Vol.2  美容サロン経営(北京和僑会理事)北京朝倉時尚形象設計有限会社C.O.O・ディレクター 朝倉禅(34) 

1人め:ウホイウェン 吴恵文(ファッション誌『昕微』(ViVi) 中国版編集長) 
「カワイイ」を追求する女性編集長。
志をともに、ファッション誌のパイオニアと階段を上がってきた




(写真)朝倉 禅


<プロフィール>

あさくら・ぜん。1977年香川県生まれ。高校から渡英し、有名デザイナーを多数輩出している伝統校・セントマーティンズ大学で2年間学び帰国。地元・高松市で父親が経営するアサクラ美容室に4年間勤めた後、2004 年、北京にアサクラ・インターナショナル・北京オフィスを設立し、進出。中国最優秀ヘアスタイリスト受賞。「ニューズウィーク」誌で「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。ファッション、雑誌、ショープロデュース、スクールなど美容の枠を超えた幅広い分野で活躍する

 
 イギリス留学から地元・香川県高松市に戻った1997年、朝倉は20歳。父親が経営するワン・デイ・スパ形式の総合美容サロンで働きながら、将来のめざすべき方向を模索していた。「今後、日本で勝負すべきか。それとも海外で勝負すべきか」。中国で美容ビジネスに踏み出すことを決心する。
 2004年、朝倉は中国の首都・北京で約30人のスタッフとともに日本人美容師による美容サロンASAKURAをオープンした。
 中国人の所得上昇や前年比20〜30%の経済成長率を背景に美容市場が猛スピードで発展していく中、ASAKURAは技術、提案力、そして巧みなメディア戦術によって存在感を増していく。
 7年後の今、美容だけでなくファッション、ライフスタイルなどトータルでおしゃれを楽しみ始めた中国女性達に呼応するように、朝倉もビジネスの多角化に向けて舵を切ったところだ。
 朝倉は、この7年、いったいどのように中国人顧客の心をつかんできたのか。

 
BillionBeats(以下BB):日本で事業拡大を図るのではなく、海外で美容ビジネスに挑戦しようと思ったのはどうしてだったんでしょう?

朝倉:父は2代目として、美容室にレストランやスパなどを併設したワン・ディ・スパ形態の総合サロンをある程度形づくっていました。次世代である僕が事業を引き継いで発展させていかなければならないと考えた時、香川という地域でのブランド力はあったとして、香川で店舗を増やすのか、他都市に進出するか、どちらにせよ、日本で結果が出せるのか、疑問でした。東京や大阪に出店したとしても恐らく2、3店どまり。もっとやりがいのある場所、美容ビジネスの広がりを出せる場所は一体どこだろうと考えた結果、海外で勝負しようという答えに行き着きました。そしてリサーチのためにアジアの都市を見て回り、北京を選んだんです。

 
BB:なぜ、アジア地域、そして中国だったのですか?

朝倉:海外に進出するならヨーロッパではないと思っていました。イギリスはじめヨーロッパは美容の概念がある程度完成している成熟市場ですので、よほどニッチな部分を攻めていかないと入り込むのは難しい。僕は、やりたいことが伸び伸びとできる場所で思いっきりチャレンジしたいと考えました。ヘアスタイリングによる表現の本流を追求できて、なおかつ日本のスタイルを最大限に生かせる場所、そしてそれがビジネスとして成立する場所はと考えると、やはりアジア地域です。香港やタイなども視察しましたが、中国に将来の可能性、美容業界の発展性を感じました。例えば、日本の女性ファッション雑誌の中国版では大々的に日本のスタイルが紹介されているのを見て中国女性のヘアスタイルやファッションが明らかに変わろうとしているのを実感し、自分がやりたいことを中国できちんと形づくっていけば、この国の美容業界で自分たちのポジションを築くことができると確信したんです。

 
BB:中国の都市の中でもなぜ上海ではなく北京を選んだのでしょう?

