Vol.3  テニススクール経営(北京和僑会会員)レインボーテニスガーデン代表 藤本龍一郎氏(27)

1人め: イエンダミン 厳大●(左:石、右:名)(河北テニスアカデミー経営兼校長)
ナショナルチームのコーチと、北京で再会。
今度は経営の指導を受ける




(写真)藤本 龍一郎


<プロフィール>

ふじもと・りゅういちろう。1984年香川県出身。幼少時代を北京、小学2年から5年まで上海で過ごす。中学でテニスを始め、3年時にシングルスメンバーとして全国中学生大会ベスト8入賞。高1の夏、再び北京へ。2年生の時、よりよいテニス環境を求めてカリフォルニアのワイルテニスアカデミーに留学。2004年筑波大学体育専門学群入学、スポーツ科学、体育経営学を学ぶ。大学卒業と同時に、北京でレインボーテニスガーデンを開校。

 
 
 中国のテニス人口は現在500万〜600万人。中国におけるバドミントンや卓球人口が約2億人とすれば、認知度はまだ低い。しかし、目覚ましい経済発展とともに富裕層が拡大、さらには中国人のプロテニスプレーヤー李那が全仏オープンで優勝したことも追い風となり、将来は1000万〜1500万人、さらにはもっと増えるといわれている。
 藤本が北京にレインボーテニスガーデンを設立したのは、日本の大学を卒業した年の2009年4月、24歳の春だ。「北京で本格的なテニスアカデミーをつくりたい」という夢を道連れに単身北京に乗り込んだ。

 
藤本:銀行マンの父の転勤で、小さい時から北京、上海、日本の間を行ったり来たりしていました。1歳から4歳まで北京に住んでいて、天安門事件で戦車を見たのをうっすらと覚えています。
東京の中学の1年の時、部活でテニスを始めてのめり込みました。ちょうど『テニスの王子さま』が流行り始めていた頃です。3年の時、全国大会の団体戦で自分の試合でチームの勝敗が決まるという大事な局面で負けてしまい、チームはベスト8で終わりました。相当ショックで、部活を引退した後はテニスをやめました。
高1の夏、父が再び赴任していた北京に合流し、アメリカ系のインタースクールに通いながらテニスを再開したんです。中国人のコーチにプライベートレッスンを受けていましたが、だんだんもの足りなく感じだし、長期休みに河北省にある民間のテニスアカデミーの合宿に1ヶ月の間参加することにしました。そのテニスアカデミーの校長が厳大●(左:石、右:名)さんです。当時40代前半の厳さんは、河北省ナショナルチームのコーチ経験があり、中国の代表レベルの実力者であるだけでなく、指導者としても一流でした。そして10年前、自分でテニスアカデミーを設立し経営を始め、僕はその設立まもないアカデミーに通ったというわけです。
25人の同年代の中国人生徒達との共同生活は、朝6時から朝練、午前と午後の練習が終わると、夕方は10キロのマラソン、夜は世界で通用するプレーヤーに欠かせない英語の授業というふうに、テニス漬け。自分がどんどんうまくなっていくのが実感できました。
厳さんのアカデミーでは自分でも上達が実感できたのに、休みが終わって高校が始まると時間が制限されて思うようにテニスができなくなりました。合宿生活で得たものがあっという間に失われていくのがもどかしくて、それでテニスの本場であるアメリカに留学することを決めました。その時、北京に指導レベルのしっかりしたテニススクールがあればと強く思ったのが、テニススクールの起業につながっていると思います。

 




(写真)厳コーチのアカデミーで。真ん中の男性は、
10年前に藤本と一緒にここで合宿した厳コーチの教え子。
今はアカデミーのコーチとして働いている。


BillionBeats(以下BB):アメリカでのテニス生活ではどんなことを考えていたんでしょう。

藤本:アメリカには親元を離れて高い費用をかけて行ったので、本当に自分は正しいことをしているのかというプレッシャーがありました。北京にスクールがあったら、北京で家族と暮らしながらテニスが学べたらいいのにと漠然と思っていました。
2年後に帰国して進学した筑波大ではプロのコーチや学校の先生を目指す友人が多く、僕も「将来はテニスで仕事ができれば」と考え始めました。そして就活の時期になって、北京やアメリカで培った経験を生かしてスクールをやろうという気持ちがいよいよ現実味を帯びてきたという感じです。
大学時代の後半は、ひたすらコーチのアルバイトをして起業資金を貯めました。卒業前の2008年初冬に、いま北京和僑会の会長をされているゴルフレッスンプロの本多さんのブログを見つけて連絡をとったところ、すぐに返事をいただいたので、12月に本多会長を訪ねて北京に行き、本多会長に教えていただきながら、家探しと情報集めをしました。北京でスクールを開くのに、会社設立の方法にしても一体何から始めたらいいかもわからず、上海の日本人学校時代の幼なじみのお兄さんがすでに上海でサッカースクールを始めていたので、7年ぶりに電話をしてアドバイスをもらったりもしました。中国人のパートナーと一緒に会社を設立すれば少ない資本金で始められるというような基本的なことも、この時に教えてもらったんです。

