で熱々の肉まんをハフハフとボールいっぱい食べた。一つ食べ終わると三女JRと夫KPが「もっと食え」と肉まんはみ出る口をモゴモゴさせて言う。コンビニの定番メニューに満腹も限界だった。
食べたら仕事。私と息子SBで家畜の放牧に行くことになる。「どこ」と手を宙にかざすと、山頂を指しグルリと回した。羊が行くとこだ。さほど辛くもないと高をくくっていた。約50頭ほど。列を乱す羊には小石を投げるか、手を叩き「ヒュッー」と口を鳴らし警告する。臆病な一行は早足で駆け出す。SBは慣れたものだ。19歳の彼は「山での生活がすべてだ」と語るこの土地を熟知した一人前。私はというと、見よう見まねで手を叩き、声を出して羊を追う。

しばらくすると左手にそびえる崖へ進路変更。崖の合間に伸びる細道へと奥へ進む。先頭の羊は裏山でも登るように勝手に先を急ぐ。私とSBが休憩をしている間、辺りには一頭もいなくなった。私の心配を余所にSBは「チェス、チェス」と繰り返す。写真を撮ろうという意味だ。カメラを向けると、はにかむSBはまだ十代だった。

「近道」をしようと崖を指すSB。迷う私を置いて勝手に見上げる崖を登り始めた。引き返すわけにはいかず、登ったはいいが、途中までくると私は恐怖と後悔で動けなくなってしまった。崖に生えるやっとの草に足をかけ、もげて取れ落ちそうな岩を頼りに掴む。ゴツゴツする岩肌を顔で感じながら、へばりつくように密着して動けない。命綱なしのロック・クライミングだ。

「落ちたら死ぬな」と後悔の念が頭を支配する。恐怖がじわじわと心を浸食する。すると手足までも答えるように脱力し始め、呼吸まで乱れてくる。「うわぁ、だめだ」と家族を想った。そのときSBが下りて来てくれた。崖登りには慣れてる彼には想像できなかったのだろうが、必死の私をみてカメラバックを引き受けてくれ、足をかけられるような小さな穴を岩肌に掘り始めた。一つずつ慎重に登る。最後は引き上げてもらい、てっぺんへ上がった。SBと抱き合い安堵の意を示すと、彼も大分ほっとしたようだった。

日が落ちる頃、家に戻ると命がけの初放牧は一変して家族の笑いの種となった。どれだけ笑われても構わないと、崖にしがみきプルプル震える自分を再現して皆の笑いを誘った。私が10年前に兄達からプレゼントしてもらった腕時計をSBにあげたのは日が暮れる前だった。


The Edge #11

2016年8月22日 / The Edge




(写真)バルカンを背に乗せ凍った川を歩くラクダと家族

連載11回 旅6日目

「アット」(at=馬)。「ゴイ」(koĭ=羊)。「アター」(ata=父)。「アパー」(apa=母)。(現地で話される言葉をノートに書きとったもの)。雪山の越冬地で普通话(標準中国語)を話せるのは9歳の女の子CKだけだ。​

「バルカン」という現地の言葉(キルギス語)も覚えた。燃料用の低木だ。
暖房や料理用に使う燃料は、この他に羊の糞などをストーブに焼べる。
このストーブで川の氷を溶かして生活水とする。(連載10回の写真参照)。
雪山滞在6日目の朝に家族総出で「バルカン」を集めに出かけた。

この雪山にはラクダがいる。
雪とラクダは違和感があった。
ここで暮らすみんなで数頭のラクダを共有しているらしい。
四季で移動する彼らにとって、運搬用のラクダはとても重要だ。
「バルカン」もラクダの背に積んで運ぶようだ。

家族とラクダと凍った川を山頂の方へ歩いた。
細い川沿いに成人男性の背丈ほどある低木の群生が見える。
春には芽を出すという枯れたような低木「バルカン」だ。

一行はその群生のなかにそれぞれ踏み入り、低木を根元から力一杯蹴り倒した。
「バキバキッ」と踏み倒す音が山岳に響く。
9歳の女の子CKも大人並みに働く。

無差別に蹴り倒された「バルカン」は一カ所に集められ、ラクダの背に積み上げる。
これが驚くほど高く積み上げる。そしてラクダの両側から縄をかけ、大人3人で引っぱり、積み上げた「バルカン」をラクダの背に固定する。
大人1人が重石のように山積みされた「バルカン」の上に座ると、ラクダは右に左にと体を大きく揺すりながら立ち上がった。

ラクダが滑らないように凍った川の上に砂を撒く。
細く黒い砂の道が氷の上に伸びていく。

その晩、「バルカン」の火で準備された夕食はいつも以上に有り難く美味しく感じられた。
省こうとする手間隙に省けない大切さを実感する。

夕食後の団らんを終えて家族と床に就こうとしたとき、バイクの音が近づいてくるのがわかった。エンジン音は家の外で静かになり、開けられた戸からJMが慌てて顔を出した。

「これから麓に帰るらしいよ」と女の子CKが通訳してくれる。

あの雪山の道をこんな夜中に運転して帰るのかと不安が募った。


The Edge #12

2016年8月22日 / The Edge




(写真)キルギス少数民族の墓地がある丘

連載12回 旅7日目 最終回

夜中に突然現れたJMと真っ暗な天山山脈の初走行は連載第1回を読み直してほしい。

麓へ着いたのは辺りが青白い光に包まれようとする明け方。
町はずれの舗装されていない道の上で、我々のバイク7台は前方から順に停まった。

緊迫した足とカチカチになった重たいお尻をバイクから降ろすと、
突然、前方の男が大泣きし始めた。
恥ずかしさなどこれっぽちもない様子で、とにかく辺りかまわず泣いている。
わけがわからない。嘘泣きかと思わせるほどの大胆な泣き方。
その男の両側を2人の男が肩で持ち上げるように支えている。
2人に支えられた男は泣きながら前に進んでいる。

混乱する気持ちをよそに写真に収めようと彼らの前方に回るが、
すぐにJMの鋭い視線が撮影の禁止を意味していた。

信頼を得ることが最大の難関であるこの類の写真で、悔しいがJMの指示に従うことが最善の道であることも感覚的にわかっている。
シャッターに指を置いたまま3人が向かう方向へ進んだ。

どうやら誰か亡くなったらしい。
お葬式のため、急遽山から戻ったのだ。
どうやって山頂に連絡が入ったのかはいまも謎。
彼ら独自の連絡方法があるのだろう。

のちに泣く男の親族と聞かされた故人の家へ恐る恐る足を踏み入れた。
陽も出てない早朝、すでに沢山の親戚や知人が室内を埋めている。
視線が吸い付くように私に集まる。カメラを向けるが再度JMに目で控えるように指示される。

このような状況での心境はかなり複雑だ。
遠慮や礼儀を重んじる心が、撮影したいと焦る衝動と入り交じる。
超えてはいけない一線を慎重に慎重に広げていく。
結局、今回その一線は超えられず、室内では撮影を許されなかった。

人の死に対して、それぞれの迎え方や送り方があると思う。
この地の人はとにかく泣いて故人を送り出す。
土地柄の習慣か宗教的な理由か。
路上で泣き始めた男は、室内でも親戚がなだめればなだめるほどに大声で泣いて止まなかった。

その日の午後、故人は町はずれの丘に埋葬された。
丘の斜面にスコップで掘られた大きな穴のなかへ埋葬された。

JMはまたすぐに山へ戻るらしい。
さすがにその日は私も彼も夕方までこんこんと眠った。

おわり