第2回Muki / タイ 「自分のルーツを探しに中国へ」

<プロフィール>
1991年タイの首都バンコクで中国人の父親とタイ人の母親の長女として生まれる。タイの名門校マヒドン大学の国際課程で経営経済学を専攻し、また在学中にはアメリカへ交換留学、マレーシアでインターン、タイでNPOに参画など精力的に活動。卒業後両親経営のPCアクセサリ販売会社配下のジョイントベンチャー立ち上げに携わった後、2014年9月清華大学(Tsinghua-MIT Global MBA)に入学。MBA在学中は持ち前のコミュニケーション力を活かして、様々なイベントの運営に携わる。MBA修了後はタイ・中国ビジネスコンサルタントの経験を経て、家族ビジネスの経営に参画予定。




周藤(以下、(周)):父親が中国人だよね?どういう家庭環境で育ったか簡単に教えて。

Muki(以下、(M)):バンコク生まれのバンコク育ち、家庭の中でもタイ語を話していた。でも父親は中国人だから幼稚園から中国語学校にも通っていたよ。中国語はしゃべれるようになったけど、中国語の授業とかはまだまだ分からないことも多いね。あと父親の影響も多少あってタイ人なのに南部訛りの中国語(笑)。父親はタイに移住していた叔父に誘われて1990年に中国の広州からタイに移住したみたい。そこでタイ人の母親と出会って結婚して生まれたのが私。父親はタイで始めたPC機器販売のビジネスをしているの。


(周):両親のビジネスについてもう少し具体的に教えてもらってもいいかな? 

(M):中国からマウスとかキーボードなどのパソコン周辺機器を輸入してタイで販売するのがメインビジネスだったんだけど、価格競争が激しくなってきて、今ではセキュリティカメラの製造・販売にシフトしてきているんだ。


(周): 中国に来たのはやっぱり親の影響?

(M):そうだね。父親の知り合いの清華大学MBAマーケティングマネージャから紹介されたのが直接のきっかけかな。大学時代には、アメリカやマレーシアなどで生活をしていたけど、中国にはほとんど来たこともなかったし、実はあまりいい印象もなかった。だけど、語学や親のビジネスなど中国に関連する環境で育ったし、父親も中国人。一度中国に行って、自分のルーツを知りたいと思ったんだ。


(周): 大学のころはどう過ごしたの?

(M):将来は親のビジネスを手伝いたかったから、タイの大学で経営経済学を専攻したんだけど、海外へのあこがれがあって、アメリカに交換留学したり、マレーシアでインターンに参加したりもした。タイにいる間はSIFE (Student In Free Enterprise)っていう、大学生、ローカル住民、企業の3者が協力して地域問題を解決する社会貢献NPOに参加したのが印象に残っている。私のプロジェクトは、当時の中国で幅広く普及していた、Rice Parachuteっていう田植え手法をタイの農家に導入して、生産性を向上するプロジェクトだった。社会問題や環境問題がどのように解決されてビジネスになっていくのかを、肌で感じることができてすごいいい経験になったんだ。大学生と現地住民と企業を、社会問題を通じてマッチングさせる仕組みもすごいなと思った。


(周): Mukiはネットワークがすごく広いよね。中国で有名な経済学者のX教授のタイ副総理訪問のアレンジとかもしてたけど、そういうネットワークを築くコミュニケーション力も大学での活動を通じて身につけたの?

(M):コミュニケーション以外は取り柄がなかったから自然にそこに行き着いた感じ(笑)。母親は数学とかがすごく得意で整理整頓もバッチリな理系タイプなんだけど、なぜか私は理系は全然だめ。気づいたら人と人を繋ぐことで新たな価値を生み出すことを重視していた感じかな。


(周):ネットワークがきっかけで卒論の指導教官もX教授に?卒論のテーマは?

(M): うん。タイの副総理との橋渡しをした縁もあって、指導教官を引き受けてもらえたの。私のキャリアではネットワークを重視してるから、一番有名な教授に指導して欲しいっていうのもあった(笑)。教授からは最初、アジア通貨とアメリカドルの比較研究テーマをもらったんだけど、自分の将来に関係することを研究テーマにしたくて、中国経済の新常態(経済の高度成長を終えた後の緩やかな成長フェーズ)がアジアの製造業(Factory Asia)やサプライチェーンに与える影響を研究しているよ。帰国後の親のビジネス経営に役に立つといいなと思って。


(周):  卒業後はすぐに親の仕事を手伝う予定?

(M): ううん、まずは帰国してからタイの企業に就職するつもり。タイに進出する中国企業向けのコンサルティングでビジネス経験を積んで、それから親のビジネスの経営に参画したい。


(周): タイのビジネス環境ってどんな感じ? 中国との関係は?

(M):私の中のタイビジネスのイメージは、イノベーションが全く起きない古い市場って感じ。タイのお金持ちになる方法って言ったら不動産くらい。タイで最大のコングロマリットはCPグループってところなんだけど、タイ国内よりも中国にすごく投資してる。ちょっと前に、日本企業(伊藤忠)と一緒に、中国のCITIC(中国中信)に巨額出資して話題になったね。タイの現状を考えると今の中国のインターネットを中心にイノベーションを起こそうという風潮はすごくいいなと思う。


(周): 中国経済の成長は一段階して、新常態(New Normal)に入ったけど、将来の中国市場に何を期待している?

(M): Peter Thielが授業(※)でも言っていたけど、中国の成長って日本と似ているよね。日本は既存のプロダクトのコピーから初めて、それを改善して、最終的にイノベーションにつなげて経済大国になったけど、その後は成長が停滞している。中国は今、既存のプロダクトをコピーして経済規模は大きくなったけど、この先、新常態のフェーズでどうなるかは楽しみ。成長は鈍化する替わりに、品質が向上して、スタートアップが生まれて、そこから新たなイノベーションが生まれることを期待しているよ。そうすれば、中国から製品を輸入している家族のビジネスにもプラスになると思う。今度、その辺の日本の経済発展事情についても詳しく教えてね。

(※中国でもベストセラーとなった「Zero to One」の著者で、PayPal創業者のPeter Thielによる清華大学特別授業)


(周):話は変わるけど、去年は授業すごくいっぱい取ってたよね。インド、シンガポール、ボストンMITとかのStudy Tripも全部参加してたけど、今学期も授業履修するの?

