谷奥の幅の狭い場所に姉ARの家はあった。長男JMの家とそっくりで、四角い積み木を置いて並べたような家だ。ドアを開けると姉ARが笑顔で迎えてくれた。昨日の困難な旅路を共にしたせいか、女性の包容力か、彼女を前にすると不思議な安心感に包まれ互いに笑顔で頷き合った。地面よりも一段高くなっているところに腰をかける。綺麗な手編みの絨毯が敷き詰められているこの十畳ちょいの空間で、寝たり料理をしたり、また家族団らんを過ごす。
皆お昼を済ませたあとのようで、我々来客には杏子を砂糖で煮た甘い飲み物を出してくれた。これがまた旨い。その美味しさが顔に出たか、姉ARは杏子を次々と皿に盛ってくれた。人間の基本的な感情を伝達するには言葉は不必要なのかもしれない。杏子の種はなかの実まで食べる。便利な生活とはほど遠い谷では、この実が貴重に思えた。子供達はうまくその辺の石を手に取り、パチ、パチと種を叩き割ってなかの実を吟味している。
姉ARの家を後にして私とJMは谷を更に奥へ進んだ。30分ほどバイクで走って、次なる家へ到着。この家はなんだか慌ただしい。来客も多数いるようで、誰かが屋根へ登って、なにやらアンテナみたいなものをいじっていた。「ボルド!」「ボルド!」と家のなかから叫び声が聞こえた。恐る恐る室内へ入ると、大人数名が15インチほどのテレビを囲み、映像が映し出されるたびに「ボルド!」と叫ぶ。その声に応答して、窓から顔を出しているもう一人が屋根の上へ「ボルド!」と伝える。ただ、時間差が微妙にあり、この「ボルド!」が何度も繰り返されているのだ。私は皆の叫び声に調子を合わせて「ボルド!」と叫んでみた。皆がフッと笑い、暗い室内に笑顔が映えた。このキルギス語は、「ok」や「十分」という意味に当たるらしい。漢族の中国人さえ足を踏み入れたことのないというこの辺境でテレビを見るとは思ってもいなかった。アンテナの設置には約1時間半を超える労働と「ボルド」という叫び声が何度も谷にこだましたのだった。