第6回Alice / 韓国「将来はサムスン電子の女性リーダーとして中国市場で活躍!」

<プロフィール>
1984年、韓国ソウル生まれ。高校の3年間を父親の仕事の赴任先である中国山東省の青島で過ごす。高校卒業後は単身でソウルへ戻り、女性リーダー育成をビジョンに掲げる淑明女子大学校で、中国文学および、中国研究特別プログラムの2つの学位を修了。大学卒業後、サムスン電子に入社し中国携帯電話事業における製品/サービスのポートフォリオ戦略や事業計画を担当。2014年、中国北京の清華大学(Tsinghua-MIT Global MBAプログラム)に社費留学。MBA修了後は中国ビジネスへの深い見識と経験を活かし、サムスン電子中国事業のエキスパートを目指す。


周藤(以下、(周)):高校で中国に行った経緯を教えてもらえる?

Alice(以下、(A)):私が小さい頃に、父親が仕事の関係で中国山東省青島市にある平度市に赴任することになったの。でも、当時は私の弟もすごく小さかったし、平度市で外国人を受け入れる教育制度もそこまでは発達していなかったから、最初は父が単身赴任で行くことになった。でも1992年の中国と韓国が国交樹立して以降は中韓の関係性も良くなっていったし、中国経済もどんどん発展していった。2000年になるころには弟も大きくなっていたこともあって、家族一緒に平度市で住むことにした、それが私が高校1年生のころだね。


(周):高校は中国ローカルの学校? ネイティブレベルの中国語はその時に身につけたのかな?

(A):うん、ローカルの高校で私以外はみんな中国人だったからすごく大変だった。中国に来たときは、中国語は全くできなかったしね。でも当時、中国の家には中国語の先生と中国人のコックがいて、家でも学校でも中国語漬けだったから、3、4ヶ月くらい経った頃にはだいたい高校のクラスの内容は分かるようになっていたかな。あと、中国語の上達にすごく役立ったのは、現地の中国人が使っている教科書を小学1年生から高校まで全部勉強したことかな。それこそ算数の1+1=2(一加一等于二)とかから始めたよ(笑)。それに韓国では小学生か中学生のころ、みんな漢字を習うの。私も中学校で漢字を勉強していたから、そこはすごく役だった。


(周):語学以外には中国で何か大変なことはあった?

(A):うーん、特に無いかなぁ。あえて言うなら、韓国人が少なかったことかな。当時、青島の郊外の平度市には韓国人がほとんどいなかったから、韓国レストランや食材が手に入らなくて、韓国料理が恋しかったくらい(笑)


(周):高校を卒業したあとは、家族から離れて、韓国の大学に通ったの?大学ではどんなことを学んだ?

(A):うん。当時、家族はまだ中国に住んでいたけど、私は韓国の大学に行くために1人で帰国して大学の寮に住むことにした。今では家族はみんな韓国に戻ってきているけどね。大学で専攻したのは中国文学と中国研究のスペシャルプログラムの2つの学位。中国文学では孔子とかの古代の中国文学から、莫言(*1)とかの現代文学まで学んだ。中国研究特別プログラムというのは、中国に関することを広く学ぶ分野で、中国の政治、社会、歴史、経済とかを勉強したよ。

(*1) 2012年、中国籍の作家として初のノーベル文学賞を受賞


(周):大学生の時点ですでに中国通だったんだね。それで中国市場にも強いサムスン電子を選んだのかな?

(A):そうだね。高校の頃からずっと中国に関わっていたから、仕事も中国に関係することを選びたかった。当時サムスンは中国市場の携帯シェア拡大を狙っていたから、中国スペシャリストとして大学から推薦を受けて入社した。私の大学は女性リーダー育成をビジョンに掲げていて、中国研究特別プログラムの私の学部は、サムスンの中国事業と関係性があるんだ。


(周):入社したのは2007年?当時の中国の携帯市場は今とは全然違ったんじゃない?自分は2011年に大連に3ヶ月住んだことがあるんだけど、当時はスマートフォン持っている人なんてほとんどいなかったし、Wechat(*2)もなかったね。