 
 2009年4月、藤本はバイトで貯めた200万円をもとに、北京でテニススクールをスタートした。最初集まったのは20人足らずだったが、ブログなどを使って北京にテニススクールをつくった強い気持ちや指導者としての特長をアピール。次第に口コミや知人の紹介などで評判が広まり、北京在住の日本人の小中学生や主婦を中心に生徒数は順調に増えていく。
 2009年10月、藤本は北京で開かれていた世界的テニス大会のひとつ・チャイナオープンに生徒達を連れて行った。会場となった北京市北部の北京テニス場で、藤本を待ち受けていたのはーー。

 
藤本:「藤本!」と呼ばれて振り向くと、見覚えのある顔がそこにありました。なんと、テニスアカデミーの校長の巌さんでした。僕が高3でアメリカに行って以来ずっと会っていなかったので8年ぶりです。「今、北京でテニスを教えている」と言うと、コーチの方もびっくりしていました。
「今度、遊びに来い」と言ってもらい、生徒達を連れて河北にある厳コーチのアカデミーに行ったのがきっかけで、週末や長期休みを利用して、そのアカデミーに生徒達を連れて行って練習試合などをさせてもらうようになりました。技術向上はもちろんですが、日本人の生徒達にとっては中国人と交流できる貴重な機会にもなっています。
現在、中国には民間のテニスアカデミーは5、6校しかありません。選手育成は国が主体となって取り組んでいます。一方で、指導者の環境を見てみると、テニス指導を職業にしようと考えた場合、国の機関だと収入は安定していますが金額は低い。ある程度の収益を得ながらプロのテニス選手を自ら育成しようと思ったら、自分でアカデミーを経営するのがいちばんいい方法です。それを10年前から実践しているのが巌さんです。アカデミーの中にはお金持ちが出資して経営しているところもあるようですが、厳コーチのアカデミーは独資。現在、このアカデミーには14歳以下の中国代表選手ら何人かのトップレベルの子がいます。国の施設だったら、保護者の負担は0円ですが、アカデミーは年間60000元かかります。欧米では約300万円かかるので、僕らの感覚から言えばこれでも安いと思います。また省のチームに入ると、有名になったらお金を返さなければならないといった契約などもあり、今はアカデミーを選ぶ親が増えています。もちろんアカデミーに子供を入れる親は裕福ですが、投資感覚もあるのではないかと感じています。

 




(写真)開校して1年目。北京で学校に通う日本人の生徒達。


BB:藤本コーチはなぜ北京でアカデミーを開きたいと思ったんでしょう。

なぜ北京かというと、それは僕が高校時代に過ごした北京で、テニス環境が伴わないことがとても悔しかったから。日本のテニスはプレイの技術も指導技術もレベルが高い。これは僕が中国で展開する時に必ずアドバンテッジになるという自信がありました。それに、指導者になるなら、優れた選手を育てたいというのは当然の夢です。僕も、厳コーチのように将来はテニスアカデミーを運営し、プロを育成したいと本気で思っています。その一歩として、会社として専用コートを持とうと考えて、実は今年の春から動き始めようと、まず相談したのは巌コーチでした。僕は中国ではビジネスを展開するのに人脈が大事だと思ったので、テニス関連での人脈づくりについてアドバイスを求めたいと考えたんです。ところが、厳コーチから届いた返信メールには、僕が期待していたようなことではなく、コート取得のための初期費用、コート1面につき必要な売上げ見込み、その達成に必要な稼働率、といった経営上の必要条件がびっしりと書かれていました。そして極めつけは「今、これらが達成できるのか。達成できないようならコート取得は不可能」という冷静な1文。これを読んでハッと我に返りました。
独自のコートを持ちたいという気持ちだけが先走って焦っていた僕に、思いだけでは経営はなりたたないということを、冷静な現状分析を示すことによって、気づかせてくれたんです。
もし厳コーチからのあのメールを受け取っていなかっったら、僕はもっと強引にコート取得に動いて手痛い失敗を経験していたかもしれません。
厳コーチに、スクール運営を経営的側面から捉えていくことが大切だという当たり前のことを示してもらったおかげで、コート取得をはじめ、スクールやアカデミーといった展開を、もっと長期的な展望で捉えていこうというふうに考え方を切り替えることができました。

