上海編 その2 ー「ヒートアップする幼稚園・小学校の進学問題」

競争は幼稚園から始まる
 
「老三」が今年の9月に老二と同じ幼稚園へと入ることになった。





「老三」が今年の9月
老二と同じ幼稚園へと入ることになった。

上海に短い「春」がやってくる時期
世間話の話題に必ずのぼるのが
「小学校はどこにする?」
「どこの幼稚園に入れる?」
などといった子どもの進学問題だ。

上海での進学問題はディープな面をもっている。

上海では幼稚園から「お受験」モード。
よい幼稚園はよい小学校へとつながり
よい小学校はよい中学校へ、さらに高校へ、とつながる
という鉄則ができあがってきているように思う。

小学校の面接の時、先生の覚えめでたい幼稚園出身ならば
たしかに印象アップに役立つだろう。
しかし、毎年微妙に幼稚園の評判は変化している。
さて、子供が幼稚園に在籍する数年の間に
評価はどのように変わるだろう?
進学競争がヒートアップするにつれて
教育の現場も常に変化を迫られている。
もし学校の評判が落ちれば、生徒の流出もありえるだろうし。
こうして「お勉強」幼稚園は、ますます「お勉強」化していく。

暗黙の了解?
 
老二の通うバイリンガル幼稚園でも
今年から個別面接が始まった。
面接予約も今年からはネットで行う。

しかし幼稚園へ「報名(申し込み)」できる日はたったの1、2日。
この日をうっかりと逃してしまうと、
もう入学できるチャンスは巡ってこないから、注意が必要だ。
しかもここ数年、老二の幼稚園は人気が上がってきているらしく
定員オーバーは確実だと聞いている。

なので、幼稚園の門に貼られる告知ポスター&園長先生の
Wチェックを入れていた私。

なのに言われたとおりにちゃんとネット予約をして
当日面接に連れていったら
目線を合わせた園長先生のお言葉は
「なんで来たの?」
だった。

面接に連れてきたことを話すと
「何を面接するの?もう充分知ってるわ」とゲラゲラ笑っている。

暗黙の了解、というものを私は理解できていなかったらしい…
先生の中では私が質問を投げかけた時点で「はいOK!」と
いうことだったと思われる。
どの部分で暗黙の了解ができていたのかは謎だ。

老三を連れ、続々と面接に来る親子達に逆流しながら帰路につく。
人の波に押されながら「園長先生、忘れないかな?」
と心配になった。
その数日後、老二の連絡帳に、手書きのメモが挟まれていた。
「老三の入学について。必要書類を連絡帳にはさんでおいてね!」
ホッと、ひと安心だ。

私はよくこんな「暗黙の了解」に不意打ちや肩透かしを食らう。
しかし、そんな「暗黙の了解」に何度助けられてきたかわからない。

社区の「先生」
 
老三を連れて、社区のコミュニケーションセンターにある
キッズルームに通っていた時のこと。

「社区」というのは、その地域の住民の生活に深く関わる組織で
私の生活にも深く関わっている。
政府の機関っぽくもあるのだけれど、運営そのものは半ボランティアによって運営されているような
私にとっては実態がいまいち掴めない存在だ。

その社区のキッズルームには常駐の女性がいて、顔見知りになっていた。
私にとっては、今ではなんでも相談のできる気の置けない存在だ。

事務室をのぞくと、彼女はいつも大きい声で「来たわね!老三!」と迎えてくれる。
しかしその日は機嫌が悪かった。

小太りでいつもムスッとしているように見える40代の彼女
実は元小学校の先生で、派閥に巻き込まれて馬鹿らしくなって辞めたと
老大の赤ちゃん時代に世間話で聞いたことがある。

いつも彼女は今の上海の教育事情を憂いていて、元教育者らしいことを話している。
だけどサバサバしていて気持ちのいい彼女だから、発言に「建前」を感じることはない。
利害関係のない私の前だからかもしれないが
子供に付き添ってくる他の大人達にも熱弁を奮っているところを見ると
権力争いの場となった小学校なんて合わなかっただろうな…
と納得させられる。

この先生、社区の小さなキッズルームの責任者だったのは数年前のこと
ここ数年であれよあれよという間に施設は移転拡大
いまや彼女は大きな施設全体の責任者となり
研修やなんやと国外出張までする身分にまでなってしまった。

ところがその日、先生は事務室に入ってきた私を見て、いきなり憤慨し始めた。
「上海の教育は行くところまで行ったわ。さて、どこに行き着くんだろうかねぇ!」
先生のいらだち
 
彼女はここのところ、息子の中学受験に頭を悩ませていた。

公立か、私立か、と悩んで
結局、私立に「後門(ホウメン)」で入れたという。

この「後門」という中国語については、いろいろと思うところがあるのだけど…
これはまた機会があれば、話させてもらいたいところ。

それは置いといて。
先生が払った「後門」の費用は2万元。
先方から4万元と言われたのを、なんとか交渉で2万元にしたのよ、とため息混じりに話してくれた。

「良い学校が学区内になくってね。しょうがないわ。
少しでも生徒に公平な、ちゃんとした学校に入れようと思った結果がコレよ。
本気でシンガポールに留学させちゃおうか、とも思ったんだけど。
やっぱり子供は側に置いておきたいじゃない?
でもこの調子で行くと2年後には8万元くらいになっていてもおかしくないわね!フン!」

と鼻息を荒くする。さらに…

「教育の現場は腐敗していて、今じゃあ、ちゃんとした『教育者』なんて教育現場にはそうはいないわよ。
うちの子なんて卒業間際まで、ご丁寧なことに先生から電話かかってきてたわよ。
テストの結果が悪いんですけど、って。
みんながみんな、授業内容を一発で理解できる頭もってるわけじゃないのよ。
そこのところを理解させるのが教育者の役目でしょうに。
それもできないで、非難するばかり。
先生はそれを嫌ってるんだけど、それがなんでいけないっていうの!
私の子は、これからも私が守るわ!」