(M):卒業に必要な単位は揃ってるんだけど、今学期はなるべくたくさんの授業や講演を聴講しようと思ってる、教授とのネットワークも広がるしね。講演とか授業に出ることは、もう趣味のひとつなんだ(笑)。あと力を入れているのは、自分でのイベント運営かな。クラブ活動だったり、清華大学EMBAの中国人エグゼクティブのお手伝いだったり。イベント企画、人集め、通訳、資料作成とかなんでもやってるよ。全部ボランティアだけど、それを通じてネットワークがすごい広がってるね。


(周): 中国語は問題なさそうだけど、北京に来て困ったことはあった?

(M): あるある。中国語しゃべれると言っても南部なまりの外国人だから相手にしてくれないこともたまにあるし。あとはノートパソコンのキーボードが壊れた時に修理に行ったら、タイキーボードがめんどくさいからって修理を断られたり、自転車修理したら新品買うより高い修理費を請求されたりとかもあったかな(笑)。


(周):今日は色々教えてくれてありがとう、日本に来るときは案内するから教えてね!


第1回Reinhart / インドネシア 「めざすはインドネシアのアリババ!」

<プロフィール>
1991年インドネシアの首都ジャカルタで自動車部品販売会社を経営する両親(非華僑)の5人兄弟の末っ子として生まれる。シアトルのワシントン大学でIndustrial Engineeringの学位を取得、卒業後ホイール製造会社での生産管理エンジニアを経て、Amazon.comシアトル本社に入社。システムアナリストとして1年間Amazonの北米配送ネットワークの分析・最適化プロジェクトに従事。同社退職後、2014年9月清華大学(Tsinghua-MIT Global MBA)に入学し、2016年3月から中国国営の某投資ファンドのインターンシップ生として、インドネシア市場分析を担当予定。同年夏、MBA修了後はインドネシアに戻りEコマース関連の起業を目指す。


周藤(以下、(周)):出身はインドネシアだけど、大学はアメリカに行ったんだよね?

Reinhart(以下、(R)):5人兄弟の末っ子としてインドネシアの首都ジャカルタで生まれた。両親はデンソー等の海外メーカーから輸入した自動車部品をインドネシアで販売する店を経営している。4人の兄はみんなオーストラリアの大学に留学をしていたんだけど、自分は教育水準のより高いアメリカにどうしても行きたかった。ハリウッド映画やアメリカンフットボールとかのアメリカ文化への憧れも強かったしね。当時は米ドルに比べて豪ドルが高くて、コスト的なメリットもあったのでなんとか親を説得できて、シアトルのワシントン大学へ入学することができた。将来は親のビジネスを手伝いたいという気持ちから、Industrial Engineering(以下、IE)を専攻した。


(周): IEってどんなことを勉強するの?

(R):MBA1年目に必修授業だったオペレーションマネジメントと同じかな。科学的・数学的なアプローチで工場を如何に効率的にマネジメントするかという内容。在庫管理、品質管理、生産の待ち行列の最適化、他には有名なトヨタの生産方式とかかな。


(周): 大学卒業してからAmazonに?

(R): 両親が自動車業界でビジネスをしていることもあって、在学中には某自動車会社のインターン生として、大学で学んだIEを活かした仕事をすることができた。卒業後はシアトルのホイール製造会社に生産管理のエンジニアとして就職したんだけど、仕事のペースが思っていたより遅くて、もっと多く学んで、もっと早く成長したいと思っていた。そんな時に、運良くAmazonのシアトル本社からオファーを貰ったので転職をしたんだ。


(周): Amazon本社ではどんな仕事をしたの?

(R): 北米エリアのAmazonの商品配送状況を分析して、配送スピードとコストを最適化することが仕事だった。Amazonの分析ソフトはインドのエンジニアチームが作っていたんだけど、自分はその分析ソフトで作った新たな配送ルールに基づいて、倉庫管理チーム、カスタマーサポート、配送会社などを巻き込んだ業務プロセス改善プロジェクトの運営をしていた。


(周): アメリカでのキャリアを着実に積んでいるように見えるけど、Amazonを急に辞めたのはどうして?

(R):将来の自分の夢がだんだん見えてきたことがきっかけかな。インドネシアでは、タバコ会社と銀行を中心とした伝統的な財閥がずっと富豪ランキングで不動の1位にいるような状況なんだけど、もしかしたら将来インターネットがインドネシア市場の状況を変えるかもしれない。中国の百度とかアリババのようにね。中国インターネット企業とかインドネシアの財閥と比べると規模はまだ小さいけど、最近ではGO-JEK(最も有名なバイクタクシー配車アプリ)創業者のNadiem Makarimや、Tokopedia(最大のC2Cオンラインマーケット)創業者のWilliam Tanuwijayaとかの伝説の起業家が生まれている。そんな中、自分もインターネットを中心としたEコマースのビジネスをインドネシアで始めたいと思ったんだ。それがAmazonを辞めてMBAを取ろうと思ったきっかけかな。両親のビジネスは既に兄たちがサポートしているしね。


(周):アメリカではなく中国のMBAを選んだのは?

(R):まず個人的には、アメリカのMBAはハーバードとかMITとかTOP10のMBAに行かないと、あまり高く評価されないと思っている。でも自分は仕事の経験がまだ足りていないから、TOP10に行くのは難しいし、学費も高すぎる。それに、インドネシアの会社にとって、アメリカはそれほど魅力的な市場ではなくて、地理的にも政治的にも中国市場との親和性のほうがずっと高いんだ。中国に留学するインドネシア人はたくさんいて、中国の学部を卒業したインドネシア人たちはインドネシアで中国関連の仕事を見つけている。だから将来インドネシアで起業するなら、中国のトップ大学でMBAを学んだほうが、アメリカでMBA取るよりもずっといいと思ったんだ。中国でビジネス経験を積んで、中国語を学んで、人脈も築けるし、それに中国MBAはアメリカと比べると授業料も生活費もずっと安いしね(笑)


(周): 清華大学に決めた理由は?