朝倉:中国で美容ビジネスを立ち上げるからには、中国に来た日本企業というスタンスではなく中国の企業として中国全土でASAKURAブランドを確立し、根づかせていきたいと思いました。
どの都市に進出するかを考えた時、まずはじめに名前が上がるのはやはり上海。経済都市・上海は、ある意味すでに完成されています。上海で出店ができたとしても、その後中国のほかの都市に進出する場合、上海で展開したビジネススタイルが通用するかは別だと思いました。
上海は人の流れが重要です。人の流れを読んで建物を造り、建物の力によって人が集まるというようにして人の流れをつくっていきます。また、外資企業が多いため、中国の都市の中では最も外国人客の獲得が容易なエリアでしょう。でも、上海で成功しても「それは上海だからでしょ」で終わってしまいます。上海という都市の特殊性の上に成り立つ成功でしかない可能性があります。その意味で、上海は僕らの選択肢ではないと判断しました。
また、ASAKURAブランドの価値を高め、全土に広げていくためのプロモーション活動を行う上でも、多くのメディアが集まる北京は魅力的でした。カラーやパーマをする人々はまだまだ少なかった北京の市場に成長性も感じました。ASAKURAの特長である日本のスタイルを打ち出していくならやはり北京、ここで成功すれば、中国の他都市でも認めてもらえるという読みがありました。
 




(写真)開店したばかりのASAKURA。三里屯から少し奥に入ったところの2階建てビル。


 
 北京・三里屯エリアにオープンするにあたって、朝倉は自分のスタンスをプロデューサーと定めた。店舗の運営、技術管理、PRなど、必要な場所にそれぞれ適した人材を配置し、陣頭指揮をとる。中でもメディア戦略には力を入れた。
 2004年7月、オープンセレモニーとして約20の中国メディアから約200人の関係者を招待して大々的なショーを開催した。そのショーで、ASAKURAの対中国の姿勢をアピールし、本気で中国市場に入っていこうとする日系美容室として認知される入り口をつくった。

 
 
BB:華やかなデビューを飾ったわけですが、プロデュースはどなたですか?

朝倉:僕自身です。
僕が留学したロンドンの美大からは、アレキサンダー・マックイーンをはじめ世界的なデザイナーやアーティストがたくさん生まれています。僕もアートへの興味から、漠然とアーティストを目指して入学したんですが、クリエイティブの次元が違いすぎるクラスメート達に圧倒されてしまったんです。到底普通じゃない、天才という言葉が当てはまる人が多すぎて、勝負してもムリだなと思わされました。ここでの2年でアーティストとしては自分が凡人だということをつくづく自覚しました。
では、自分をどのようにプロデュースしていくか、どうやって目立っていくか、ちゃんと認めてもらえるかを考えた時、自分ひとりでやっても勝てないなら、自分ができない部分はそれができる人たちと組んで「集合体」で勝負していけばいいということに気づいたんです。つまり、僕はプロデューサーとして勝負しようと思った。
スタッフ達にそれぞれの持ち場で能力を発揮してもらってプロデューサーとしてASAKURAという複数の人間の集合体による作品をつくろうと考えたんです。

 




(写真)北京に出店して間もない2004年7月、メディア20社を招いてショーを開催。 ここで吴惠文と出会った


 ショーの招待客の中に、昕微ViVi 中国版編集長のウ・ホイウェンがいた。
 当時は中国のファッション誌自体が少なく、ViVi中国版の内容も日本で流行っているファッションやヘア、メイクの紹介がメイン。中国で制作したページと日本で制作したページとではつくり込み方やスタイリングが異なるため、どこからが中国で制作されたページか一目ですぐ分かるといった感じだった。
 日本のスタイルを中国で広めたい朝倉と、読者に喜んでもらえるオシャレでカワイイ雑誌をつくりたいウは、その場で意気投合した。

 
 