とマシンガンのように一方的に話をした後
「じゃあね!」と先生は風のように去っていってしまった。

「母親」の後ろ姿を残して。

そこには、いつもの「先生」の姿はいなかった。



上海編 その3 ー 「教育熱の加熱と「後門」

ローカル学校の現状





前回、社区の先生が言っていた「後門」。
なんとなく意味はわかるのでは?
中国語発音では「ホウメン」。
今の上海では、「裏口入学」を表す言葉だ。
しかしこの言葉、日本の人が思っているような重苦しい響きとは
ちょっと違った響きを持っていると、私は考えている。

話は上海のローカル学校の話に飛ぶ。

現在、上海市内にある公立学校は「学区制」。
なので、その区内に住む子供たちは指定の学校に進学することになる。

だけど、公立の学校にもランクみたいなものが存在している。
ざっくり言うと、昔から言う「重点」学校であるか否かだと思われる。

一般的には「実験」とつくだけで、「良い学校=レベルの高い学校」と判断されるが
エリート志向の強い親が多い上海では、子供を「良い学校」に入れたがる傾向があって
この「良い学校」に人が集中してしまう。
そんな事情もあってなのか、最近は「○○大学付属」という形に変えたり、数校を合併したりと
学校の「名前」や「形」は変化しているのだけれど、合併した学校など、新しいから口コミ(現地ではなにより重要!)も
なく、そこに進学させることの不安を理由に、進路変更を考えだす家族も出てくる。

運良く住んでいる学区に「良い学校」があれば、親も迷いはないだろうが
そうでなければ、財力に任せて子供をスクールバスがある遠い私立の学校にやる親や
全学区の公立学校へと挑戦するなど、これまた選択はバラバラだ。

不動産も「良い学校」の学区内にある不動産物件はエリア内の平均価格より値段が高めと聞く。
「良い学校」に行かせるためなら、家族大移動だってしてしまう家族もいるというから
世間話でそんな話を聞きながら、私も驚いていたものだ。

とにかくひとりっ子の多い上海
「良い学校」をめぐってのデッドヒートはすごい。

それがまた一年一年と激しくなってきているのを感じる。

こんな現状だから「後門」はそこかしこに存在する。
「後門」人気、急上昇だ。

あなたはおいくら?
 
周囲の人々は口を揃えて
私が住んでいるマンションがある区には「良い学校」が少ないと言う。
しかも「快楽教育」と言われる方針を取っている学校が多い、というのが
息子の習い事の先生からの情報。

この「快楽教育」、日本語で「ゆとり教育」と訳せそうだけど
日本「ゆとり」のコンセプトと内容とは、おそらく大きく違っている。

そんな区にあるうちのマンションの「近所で一番良い学校」は
うちから道を隔てた向かいにあり、「学区外」になる。
なのにうちのマンションには「学区外」のこの小学校に通う子供たちがたくさんいる。

これは後門だよね?と、興味本位で数人に聞いてみたら…
「7千元」「2万元」「4万元」との答えが返ってきた。

隠すようなことではないらしく、皆スラッと答えてくれる。
子供のためだもの、しょうがないわ、が共通の意見だが
かなり値段にばらつきがあるのには驚いた。
直接校長先生に、という人が一番高いのには笑えてしまう。
取次人がポイントなのだろう。
校内のエアコン取りつけ金の寄付を迫られた、という人もいる。

でも「後門」が横行するのには、親心だけではない理由がある。
一方的に日本人的感覚で「それっていけないことよ?」なんて批判できない、と
思ってしまうような現実を見聞きしたりもする。

お金で解決できること、できないこと
 
「良い学校」の門戸は狭い。
学区内であっても、人気の学校には毎年2000人もの子供達が面接に押し寄せる。
息子が通っていた以前の学校は全学区制だったが、ここも同じ状態だった。
面接日には学校周辺は人山の黒だかりだ。

人口の多いこの国では、けっして日本と同じように物事を考えてはいけない。

たとえ狭き門を(後門ルートで)入っても
授業についていけなければ、小学生でも「留年」がある。
さらには成績が芳しくないと、親は事あるごとに呼び出される。
結局は転校を余儀なくされる場合も。
「良い学校」からの転校なら受け入れ先もあろうが
それ以外の学校では、受け入れてもらえないケースも。

一番大変なのは常に競争にさらされている子どもたちには違いないが
この競争社会は、親をも巻き込んでいる。

他にも、外地からきた人たちの悩み話を聞くと
また違った現実が浮かんできて、切ない。

上海は外地からの流動人口が多い大都市なのに
外地人が上海で受けられる教育は中学までという事実がある。

上海戸籍がなければ、上海で仕事をする両親と離れて
戸籍のある田舎の高校へ進学するしか選択はない。
育った場所にいられない上
大学で上海に戻ろうとすれば、並大抵の努力ではかなわない。

たとえ外地からきた共働きの家庭が、家族で上海にいようとしても
費用の安い公立の幼稚園では、外地人の幼児を受け入れていない。

私立は高いからか、公立の「託児所」にはいつも外地人の子どもがあふれている。
その託児所も、最近では合併しただの、移転しただのと
うちの周りでは変化がめまぐるしい。
そんな事情も親子別居に追い打ちをかけているのではないだろうか。

子どもを上海籍にしようと
上海で成功した外地人の夫婦が4年間、公安に掛けあってあれこれやっているが
どうにもなってないところをみると
いくらお金を払おうとも、解決できない問題もあるようだ。

金を払って解決できる問題なら、という考え方が存在しても
仕方ないじゃないかと、ふと思う瞬間がある。

子どもの幸せは一族の幸せ
 
この国の人達は、家族(一族)の幸福のためにはどこまでも突っ走る。
だからこそ、この「後門」も加速していく。

でも、それは単に「子供の」幸福のためだけではない。
「子供の教育の成功」は一族全員に幸福をもたらしてくれるものなのだから、親も力が入るのだ。
自分の老後を、子供に賭けている。