(R): 正直、中国でMBAを取ると決めるまで中国の大学名は1つも知らなかった(笑)。本当はキャンパスビジットとかもするべきだったんだけど、時間がなかったので色々とインターネットで調べて、国立の清華大学、北京大学、復旦大学、あとは私立のCEIBSがトップスクールなんだと分かった。その中から清華大学を選んだのは、公式サイトを見たり、MBAオフィスの人や学生との対話を通じて、清華大学がMBAとして一番洗練されていると感じたから。それに、清華MBAはMITと提携していて、教育の質が高そうだと思ったのも一つの理由かな。2番目にいいと思ったCEIBSは私立で学費も高いし、国際化されすぎていて中国色が薄そうと感じたのでやめた。


(周): いきなり北京に来て困ったことはあった?

(R): やっぱり北京の大気汚染は今でもかなりつらいね。あとは当然、言葉の壁もある。外国人留学生が北京の交通状況はクレイジーだって言うのをたまに耳にするけど、インドネシアのジャカルタと比べると全然まし(笑)ジャカルタなんていまだに地下鉄がないからね。北京は物価が高かったり、サービスレベルが悪かったり不便な面もあるけど、大気汚染を除けばトータルでは住みやすいんじゃないかな。


(周): MBAの修士論文でインドネシアと中国のEコマースの比較研究をしているって聞いたけど、内容について簡単に教えてもらってもいい?

(R): まず、インドネシアの状況は、少し前の中国にすごく似ている。インターネット普及率が爆発的に増えていて、インターネット使用者数は東南アジアの中では最多の国になった。それに伴って、Eコマースも爆発的に普及し始めているんだ。オンラインショッピングのB2CビジネスではドイツのRocket Internetが創立したLazadaが人気だし、日本からは楽天(インタビュー後にマーケットプレイス閉鎖発表)、中国からはJD.com(京東)が進出して競争が激化している。中国の淘宝のようなC2Cモデルでは、さっきも話した、Tokopediaが日本のソフトバンクから出資を受けてシェアを急拡大中だよ。あとはClassified Adモデルと言うんだけど、Kaskusという会社が中古品を販売したい人たちを繋ぐ巨大な広告コミュニティーを形成している。こんな感じで、インドネシアのEコマース市場は急拡大中だけど、他国にはない大きな問題が2つある。
1つにはインドネシアは主要な5つの島と無数の小さな島で成り立っているので、輸送コストが非常に高い。島間の輸送は飛行機を使う必要があるし、公務員への賄賂やマフィアへのみかじめ料のような不透明なコストが未だに存在している。
もう1つは、インドネシア人はオンライン決済を信頼していなくて、Eコマースの決済は未だに銀行振込や代引きが中心、最近ではセブンイレブンでのコンビニ決済もできるけど、クレジットカードとかPayPalのようなオンライン決済は全然普及していない。この辺りは中国の支付宝とか微信支付とかはすごく面白いモデルだと思う。


(周):修士論文書き終わったあと、3月から上海で中国の投資ファンドでアナリストとしてインターンをするって聞いたけど、Eコマース業界ではなくて金融業界をインターン先に選んだのはなぜ?

(R): 本当は、アリババとかのEコマース事業を抱えている企業でインターンができればベストだったんだけど、ビジネスレベルの流暢な中国語が条件だったので難しかった。重視したのは、中国の大きな会社で、中国語も使って仕事ができる機会が得られることかな。やっぱり中国語を伸ばしたいからね。ちなみに上海の住居を負担してくれるかわりに、インターンの“日給”は、Amazon時代の“時給”以下なんだけどね(笑)。


(周):清華MBA卒業後はインドネシアに戻るの?

(R):まずはインドネシアに戻った後、両親と中国を旅行しようと思っているよ。その後は、インターン先のインドネシア支店開設プロジェクトに参加できたらいいなと思っている。でもやっぱり、金融業界は自分の最終ゴールではないので、最終的にはインドネシアのインターネット企業で経験を積んで、インドネシアに自分の会社を作りたいんだ。


(周):今日はありがとう、色々勉強になった。インドネシアでの起業、期待してるよ!


第3回Todd / アメリカ 「中国人パートナーとMBA在学中に北京で起業!」

<プロフィール>
1973年、日本人の父親と韓国人の母親のもと、ニューヨークで生まれる。コネチカット、ミネソタ、マサチューセッツなど、アメリカ各地で育ち、カーネギーメロン大学で機械工学学士を修了。卒業後、キャタピラー(Caterpillar Inc.)で働きながら、パートタイムでブラッドリー大学の機械工学修士を修了。キャタピラーの設計技術者としてアメリカとフランスで8年勤務した後、2005年にキャタピラーと中国企業のジョイント・ベンチャー設立のため中国へ。その後、風力発電事業会社の中国担当を経て、清華大学Tsinghua-Global MBAプログラムに参加。在学中に北京で起業し、個人向けアプリ事業会社WecareのCEOとして奮闘中。




周藤(以下、(周)):家族のバックグラウンドについてもう一度教えてもらえる?

Todd(以下、(T)):これはいつも説明するのが難しいんだけど、国籍上、父親は日本人で、母親は韓国人、自分はアメリカ。でも、両親も自分も、日本語、韓国語は話せなくて、ほとんどアメリカ人と変わりないね。父親はアメリカのIBMに勤めていたけど、今はリタイアして夫婦でハワイに暮らしてるよ。


(周):中国に来たのは何で?

(T):キャタピラーで設計技術者として、アメリカとフランスで8年くらい働いた後、本当はアメリカの西海岸でMBAを取ろうと思ったんだよね。そんな時に、ちょうどキャタピラーが中国市場のテコ入れで、中国企業とのジョイント・ベンチャーを設立することになって、自分に中国行きのオファーがきたんだ。両親の仕事の都合で子供の頃から引っ越しを繰り返していた影響もあって、生活環境を変えて、色々な経験をして、新しい人と出会うことがすごく好きだったから、中国という全く違う環境に挑戦したいと思ったんだ。


(周):中国にきた時はやっぱり大変だった?

