日本なら子どもの方で気を使って『おねえさん』と呼んでくれていた。まだまだ『おばさん』とは呼ばせないぞ!と思っていたが、ここは中国、そんな日本の常識や気遣いとは無縁の場所だ。近所の子どもたちにとって、すでに子どもがいる私は立派な『おばさん』だった。
子どもの保育園の友だち、近所の子ども、みんなワラワラ寄って来て私に向かって呼びかける。
「阿姨好〜!( ā yí hǎo / おばさん、こんにちは〜)」
『阿姨( ā yí ):アーイー 』は中国語で年上の女性を呼ぶ言葉だ。ある子は遠くから大きな声で、ある子は恥ずかしそうに俯きながら。中国の子どもたちが呼びかけてくれる『阿姨:アーイー』の響きの可愛らしいこと!訳せば『おばさん』なのだけれども、それとはほど遠い軽やかな印象。声調(音の上げ下げ)をつけて小さな子どもが言うのは更に可愛らしさ倍増。
なぜか日本語の『おばさん』よりも、親しみが込められているような気さえしてしまう。
中国語が完璧に喋れない、聞き取れない私にとって、中国に来てできた最初の友だちは「阿姨好〜!(おばさん、こんにちは〜)」と声をかけてくれる子どもたちだった。
挨拶してくれた子どもたちに「你好!( nǐ hǎo / こんにちは)」と返事をしたものの、続く会話が出てこない。代わりに、中国でも放送している日本のアニメのキャラクターを紙いっぱいに描いてあげた。
「阿姨给你画画儿!( ā yí gěi nǐ huà huà ér / おばさんが絵を描いてあげる!)」
もう『おばさん』でも構わない。いや、『おばさん』はまだ抵抗があるかな。やはり中国語の『阿姨:アーイー』がいい。
北京オリンピックもまだ先の出来事、という気がした2006年春、子どもたちの笑顔と新緑に囲まれながら、私の北京生活はスタートした。
その時も、新しい出会いを楽しみにしながら、神戸から船に乗り込んだ。しかし、日本滞在でのタイトなスケジュールの疲れからか、 あっという間に船酔いして体調を崩し、人と会うのも声をかけられるのも億劫に感じられて、誰もいない外のデッキに逃げ出した。
海を眺めながら静かな世界をしばらく満喫していた私は、ガチャッという金属的な響きで現実に引き戻された。 30代くらいの細身の中国人男性が、ビニール袋を片手にデッキに入ってきた。
「ここに置くと、食べ物、大丈夫。天然冷蔵庫デス」
そう言うと、照れくさそうに食べ物の入った袋を手すりにぶら下げた。それから横に並んで、船で食べようと食料を多めに持ち込んできたこと、 日本で気に入ったところなど、中国語に片言の日本語を交えて話してくれた。
しかし、まだ船酔いの気持ち悪さが残る私は、 少し前の静かなひとりの時間が恋しくなってきた。しかし、 この状況で、自分が一人で過ごしたいから他に行ってくれとはまさか言えないよな……。そもそも、こうしたおしゃべりを求めての船旅ではなかったのか……。そんなことを考えながら話を上の空で聞いていたせいか、急に会話が途切れた。
そして、すっと男性が扉の方に向かって歩き出した。あ、気まずい感じの別れ方。
話は楽しかったのだけれど、船酔いで……日本でちょっと疲れていて……言い訳が頭の中を駆け巡るが、立ち去る背中に向かって声をかける勇気が出てこない。
すると、彼が船内に戻る扉を開けながら振り返り、
「我先走了〜(wǒ xiān zǒu le /お先に)」と、片手を少し挙げ、にこりと微笑んだ。
慌てて私も手を振り返す。
「我先走了」
そのひと言でその場の気まずさは消え去り、爽やかな別れとなった。ふと、『ジェントルマン』という言葉が頭に浮かんだ。再びひとりで海を眺めながら、彼の立ち去り方や言葉のスマートさに対して、取り繕う言葉を探してあわてる自分を思い出し苦笑いした。
その後も、北京で暮らして行く中で、この「我先走了」に何度も出会った。私も真似して、「我先走了〜」と、去り際に呟いてみる。あの船で出会ったジェントルマンがしたように、片手を少し挙げながら振り返り、にこりと微笑みながら。
そして、 中国語学習の成果を試すチャンスはすぐにあらわれた。道に迷い、通りがかりの人に尋ねたところ、「あっちの方」だの「東に100mくらい」だの、説明にならない説明をされてさらに迷って疲れきっていた時に、やさしそうな若い女性がとても親切に道を教えてくれたのだ。これは心からお礼が言いたい。
さて、勉強したどんな中国語を使おうか。 いろいろな候補を思い浮かべ、最終的に
私の口からとっさに出てきた言葉は……「谢谢」だった。
さらに、進歩のない自分の中国語に愕然としている私に向かって、彼女はぶっきらぼうに、
「不用谢!(bú yòng xiè)」
と、言って去って行ったのだ。
中途半端な中国語学習が災いした。「不用(bú yòng)」という中国語が、私の頭の中ではっきりと「不用」という日本語に変換され、「不用谢!」を「谢谢(ありがとう)は不用!」と解釈してしまった。ありがとうはいらない!?感謝の言葉を拒否された!?