息子たちを遊ばせていると、同じマンションに住んでいる顔見知りの日本語の流暢な女性が声を掛けてくれた。
彼女の息子は、上海でも有数の有名中学のインタークラスに通っている、「近所で一番良い学校」出身者だ。

以前に学校のことで聞いたことがあったせいか、

「あなたのところの老二、来年小学校よね。
あの○○小学校行かせたいなら、私、校長知ってるわよ」
とのこと。

うーん、校長か…なるほどね(頭の中に金額が浮かぶ)。
事前の調査が役立ったな。

私の住んでいる区では、外国人でも学区内の指定の学校しか選択できないと聞いた。
…選択肢を広げる意味ではそれもあり?と
頭の中でそろばんを弾いている自分は、もう彼ら上海人の列に並んでるのかもしれない。

上海人、外地人、外国人。
上海という街の親は、それぞれの立場で「教育」という名の
大渦に巻き込まれている。

注:
「上海戸籍がなければ、上海で仕事をする両親と離れて、戸籍のある田舎の高校へ進学するしか選択はない」と書きましたが、その後、下記のことがわかりました。
「现在在上海有房,孩子中考高考都在上海」、つまり現在では、親が上海に家を所持している場合には、高校進学ができるようになっているそうです。前に私が聞いた例は出稼ぎなどの人たちだったようです。

 2009年以降、特定の条件下の子どもであれば、上海戸籍の取得が比較的スムーズに許可されているようです。その条件は以下の通りです。

1、両親は外地人(上海以外の戸籍をもつ人)であるが、どちらかが上海市居住証(取得には高学歴または技術者、上海に貢献する起業者であるなどの査定条件がある)をもっている。
2,申請する本人が14歳以下である。

 これらの条件を満たしていれば上海戸籍が申請でき、上海での大学受験も可能となるようです。現在、上海に家をもっているだけでは、上海戸籍は申請できないようですが、これから先、また変わる可能性はありそうです。



上海編 その4 ー 老大、日本の学校を体験する



(写真)上海の教科書と日本の教科書。中国の国語の教科書(右上)は日本とは違って横書きだ


夏休みに入っても…

ただいま「夏休み」真最中。
しかし老二は通常通り、上海で幼稚園に通学中だ。
共働きがほとんど(お金持ちは別)のこの街では
上海市政府は、夏休みに当たる期間も幼稚園の継続を義務としている。
カリキュラムも通常とほとんど同じまま。
なので今年の夏、私と老二、老三はいつも通りの毎日だが
老大だけは日本の祖父母の家へと飛んでいる。

こちらの小学校では、6月中旬の期末テストが終わると、
すぐ試験休みに入り、終業式に登校した後は、
新学期が始まる9月まで、まるまる2か月が「夏休み」。

日本の小学校は7月末から夏休みに入るらしく、
そんな「時間差」を利用して、
老大は数週間だけ日本の小学校に体験入学させてもらっている。
普段上海ローカルにどっぷりの彼にはちょうどいい経験になるだろうと、
今年の春から、休みのたびに体験入学をさせてもらっているのだ。

最初の体験入学は私の母校である小学校だった。
最初に連絡を入れた時には、
ここまでオープンに受け入れてもらえるのかと面食らった。
面接だのなんだの受け入れられるまでにいろいろあるだろうと思っていたので
ちょっと拍子抜け。
今回の父方の祖父母の近くの小学校でも、簡単に受け入れてもらえたようだ。
こちらでの教育費の高さ(対外国人)に慣れている私は「本当に無料だ~」と純粋に感動。

息子が小学校に上がってから、
日本と中国の小学校を数か月単位で往復する
日中ハーフの子どもたちの話を耳にするようになった。
普段は中国でおばあちゃん、おじいちゃんに育てられ、
休みには日本で働く両親の元に戻る、という家庭もあり、
今回始めた老大の体験入学も半ば彼らに触発されたカタチだ。

先日の電話で老大の祖母から聞いた話では、
日本に行って2日目にはもう日本の小学校へと通学しており、
すでに友達もできて放課後を楽しんでいるらしい。
のびのびと楽しく暮らしている様子だ。
電話で私と会話する時間も惜しいくらいに(ちょっと寂しい)。
「上海に戻らない!」なんて言い出すのではないかと内心ハラハラもしている。

日本の小学校は、彼にとって新鮮なことだらけ。
今年の春もわずか5日間の体験だったにもかかわらず、
本人にはとても影響があったようだ。

老大の日本語読解法

体験入学中、一番につまずくだろうと思ったのだけれど、
意外だったことがあった。

老大は日本の漢字をあまり読めないし、書けない(はず)。
ひらがなはつたないながら(私としては残念なことだけど、普段の彼は字が汚い)
なんとか書ける程度…

家の中以外ではほとんど日本語に接触する事がない上、
休みの日以外、毎日が学校の宿題だけで終わってしまうものだから、
日本語の勉強はお世辞にも同年代の子どもに追いついている、とは言えない。
だから教科書も読めないんじゃないか、と心配していたのだけれど…

今年の春の体験入学の時、老大が私に教科書を読んでくれた。
立派な棒読みだけれど、教えた覚えのない漢字も読めていることに驚いた。

「これ、どう読むかわかるの?」と聞いたら、
まず漢字の前後のかなを見て、
次に漢字を中国語の意味で考え、
日本語の語感で全体の文章をつなげていくのだそうだ。

ややこしい…。

中国の漢字と同じものもあるし、意外にいけるよ、と自信満々。
「日本の教科書、漢字すくないね!」と笑っていたものである。
(小学3年生の教科書だし、老大の学校の教科書は漢字だらけだから、そりゃね…)
 