(T):中国の地方都市で仕事をしていた時に、中国人から受け入れられるのにすごく時間がかかったのを今でも覚えている。100人くらいの技術者の前で重要なプレゼンをしたときなんか、参加者はみんなノーリアクションで一言も発せず、責任者が一言だけ”Good Work”って。当時はすごい不安だったね。


(周):それが今では中国で起業するまでになったんだね。

(T):うん。MBA1年目の冬休みを利用して、2015年3月に中国企業として北京に法人を設立したんだ。今のところ会社のメンバーは5人で、アプリを通して個人の生活にインパクトを与えることを企業理念として、既に2つのアプリをリリースしている。1つ目のアプリ流年(Liunian)は、Managerial Thinking(*1)でMBAクラスメートと考えたアイデアを発展させたもので、人生で重要なイベントの動画を未来の指定した日に家族や友人とシェアできるアプリ。本当は中国の旧正月を利用してアプリをリリースして一気に広めようと思っていたんだけど、開発に問題があってリリースが遅れて、いい時期を逃しちゃった感じだね。それで、今は2つ目のファッションSNSアプリ拉我(LAWO)に注力していて、今、βテストを終えて、近日中に正式版をリリースするところ。

(*1)人間の行動や考えを起点とした新しいアイデアを生み出す枠組み「デザインシンキング」を通じて、中国で新しいビジネスを提案する清華大学MBA1年目の授業


(周):自分もベータテストでLAWO使ってみたよ。アプリの特徴とターゲット層についてもう少し教えてもらえる?

(T):特にハイクオリティなファッションに関心のある中国人の若い女性をターゲットとしていて、ユーザがアプリのSNSを通じて、今日のコーディネートやファッションスタイルをシェアできるんだ。あと、SNS内にはファッションのプロもいるから、コーディネートのアドバイスや意見をもらうこともできるよ。市場としては北京と上海をメインターゲットにマーケティングキャンペーンを進めていく予定。本社は北京だけど、ファッション中心地の上海にもメンバーが2人いるんだ。


(周):資金調達はどうしているの?

(T):今のところ、全部セルフファンディングだね。集まったメンバーは、みんな会社の理念に共感してくれていて、ストックオプションの報酬のみで働いてくれているんだ。今はオフィスもないから、必要なのは開発費用くらいだね。


(周):良いチームメンバーが集まったんだね。でも将来、ビジネスを拡大する時は外部からの資金調達も考えてるよね?その時は、中国と海外どちらから資金調達しようと思ってる?

(T):うん、時期がきたら外部からの資金調達も考えているよ。でも外部投資を受け入れるとしても、ある程度のボリュームのユーザを獲得してからかな。投資の受け入れが早すぎて失敗している会社がいっぱいあるしね。あと、投資元については周りからよくアドバイスされるんだけど、中国ではなくて海外からの投資を探したほうがいいって。中国からの投資は一見するとすごく魅力的なんだけど、あとになって契約内容(タームシート)と違う主張をされるリスクがあるみたい。家族とか信頼関係が深い相手からの投資でない限りは、そういうリスクは避けたほうがいいっていうのが今のところの考えかな。


(周):起業に際してMBAは役に立った?

(T):まず清華大学のMBAに来ようと思ったきっかけが、清華大学にあるx-lab(*2)なんだよね。起業のアイデアはあっても、理念に共感してくれるIT技術者をどうやって探すかが課題だった。そこで、入学後すぐにx-labに申し込んで人探しをして、最終的には清華大学パートタイムMBAのOBで、外資IT会社に勤務していたすごく優秀な人をチームに誘うことができたんだ。スタートアップでは、起業理念にフィットする優秀なメンバーを探すのが一番難しいと思うんだけど、それを助けてくれたのはすごくありがたかったね。

(*2)清華大学生の起業をトータルサポートするインキュベーションセンター。


(周):修士論文のテーマも起業に関連したこと?

(T):そうだね。修士論文では「なぜ多くのスタートアップが失敗するのか?」をテーマにアントレプレナー(起業家)の失敗要因や投資家の投資基準を分析している。起業/投資成功率を高めるための評価基準みたいなものを作って、成功率をどうにかあげることができないかってね。例えば、注目している基準の一つは、創業者個人の性格。投資家目線だと、ビジネスの状況や創業者の経歴ばかりに目がいきがちだけど、実際は性格面の影響も大きいと思うんだよね。よくアントレプレナーは外向的な人が多いと言われるけど、外向的すぎる、傲慢な性格が原因でビジネスが失敗に終わることも少なくない。トップレベルのアントレプレナーは実は内向的な人が多くて、そういう人達は詳細な部分まで目が行き届くんだ。例えばアメリカでは、実際は40%のCEOが内向的な性格だっていう研究結果もある。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットとかね。


(周):修士論文ではアメリカの投資環境の研究にフォーカスしてるみたいだけど、中国とアメリカでは違いも大きいんじゃない。

(T):修士論文では主にアメリカの投資を研究対象としているんだけど、指導教官の計らいで、中国トップの投資会社で最年少でゼネラルパートナーになった中国人にインタビューすることができたんだ。彼が言っていた大事なことは、投資の前に、創業者とそのチームを知るために3〜4ヶ月間を費やすということ。朝食で何を食べたかから始まって、彼らが一日をどう過ごしているかの詳細な調査を通じて、創業者とそのチームをものすごく深いレベルで理解すること。それが彼が高い投資成功率を保っている秘訣だった。もちろんアメリカと中国の違いは大きくって、ビジネスのスピードや規模、技術環境も全然違う。ただ、成功のキーファクターになり得る創業者やチームの性格は変わらないと思っている。


(周):最近では中国に起業ブームが起こっているよね。同時に中国の経済成長も減速していっているけど、将来の中国経済の状況についてはどう見ている?

(T):このまま減速が続くと思うね。中国はかなり大量の負債を抱えているから、近い将来それを清算しなければいけない時がくるはず。新常態(*3)では、毎年6.5%のGDP成長を安定的に維持すると言われているけど、それは難しいと思っている。中国は今、製造主導の時代から消費主導の時代に変遷していっていて、製造がくずれると地方都市で仕事を失う人も増えてくしね。

(*3)中国の高度経済成長を終えた後の、緩やかな成長フェーズ


(周):だからこそ中国政府は今、民間のスタートアップとかイノベーションにすごく力を入れてるよね。だからチャンスも多いってことでもあるのかな?