何でもかんでも「谢谢」の一言で済ませるからいけないのだ。ついには、「ありがとうはいらない」とまで言われてしまったではないか。自分の不甲斐なさに苛立ちながら、『不用谢』……お礼は不用か……と心の中でつぶやく。「礼は無用」、「礼には及ばぬ」、類似の日本語が頭の中に思い浮かび、そこでようやく、「どういたしまして」にたどり着いた。
日本語でいう「ありがとう」「どういたしまして」のやりとりが、「谢谢」「不用谢」だったのだ。それにしても、「どういたしまして」という意味ならば、彼女ももう少し愛想よく言ってくれてもいいものを。
だから、自分で使う時には、その言い方に気をつけて、日本語っぽく丁寧に「不用谢〜(どういたしまして)」と言ってみたりした。しかし、どうにも中国人の言い方と違ってしまいおかしい。 さらっとお礼への返事をするのだから、ここはやはり、パッとサッと言うのが合っている。いつの間にか、私もぶっきらぼうに早口で「不用谢!」と言うようになっていた。
「不用谢」は、現代日本語の丁寧でにこやかな「どういたしまして」より、「礼には及ばぬ」と吐き捨てて立ち去る武士風だなぁと密かに思うようになった。そう思うと、「不用谢」と言った彼女の愛想のなさも、今さらながらに理解できる気がするのだ。
とはいえ、安く買えて活気のある市場は魅力的だ。パンダで有名な北京動物園の向かいに、洋服の大きな市場があると聞いて観光ついでに覗いてみた。特に何かを買うつもりもなかったが、私好みなデザインの巻きスカートを発見し、値段を聞いたら30元ほどだと言う。500円でおつりがくるお得な価格が魅力的で、購入を決めた。
しかし、 ボタンを通す穴に紐を通してはくタイプのスカートなのだが、肝心のボタンホールの穴が開いていない。これでは紐を通すことができない。買う前に気づいてよかった。これは欠陥品だから、 同じスカートの別の物を出してきて欲しいと、つたない中国語を駆使して店員さんに頼んだ。
すると、それがどうしたという表情で
「没事儿!(méi shì ér/大丈夫!)」
と、言うではないか。
全然大丈夫じゃないよ!ボタンホール開いてなかったら着られないよ!と、必死で訴えてみたものの、「家に帰って自分であければよい」と、つれない返事。見れば他のスカートのボタンホールも開いていない。そういうものかとも思うけれど、やはり納得がいかない。
「ボタンホール開いてないなら買わない」
そう告げると、ようやくやれやれという顔をして、糸切りを出してきてボタンホールを開けてくれた。そんな苦労をして購入したこともあり、 その巻きスカートは私のお気に入りの1枚となった。
スカートをはきながら、ボタンホールくらい自分で開けても良かったのかもしれないと、思い返す時もある。大量に安く買う市場では、B級品だから安いという場合もある。販売用に買う人などは、 安く買えるならば糸切りで開ける作業は自分でするという人もいるだろう。そんな人たちにとっては、確かに『没事儿』なことなのだ。
それから、「没事儿」と言われたときは、自分の中で一度、「そうか、大丈夫かも!?」と、言葉を受けてみることにしている。「全然、大丈夫じゃないよ!」と苛立ちがこみ上げてきたら、買わないなり、交渉するなりすれば良いのだ。
しかし、時には「あぁ確かにどうでもいいかも」と、思える場合もある。「没事儿!」と言われて、そうかもしれないと思って買い、すっかり我が家に馴染んでいるものもたくさんある。買う時にはいろいろ気になったことも、使ってみればそんなことはすっかり忘れている。 世の中、意外に『没事儿』なことは多いものだ。いつの間にか、すっかり『没事儿!』に馴染みつつある。
民族大移動と言われる春節前後の列車は、日本の帰省ラッシュとは比べ物にならない混雑ぶりだ。 席を確保するために、降りる人を待たずに乗り込む。並んでいる列の横から入り込む。降りる駅が近づくと、一体どうやって出口に辿り着けばよいのか不安になるほど車内は、人、人、人。何が起こっているのか呆然としてしまうほどの混乱ぶりに大困惑する。
そうした春節時にはできるだけ移動を避けているのだが、どうしてもその日の切符しか買えず、満員の車内に当時4歳の子どもを連れて乗り込んだことがある。当然、座る場所などすでにない。効きすぎる暖房と人の熱気、騒がしい車内に頭が痛い。 立っている人の間で身動きも取れず、娘も泣きそうになっている。