(A):うん。当時の中国ではスマートフォンは全然流通していなくてフィーチャーフォン(日本のガラケー)が主流だった。2011年なら中国にもスマートフォンはあったと思うけど、知っている人はほとんどいなかったんじゃないかな。それが今や中国ではみんながスマートフォンを使っているし、小米(Xiaomi)とか華為(Huawei)とかの中国のローカルブランドがどんどん市場に入ってきているよ。

(*2) 中国版Line。6億人以上のユーザを有する中国のスマートフォン用メッセージアプリ。


(周):Aliceの中国携帯市場分析をテーマにした修士論文の発表聞かせてもらったけど、中国ブランドのシェアの伸びはすさまじいね。北京に住んでいると半分くらいの人はiPhoneを使っているように錯覚するけど、中国全体だと実際にはiPhoneは10%強のシェアしかないんだね。シェア2位、3位のOPPOとVIVOなんて北京ではほとんど見たこともなかったよ。中国は同じ1つの国でも違いが大きいね。

(A):そうだね。OPPOとVIVOは、もともと同じ会社が販売している中国ブランドで、中間層の都市をターゲットにしている。だから北京ではほとんど流通していないんじゃないかな。中国人なら名前くらいは知っていると思うけど。だからサムスンでも都市の違いを意識して中国向けの製品を開発する必要がある。


(周):話題は変わるけど、清華大学のMBAって2014年は8人の韓国人がいるけど、年々増えているよね。2015年は15人前後、2016年は噂ではもっと増えて、しかも韓国の大企業からの社費留学生がすごく増えるとか。韓国の学生は中国ではどんな大学に留学しているのかな?

(A):うん、中国市場は韓国の大企業にとってはすごく重要な市場だからね。サムスンも毎年アメリカ、ヨーロッパ、中国、日本なんかに留学生を派遣しているよ。韓国人の中では、北京に留学する人がやっぱり多いと思う。中国トップ2の、清華大学と北京大学があるからね。


(周):Aliceが北京MBAじゃなくて、清華MBAを選んだのは?

(A):清華大学MBAは私達の代(2014年)から、中国人向けMBA(中国語で授業)とインターナショナル向けMBA(英語で授業)が統合してGlobal MBA(原則は英語。一部授業や選択科目は中国語も選択可)になったよね。清華Global MBAなら、中国ビジネスだけに特化した内容だけではなくて、グローバルの最新の内容も同時に学べるのに魅力を感じた。あとは、清華MBAのほうがクラスの種類が豊富だったり、卒業生のネットワークが強そうだと思ったからかな。


(周):清華MBAは1年目はすごく忙しいけど、2年目は比較的時間が空くよね。交換留学したり、中国語学校に通ったり、インターンしたり、起業したりとか色々な人がいる。Aliceは2年目はどう過ごしたの?

(A):私は韓国の大学では中国漬けだったから、経済学とかマネジメントとかMBAで学ぶような内容をほとんど勉強してこなかった。だから、清華MBAでは2年目も、そういう知識を強化するために時間をつかったね。卒業単位は足りているけど追加でMBAの授業に出たり、色々な本を読んだりした。あとは、雲南とか中国の行ったことのない都市を旅行したりもしたよ。


(周):MBA卒業後のキャリアはどういうふうに考えている?

(A):留学後の仕事内容はまだ決まっていないけど、まずはサムスンの留学前の部署に戻って、中国市場に関連する仕事につくことになるとは思う。短期的には色々な困難や環境の変化にどんどん挑戦して、自分を成長させたいと思っている。それにサムスンで身につけた技術力や清華大学で学んだMBAの内容を活かして、サムスンの中国事業のエキスパートとして、他人に影響をあたえることができる女性リーダーになることが最終目標なんだ。


(周):今日はありがとう、今度は卒業式で会おう!(帰国直前にインタビュー実施)


Kazuhiro Sudo

投稿者について

Kazuhiro Sudo: 1981年東京生まれ。 東京工業大学計算工学修士修了。在学中は投資・Webビジネスの学生ベンチャーに従事。 2007年野村総合研究所入社後、日系金融機関向けのシステム開発、コンサルティングを経て、2014年清華大学MBAへ社費派遣留学。