老大のカルチャーショック

体験入学時、彼がまず驚いたのは、日本の小学校の「算数」。

老大は小学3年生のクラス(日本の学年制でいくと当時2年生のはずだったが、何かの手違いで3年生に)に入れてもらったが、

「この内容、1年生の終りと2年生の初めにやったよ」と首をかしげている。

横から教科書をのぞいてみると、日本の教科書は中国のものと比べると、
内容的にとても簡単だし、見やすい。
息子の学校は算数にも力を入れているらしいが、
大体2学年くらいの差があることがわかった。恐怖…
「普段復習できる時間あんまりないから、日本に来て復習できてよかったね」
と言っておいた。
よい復習になった上、彼は自信をつけたようだ。

体験入学期間、喜んでみんなと同じ宿題をこなしていた。
楽しそうに宿題をする彼を見るのは何年ぶりだろう。
それが中国での学生生活との違いを物語っている。

冬に半袖半パンツの小学生」

さらに彼の驚きは続く。

「体育の時間、日本の小学校って服を着替えるんだよ!」
(中国では基本、着替えない。公立小学校では体操服を着て通学する学校もある)

「冬でも半袖着てる人がいる!(こちらでは冬で半袖はありえない!)」

冬にはセーター、シャツとあわせて4枚重ねで通学する子も珍しくない世界にいる彼にとって、これは衝撃だった。

実はこの「冬に半袖半パンツの小学生」は、
日本の子どもを表現する上で、上海の人々がよく口にすることだ。
老大と同じように、さぞやカルチャーショックだったのだろうな、と思うと可笑しい。

実は、私も通学中に半袖半パンツで駆けて行く子どもを見かけたとき
「まだこんな子どもいるんだ!」と嬉しくなった。

体験入学中には、先生からこんな微笑ましいエピソードも聞くこともできた。

体育の時間、彼は短期間の滞在で長袖しか持ってきておらず、
着替えの服もなかったのだけれど、

子どもたちが半袖半ズボンでいるのをみて、老大も長ズボンをたくし上げ、
長袖をまくって体育をしていたそうだ。

きっと周りのみんなに少しでも近づきたかったのだろう。
半袖を持たせてあげればよかった、と思った(冬の一時帰国ではあったけれど)。
今度はぜひ体操服、買ってあげよう。

上海の小学校では、「体育」は残念ながら重要視されていないようだ。
内容も充実しているとはいいがたい。
上海以外でもそうだと聞いたことがあるから、
中国ではそれが普通なのかもしれない。
実質的には何かあればすぐに削られてしまう「予備時間」という扱い。
テスト前には授業の延長にあてがわれ、いとも簡単になくなってしまうだけに、
彼にとって「特別な時間」という意識がある。
いつも忙しいスケジュールでまわっている上海の子どもたちの為にも、
リラックスできる体育の時間と内容の充実はとても重要だと思うのだけれど…
変わっていって欲しいものだ。

中国ではそんな感じだから、
体験入学の最初から最後まで、「体育の時間」の話題が多かった。
思い切り身体を使って体育をする、
それが彼の日常にないものだということをわかっているようだ。

今回の夏休みの体験入学では、どんなカルチャーショックを受けているのだろう。

こちらに戻ってきて、話を聞くのは楽しみだが、
私はまたちょっと心が痛むのかもしれない。



上海編 その5 ー 上海の夏休み



(写真)夕方の上海の公園。さまざまな年代の人々が集う

老大が帰ってきた

老大が日本から真っ黒に焼けて帰ってきた。
しかし日本での思い出に浸りすぎて、
こちらの学校の宿題のエンジンがかからないまま、
夏休みが終わりに近づいている。

親としては困ったことだけど、
それだけ日本が楽しかった、ということだろう。

私と老二、三は久々にひと夏を上海で過ごした。
老二や老三にとっては、上海の人たちとよりディープに触れ合うチャンスが多く、
友達も増え、思い出深い夏になったと思う。
そうしてふれあう中で見えてきた、上海の子どもたちの夏をご紹介する。

夏休み、どうやって過ごす?

上海の学校は6月末に終業を迎え、夏休みに入る。
9月の初めまでの、丸2か月が夏休みだ。

上海の子どもたちが夏休みに入る直前、
親たちはみんな、子どもたちの夏休みのスケジュールに頭を捻らせ悩ませていた。

「長い夏休み、子どもにどう過ごさせようか?」
親の悩みは世界共通のようだ。

上海には日本のように、夏祭りもなければ、花火もない。
中国の夏にはイベントがないのだ。
だからずっと、上海の子どもたちは何をして夏休みを過ごすのかしら?
なんて疑問に思っていたのだけれど、この夏、少しそれがクリアになった。

教育熱心な上海のお母さんたちは、この長い休みを乗り切るために、
子どもたちを短期や長期と、様々なスケジュールの塾や英語学校のサマースクールに参加させようと、
ネットでの検索やお母さん同士の情報交換に余念がない。

それでも夏休みの最初の頃は、
普段忙しく友達とゆっくり遊べない上海の子どもたちだから、親たちも何も言わず、
近所の子どもたちも老大と一緒に朝から晩まで遊びまわっていた。
やがてそれぞれのスケジュールが入ると、一人、また一人と遊び相手は少なくなっていく。

就学前の子どもたちには、スイミングスクール、絵画教室、ピンイン班などが
人気があるようで、どれも一応見学したことがある。
特にスイミングスクールのトレーニングが日本のそれと比べて
超スパルタなのには驚いてしまった。

自然と触れ合うチャンスのない子どもたち

夏の子どもたちの遊びといったら、海水浴、虫捕りなどといったイメージが
私にはあるが、上海では、自然に触れる機会は少ない。
沿海都市なのに、あまり海水浴にいく、という話も聞かない。
まぁ、これは近郊の海の色(茶色)を見ればちょっと納得がいく。

虫捕りなどして遊ぶ習慣もないようで、
以前、老大が街中で偶然捕ってきた「クワガタ」をみて
近所のおばさんが、
「これは馬のフンの中にいる虫に似ているわ…(なぜに馬のフンなのだろう?)」
と言って、コソコソと避けるように去っていった。

近所の子どもたちも見たこともない虫にびっくりして後退りするばかり。
クワガタを育てている我が家は奇妙に思われただろうか?

