第1回Reinhart / インドネシア 「めざすはインドネシアのアリババ!」

<プロフィール>
1991年インドネシアの首都ジャカルタで自動車部品販売会社を経営する両親(非華僑)の5人兄弟の末っ子として生まれる。シアトルのワシントン大学でIndustrial Engineeringの学位を取得、卒業後ホイール製造会社での生産管理エンジニアを経て、Amazon.comシアトル本社に入社。システムアナリストとして1年間Amazonの北米配送ネットワークの分析・最適化プロジェクトに従事。同社退職後、2014年9月清華大学(Tsinghua-MIT Global MBA)に入学し、2016年3月から中国国営の某投資ファンドのインターンシップ生として、インドネシア市場分析を担当予定。同年夏、MBA修了後はインドネシアに戻りEコマース関連の起業を目指す。


周藤(以下、(周)):出身はインドネシアだけど、大学はアメリカに行ったんだよね?

Reinhart(以下、(R)):5人兄弟の末っ子としてインドネシアの首都ジャカルタで生まれた。両親はデンソー等の海外メーカーから輸入した自動車部品をインドネシアで販売する店を経営している。4人の兄はみんなオーストラリアの大学に留学をしていたんだけど、自分は教育水準のより高いアメリカにどうしても行きたかった。ハリウッド映画やアメリカンフットボールとかのアメリカ文化への憧れも強かったしね。当時は米ドルに比べて豪ドルが高くて、コスト的なメリットもあったのでなんとか親を説得できて、シアトルのワシントン大学へ入学することができた。将来は親のビジネスを手伝いたいという気持ちから、Industrial Engineering(以下、IE)を専攻した。


(周): IEってどんなことを勉強するの?

(R):MBA1年目に必修授業だったオペレーションマネジメントと同じかな。科学的・数学的なアプローチで工場を如何に効率的にマネジメントするかという内容。在庫管理、品質管理、生産の待ち行列の最適化、他には有名なトヨタの生産方式とかかな。


(周): 大学卒業してからAmazonに?

(R): 両親が自動車業界でビジネスをしていることもあって、在学中には某自動車会社のインターン生として、大学で学んだIEを活かした仕事をすることができた。卒業後はシアトルのホイール製造会社に生産管理のエンジニアとして就職したんだけど、仕事のペースが思っていたより遅くて、もっと多く学んで、もっと早く成長したいと思っていた。そんな時に、運良くAmazonのシアトル本社からオファーを貰ったので転職をしたんだ。


(周): Amazon本社ではどんな仕事をしたの?

(R): 北米エリアのAmazonの商品配送状況を分析して、配送スピードとコストを最適化することが仕事だった。Amazonの分析ソフトはインドのエンジニアチームが作っていたんだけど、自分はその分析ソフトで作った新たな配送ルールに基づいて、倉庫管理チーム、カスタマーサポート、配送会社などを巻き込んだ業務プロセス改善プロジェクトの運営をしていた。


(周): アメリカでのキャリアを着実に積んでいるように見えるけど、Amazonを急に辞めたのはどうして?

(R):将来の自分の夢がだんだん見えてきたことがきっかけかな。インドネシアでは、タバコ会社と銀行を中心とした伝統的な財閥がずっと富豪ランキングで不動の1位にいるような状況なんだけど、もしかしたら将来インターネットがインドネシア市場の状況を変えるかもしれない。中国の百度とかアリババのようにね。中国インターネット企業とかインドネシアの財閥と比べると規模はまだ小さいけど、最近ではGO-JEK(最も有名なバイクタクシー配車アプリ)創業者のNadiem Makarimや、Tokopedia(最大のC2Cオンラインマーケット)創業者のWilliam Tanuwijayaとかの伝説の起業家が生まれている。そんな中、自分もインターネットを中心としたEコマースのビジネスをインドネシアで始めたいと思ったんだ。それがAmazonを辞めてMBAを取ろうと思ったきっかけかな。両親のビジネスは既に兄たちがサポートしているしね。


(周):アメリカではなく中国のMBAを選んだのは?

(R):まず個人的には、アメリカのMBAはハーバードとかMITとかTOP10のMBAに行かないと、あまり高く評価されないと思っている。でも自分は仕事の経験がまだ足りていないから、TOP10に行くのは難しいし、学費も高すぎる。それに、インドネシアの会社にとって、アメリカはそれほど魅力的な市場ではなくて、地理的にも政治的にも中国市場との親和性のほうがずっと高いんだ。中国に留学するインドネシア人はたくさんいて、中国の学部を卒業したインドネシア人たちはインドネシアで中国関連の仕事を見つけている。だから将来インドネシアで起業するなら、中国のトップ大学でMBAを学んだほうが、アメリカでMBA取るよりもずっといいと思ったんだ。中国でビジネス経験を積んで、中国語を学んで、人脈も築けるし、それに中国MBAはアメリカと比べると授業料も生活費もずっと安いしね(笑)


(周): 清華大学に決めた理由は?