 
BB:高校時代にテニスを教わったコーチから、今は経営者としても指導を受けているというわけですね。

藤本:そうなんです。厳コーチは僕が教え子だからこそ、ここまで踏み込んで丁寧に教えてくれる。本当にありがたいです。指導者として、世界に通用するプレーヤーを育てたいという夢はありますが、教えるというのはそれだけではないと思っています。僕もコーチとして教えている子ども達に対して、テニスだけでなく、テニスを通して何を得るか、何ができるかを体と心でつかまえてほしいし、その手助けはできるようでありたいと思っています。サーブがうまくなっても社会的に通用しない、気持ちの部分で人間的に何かを得て学んでもらいたい。大人になって自分のやりたいこと見つけて、その仕事をしている教え子がいたら、自分もものすごく応援すると思います。厳コーチがいま僕にしてくれていることを、僕もいつか自分の教え子に返していけたらと思うんです。(文中敬称略)

 
 
2人め: ジャンジェン 張剣(レインボーテニススクール共同経営者) 
日本をよく知る心やさしい共同経営者
中国で日本式テニスコートの普及を目指す

 2009年春のスクール開校当初、藤本は北京市北東部のインドアテニスコートの1面を借りた。だが、中心部から遠く地の利がいいとは言えない。小中学生のレッスンには送迎バスを手配し、場所の不便さをカバーしつつ、都市部で探し続け、1年後、都市部にほど近い北京市東部でインドアコート1面の年間契約にこぎ着けた。

 
藤本:借り上げたインドアコートを一緒に運営しているのが張さんです。
そもそも、コートを借りたのはいいのですが、その時、コーチは僕しかいなかったんです。すぐにコーチを増やすわけにもいかず、困って彼に相談したところ、自分のスクールの会員さんがいるので一緒にやろうという話になりました。
張さんとは僕がスクールを始めて間もなく僕の生徒さんの紹介で知り合いました。彼は日本の大学を卒業していて日本の事情もよく知っていたので、たまに一緒に食事をしては何かと相談に乗ってもらっていたんです。

 
BB:張さんもテニス経験者なのですか?

藤本:ええ。張さんは今33歳。10歳で始めているのでもう20年の経験があります。ナショナルチームには属していなかったのですが、試合には出場して好成績を収めていたようです。
大好きなテニスでビジネス展開をしようとしていて、僕が借り上げたコートの共同経営を始めた時点で彼はすでに3面のコートを確保してテニススクールを運営していました。彼は中国で日本式のテニススクールを広めたいと考えています。
共同経営するコートでは、彼がコート管理、商品販売、会計を、僕はレッスンスクールを担当というふうに業務を分担しています。

 
BB:この3年で、たくさん大変なことがあったと思いますが。

藤本:中国人と関係を築いていくのは難しいですね。時々、何が本当のことなのかわからなくなることがあります。例えば、同業者とはよく知り合うので、きちんと挨拶して自己紹介をするようにしているのですが、先方はといえば、「ナショナルチームにいた」とか自分を誇大広告する人がほとんどですね(笑)。そのうちに他からどうも本人の言ったのとは違う話が聞こえてきたりします。日本人は謙虚に自分を控えめに言うので、はじめは驚きました。今では最初から相手の言うことを鵜呑みにしないようにしてます(笑)。

 




(写真)合宿で子ども達を指導する張さん。大きくて温かい人柄が子ども達に人気。


BB:ビジネスの場面でカルチャーショックだったことは?

藤本:今年の夏、あるテニスクラブと業務提携を結ぼうとしたんです。僕からもっと高額の契約金をとろうと思ったのか、先方が、その時契約しようとしていたインドアのコート以外に、そのコートの外にある国営のアウトドアコートも来年には自分達のものになるからと言うんです。その時僕はただ「それはすごいなあ」と思っていたのですが、中国人の友人達に話すと「国営なんだからそんなはずはない」と言われて。よく考えたら分かることなんですが……。すぐに人の話を信じてしまうので、よく張さんに注意されます。