朝倉:彼女は30を過ぎたくらいの若い編集長でした。中国の読者に日本のスタイルを伝えたいという思いを持っていた彼女と僕とで、店がオープンした1週間後にはもう一緒に撮影をしていました(笑)。ViVI中国版の誌上で、ヘアスタイリングを提案するページを僕ら主導でつくらせてもらうことになったんです。僕をはじめ、ASAKURAのスタイリストが誌面に自分の顔と名前を出して、ヘアスタイリングについて説明しました。
中国ではヘアスタイリストは裏方でしたが、僕らは積極的に表へ出ていこうとしました。というのも、中国には美容学校も美容師の国家資格もなく、社会的な位置づけが低い。そのため、最初僕らは大卒の中国人を何人か採用したのですが、本人は日本の最先端のファッションに関わる仕事に意欲的なのに、親に「なんで大学まで出て美容室で働くのか」と猛反対されて辞めざるを得ないというケースがありました。
その時、美容師の社会的位置を上げていくような取り組みをしなくてはと感じたんです。僕らが表に出ていって発信し、美容師の仕事の魅力が伝わっていくようにすることも必要だと思いました。
ViVi中国版に参加し始めた7年前、僕達には力不足な面もあったかもしれませんが、彼女は僕達を信頼し、僕らからの提案や意見を積極的に取り入れてくれました。
4年前には中国の美容室として初めてヘアカタログを出版することができました。現在もViVi中国版には関わり、同誌モデルの審査員も務めています。

 
BB:なぜ、ASAKURAのスタイルが受け入れられたと思いますか?

朝倉:それまでは日本のスタイルを中国人に合う髪型におとし込める人がいなかったんだと思います。僕達がつくるスタイルは、日本人から見るとラインをちょっと出しすぎと感じるかもしれませんが、同じカットでも、ややラインがはっきり出るようにした方が中国人は日本のスタイルを感じます。ラインを出し過ぎても日本流のままでもダメ、ニュアンスの足し引きの加減が大事なんです。
そして僕らはヘアに限定せずディレクションやスタイルにも積極的に関わってきました。試行錯誤を繰り返しながら中国人が思う「カワイイ」をつくり続け、今はASAKURA流スタイルと評価していただいています。

 
BB:ASAKURA流スタイルをつくるのに、ViVi中国版を通したウ編集長との関わりはどう影響していますか?

編集長とは、単なる雑誌づくりというより中国での日本のスタイルを一緒に創造してきたと自負しています。編集者と美容師という関係を超えて、お互いがビジョンに基づいてどう展開していくか親身に相談し合う仲間です。ViVi中国版は発行部数が40万部だったのが、今では120万部。一緒に高め合ってきて、彼女の雑誌はここまで成長し、僕らはASAKURA流スタイルを確立することができたんです。
オープン当初に志をともにする仲間と出会えたこと、目標に向かって一緒に仕事ができたことは、本当にありがたい。彼女との出会いは、現在のASAKURAにとって何ものにも代え難い契機となったと言えます。(文中敬称略)

 
 
2人め:ヤン クン(楊坤) C-POP歌手
ショー出演依頼を快諾した実力派歌手。
C-POP界を生き抜いてきた彼からメディアでの“自分”の見せ方を学んだ

 
 朝倉は中国進出当初から積極的にメディア展開に取り組んできた。ASAKURAの顔として表舞台に出続けることは、中国でより多くの人々にASAKURAを知ってもらう最も効果的な戦術だった。
 オープン時にメディアを招待したショーが成功し、朝倉は、今度は中国美容業界での認知度向上に向け、新たな試みを実行に移す―。

朝倉:ViVi中国版をはじめファッション誌に露出していったことで、中国のファッション業界や芸能関係者が多く来店するようになりました。でも、彼らはASAKURAを日本人スタイリストがいる日系サロンとしか捉えておらず、中国企業としてASAKURAのブランド価値が上がったわけではありません。一方で、将来この国で美容ビジネスを広げていくうえで中国での美容師の地位向上と技術向上は欠かせないと考えていたので、僕達が高い技術を持っていることを中国の美容業界の人達に知ってもらい、ASAKURAの認知度を高める必要があると考えました。
自分達で積極的にショーなどのイベントを展開していく中、オープン1年後の2005年8月、美容業界の大きなイベントに参加することが決まりました。国際展示場で3日間にわたり行われるそのイベントには中国国内から美容関係者が集まり、連日さまざまなショーが行われるといいます。僕らはそこでASAKURA独自のショーを行うことにしました。
そのショーで、僕はサプライズゲストを迎える演出をしたいと思いました。そしてダメもとで提案したところ、快諾してくれたのが、中国で有名なC-POP歌手のヤンクンさんなんです。
当日、会場でショーがクライマックスを迎えた時、突然ヤンさんが舞台に現れると会場は興奮した観客でパニック状態になりました。彼は僕と握手したり肩を組んだりして、自分がどれだけASAKURAを信頼しているかを会場の人々にアピールしてくれました。まさか有名歌手のヤンクンが来るとは思っていなかった観客は、度胆を抜かれていました。
「ASAKURAの技術は中国の人にも絶対通用するし、中国でナンバー1の美容室になる」
そうヤンさんはその大観衆に向かって高らかに宣言してくれました。
美容業界でASAKURAを知ってもらうきっかけになり、また、そのショーの後にはますます多くの人がきてくれるようになったんです。