(R): 正直、中国でMBAを取ると決めるまで中国の大学名は1つも知らなかった(笑)。本当はキャンパスビジットとかもするべきだったんだけど、時間がなかったので色々とインターネットで調べて、国立の清華大学、北京大学、復旦大学、あとは私立のCEIBSがトップスクールなんだと分かった。その中から清華大学を選んだのは、公式サイトを見たり、MBAオフィスの人や学生との対話を通じて、清華大学がMBAとして一番洗練されていると感じたから。それに、清華MBAはMITと提携していて、教育の質が高そうだと思ったのも一つの理由かな。2番目にいいと思ったCEIBSは私立で学費も高いし、国際化されすぎていて中国色が薄そうと感じたのでやめた。


(周): いきなり北京に来て困ったことはあった?

(R): やっぱり北京の大気汚染は今でもかなりつらいね。あとは当然、言葉の壁もある。外国人留学生が北京の交通状況はクレイジーだって言うのをたまに耳にするけど、インドネシアのジャカルタと比べると全然まし(笑)ジャカルタなんていまだに地下鉄がないからね。北京は物価が高かったり、サービスレベルが悪かったり不便な面もあるけど、大気汚染を除けばトータルでは住みやすいんじゃないかな。


(周): MBAの修士論文でインドネシアと中国のEコマースの比較研究をしているって聞いたけど、内容について簡単に教えてもらってもいい?

(R): まず、インドネシアの状況は、少し前の中国にすごく似ている。インターネット普及率が爆発的に増えていて、インターネット使用者数は東南アジアの中では最多の国になった。それに伴って、Eコマースも爆発的に普及し始めているんだ。オンラインショッピングのB2CビジネスではドイツのRocket Internetが創立したLazadaが人気だし、日本からは楽天(インタビュー後にマーケットプレイス閉鎖発表)、中国からはJD.com(京東)が進出して競争が激化している。中国の淘宝のようなC2Cモデルでは、さっきも話した、Tokopediaが日本のソフトバンクから出資を受けてシェアを急拡大中だよ。あとはClassified Adモデルと言うんだけど、Kaskusという会社が中古品を販売したい人たちを繋ぐ巨大な広告コミュニティーを形成している。こんな感じで、インドネシアのEコマース市場は急拡大中だけど、他国にはない大きな問題が2つある。
1つにはインドネシアは主要な5つの島と無数の小さな島で成り立っているので、輸送コストが非常に高い。島間の輸送は飛行機を使う必要があるし、公務員への賄賂やマフィアへのみかじめ料のような不透明なコストが未だに存在している。
もう1つは、インドネシア人はオンライン決済を信頼していなくて、Eコマースの決済は未だに銀行振込や代引きが中心、最近ではセブンイレブンでのコンビニ決済もできるけど、クレジットカードとかPayPalのようなオンライン決済は全然普及していない。この辺りは中国の支付宝とか微信支付とかはすごく面白いモデルだと思う。


(周):修士論文書き終わったあと、3月から上海で中国の投資ファンドでアナリストとしてインターンをするって聞いたけど、Eコマース業界ではなくて金融業界をインターン先に選んだのはなぜ?

(R): 本当は、アリババとかのEコマース事業を抱えている企業でインターンができればベストだったんだけど、ビジネスレベルの流暢な中国語が条件だったので難しかった。重視したのは、中国の大きな会社で、中国語も使って仕事ができる機会が得られることかな。やっぱり中国語を伸ばしたいからね。ちなみに上海の住居を負担してくれるかわりに、インターンの“日給”は、Amazon時代の“時給”以下なんだけどね(笑)。


(周):清華MBA卒業後はインドネシアに戻るの?

(R):まずはインドネシアに戻った後、両親と中国を旅行しようと思っているよ。その後は、インターン先のインドネシア支店開設プロジェクトに参加できたらいいなと思っている。でもやっぱり、金融業界は自分の最終ゴールではないので、最終的にはインドネシアのインターネット企業で経験を積んで、インドネシアに自分の会社を作りたいんだ。


(周):今日はありがとう、色々勉強になった。インドネシアでの起業、期待してるよ!


Kazuhiro Sudo

投稿者について

Kazuhiro Sudo: 1981年東京生まれ。 東京工業大学計算工学修士修了。在学中は投資・Webビジネスの学生ベンチャーに従事。 2007年野村総合研究所入社後、日系金融機関向けのシステム開発、コンサルティングを経て、2014年清華大学MBAへ社費派遣留学。