その時、
「坐吧!(zuò ba/座りなよ!)」
という声が聞こえてきた。
立っている人々の間から近くの座席を見ると、年配の女性が娘に手招きしてくれている。しかし、3歳ほどの男の子をすでに膝の上に乗せていて、彼女が席を譲ることはできそうにない。どういうことかと状況がつかめずにいると、 さらに「坐吧!坐吧!」と言いながら、座っていた男の子を左膝にずらし、娘をひょいともう片方の膝の上に乗せてくれたのだ。
最初は驚いた娘も、押しつぶされそうになっていた状況から解放され、さらに同じ年頃の子どもと並んで座れて、見知らぬおばさんの膝の上で嬉しそうにしている。
電車やバスに乗る時は、席取り合戦と親切な席の譲り合いが同時に目の前に繰り広げられるものだから、マナーがないと憤慨したり、底抜けな優しさにほろっとしたり、プラスとマイナスの感情をいったりきたりして忙しい。
道徳心があるようなないような、何とも判断がつかない。中国の人にとって道徳とかマナーがどうなのかということは一向にわからないが、何としてでも乗りたい、どうにか座りたい、 子どもに席を譲ってあげたい、人々のその”気持ち”はいつでも熱く伝わってくる。
そして、きょうも、全力で確保したその席を、子どもを連れて後から乗り込んだ私たちに「坐吧!坐吧!」と譲ってくれる。押しのけられてムッとした、その直後に出会う優しさに心が和むのだ。
引っ越しの準備をしていた時のことだ。夫の友人から電話があり、新居を見に来るという。そして、改装中の部屋に一緒に行くと、どんな家具が欲しいか詳しく聞かれたのだ。聞かれるままに、ここにはこんな棚があるといいね、ここはテレビを置く台を……と、おしゃべりしながら部屋を案内した。そして、北京のどこで家具を買えば希望のものが買えるのかわからないという私たちに、彼は「任せておいて」と、一言残し帰って行った。知人の多い彼のことだ、きっと良い家具屋さんを紹介してくれるのではと期待して待つことにした。
無事に引っ越しを終え、そういえば家具のことはどうなったのだろうと思い始めた頃、我が家に、突然、トラックで大きな箱がいくつも運び込まれた。そして、一番大きなタンスを夫とその友人が抱えて、汗だくになりながら階段をあがってきたのだ。閑散としていた部屋が、一気に賑やかになった。お姑さんの部屋には落ち着いた木目のタンスとテレビ台。私たちの部屋には棚の幅が変えられるオープンタイプの最新式の棚。
あまりの急展開に驚きつつ、いくらかかったのか聞くのだが教えてくれない。いやいや、お金は払うよ、せめてお礼だけでも、と食い下がる私たちに、彼は笑顔で言ったのだ。
「应该的(yīng gāi de/当然のことだよ)」
引っ越し祝いにしては、あまりにも大きなプレゼント。そして、「友だちなのだから」と、さらりと言って立ち去ろうとする彼が衝撃的だった。結局、彼は最後までお金を受け取ってはくれなかった。彼にはいつでもお世話になりっぱなしで、大きな恩がありながら、未だにそのお礼を返せずにいる。
「应该的(当然のことだよ)」
「この言葉が使えるようになりたい」というよりも、「この言葉が使えるような人になりたい」という方が正しいのかもしれない。中国語を覚えて使うというだけなら、わずか一言、難しいことはない。しかし、言葉の前に、それを言うだけの中国人の友だちがいて、そして、その友だちが困っている時に手助けできなくては。
助けてもらってばかりの私だけれど、いつか「应该的」と、言える側になりたい。憧れの実現にはまだまだ道は遠そうだが、一歩一歩近づいていけたらと思う。
お昼を食べようと、地下鉄駅を出て小さな路地に入ったところ、1軒の小さな食堂が目に入った。中に入ると、ヒマそうな店員のお兄ちゃんがやけに嬉しそうに,
「什么都有(shén me dōu yǒu/何でもあるよ!)」
と、声をかけて来た。
メニューを見ると、ごくごくありふれた家常菜(中国の家庭料理)が並んでいる。「このメニューで何でもあるって言われてもなぁ」と、思いながらも5品ほどを注文した。料理を待っていると、先ほどのお兄ちゃんが「没有〜(méi yǒu/ないよ〜)」と言いながら近づいて来た。頼んだうちの1品が材料をきらしてしまい作れないので、他のものに変えて!と言っている。