それでも毎年マンション内の池におたまじゃくしやメダカが放流されると、
子どもたちはこの時は!とばかりにバケツなどをもってすくっている。

しかし、「中国語でこの魚なんて言うの?」と近所の子にメダカを差して問うと、
大真面目に「小魚!」と答えが帰ってくる。

隣に付き添う大人たちは子どもの安全に目をくばるのに必死で、
魚どころではなさそうだった。

子どもたちの娯楽から見える、変わる上海

変わったな、と思うのは、ごく自然にプール遊びをする子どもたちが増えたこと。
5年程前までマンション内のプールを利用する子どもたちは本当にまばらで、
就学前の子どもたちだと下着のパンツでプールに入る子も多く、
軽くカルチャーショックだったことを思い出す。

数年ぶりに利用した公共のプール(室内)も
設備が綺麗になり、ずいぶんと衛生的になっていた。

年々気温が上がっていることも影響しているのかもしれないが、
色とりどりのかわいい水着を着て、楽しそうにプール遊びをする上海の子どもたちを見ていると、
豊かになった、と思わされる。

今年、一般サラリーマン家庭が多い周囲でよく聞いたのは、
「香港ディズニーランドに行く」という言葉だった。
上海から来た人だけで、香港ディズニーランドを埋め尽くすのでは、と思うくらいだ。

日韓への船の旅、青島のリゾート地など、行き先も様々だけど、
子どもたちの夏休みの旅行が豪華になっているのは
私の気のせいではないと思う。

夏休み、世界中に上海のファミリーが散らばる日が来るのも、
そう遠くはないことだと思った。



上海編 その6ーデモの中、病院へ その1



(写真)上海の老舗病院、華山医院(実際に行った病院ではありません…)

戦争、ですか!?

その日、メインストリートを友だちと歩いていた。

2、30代くらいの男性たちが引く廃品を載せたリアカーが何台も通り過ぎる。
いつもと違うのは、その男性たちのうちの一人ひとりが
すれ違いざまに覗き込むように、じっと私と彼女の顔見ることだ。
華僑である友人とは中国語で話していた。

友人は「気味悪いね、なんなんだろ」と話す。

その言葉を聞いていたのか、男性の動きが一瞬止まった後、またリアカーを引き始めた、
通り過ぎざまに聞こえた言葉は、
「なんだ老外(外国人という意味。日本人は一般的に含まれない)か」
その男性と目があった私は、そのギラギラした目付きに正直、おののいた。

その日の朝、日本人が暴行を加えられたという
報道があったばかりだった。

たった数日前から、街の色までが暗く変わってしまったかのように思えた。
最低限の買い物を済ませたら家に戻る、そんな日が続いていた。

在上海日本領事館でデモがある、という情報が流れた当日。

銀行に用事があったので、
中国系銀行ではないし、大丈夫だろうと自転車を飛ばした。
タクシーに乗る距離でもなかったし、その気にもならなかった。
乗車拒否されたとの情報も聞いていた。

いつも私を担当してくれる日本語が流暢な上海人のお姉さんは、
私を見つけるなり、
「こっちに来て、takoさん!」と
小声で手招きした。

いつもは朗らかな彼女が
緊張した顔つきで小声になっている。

「うちは中国人のお客さんも多いからこっちで」
と、個室に通された。

どう取ればよいか、頭を整理しつつ個室に入ると、

「ここまでくるの、大丈夫でした?
実はうちの銀行の支店の前で大声で叫んでいる人がいて。
日本の銀行と勘違いしてたらしいんです。
それで銀行内に注意令が出ているんです」

あきらかに文化程度の低い人たちの行動だね、と、
彼女と笑っていると、急に彼女は真面目な顔になった。

「でももし戦争になったら、こちらでは情報がコントロールされて
いるので、日本のほうがニュースが早いと思います。
何か情報があったら早く教えてもらえますか?」

びっくりしてしまった。
「戦争」という言葉なんて、今の日本人には一番遠い言葉だろう。

でも彼女の顔は本当に真面目だった。

「もちろん、そうならないといいですがね…」

急速な経済発展を遂げている、国際都市の
外資企業勤務の若い女性が発した言葉だった。

家に戻って、ネットを見ると、
今度は青島のデモの暴動の報道。

改めて、日本と自分がいる国の思考の違いを思う。
「日本の教科書には<愛国>なんて言葉は出てこない」
そう言った時の銀行員の彼女の驚きの顔を思い出した。

その夜、
ダンナ様と今日あったことも含めて夜更けまで話し合った。

そして、在上海日本領事館の9・18デモ予告の前日…。

こんな時に限って…(親の本音) 前日から、老大の様子が変だった。 「なんか息をするとお腹痛いんだよね」 と肩を回したり、腰を回したりしていた。 最近、よく口にしていたので気になっていたのだけれど、 こんな時でもあるし、 「今、病院にわざわざ行かなくても」 と老大の様子をみることで一時的に この問題は決着していたのだけれど…
週末の夜8時をまわった頃、老大は本気で痛い、と言い出した。 触ってみると、右横腹がポコッとちょっと腫れているような気がする。 これはもしかすると「虫垂炎?」じゃ? 経験のない私には判断もできない。 あーでもない、こーでもない、とダンナ様と話し合った後… 病院に連れて行くことになった。 この時間では日系のクリニックなど空いてないだろうし、 もし虫垂炎であったとして、手術が必要となれば、 どちらにしろローカルの病院への転院が必要になる。 そこで時々通っていた台湾系の病院へ。 最近場所を移転して、救急病棟もできたと聞いていたので、 さっそく電話。 「虫垂炎の疑い?では今すぐ来てください。」 とのこと。 痛がる老大を横にして、 私とダンナの話し合いが始まった。

どちらが連れて行く?