 
BB:日本語ができて日本のこともテニスについても熟知している張さんがビジネスパートナーで、心強いですね。

藤本:本当に頼りにしています。
先日も、こういうことがありました。中国人コーチを増やしたいなあと思っていたところへ、張さんのスクールのコーチが辞めて田舎に帰ったと聞き「彼が来てくれれば」と思って早速誘おうとしたところ、なぜか張さんに「彼はやめておいた方がいい」と言われたんです。どうしてだろうと思っていたら、実際は、彼は田舎に帰ったのではなく北京にいたんです。トラブルがもとで辞めたのに、実家に帰ると嘘をついていたんです。僕は彼が嘘をつくわけがないと思っていたのですが、ある時テニスコートで彼と偶然出くわして、ああ、やっぱりウソをついてたんだなあと。
僕はつい人を信じてしまいがちだし、何かをやりたいと思うと、その気持ちだけで走りそうになってしまいます。そんな時に、一歩踏みとどまって、引いた目でみなくてはいけないということを教えてくれる張さんには感謝しています。体も190センチくらいあるのですが、日本人よりも優しい、僕にとって兄のような存在です。

 
信頼できる共同経営者を得た藤本だが、中国人との信頼関係構築は、最大の課題だという。

 
BB:中国でビジネスをしていくうえで、何が大事だと思いますか?

藤本:まず、日本人がいくら頑張っても中国人の人脈と深いつながりにはかなわない。やっぱり、いかに中国人の助けを借りていくかは大事だと思います。何か問題が起きた時、相談できる中国人がいないと、日本人だけでやっていると絶対つぶれてしまうと思います。
でも、いきなりビジネスの関係から入るのはムリだと思います。張さんと僕との関係も、はじめは友人でした。まず、先にしっかりとした関係を築くことが大事。逆に、
それがしっかりできれば、今後のビジネスも変わってくると最近感じています。
中国人のテニス界の人脈も北京に来た当初よりかなり増えましたが、今後もっとつながりをつくっていかないと、テニス業界でサバイバルしていくのは厳しいでしょう。経営上のプラスにつながるかどうかはさておいて、僕にとってはテニス界の人脈もひとつ、ビジネス界の人脈もひとつ。ビジネスにつながる場合もあるかもしれません、そういうことを考えないで人としてつき合っていくことを大事にしたいです。(文中敬称略)

 
 
3人め: リュウバイシン 劉佰鑫(北京ナショナルチームアシスタントコーチ兼マネージャー)
テニスの新しい方向性を示してくれた同い年
初心を思い出させてくれた大切な友人

 インドアコートを一面借り上げたことで、生徒も増え、経営は順調に推移している。しかし現在の状況は藤本が当初思い描いていた理想とはまったく違うものとなった。
気がつけば、生徒はほとんどが日本人。「これが自分が本来やりたかったテニススクールの姿なのか」。忙しさに翻弄され、「テニスアカデミーをつくる」という初心をすっかり忘れかけようとしていた藤本に、再び熱い思いを思い出させたのは、現状に妥協せず、野心を持った同じ年の劉佰鑫だった。

 
藤本:劉佰鑫は北京ナショナルチームのアシスタントコーチ兼マネージャーです。
僕が北京に来たばかりの2009年のことです。北京で行われるテニスの試合に参加するために日本から来ていた知り合いの日本の選手を、きちんとした環境で練習させようと連れて行ったコートで知り合いました。劉は、ナショナルチームのマネージャ―として僕らを案内してくれましたのですが、同い年ということもあり、すぐに意気投合し、食事に行ったりするようになりました。

 




(写真)劉佰鑫と一緒に開催した
日本語学校向けのプロモーションイベントで


BB:ということは、劉さんはテニスのエリートということですか?

藤本:たしかに上手ではありますが、どちらかというと指導者のエリートです。彼は高校でテニスをスタートし、その時は遊びでやっていたようですが、その後、北京体育大学でテニスを専攻しました。選手としてというよりは、グリップの持ち方といった指導方法を基礎から学んでいるので、初心者らトップレベルではない選手を教えるのに優れているんです。ずっと選手としてトップでやっていた人は自分の経験から得た精神的なものは教えることはできますが、技術指導などは教えられません。つまり、テニスコーチとしては、選手としてものすごくても指導のノウハウがないと何も教えられないんです。テニスができなくてもできる、マネージメント能力が高いということです。

 
BB:彼はどういうきっかけを与えてくれたんでしょう。

藤本:実は1年ちょっと前ぐらいから、彼に誘われて一緒に中国人のレッスンをやっているんです。
というのも、ある時、彼に「中国にいるのになんで日本人ばっかり教えてるんだ。中国人にも教えるべきだ」と言われたんです。彼の言葉を聞いてはっとしたんです。自分はやりたかったのは、日本人、中国人、外国人みんなにレッスンをすること。テニスを通して、いろんな国の人々が交流を図れる場をつくること」そして「世界に通用するプロのテニス選手を育成すること」だと。開校以来ずっと血を吐くかと思うくらいに忙しかったので、初心をすっかり忘れてしまっていたんです。
「一緒に中国人に教えないか」と、彼は中国のテニスに関する情報や共同事業の詳細な提案書をつくり、僕にプレゼンをしました。内容はもちろんのこと、彼の熱心さにも刺激を受け、見習わなければと思いました。

 
 劉の行動力と言葉は、藤本を刺激した。こうして藤本は劉と協力し、中国人を対象にしたレッスンを行うようになる。

 
BB:なぜ、彼を信用できたのですか?