あなたさっき、「什么都有(shén me dōu yǒu/何でもあるよ!)」って、言ったじゃない!怒るほどのことではないとは思うが、だったら始めから何でもあるだなんて言わなきゃいいのにという苛立ちが沸いてくる。しかも、相手はまったく悪びれる様子もない。
この『什么都有(何でもあるよ)』のお兄ちゃんに出くわした帰り道、何とも釈然としない気持ちで歩いていたら、小学生の頃の記憶がふいによみがえった。
小学校前の駄菓子屋に、「何でもあるよ!うちには何でもあるよ!あるモノは何でもあるよ!」と、いつも言っている調子のいいおじちゃんがいた。おつりを50円渡すときは「はい、おつり、50万円!」が決まり文句だ。ノリのいい男子は、おじちゃんの言葉にツッコミを入れたり、100円玉を「ハイ、おじちゃん、100万円〜」と渡したりして、すっかり仲よくなっていた。
北京の路地裏を歩きながら小学校の思い出に浸っていると、もしかしたら、『什么都有(何でもあるよ)』のお兄ちゃんも、あの駄菓子屋のおじちゃんと同じなのかもしれないと、 ふと思いついた。
別に嘘をつこうとしているわけではない。ましてや誰かをイラッとさせようとして言っているわけでもない。いつも通りお客さんに元気よく声をかけているだけなのだ。
中国は、こうした駄菓子屋おじちゃん率が高い気がする。事実と違うとか、言わなければいいのになんて思っていないで、あの小学生男子のように楽しく言葉を返せたら、もっと中国暮らしが楽しくなってくるのかもしれない。
中国人の夫と一緒にバス停にいたら、不安そうな顔をしたおばあさんが、「頤和園へはどう行ったらいいかしら」と、バスを待っている人に尋ねていた。西太后の避暑地として有名な庭園で、誰でも知っている場所ではあるが、今いる場所からはかなり遠く、直通のバスもない。聞かれた人も首をかしげている。
すると、後ろにいたおばさんが、ずずっと前に進み出て、「この先にあるバス停からバスに乗って、4つ目で降りて。そこに頤和園行きのバスがあるから。30分くらいかかるわよ 」と、行き方を教えた上に、さらに頤和園の観光ポイントまで詳しく話しだした。あまりに流暢に説明するので、周りのみんなも思わず聞き入っている。
一緒に聞いていた夫がそこで、
「你真熟〜(nǐ zhēn shú/詳しいね〜)」
と、声をかけた。
「実は、先週行ってきたばかりなのよ〜」と言って、おばさんは照れくさそうに笑った。道を聞いたおばあさんがお礼を言って立ち去った後も、おばさんと夫は頤和園の素晴らしさについて話し続けていた。
夫はいつもこんな感じだ。混雑したレストランで、たまたま相席になった高校生が持っていたキャラクター人形を見て「それ流行っているの?」といきなり聞いていたし、最新式のスマホをいじっている若者に「どこで買ったの?それいい?」と質問攻めにしたりもしていた。子どもを公園に連れて行けば、他の親たちに声をかけて子育て話をしている。夫のことを随分とおしゃべり好きな人なのだとずっと思っていたのだが、よくよく見ていると、声をかけられた方も別に違和感もなく、普通に夫のおしゃべりの相手をしてくれている。
さらに、私自身も、中国語があまりできないというのに、道を聞かれたり、話しかけられたりすることが多い。夫が特別おしゃべりということではなくて、みな気軽に話しかける雰囲気があるような感じだ。他人との距離の近さに最初は戸惑ったものの、慣れてしまうとこれが意外と心地いい。
遊んでいる子どもに声をかけたり、バスで旗を持っているおばさんに話しかけてみたりすると、私のカタコト中国語も気にせずに、話し相手になってくれる。思えば、他人、他人と言うけれど、同じ街に暮らす人たち同士じゃないか。たまたま出会った時間を楽しくおしゃべりして過ごすのも悪くないものだ。声をかけ始めると、今まで周りの人たちとの間に壁を作っていたのは、自分自身だったのだと気づく。中国語も上達できるし、おしゃべりにはかなりの効能がありそうだ。
便利な『短信』だが、北京にきて間もない頃は随分ととまどった。なぜなら、その当時、入力できる文字は中国語のみだったからだ。初歩レベルの中国語で文章を考えだすのに一苦労。さらに小さなキーを押しながら中国語を入力するのに一苦労。