「さて…どちらが連れて行く?」 子ども3人を連れて救急は面倒だ。 必然的にどちらかの担当となる。 「やっぱりお母さんがいいんじゃない?」 すかさずダンナが突っ込む。 「でも、こういう時だし、車あるし。 あなたが便利でしょう?(日本車だけど)」 普段は中国語のレベルと経験から、 病院担当は私となっている(らしい)。 しかし、今回は私の言葉になぜか納得したダンナ様が、 中国語に不安を残しながら(滞在年数は私より長いのに…) すごすごと老大を連れて出ていった。 ダンナ様、初めての中国の救急体験。 夜の病院に潜入!ってか? 心配だ… 以下次号!



上海編 その7 ー デモの中、病院へ その2



(写真)自宅近くにある区立の「地段医院」、地元の老人の利用が多い。隣接する産科医院の横に小さく「救急」の看板は出ているが、院内にはひとけもなく、機能しているとは考えられない…

前回までのあらすじ
2012年9月、日中関係の悪化から不穏な空気が流れる中、老大が病気に。
デモがあるという前日、病院に向かうダンナと老大だった。

病院をたらい回し?

 しばらくして、台湾系の病院についたダンナ様から電話があった。声がちょっと緊張気味だ。「なんか診れないらしい」「虫垂炎かどうかも分からないの?」「ここ、外科の先生も内科の先生もいないんだって」「ええ?」「これから家の近くの総合病院に行く!」…せっかく行ったのに!それで救急が成り立つのか…「気をつけて!」おもわず、私も声がうわずる。我が家の近くには3つほど総合病院があるが、その中でも比較的綺麗な病院をダンナ様は選んだようだ。何かあったらダンナ様と交代して動けるようにと急いで老二、三を寝かせる。何か起きているのを感じるのか、大興奮で目がぱっちりな二人…寝ない!そんなこんなしているうちに、1時間ほど経ってダンナ様から電話がきた。「何言っているのか分からない、聞いて!」いきなり会話が中国語になる。「ウェイウェイ?ご家族の方ですか?」どうやら女医さんらしい。「はい、そうです。息子はどうですか?」「今、エコーを取ってみたのですが、まだ異常は見られません。もしかしたら胃腸炎かもしれないけど、うちには内科も外科の先生もいません。児童病院の方でしたら内科も外科もあるし、両方診てもらえるのでそちらに行かれたほうがいいと思います」丁寧な中国語だった。でも…ここもまた外科も内科の先生もいない?ここは総合病院では?この国の救急のシステムはどうなっているだろう?ダンナ様に変わったところで手早く説明すると、「やっぱりそうか!じゃあこれから児童病院へ移動します!」プツッと電話は切れた。一瞬、頭をよぎったのは、老大、ちゃんと生きてるかな…ということだった。
 
テキパキした児童病院のスタッフ

 やはり子どもの病気とくれば、児童病院なのか?児童病院といえば、いつも人で混み合っている。中国中の子どもたちが集まってくる病院。「並ぶ」という言葉とは無縁の診察システム…つまり私にとって、できれば極力足を踏み入れたくない場所だった。我が家から一番近いこの児童病院は、夜だと車で20分ほどだろう。老二の水疱瘡の時に、この病院にお世話になったことがあった。当時見た救急の様子はまるで「野戦病院」のよう、

 冬の風邪が流行っている時期でもあり、いたるところで子どもたちが咳をし、またはぐったりしながら吐いていた…発熱の子どもたちと分けている様子もなく、それもちょっとしたスリルだった。水疱瘡を治す前に他の病気をもらいそうだ…と戦々恐々していたことを思い出す。あの病院に連れていくのか。ただでさえ、日中関係の悪化している中、地元の病院に連れて行くのは不安だった。ダンナ様の中国語もそうだし、名前を書けば、一発で日本人、とわかってしまうだろう・・・巷ではいろいろと在上海日本人に関するニュースも話題になっていた。
 
ダンナ様、大奮闘!

 ダンナ様から電話がかかってきたころには夜の12時も過ぎていた。「今またエコーを取って、検査もしてみたんだけど、今のところ正常値みたいで。でも子どもの場合、数時間で状況変わることもあるし、お腹まだ痛いみたいだから、救急の処置室で点滴を打つことになった。朝にもう一回検査をしてそれでどうなるか、決まるっていうことで。朝までついておくので。」という答えだった。あのプレハブ救急の片隅にある処置室(ズラッとベッドが並んでいる部屋)で朝まで…かぁ。人は多いんだろうか?横になるところはないだろうし…手想像してみる。病院の対応がどうか、など具体的に聞く暇もなく電話は切れた。わざわざ院内で日本語をおおっぴらに話すのも憚られるだろう、と電話をするのもやめた。その日はなんとなく眠れず、ネットを見ていた。ネットの画面には「1000隻以上の船が尖閣を目指している」のニュース。ああ、落ち着かない!夜は長く、朝方やっと眠りについた。
 
ダンナ様、大絶賛!

 朝の9時過ぎ、2人は帰ってきた。老大も元気そうで、顔色が良くなっていた。「どうだった?」と聞くと、「薬飲めって。また痛くなったら手術するからすぐに病院に来てくれって言われた」「結局、何だったの?」「分からない。でも一応薬もらった!」いい加減な答えにため息をつく。でも2人とも満足そうだ。一息ついたダンナ様に立て続けに聞いてみた。「病院、どうだった?先生の対応は?」「いたって普通だった!」即答だ。「まったくなんにもなかった!それどころかみんな優しかったよ。検査とか勝手がわからなくて困ったら、すぐに看護婦さんが駆けつけてくれて、教えてくれたし。こまめに見に来てくれていた。とにかく、みんなテキパキしていて気持よかったよ。」緊張していたのもあるのだろうけど、それでも対応は気持ちの良いものだったということだ。一般的に病院には家族一同で来る場合が多いのが、この国の事情。お父さん一人が子どもを連れてきている、それは上海の医療現場の人にどう映ったんだろうか?なにか作用しただろうか?とにかく、何よりも順調に帰ってきてくれたのは嬉しかった。

思わぬ副産物!?