(T):そうだね。中国スタートアップの95%以上が失敗に終わってるけれども、それでもビジネス成功のチャンスはあると思う。今の中国スタートアップは欧米の既存サービスをコピーしただけで成功している企業もあるし、やっぱり人口10億人以上のネットワーク効果はあなどれないね。


(周):今日はありがとう!すごく楽しかった。起業がうまくいくことを願ってるよ!


第4回Maria / ペルー「中国からラテンアメリカへのインパクト投資を創りだす」

<プロフィール>
1985年ペルーの首都・リマ生まれ。ペルー、中国、イタリア、スペイン、アフリカ混血をルーツに持つ。ペルーで中国人を支援しているカトリックの高校を卒業後、ペルーのトップ大学ペルーカトリカ大学でジャーナリズムを専攻。在学中には大学初の中国交換留学生として北京大学に留学し中国語を学ぶ。大学卒業後、清華大学大学院にて中国語で国際関係学を専攻。修士課程修了後、ペルーの新聞社、スペインの通信社でのジャーナリスト経験を経て、清華大学MBAへ進学。卒業後は、中国とラテンアメリカの関係を強化することをビジョンに、中国人のラテンアメリカ向け対外投資支援プラットフォームの立ち上げを計画中。




周藤(以下、(周)):もう中国に住んで9年目だよね?最初の中国との関わりは?

Maria(以下、(M)):実は高校のころから中国と関わりがあるの。私の高校はカトリックの司祭が中国人を支援するために始めた私立高校で、中国人は無料で入学できるの。私の曽祖父が中国人ということもあって、そこに入学したの。と言っても、私はスペイン語を使うクラスにいたから、この頃、中国語は全くわからなかった。あと、私の家庭は、いろいろな人種がミックスしていて、中国の血も入っている。大学生のころ中国に初めて来るまでは気づかなかったんだけど、家族の日常生活の中に、食習慣とか中国の習慣が一部あったってことを考えると生まれた頃から一応中国とは関わりがあるかな。でも、もう中国9年目だし、兄は去年北京でバー経営を始めて、弟は去年から私と同じ清華大学MBAに入ったし、気づいたらもう家族で中国にどっぷり。


(周): 初めて中国に来たきっかけは?

(M):私はペルーの大学でジャーナリズムを専攻していたんだけど、大学がちょうど北京大学との交換留学を始めて、私が第一号の実験台として北京大学の国際関係学に留学したの(笑)。授業は英語のはずだったんだけど、なぜかHSK(中国政府公認の中国語資格)の中級レベルに受かってからじゃないと英語の授業が受けられない変な決まりがあって、必死に中国語を勉強したね。


(周):初めてきた時はやっぱり苦労した?

(M):もちろん。冬でも気温15度くらいのペルーに比べると北京はすごい寒いし、なにより中国語がニーハオとシェイシェイくらいしかわからなかったからね。しかも、交換留学のクラスメートには英語をしゃべれる人がほとんどいなかったから、ジェスチャーと片言の中国語でずっと一緒に大学生活を送ったんだ。でもその生活はすごく楽しかったよ。当時、ペルー⇔中国便は当時30時間はかかって値段も高いから簡単には帰れなかったのもあって、もう必死に勉強して、最後は母国語のはずのスペイン語の発音を忘れるくらいになったからね(笑)。交換留学が終わって、中国語の勉強をもっと続けたいと思っていたから、前から興味があった清華大学の国際関係学(中国語)の大学院に進学した。奨学金ももらえたしね。


(周):中国語始めて1年ちょっとで中国語で国際関係を学ぶって相当大変だったんじゃない?

(M):うん、もう最初の1年はずっと中国語漬けだったけど、授業は半分もわからなかった。国際関係学に特有の難しい単語で頭の中もすごい混乱してた。もう本当に疲れたから1年目が終わった夏休みにはペルーに戻って2ヶ月間ずっと中国語から離れて生活したんだ。それから北京に戻って2年目が始まった時に、不思議な事が起きたの。2ヶ月間中国語を全く勉強していなかったのに、急に授業がほとんど理解できるようになった。休んだことで脳の中が整理されたのかな。


(周):具体的にはどんなことを勉強したの? 語学以外に苦労したことはあった?

(M):研究のテーマは中国とラテンアメリカのSouth-South Cooperation(途上国同士が政治、経済等で国際協力する体制)で、指導教官は清華大学で唯一ラテンアメリカの研究をしているアメリカ人教授だった。中国での汚職問題とかセンスティブな話題も取り上げてたせいもあって、学位審査でけっこう反対されて、結局は一部修正したりとか、語学意外にもいろいろ苦労したよ。あと、当時の清華大学では国際関係学は政治学に属していたみたいで、卒業証書の学位が国際関係学じゃなくて、政治学で発行されたり、とかのどんでん返しもあったよ。


(周): 卒業後は中国でジャーナリストに? 中国だと規制とかあって大変だったんじゃない?

(M): うん。ずっと社会に対して良いインパクトを与える仕事をしたかったんだけど、報道を通じて国際関係を改善できればなと思って、スペインの通信社のジャーナリストになった。中国でのラテンアメリカに関連する政治、経済、文化、イベントとかの取材が主担当だったけど、そもそも中国語とスペイン語を両方話せる記者がいないこともあっていろいろな経験をすることができたよ。中国政府の軟禁から脱出したばかりの人権活動家の陳光誠に取材で突撃したりとかね。でも、やっぱり政治とかセンスティブな話題は取材も難しい。外交部に言って直接質問してもまともに回答してもらえないから、質問を少し変えて違う角度から説明してまた断られたりとかね。でも変化の速い中国では良くも悪くも毎週のようにいろいろな事が起きるからすごく勉強になったよ。


(周): ジャーナリストからMBAに転換したのは?

(M):社会に対して良いインパクトを与える仕事、もう少し言うと中国とラテンアメリカの関係強化の架け橋になりたくてジャーナリズムの道を選んだんだけど、記者の立場だと、よく「お前はただの記者だろ」とか「マネジメントのことも知らないくせに」とか通用しないことが増えてきてね。それに、世界により大きなインパクトを与えることができるのは、やっぱりビジネスなんだって思ったの。それで中国のマネジメントを学ぼうと思って、また清華大学に行こうと思ったんだ。清華大学は中国トップ大学だし、グローバルな面でも海外といろいろなコネクションがあって、中国内外でレベルの高い教育が受けれると思った。実際、フランスに交換留学とかもできたし、いい経験ができたね。


(周): MBA終わってからはどうするの?