(写真)北京の国際展示場で開かれた美容業界イベント。緑色のシャツの男性が杨坤


 
BB:ヤンさんとはどのように出会ったんですか。

朝倉:芸能関係のお客様からの紹介で、来店してくださったのがきっかけです。でも僕は彼が有名な歌手だと知りませんでした。中国語が話せなかったので、通訳を介したりジェスチャーを使って会話をしながら意思疎通を図っていました。それでもこんなに親密になれたのはきっと波長があったんだと思います。
何度も来店されるうちに、お互いの仕事やプライベートなどいろいろな話をするようになりました。僕は、中国でこれから新しいヘアをプロデュースしていきたいこと、一般の方に発信するだけではなく多くの中国人美容師にも知ってほしいと願っていること、自分達の技術を広めて中国の美容業界自体をよりよくしていきたいと考えていることなどを伝えていました。
オープン以来、いろいろな場所でショーを開催していましたが、そのイベントは中国の美容業界にアピールする絶好のチャンスでした。せっかく参加するなら、何かサプライズ的なものができればとヤンさんにゲスト参加をお願いしたところ、二つ返事で、それもノーギャラで引き受けてくださったんです。きっと、僕の思いに共鳴していただいたのだと思います。
 
 
 ヤンは中国大陸を代表する歌手である自分がショーに出演することの影響と効果をわかっていた。朝倉は、ショーでのヤンクンの“見せ方”を通し、少しでも多くの人に認知してもらうためのプレゼン方法、トコトン表に出て名前を覚えてもらうことの意味を学んだ。

 
BB: ヤンさんが出演したことはショーにどんな影響を与えたのでしょう?

朝倉:ヤンさんには本当に感謝しています。僕らは自分達の技術に自信を持っていますが、それだけではきっとショーは満足いく内容にはならなかったと思います。ヤンさんは、メディア上での自分の見せ方を知っていた。それをショーで目の当たりして、自分が中国でどのようにASAKURAを見せていくか、ヒントを得たような気がしました。また、その後の来店客の増え方からも、中国では人とのつながりや口コミでどんどん情報や関係が広がっていくことを実感したんです。芸能関係だけでなく、他の業界の方々、陸上選手の劉翔さんも世界大会で世界新記録を出した前日に来店されてから、その後も験担ぎにわざわざ来てくださるようになりました。

 
BB:ヤンさんを引きつけた朝倉さんの魅力は何だと思いますか。

朝倉:それは僕達が持っている提案方法、技術の高さにあったと思います。僕自身、最初ヤンさんが芸能人だと知らなかったし、中国の芸能人に対して先入観がなかったので、サロンにいらした時のヤンさんの雰囲気によって、似合うと思うスタイルを率直に提案してきました、当時、中国の美容師はお客様に何も提案をせず勝手に切って「はい、できあがり」という感じだったので、ファッションとも絡めてヘアスタイルを提案する僕らのやり方は新鮮に映ったのだと思います。中国の美容師にはない技術を用いたのも「そんな意外な提案をしてくれるんだ」「そんなことができるんだ」とヤンさんに感じていただけたのかなと思っています。

 
 