 もっとも、不安な夜を過ごした価値(代価)は別のところにもあったようだ。「これでもうよく分かった!これからは病院は俺に任せておけ!」とのダンナ様の力強いお言葉。ここまでダンナ様に自信をつけさせてくれた、上海の医療関係者の方々にもあらためて敬意を表したい気持ちになった。


上海編 その8 ー 消えゆくサンクチュアリ



(写真)海で遊ぶ老一、老二、老三


いつもの風景…じゃない?

ザザーン、ザザーン。
初秋の海、高台にたつ海岸沿いのホテルに着いた。

部屋からみえる、いつもの風景に子どもたちがはしゃぐ。

居ても立っても居られず、荷物を置いて、
我先にと海岸に降り立った子どもたちが足を止めた。

「いつもの砂浜じゃない!」

後ろから覗き込んだ私も思わず「あっ!」と叫んでいた。

いつもの「白い」砂浜が、砂利だらけの「黒い」砂浜に変身していた。

いったい何が起こったというのだろうか…

私とホテルの十数年

10月の初め、中国には「国慶節」という連休がある。

ここ数年は、政府の政策によって短くなっていたのだけれど、
今年はなんと8日も続く大連休になった。

この時期航空チケットは高額になるし、人数が増えたわが家は
ここ数年、移動が便利な自家用車で国内に旅行することが多くなっている。

そんな国内の旅行先には、いきつけの場所がある。

上海のお隣の浙江省という行政区の海のそば、
目の前が海岸というロケーションの国営ホテルだ。

ダンナさんと結婚する前から訪れていた場所なので、おつきあいの歴史は長い。
上海から車で行けるというロケーションは貴重、
ずっと通っているものだからホテルのマネージャーさんとも顔見知りになった。
何よりも通っている間、スタッフが変わらないので、
一人ひとりがわが家の歴史を見守ってくれている、
なんてアットホームな気分になっている。

2008年に杭州湾大橋という橋ができてからは
さらに交通の便利が良くなった。
以前はフェリーに乗り換えて島に渡っていたのだけれど、
これが休みのたびにひどく混み、待ち時間が数時間にわたる重労働な旅だったことを思い出す。



(写真)開発されて行く浜辺




急激なリゾート化

10数年前、初めてこの地を訪れた時には、
上海近郊の茶色の海とは違うブルーの海に感動を覚えたものだった。

当時は海岸線に軍の演習基地があったり、
海岸を走る軍隊の姿などがあったりとリゾート地という雰囲気には程遠い、
海鮮を売りにする屋台だけが呼び物の小さな漁村だった。

それが数年前からホテルの周りの海岸線にびっしりと別荘が建ち始め、
去年にはいままで人影もまばらだった海岸にワンサカと人があふれていた。

キャンプ地として注目され始めたのだ。

キャンプが手軽なレジャーとして定着し始めたのも、
ここ2,3年といってもいいと思うが…

その他にも、軍の演習基地として、そこここに洞窟があり
不気味な雰囲気を放っていた山側は「保護地区」となり、
公園として有料となった。(しかも高額)

しかし元々ガタガタだった山道は綺麗に舗装されたが、
道路の横の山際は切り崩されたまま、山水が道路に流れ出ている。
雨の日なら土砂崩れが起きそうだ。

綺麗になったはずなのに…突然に壊されたかのような自然の姿が痛々しい。
なにが「保護」されたのだろう。

そして…

目の前には砂利&ゴミだらけの砂浜。

半年後、ここはどうなっているんだろう。

波打ち際で、穴を掘っていた老二が言った。
「お母さん、砂の下が固い」

よく見ると、粘土だった。

いままでは砂浜の下に粘土層があるなんて
気づいたことはなかった。

掘っても、掘っても、砂だったはずだ。

半年前に来た時にも気づかなかったことだ。
いったいなにが起こっているのだろう?

表面を剥ぎ取られたかのような砂浜の姿は
本当に痛々しかった。
たった半年でこうなら、
これからどんな風に変わっていくのか。

砂浜がなくなってしまう?
そうしたら、このリゾート地の価値はどう変化していくんだろう?

ただ楽しむはずだった旅が、
考えさせられる旅に変わってしまっていた。


上海編 その9ー老大の学費の値上げ



(写真)小学校の授業風景


老大の学費の値上げ

 現在、5月に入ってゴールデンウィークを終えようとしているが、老二の学校探しも佳境に入ってきている。が、一番の問題は「学費の値上げ」だったりする。

 上海のインターナショナル系の学校の学費はうなぎのぼり。老大の小学校も例外ではなく、今年また学費が値上がりする。老大の学費は、入学当時に交わした契約書のおかげでそのままだが、もし老二が今年この学校に入学すれば、彼の学費は2倍の額となる。兄弟割引があるとのことだけど、この老大と老二の学費の差はどうなるのだろうか。担当の先生もちょっと苦笑いしながら、

 「新価格の学費からの割引になります」という。

老二、老三の幼稚園でも…

 老大の時からずっと値上げがなかった老二、三の幼稚園でも
今年は一気に値上げの波がきた。

 以前密かに存在した兄弟割引もなくなった。
 こっそり聞いてみると、
「今年は兄弟が多いのよ。それでも文句は出てないわ」
とバッサリ…そんな理由で?