(M):今、修士論文の中で1つのプロジェクトを進めていて、それを続けようと思っているよ。中国の経済発展にともなって、今、ペルーに投資をしている中国人も増えている。投資が上手くいけば、お互いの国にとっていいことなんだけど、実際は言語の壁とか、お互いの理解、制度上の問題とかがあって上手くいっていないケースも多いの。中国は今キャッシュがあるからけっこう投資はするんだけど、対象はペルーの伝統的な資源ビジネスがほとんどで、投資を起因とした環境問題とかも発生している。そこで私は、ヘルスケアとかクリーンテクノロジーとかの新しい分野を対象に中国がペルーに良質な投資をするためのプラットフォームを作ろうと思ってるの。特に今考えているのはインパクト投資(利益追求をすると同時に、社会問題の解決の実現を目指す投資手法)の分野で、語学面、制度面、文化面、ビジネス面で中国とペルーの架け橋になりたいなって。上手くいけば、中国とラテンアメリカとの関係まで拡大したい。


(周):今のペルーの産業って具体的にはどんな状況? 最近は中国経済成長がゆるやかになってきてるけどインパクトはありそう?

(M): ペルーの一番の産業は、鉄鋼とか銀とかの鉱物、あとは天然資源で、中国にも大量に輸出してるよ。太平洋に大きく面しているのもあって漁業も盛ん。中国の新常態化はインパクトはないとは言えないけど、それでも世界最大人口の国であることは変わらないし、経済が成熟しつつある今だからこそ、お互いの国の投資品質を向上することができたらなと思ってる。私はもう中国9年目で、いろいろ大変だったけど中国に感謝もしている。中国はペルーから遠くて簡単には行かないけど、もっとたくさんのペルーの人に中国に来てほしいね。ビジネス以外にも、哲学とか文化とか他にも学ぶところはあると思うよ、お互いにね。


(周):今日はありがとう、とりあえずはお互い修士論文頑張ろう!


第5回Rati / ジョージア「アジアでの留学経験を活かし、ジョージアの経済発展に貢献」

<プロフィール>
1989年、黒海に臨む国ジョージアの湾岸都市バトゥミで生まれる。ジョージアの首都トビリシのInternational Black Sea Universityにて国際関係および国際経済を専攻。卒業後はジョージア最大の決済ビジネス関連会社に就職。自身の仕事をする傍ら、父親が経営する建築材販売会社を手伝う。その後、ジョージア政府から支援を受け、アジアへの第一号留学生として中国へ渡る。天津の大学で中国語を学んだ後、清華大学(Tsinghua-MIT Global MBAプログラム)に入学。在学中は中国企業Huaweiでのインターシップや、韓国の延世(ヨンセ)大学校での交換留学を通してアジアビジネスの知見を深める。MBA卒業後は、ジョージア政府の投資機関でキャリアを積み、将来起業を目指す。


周藤(以下、(周)):ジョージア(*1)について簡単に教えてもらえる?

Rati(以下、(R)):黒海に面する人口370万人の小さな国。北はロシア、南はトルコと隣接している。一人あたりGDPはすごく小さい発展途上国だね。産業は銀行業が盛んなのと、あとはワインが有名で、年々輸出量が拡大している。中国にも輸出してるよ。

(*1) 旧名グルジア。2015年、日本での呼称はジョージアに。


(周):ジョージアの中国関連ニュースってどんな感じ?日本ではすごくネガティブなんだよね、事故や大気汚染とか、中国経済はバブルが弾けてもうダメだとかね。日本人とは違う考えを持った留学生から意見を聞きたいなと思ったのが、今回のインタビューの目的の1つでもあるんだ。

(R):基本的にポジティブな内容かな。でもほとんど全てが経済関連のニュース。中国企業が海外進出したとか、中国企業が米国企業を買収したとか。少し前には中国の民間企業がジョージアの銀行を買収したりなんかもあったね。もちろん昨年の中国株式市場が暴落した時は、ネガティブな内容だったけどね。


(周):中国に来たのはどうして?

(R):大学卒業後はジョージアで最大の決済ビジネス関連企業に入社した。そこでの経験はすごく有益だったんだけど、でも徐々に成長のスピードに満足できなくなってきた。もっと色々な知識を得て、色々な経験をしたかった。そこで、自分独自のスキルを習得したくて、中国語か韓国語を勉強しながら、現地の文化やビジネスを学ぼうと思った。あとは、今の経済状況を踏まえると、やっぱり中国のほうに重点を置きたくて、中国に留学することにしたんだ。


(周):交換留学では韓国に行ったんだよね?韓国語以外にはどんなことを学んだの?

(R):うん、韓国の延世(ヨンセ)大学校で5ヶ月間過ごした。韓国に行って勉強したかったのは、なぜ韓国経済があんなに早く成長したのかってことかな。あとは、韓国でサプライチェーンマネジメントを学んで、中国と韓国のサプライチェーン事情を比較したいというのもあったし、中国語以外のアジア言語として韓国語も勉強したかった。


(周):中国と韓国の留学生活で違いはあった?

(R):韓国は中国よりもっと統制がとれてまとまっている感じだね。日本でもそうだと思うけど、例えば、レストランとかでも色々と細かい点まで気にかけている。今日のお店(清華大学近くの日本食レストラン)はすごくサービスがきめ細かいと思うけど、全体的に見ると、このレベルに達している店は北京ではまだまだ少ない印象。


(周):中国生活で困ることはある?

(R):語学もできない状況で中国に初めて来た時は知り合いが全くいなくて、予約したはずの学生寮も取れていない時は、相当焦ったね。それ以降は特に困ったことはないかなぁ。地下鉄とかもすごく整備されていて便利だしね。当然、語学は難しいけどね。


(周):韓国の授業は英語(English)だったんだよね?それに、中国では中国語(汉语)、韓国では韓国語(한국어)も勉強して、ジョージア語(ქართული ენა)はネイティブ、ロシア語(русский язык)までできるんだっけ?異なる起源を持つ言語をそこまで学ぶのって大変そうだけど、特にアジア言語を学ぼうと思ったのはどうして?