(写真)地方都市でのスクール開講。
高い技術を求めて集まる美容師達は驚くほど熱心


 ASAKURAは現在、2012年春の上海出店に加え、内陸部の都市でも出店計画が進んでいる。

 
朝倉:北京や上海への出店はあくまでも通過点です。この2都市のサロンはフラッグショップ、つまりブランドの発信基地と位置づけていて、そこから第3、第4の都市へ展開していきたいと考えています。もうひとつ力を入れていこうとしているのがスクール事業です。
ブランド価値を高めるためには、店舗を拡大するだけでは意味がありません。ASAKURAのスクールで技術を学んだ美容師が、将来そのままASAKURAの美容室で働けるようにしていきたいです。中国には美容師の国家資格制度がないので、僕らがスクールによって教育の分野でアクションを起こし、ASAKURAの美容学校で学んで資格を取ることが技術の証明となるような段階までもっていければと思っています。
現状では、中国人美容師には時間をかけて技術を勉強するという概念が育っていません。これだけ美容全体の技術や感覚が向上してきている中、今後はそれでは通用しないでしょう。中国の美容師やタマゴたちにASAKURAの技術を学んでもらい、その技術を中国のスタンダードとして普及させるのが夢です。美容スクール事業は、担当講師が中国国内を行脚して、すでに各地で講座を実施しています。成都でも7月からスクール事業がスタートしました。北京では、月数回、約30人を対象に実施しています。受講費は3日間で約4,5000元(日本円:50000〜62500円)と決して安くありませんが、意欲と実力のある美容師が集まってきます。実践で使える技術を中心に、それぞれの仕事場で実際に使ってもらえるような技術を指導しています。
ASAKURAが業界で認められる存在になるのを後押ししてくれたヤンさんにはとても感謝しています。そして、中国でブランドを高めていくことと中国の美容技術の向上は、僕にとってどちらも同じ意味を持っています。(文中敬称略)

 
 
3人め:中国大企業の副総裁
「中国の父」と慕う某大企業の副総裁。
中国ビジネスを知り尽くす彼からビジネス成功術の指南を受けて

 
 ASAKURAの中国国内での知名度は格段に伸びた。順風満帆に見えるが、中国ビジネスには予期せぬトラブルがつきものだ。契約不履行に営業妨害など、外国人にとって中国での事業展開は一筋縄ではいかない。理不尽な出来事は日常茶飯事だ。
 「中国ビジネスで最も大事なのは、人と人のつながり」という朝倉。どのように中国人とつき合い、つながりをつくっていくか。「人とのつながり」が中国ビジネスには欠かせない要素だと、朝倉に教えた人物との出会いは―-。

朝倉:僕達の業界は、普段営業していくだけでもトラブルが耐えません。外国人というだけで、営業妨害を受けたりするのも珍しくありません。例えば、中国国内のある地方都市でショッピングモールに店舗を出店しようとして、契約面でこちらが正しくても理不尽な理由で急に契約できなくなったことがあります。別のケースでは、契約した時より費用を上乗せされたり、いろいろな理由を出してきて契約不履行にされたこともありました。そんな状況では、ASAKURAという日系の会社の日本人の私が表に立って話し合いをしても埒があかない。相手にとって、私は外国人で知り合いではない、つき合いがない人間だからです。
そんな時、相手の会社につながりを持つ中国人に間に入ってもらい、こちらが正しいということをきちんと説明してもらうと、あっという間に解決することを体験しました。それを教えてくれたのは、ある中国大企業の副総裁です。

 
BB:その副総裁とはどうやって出会ったんでしょう?

朝倉:以前、ある企業からASAKURAブランドのヘアケア用品を作りたいという提案をいただき、その企業の紹介で副総裁とお会いしました。結局、ヘアケア用品の案は実現しなかったのですが、日本から両親が来た時に副総裁のご家族と一緒にみんなで食事をしたり、逆に副総裁が日本に行かれた時は僕達がアテンドしたりと、家族ぐるみで仲よくさせていただくようになりました。
香川の父と同年輩の50代半ばの副総経理は、ビジネスで何かあるたびに相談してはアドバイスをもらう「中国の父」のような存在です。
自分では対処しきれない事案が発生した時など、トラブルの解決につながる人物を紹介してもらったり、僕の代わりに間に入って相手側と対応・交渉してもらったりと、要所要所で助けていただいています。みなさん不思議に思われるかもしれませんが、見返りを求められたことは一度もありません。
中国人的つき合いというのでしょうか、とても情が深く、一度築いた信頼関係によって一生つながっていられる関係のように感じています。
 