 幼稚園の対応は、人気が上がってきたせいか、
「気に入らないなら、ほかを当たってください」
と言わんばかりの態度でいたって強気。

 家から一番近くて、内情もよく知っているこの幼稚園。
悩んだものの、他に候補もないので折れてしまった…。

現場と連動してない?上海市政府の教育指導

 ところで、上海では私立も公立も
教育内容はそれぞれの学校が所属する区の教育局の規定に
従わなくてはいけないことになっているらしいのだが、
この規定が毎年コロコロ変わる。
またこれが現場の混乱だけを招いているようなもので…。

 老大の時には「幼稚園ではピンインを教えてはならない」という政策がでた年もあり、先生も困惑していたことを思い出す。

 そこで、ほとんどの子どもたちは家庭でピンインの教育をされていたらしいのだが、
まったく鈍感な親をもった我が家の老大はピンインの基礎のないまま小学校に入学することとなり、いまでも「ピンイン」が苦手だ
 
 ピンインとは中国語で「拼音」と書く、中国語の発音をアルファベットで表現したもの。
上海の小学校では、「ピンイン」の学習は「入学以前に教育されてきている」前提で進められており、あくまで「復習」の意味でしか触れられない程度のものだったらしい。
政策はあくまで「建前」でしかなかったらしいのだ。
暗黙の了解というものが、当時の私にはわからなかった。

 さて、今年はまた「幼稚園でテキストを使って授業をしてはならない」という
政策がでたらしい。

 老二、老三の幼稚園では、幼稚園独自のテキストを使って教育をしていたため、
今学期から教材は「外注」となります、と説明があり、
半強制的に別途教材費を取られた。今までの学費に上乗せされたのもまったく納得がいかない。
なにより不思議なのは、このことに対しての文句がでなかったことだ。

 日常生活では、ことあるごとに、クレームを入れ、交渉勝ちしようする上海人も、親として「わが子の教育」に関しては手も足もでない状況なのか。

 こういう時こそ、その交渉能力を発揮して団結してほしいところなのだが…。



上海編 その11ーかすんだ街で



(写真)朝もや…それともPM2.5!?霧の向こうにはビルが立ち並ぶ


老大のマスク

PM2.5が騒がれて久しいが、我が家も遅ればせながら、毎朝とあるサイトで数値をチェックするのが習慣になってきた。
老大はその数値と朝の風景を見ながら、マスクをつけるかどうかを自己判断して登校するようになった。スクールバスにはマスクをつけている子などいないのだけれど…。
老大は「みんななんで気にならないの?こんなに喉がイガイガするのに〜」と、ひとりPM2.5対応の大げさなマスクをつけて乗り込んでいるが、おっちょこちょいの老大のこと、よくマスクを学校に置き忘れて、私に怒られている…。

さわやかマラソン青年のつぶやき

ほぼ毎朝、エレベーターで出会うジョギング上海人青年がいる。いつもエレベーターで、市場から買い物帰りのおばちゃんたち相手に上海語で親しげに話してしている姿をみると、いまどき珍しい好青年だな、と思う(私もおばちゃんみたい)。
うちのマンション棟は2基のエレベーターがあり、ひとつはガラス張りになっていて外が見えるようになっているのだけど、この朝は向かいのビルでさえかすんでいて、私は思わず「今日もまた空気が悪いよ…」と独り言のようにつぶやいてしまった。
それにすばやく反応してくれたのがこの青年で、パッとポケットからスマホを出して「あ〜、今日は数値が高いよ」と言った。
彼の言う「数値」がPM2.5の事だと気付いた私が、「どこのサイト見てるの?」と聞くと「○○領事館のだよ」という答えが返ってきた。
自分がチェックしているサイトと同じだったので、親近感がわき、話しかけようとした直後、またさわやか上海人青年はスマホを取り出して、パパッと手を動かしたあと、私の方を向いて笑った。
「中国のだと、数値が低いよ。これだから信じられやしない」
ネット世代の若者たちの言葉には、しばし国への不信も垣間見えることが多くなってきたことに気づくこの頃。
傍で聞いていたおばちゃんは、何を話しているのかわからないようで、怪訝な顔をして私たち2人を見まわしながら、エレベーターを降りて行った。
こんな空気の悪い中、毎朝ジョギングを続けている青年の身体も他人事ながら気になる…。早く彼が気持ちよいジョギングできる朝を迎えられる日がくればいいと願うばかり。

かすむ運動場

普段、老大はスクールバスで学校まで通っているのだが、
今学期から毎週木曜日の放課後、学校側から提供される「興趣班」と呼ばれる選択授業でテコンドーを習っているので、毎週老二、三を連れて老大の学校まで足を運んでいる。
この木曜日も老二と老三を連れて、彼の小学校に乗り込んだ。地下鉄の駅から降りた途端、ちょっと「埃っぽい」気がした。歩いて数分、小学校に入ると、老大はテコンドーを終えていて、運動場で遊んでいた。
運動場に入ると、目の前のさえぎるものもない運動場が白くかすんで見えた。
なんだか喉もどんどん痛くなってくる。これは大変だ、と老大を呼び戻して、そそくさとその場を去った。運動場ではまだ20人以上の子どもが遊んでいた。
帰ってからあるサイトでPM2.5をチェックすると、数値は180以上。すでにレッドゾーンを超えて、パープルゾーン。
日本で外出を控えろという数値が35と聞いたから、これがどういう程度のものかわかってもらえるだろうか。
その直前、老大の学校の教室には空気清浄器(親側が寄付)が取り付けられ、植物が増えた。
子どもたちが遊ぶ運動場がコレでは、本当に心配だ。
ただでさえ少ない体育の授業、屋内でさせてもらえればいいのだけど、これを理由に体育の授業が減らされる可能性もあるだろう。
中国の学校では、何か授業に遅れがでると、一番に体育の授業がつぶされてしまう。これ以上子どもたちの楽しみが削られるのはかわいそうだ。