(R):ジョージアでは母国語がジョージア語。中学から学んだロシア語と英語はもう問題ないレベルだね。中国語はまだまだだけど、日常会話は問題ないし、得意分野なら授業もなんとか聞き取れるくらい。韓国語は初心者だよ。アジア言語を学ぼうと思ったのは、やっぱり差別化したかったからかな。ジョージアはみんな、言語的にも地理的にも文化的にも親和性の高いヨーロッパを意識していて、アジアを見ている人はすごく少ない。でも中国に関連した投資案件は逆に増えていっているし、中国のニュースを聞くことも少なくない状況だから、今は語学力だけでもある程度武器になるんだ。


(周):MBA卒業後はどうする予定?

(R):卒業後は、いい会社が見つかれば上海か北京でもう少しだけインターンをして中国ビジネスの経験を積みたいと思っている。去年の夏にHuaweiでインターンした時は、色々学ぶことができたからね。でも、今回の留学はジョージア政府の奨学金をもらっているから、半年以内にジョージアに帰国して、政府の投資機関で働くことになってるんだ。中国関連の投資案件も少なくないから、頻繁に中国に来ることになるかなとは思ってる。


(周):長期的には?父親のビジネスを継いだりも考えているのかな?

(R):父親はジョージアで建築関連の会社を経営しているんだけど、それはやりたい仕事ではないから、後を継ぐのはあまり考えていないね。最終的にはやっぱり自分の会社を興したいと思っている。


(周):すでにスタートアップのアイデアはある?

(R):うん、アイデアはいくつかあるよ。例えば、インターンシップ先を探す学生と優秀な学生を雇いたい会社をマッチングさせるビジネス。他にも、シェアリングエコノミー(*2)を利用した、配送ビジネスとかも考えている(詳細なビジネスモデルは非公開)。中国では今、スタートアップが大流行しているよね。実はジョージアでも似たような状況が起こっていて、政府がスタートアップに資金やオフィスを援助する機関などを立ち上げているんだ。個人的には、スタートアップは政府主導になるべきではないとは思ってるけど、ジョージアみたいな発展途上国ではそうするのが正しいのかもしれない。

(*2) 個人が保有する遊休資産(スキルのような無形のものも含む)の貸出しを仲介するサービス。AirBnBやUberなどが代表格。(参照:総務省2015年情報通信白書)


(周):起業の時に狙う市場はジョージアではなくて、グローバル市場になるのかな?具体的にどのエリアを意識している?

(R):そうだね。ジョージアは人口370万人しかいないから、グローバル市場を狙う必要があるね。さっきも話したけど、ジョージアと親和性が高いのはヨーロッパ市場。でも自分はアジアマーケットを狙っていきたいね。まずは中国、あとは韓国や日本もね。


修士論文のテーマに「中国とジョージアの郵送事業の比較分析」を選んだのはどうして?

このテーマを選んだ理由の1つは、将来のスタートアップの配送ビジネスの前準備をしたかったからかな。基本的には郵送事業はどの国でも政府の規制がある産業だから、まずはその法律や発展に応じた規制緩和、税制とかについて詳しくなる必要があると思った。もう1つの理由は、最近の中国の配送事業の変革が、将来ジョージアでも起きると思ったから。中国ではこの数年で、eコマースの爆発的な発展と共に、配送ビジネスも大きく変わったけど、eコマースが発展するには電子決済、配送事業、インターネットとかのインフラ環境の整備も必要不可欠で、色々と学ぶことが多いね。


(周):確かに中国の配送事業はここ数年で急激に発展した印象。確かJD.com(京東)は、配送チャネルを自社で作ったり、色々なビジネスモデルがあるね。ジョージアのeコマースはまだまだ発展途上なの?

(R):あぁ、JD.comが自前で配送網を作ったケースは、中国の配送制度を理解するのに役立ったよ。ジョージアではJD.comやTaobaoみたいな巨大なeコマースは存在しなくて、買い物する時は、基本的には近所のモールに行くね。一応B2Cのeコマースサイトもいくつかはあるけど、品数が圧倒的に少ない。ジョージアはインターネット普及率も43%でまだ低いし、配送網も発達していないから、eコマースはまだまだ発展途上。でも、最近EUと結んだ輸出入に関する協定なんかも後押しして、ジョージアのeコマースは今後発展していくと思ってる。中国の成功モデルを学んで、ジョージアに戻った後の政府投資機関で、ジョージアのeコマース変革を提案したいと思ってるんだ。


(周):今日はありがとう!卒業まであまり時間ないけど、またボーリングでも行こう!


第6回Alice / 韓国「将来はサムスン電子の女性リーダーとして中国市場で活躍!」

<プロフィール>
1984年、韓国ソウル生まれ。高校の3年間を父親の仕事の赴任先である中国山東省の青島で過ごす。高校卒業後は単身でソウルへ戻り、女性リーダー育成をビジョンに掲げる淑明女子大学校で、中国文学および、中国研究特別プログラムの2つの学位を修了。大学卒業後、サムスン電子に入社し中国携帯電話事業における製品/サービスのポートフォリオ戦略や事業計画を担当。2014年、中国北京の清華大学(Tsinghua-MIT Global MBAプログラム)に社費留学。MBA修了後は中国ビジネスへの深い見識と経験を活かし、サムスン電子中国事業のエキスパートを目指す。


周藤(以下、(周)):高校で中国に行った経緯を教えてもらえる?

Alice(以下、(A)):私が小さい頃に、父親が仕事の関係で中国山東省青島市にある平度市に赴任することになったの。でも、当時は私の弟もすごく小さかったし、平度市で外国人を受け入れる教育制度もそこまでは発達していなかったから、最初は父が単身赴任で行くことになった。でも1992年の中国と韓国が国交樹立して以降は中韓の関係性も良くなっていったし、中国経済もどんどん発展していった。2000年になるころには弟も大きくなっていたこともあって、家族一緒に平度市で住むことにした、それが私が高校1年生のころだね。


(周):高校は中国ローカルの学校? ネイティブレベルの中国語はその時に身につけたのかな?