藤本:彼はナショナルチームのコーチなので公務員です。生活は安定していても高収入は望めない。だからこそ、彼だけではなく、中国人は何かチャンスがないか、うかがっているんです。仕事はやめたくない、でも空いている時間で何かやりたいという彼の気持ちはよくわかります。それにずっと友人として築いてきた信頼関係がありましたし、もしここで騙されているんだったらそれはもう仕方がないという気持ちでした。

 
BB:劉さんと一緒にどういう事業を始めたんでしょう。

藤本: 日本語専門学校や英語の学校に働きかけて、中国人生徒向けにイベントを開催しました。2カ月おきに20人ぐらいを集めて、日本語を勉強しながらテニスを体験するイベントを開きました。参加者の中には、テニスに興味を持ってスクールに入会してくれたり、プライベートレッスンをしたりするようになった方もいます。彼はビジネスにもとても真剣です。忘れていた初心を思い出させてくれただけでなく、中国人を増やすきっかけをつくってくれました。今のところ、ほとんど収入はないですが、将来、何かの役に立つといいなあと思います。

 
 現在、日本人の生徒数は120人。設立から2年、藤本は新たな態勢を整え、次の段階へと進み始めた。

 
藤本:来年中には中国人の生徒を50人ぐらいにしたいですね。と同時に日本人も増やして200人ぐらいにしたい。1年後の目標は日本人3割、中国人5割、外国人2割です。
今は試合に出る選手育成コースと初心者や趣味などのリクリエーションコースに分けてレッスンをしています。生徒さんが増えて、日本から日本人コーチを招きました。彼にリクリエーションコースの練習を任せ、初心者から試合に出たいと考える子までを専門に育ててもらい、僕は主に選手育成コースの生徒を指導しています。また、経営は僕が、指導は日本人コーチがというように、役割を分担して組織的にやっていくことがより現実に近くなりました。
中国人のコーチの取得は今は考えていません。僕が英語と中国語ができるので、日本人か日本語ができるコーチを増やしたい。将来的には外国籍のコーチも増やしたい。よりよいスクールにするにはコーチの育成も重要だと思っています。

 




(写真)テニスに興味のある中国人が増えていることを実感する


BB:テニスアカデミー設立のプランを教えてください。

藤本:スクールはあくまでもアカデミー設立への第一歩です。アカデミーには生徒たちが生活する小規模の寮も併設し、テニスに集中できる環境、プロを育成するため、できる限りのいい環境を整えてあげたいですし、そしてアカデミーだけでなく、レジャーとしてテニスをする人が増えているので、自宅から通うスクールと時間配分をしっかり行い、両方一緒にできる場所を作りたいですね。プロ選手も輩出するには、まずアカデミーを作らないと始まりません。民間アカデミーなので学校と交渉も必要です。ビジネス的に考えたら、最初にスクールを作って土台をつくってからと考えています。

 
BB:スポーツビジネスの世界からもチャンスを求めて中国にたくさんの人や企業が入ってきていますが、日本人の強みをどう発揮していきますか。

藤本:世界標準で見ても、日本人コーチは細かく真面目に教えてくれるだけでなく、指導レベルが高いのは確かです。今後はもっとコーチを増やして、自分がもっといろいろ動けるようになれれば。
指導する立場から感じる日本人と中国人の違いは、日本人は一見真面目で、言われたことをきちんとこなしますが、中国人はわがままで、言ってもやらないこともしばしばですが、ただ、追い込まれた時の集中力、底力は中国人の生徒はすごいです。
試合で勝っていくテニスを目指すなら、わがままなくらいの方がいいと思っています。日本人はひとつのものを2人いたら2人とも譲りますが、中国人はけんかしてでも取り合う。試合の勝ち負けを決めるのはそういうところだと思うんです。僕は日本人として礼儀正しさと謙虚さを持ってテニスを広めていきたいと思います。試合では別ですけどね。(文中敬称略)