麓へ着いたのは辺りが青白い光に包まれようとする明け方。
町はずれの舗装されていない道の上で、我々のバイク7台は前方から順に停まった。
緊迫した足とカチカチになった重たいお尻をバイクから降ろすと、
突然、前方の男が大泣きし始めた。
恥ずかしさなどこれっぽちもない様子で、とにかく辺りかまわず泣いている。
わけがわからない。嘘泣きかと思わせるほどの大胆な泣き方。
その男の両側を2人の男が肩で持ち上げるように支えている。
2人に支えられた男は泣きながら前に進んでいる。
混乱する気持ちをよそに写真に収めようと彼らの前方に回るが、
すぐにJMの鋭い視線が撮影の禁止を意味していた。
信頼を得ることが最大の難関であるこの類の写真で、悔しいがJMの指示に従うことが最善の道であることも感覚的にわかっている。
シャッターに指を置いたまま3人が向かう方向へ進んだ。
どうやら誰か亡くなったらしい。
お葬式のため、急遽山から戻ったのだ。
どうやって山頂に連絡が入ったのかはいまも謎。
彼ら独自の連絡方法があるのだろう。
のちに泣く男の親族と聞かされた故人の家へ恐る恐る足を踏み入れた。
陽も出てない早朝、すでに沢山の親戚や知人が室内を埋めている。
視線が吸い付くように私に集まる。カメラを向けるが再度JMに目で控えるように指示される。
このような状況での心境はかなり複雑だ。
遠慮や礼儀を重んじる心が、撮影したいと焦る衝動と入り交じる。
超えてはいけない一線を慎重に慎重に広げていく。
結局、今回その一線は超えられず、室内では撮影を許されなかった。
人の死に対して、それぞれの迎え方や送り方があると思う。
この地の人はとにかく泣いて故人を送り出す。
土地柄の習慣か宗教的な理由か。
路上で泣き始めた男は、室内でも親戚がなだめればなだめるほどに大声で泣いて止まなかった。
その日の午後、故人は町はずれの丘に埋葬された。
丘の斜面にスコップで掘られた大きな穴のなかへ埋葬された。
JMはまたすぐに山へ戻るらしい。
さすがにその日は私も彼も夕方までこんこんと眠った。
おわり