07「什么都有!」〜駄菓子屋のおじちゃん風〜

2016年8月30日 / コトバの魔法




 「嘘をついた」と騒ぐほどのことではないけれど、ちょっと言われたことが、後から事実と違ってきてイライラさせられることが中国に来て増えた。さらに、どうにも気持ちがすっきりとしないまま、日本人らしい愛想笑いをしてその場をやり過ごす自分にも納得がいかない。

 お昼を食べようと、地下鉄駅を出て小さな路地に入ったところ、1軒の小さな食堂が目に入った。中に入ると、ヒマそうな店員のお兄ちゃんがやけに嬉しそうに,
「什么都有(shén me dōu yǒu/何でもあるよ!)」
と、声をかけて来た。

 メニューを見ると、ごくごくありふれた家常菜(中国の家庭料理)が並んでいる。「このメニューで何でもあるって言われてもなぁ」と、思いながらも5品ほどを注文した。料理を待っていると、先ほどのお兄ちゃんが「没有〜(méi yǒu/ないよ〜)」と言いながら近づいて来た。頼んだうちの1品が材料をきらしてしまい作れないので、他のものに変えて!と言っている。

 あなたさっき、「什么都有(shén me dōu yǒu/何でもあるよ!)」って、言ったじゃない!怒るほどのことではないとは思うが、だったら始めから何でもあるだなんて言わなきゃいいのにという苛立ちが沸いてくる。しかも、相手はまったく悪びれる様子もない。
 
 この『什么都有(何でもあるよ)』のお兄ちゃんに出くわした帰り道、何とも釈然としない気持ちで歩いていたら、小学生の頃の記憶がふいによみがえった。

 小学校前の駄菓子屋に、「何でもあるよ!うちには何でもあるよ!あるモノは何でもあるよ!」と、いつも言っている調子のいいおじちゃんがいた。おつりを50円渡すときは「はい、おつり、50万円!」が決まり文句だ。ノリのいい男子は、おじちゃんの言葉にツッコミを入れたり、100円玉を「ハイ、おじちゃん、100万円〜」と渡したりして、すっかり仲よくなっていた。

 北京の路地裏を歩きながら小学校の思い出に浸っていると、もしかしたら、『什么都有(何でもあるよ)』のお兄ちゃんも、あの駄菓子屋のおじちゃんと同じなのかもしれないと、 ふと思いついた。

 別に嘘をつこうとしているわけではない。ましてや誰かをイラッとさせようとして言っているわけでもない。いつも通りお客さんに元気よく声をかけているだけなのだ。

 中国は、こうした駄菓子屋おじちゃん率が高い気がする。事実と違うとか、言わなければいいのになんて思っていないで、あの小学生男子のように楽しく言葉を返せたら、もっと中国暮らしが楽しくなってくるのかもしれない。



「什么都有」(shén me dōu yǒu/何でもあるよ)


Kiyomiy

投稿者について

Kiyomiy: [投稿者名]Kiyomiy [投稿者経歴] 1976年生まれ。静岡県出身。 コマ撮り (ストップモーション)映像撮影やデザイン制作、 オリジナルグッズの企画制作を行う『FrameCue』(http://framecue.net)主宰。 ブログ『ツクルビヨリ』(http://framecue. net/tsukurubiyori/)にて仕事からプライベート まで365日つくる毎日を記録中。