それでも、最初は日本人ばかりとやりとりしていたので、おかしな中国語はお互い様ということで、中国語の練習だとわりきり、せっせと『短信』を打ち続けた。そのうち、次第に中国人の友だちからもメッセージが入るようになった。すると、それまでとは違う言い回しが続々と出てきて、中国語の勉強にこれはいい!と、すっかり『短信』のやりとりが楽しくなってきた。
一番衝撃的だったのは、メッセージに対して中国の人たちが返事をする際の「わかりました」「了解です」の言い方だ。
仕事先の方に、データ納品したこととデータ形式などを『短信』に長々と書いて送信。すぐに返信がきたので見てみたら
「好的(hǎo de/了解)」の2文字だけが並んでいた。
また、ある時は、 友だちとの待ち合わせに大幅に遅れそうになり、大慌てで遅れた理由やら申し訳ないという言葉やらを書き綴って送信。そして、やはり返事は
「好的(hǎo de/了解)」の2文字のみ。
あまりにそっけない返信に、怒っているのかと思わず勘ぐってしまうが、「好(hǎo)」って悪い時には使わないよな、と考え直す。履歴をよくよく見ると、私の言葉に比べて、中国人の友だちたちのメッセージはいつもいたってシンプルだ。
郷に入れば郷に従え。それからは、私もシンプルを心がけて入力するようになった。返信も「好的(hǎo de/了解)」の2文字で返してみる。日本人の友だちたちは、急に変わった私の中国語をどうみているのだろうか。中国人っぽくなってきたね!と捉えたか、それとも、そっけなくて怒っていると思われたか。
しかし、自分のちょっとした成長に喜んでいたのも束の間、その後、続々と私の携帯に『日本語の短信』が届くようになった。世の中、スマホが普及し、アプリが登場し、中国の携帯にも日本語でショートメールができるようになっていったのだ。日本人同士でおかしな中国語『短信』をやりとりすることはこれからどんどん減っていくのだろう。便利さが嬉しくもあるが、少し寂しいような気もしてくる。
中国に来てから、時間のことで怒られたり注意されたりすることが激減した。相変わらずちょっと遅れてしまうのだが、それでも中国人の友だちたちより早く着いていることが多い。そもそも約束の時間がアバウトなのだ。「朝行くから」「午後に届けます」という感じで、時間を指定してこない。そして、待っているこちらも、朝一番でやって来るとは思っていない。午後に届くというなら夕方ぐらいだろうと推測する。
もともとが時間にきちんとしていない私からすると、このいい加減さは快適だ。のんびりとした時間感覚を『大陸時間』とよんで満喫していた。しかし、何事においても許容範囲というものがある。想像を上回る大物があらわれた。
長いつきあいの友人なのだが、中国の南方に住んでいるのでなかなか会う機会がない。それでも、たまに出張で北京に来ることがあり、「来週、北京に行くから会おうね」と彼女から連絡がくる。「もちろん!楽しみに待っているよ!」と返事をするのだが、さて来週のいつ来るのか、どこで会うのか、まったく伝えてこない。そして、その週末になってもまだ音沙汰がなく、北京に来なかったのかなと思っていると、「近くの駅にいるのだけど、今から会える?」と電話がかかってくるのだ。
時間とか約束の概念をはるかに超えてしまっている。日本人とは時間感覚があきらかに違う。彼女が来るのを一緒にまっていた中国人の友だちに、なぜ中国の人たちは約束が大雑把なのかと尋ねてみた。
すると、
「不知道能发生什么事儿
(bù zhī dào néng fā shēng shén me shì ér/何がおこるかわからない)」
という答えがかえってきた。
バスや電車が時間通り動いているわけではない。渋滞になれば10分で行けるところに1時間かかったりする。ちょっとした用事をするのにも思った以上に時間をとられたりするのだ。細かな約束をしたところで、その時になってみないと何がおこるかわからないじゃないか、というのだ。確かにそれは一理ある。しかし、急に近くに来たから会えるかときかれても、こちらに予定がはいっていたらどうするのだろう。すると、友だちは「それも含めて、何がおこるかわからない」のだと笑って答えた。
そんな彼らからすると、私は時間に几帳面で細かすぎるらしい。日本にいたらそんな風に言われることはまずない。異文化で暮らしていることを感じながら、久々の再会を祝って乾杯したビールを飲みほした。