(A):うん、ローカルの高校で私以外はみんな中国人だったからすごく大変だった。中国に来たときは、中国語は全くできなかったしね。でも当時、中国の家には中国語の先生と中国人のコックがいて、家でも学校でも中国語漬けだったから、3、4ヶ月くらい経った頃にはだいたい高校のクラスの内容は分かるようになっていたかな。あと、中国語の上達にすごく役立ったのは、現地の中国人が使っている教科書を小学1年生から高校まで全部勉強したことかな。それこそ算数の1+1=2(一加一等于二)とかから始めたよ(笑)。それに韓国では小学生か中学生のころ、みんな漢字を習うの。私も中学校で漢字を勉強していたから、そこはすごく役だった。


(周):語学以外には中国で何か大変なことはあった?

(A):うーん、特に無いかなぁ。あえて言うなら、韓国人が少なかったことかな。当時、青島の郊外の平度市には韓国人がほとんどいなかったから、韓国レストランや食材が手に入らなくて、韓国料理が恋しかったくらい(笑)


(周):高校を卒業したあとは、家族から離れて、韓国の大学に通ったの?大学ではどんなことを学んだ?

(A):うん。当時、家族はまだ中国に住んでいたけど、私は韓国の大学に行くために1人で帰国して大学の寮に住むことにした。今では家族はみんな韓国に戻ってきているけどね。大学で専攻したのは中国文学と中国研究のスペシャルプログラムの2つの学位。中国文学では孔子とかの古代の中国文学から、莫言(*1)とかの現代文学まで学んだ。中国研究特別プログラムというのは、中国に関することを広く学ぶ分野で、中国の政治、社会、歴史、経済とかを勉強したよ。

(*1) 2012年、中国籍の作家として初のノーベル文学賞を受賞


(周):大学生の時点ですでに中国通だったんだね。それで中国市場にも強いサムスン電子を選んだのかな?

(A):そうだね。高校の頃からずっと中国に関わっていたから、仕事も中国に関係することを選びたかった。当時サムスンは中国市場の携帯シェア拡大を狙っていたから、中国スペシャリストとして大学から推薦を受けて入社した。私の大学は女性リーダー育成をビジョンに掲げていて、中国研究特別プログラムの私の学部は、サムスンの中国事業と関係性があるんだ。


(周):入社したのは2007年?当時の中国の携帯市場は今とは全然違ったんじゃない?自分は2011年に大連に3ヶ月住んだことがあるんだけど、当時はスマートフォン持っている人なんてほとんどいなかったし、Wechat(*2)もなかったね。

(A):うん。当時の中国ではスマートフォンは全然流通していなくてフィーチャーフォン(日本のガラケー)が主流だった。2011年なら中国にもスマートフォンはあったと思うけど、知っている人はほとんどいなかったんじゃないかな。それが今や中国ではみんながスマートフォンを使っているし、小米(Xiaomi)とか華為(Huawei)とかの中国のローカルブランドがどんどん市場に入ってきているよ。

(*2) 中国版Line。6億人以上のユーザを有する中国のスマートフォン用メッセージアプリ。


(周):Aliceの中国携帯市場分析をテーマにした修士論文の発表聞かせてもらったけど、中国ブランドのシェアの伸びはすさまじいね。北京に住んでいると半分くらいの人はiPhoneを使っているように錯覚するけど、中国全体だと実際にはiPhoneは10%強のシェアしかないんだね。シェア2位、3位のOPPOとVIVOなんて北京ではほとんど見たこともなかったよ。中国は同じ1つの国でも違いが大きいね。

(A):そうだね。OPPOとVIVOは、もともと同じ会社が販売している中国ブランドで、中間層の都市をターゲットにしている。だから北京ではほとんど流通していないんじゃないかな。中国人なら名前くらいは知っていると思うけど。だからサムスンでも都市の違いを意識して中国向けの製品を開発する必要がある。


(周):話題は変わるけど、清華大学のMBAって2014年は8人の韓国人がいるけど、年々増えているよね。2015年は15人前後、2016年は噂ではもっと増えて、しかも韓国の大企業からの社費留学生がすごく増えるとか。韓国の学生は中国ではどんな大学に留学しているのかな?

(A):うん、中国市場は韓国の大企業にとってはすごく重要な市場だからね。サムスンも毎年アメリカ、ヨーロッパ、中国、日本なんかに留学生を派遣しているよ。韓国人の中では、北京に留学する人がやっぱり多いと思う。中国トップ2の、清華大学と北京大学があるからね。


(周):Aliceが北京MBAじゃなくて、清華MBAを選んだのは?

(A):清華大学MBAは私達の代(2014年)から、中国人向けMBA(中国語で授業)とインターナショナル向けMBA(英語で授業)が統合してGlobal MBA(原則は英語。一部授業や選択科目は中国語も選択可)になったよね。清華Global MBAなら、中国ビジネスだけに特化した内容だけではなくて、グローバルの最新の内容も同時に学べるのに魅力を感じた。あとは、清華MBAのほうがクラスの種類が豊富だったり、卒業生のネットワークが強そうだと思ったからかな。


(周):清華MBAは1年目はすごく忙しいけど、2年目は比較的時間が空くよね。交換留学したり、中国語学校に通ったり、インターンしたり、起業したりとか色々な人がいる。Aliceは2年目はどう過ごしたの?

(A):私は韓国の大学では中国漬けだったから、経済学とかマネジメントとかMBAで学ぶような内容をほとんど勉強してこなかった。だから、清華MBAでは2年目も、そういう知識を強化するために時間をつかったね。卒業単位は足りているけど追加でMBAの授業に出たり、色々な本を読んだりした。あとは、雲南とか中国の行ったことのない都市を旅行したりもしたよ。


(周):MBA卒業後のキャリアはどういうふうに考えている?

(A):留学後の仕事内容はまだ決まっていないけど、まずはサムスンの留学前の部署に戻って、中国市場に関連する仕事につくことになるとは思う。短期的には色々な困難や環境の変化にどんどん挑戦して、自分を成長させたいと思っている。それにサムスンで身につけた技術力や清華大学で学んだMBAの内容を活かして、サムスンの中国事業のエキスパートとして、他人に影響をあたえることができる女性リーダーになることが最終目標なんだ。


(周):今日はありがとう、今度は卒業式で会おう!(帰国直前にインタビュー実施)