(写真)2009年に北京にオープンしたフラッグショップ。工人体育館に面した一面ガラス張りの窓から燦々と日が差し込む。


 
 中国のブランドになるべく努力していても、外国人であるために越えられない壁が、朝倉の前に何度も立ちふさがる。そんな朝倉を支えているのが某大企業の副総裁だというのである。多くの日本人経営者が中国人との人間関係・信頼関係の構築が難しいと感じている中で、朝倉はなぜ、このように中国人の協力者を得ることができたのか。

朝倉:イギリス留学時代にいろんな国から集まってきたクラスメートとつき合った経験も影響しているんだと思いますが、私は国籍より個人と個人の関係が重要だと思っています。中国に来たばかりの時にだまされたのは日本人コンサルタントでしたし、日本人でもいい人もいれば悪い人もいます(笑)。今でも中国人とのトラブルは絶えませんが、それよりも助けてもらっていることの方がずっと多いですから。
人と人とのつき合いは、基本的にフィーリングが合うか合わないかではないでしょうか。有名だからとか、権力があるからか、どこの国の人だからとか、そういうのは全く関係ありません。

 
BB:中国では人と人のつながりが重要なのは、なぜだと思いますか?

朝倉:やはり、中国は家族をとても大事にしますし、人と人のつながりによって情報が往来し世界が広がっていくという文化的背景が関係していると思います。日本人には理解できない部分も多々あると思いますが、実際、僕もこれまで友人達のつながりによって何度も救われてきました。誰々の知り合いだから、友人だから、家族だからというのをきっかけに、ビジネスが展開していく場合もあるので、今後も一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思っています。今後、北京以外の都市にビジネスで進出する時も、応援してくれる人がいる場所に出ていきたいですね。
 




(写真)クリスタルのシャンデリアが出迎える受付。


 現在、飽和状態となった日本の美容業界からは、いくつかの日系美容サロンが海外に活路を見出すべく、アジア地区、特に中国へ進出しているが、朝倉は一部の企業の手法に疑問を投げかける。

朝倉:近頃は日本の有名店の上海などへの進出の動きがあります。内情を見てみると、ブランド名は持ってくるものの実動部隊は現地で調達しているというパターンが多いようですね。中国にベースを持って現場で戦う僕らとは違う彼らのやり方で、中国で成功するのかどうか、僕も非常に興味を持って見ています。
中国の人達は、ファッションに限らず、日本人が思うほどには東京や日本ブランドへの憧れはないようです。でももちろん日本製の素晴らしいものはたくさんあります。重要なことは、「なぜ」「どのように」いいのか、見せ方を考えて向き合っていくことです。でないと、せっかくいいものを持っているのによさが伝わらないのではないでしょうか。例えば情報を発信する際、中国というと、数の多さに踊らされてしまいがちですが、よりその部分を知っているコアな100人、興味を持っている人100人にターゲットを絞り、詳しい情報を発信していくといった方がより効果的な場合がある。見せ方をもっと工夫していくべきだと思います。

 
BB:ASAKURAが目指す未来像を、ぜひ聞かせてください。

朝倉:今、僕達の店は日本人スタイリストが中心ですが、10年後、20年後にまだ日本人美容師の需要があるかどうかわかりません。今後は、ASAKURAの技術者は素晴らしいと思ってもらえるよう、見せ方、伝え方を考えていかなくてはなりません。ASAKURAの中国での「本気」を示すために、旗艦店を北京で最も華やかなこの三里屯そばにオープンしました。中国の人達に「こんなの今までみたことない」と思ってもらえるような、1100平米規模でモダンかつラグジュアリーな雰囲気のサロンにしたんです。最終的には中国の方々に「美容・ファッションといえばASAKURAだよね」と思ってもらえるような、身近に感じるあこがれのブランド、中国全土どこに行っても店舗がある中国の美容ブランドになっていきたいです。

 
BB:香川のお父さまと同じ道に進み、北京というアウェイに飛び出し「中国の父」にも出会った朝倉さんの中国での仕事ぶりを、お父さまはどう見ていらっしゃるのでしょう?

朝倉:父親は技術にすぐれた職人肌の人で、僕とは経営に対する考え方がぜんぜん違います。彼はどういう作品でブランド力を高めていくかと考えるタイプです。逆に僕はプロデュースが得意なので、父は超えるべき対象というより、今も協力してもらっている大事な応援団です。とはいえ、いつか父を超えたと思える日が来るといいですね。(文中敬称略)