(写真)対外経済貿易大学の学生寮
中国の大学は原則的に全寮制で、大学関係者の住まいも学内にある大学があり、敷地そのものが「住」「食」「学」一体の一つの街となっています。
今の中国人学生寮は4~5人部屋が一般的。約15平方㍍のワンルームに下が机となっているロフトベッドが人数分おいてあるだけの無機質な空間です。バス・トイレは共同で、シャワー、洗濯は有料制、夜の23時には消灯し午前零時になると門が閉められてしまいます。テレビも無ければ、クーラーも無ありません。共同部屋のためプライバシーも皆無に等しいでしょう。
実はこれでも随分改善されており、1996年に知己の盛くんの部屋にお邪魔した時に見た光景は凄まじいものでした。
「き…きたない…」
8~10人の学生が二段ベッドにすし詰め状態、部屋は「素敵な香り」を放っていました。1996年当時は、あまりお風呂に入らない人が多く、夏場に乗った満員バスがあまりに臭くて、耐えきれず一駅で降りた記憶もあります。毎日のように私の寮にシャワーを浴びに来ていた綺麗好きの盛くんにとっては、耐え難いものがあったことでしょう。
それに比べると留学生寮は快適です。様々なタイプがありますが、一般的なのは、ワンルームにベッドや机が二つずつ並べてあるタイプです。各部屋に、テレビやクーラーが設置されており、バス・トイレも完備されています。
このタイプの寮は設備的には問題ないのですが、それ以外に大きな問題が。それは、
全く異なる文化で育ち、異なる生活習慣をもつ初対面の二人が同じ空間で生活をすることによる摩擦
部屋が仕切られていないので、部屋にいる間は四六時中顔を合わせます。このシステム、気が合わない者同士だと最悪です。
私の場合、北京商学院時代は以前紹介したインドネシアの黄くんととても充実した日々を過ごしました。また、対外経済貿易大学に来てからの初のルームメイトはカンボジア人。それから一年後に代わって入ってきたのはベラルーシ人でした。私は運がいいことに、彼らとは大きな摩擦も起こらず平穏に暮らすことができましたが、そうでない人もたくさんいます。その摩擦の要因はというと、たとえば、
●部屋を汚すだけ汚してちっとも掃除しない
●音楽がうるさくて勉強できない
●朝から便所に入って出てこない
などなど。まあ理由は些細な事なんですね。恐らく、人間的に気に入らないから、些細な事にも腹を立ててしまうのだと思います。ただ、あまりにもストレスをため込みすぎてしまい、爆発して、殴り合いの喧嘩になったケースもあります。
やはり、改善してほしい点をしっかりと相手に伝えることが大切です。それでも改善しなければ、部屋を代わればよいだけの事。大したことではありません。
日本人は基本的に自己主張が苦手です。日本人同士であれば、「空気を読む」とか「相手を察する」といった方法でコミュニケーションがとれるのかもしれません。しかし、世界に出ると違います。ここぞという時には自分の意見をしっかりと相手に伝える必要があり、それを実践しなければなりません。
留学生活では、勉強以外にも多くの事を学ぶことできるのです。
(写真)北京の最新ニーハオトイレ
一昔前、中国政府は外国人が住める場所を厳しく制限していました。今でも原則的には「外国人用マンション」に住まなければならないことになっているようですが、北京などの大都市ですと、公安局の許可を得れば、比較的安いローカルのアパート・マンションに住めるようになりました。それに伴い、多くの留学生が学外の居住地を求めるようになっています。
学外での生活はそれなりのコストもかかりますが、留学生だらけの寮生活ではできない、貴重な経験を得ることができるという点で魅力的です。
マンションには、『塔楼』と呼ばれる高層タイプと、『板楼』と呼ばれる比較的低い(通常6階程度)タイプのものがあります。また、北京の胡同でよく見かける『四合院』を改造したタイプなども人気です。
また、外国人にはあまり縁がないと思うのですが、『筒子楼』と呼ばれる集団宿舎のようなタイプの住居もあります。友人の日本人女性が1年ほど住んだことがあるというので話を聞いてきました。
彼女が住んでいたのは3階建ての『筒子楼』。六畳一間の部屋にベッドが置いてあるだけの簡素なもので、家賃はひと月500元。トイレは共同、しかもニーハオトイレ。隣に並んで座っている人に用を足しながら
「今何時?」
と声をかけられることも日常茶飯事だったそうです。洗濯は共同の洗面台での手洗いで、蛇口は2つしかないため早い者勝ち。風呂はなく、歩いて約2分の場所にある大衆浴場。北京の冬は日中でも氷点下という極寒です。歩いて帰ってくる間に、髪の毛はカチンコチンに凍ってしまいます。
『筒子楼』の欠点は隣人の行動が、いちいち生活に影響を及ぼすことです。外から帰ってきてなんか目が痛いなぁと思ったら、お隣さんが唐辛子をふんだんに使った料理を作っていたそうです。
このように、生活条件は決してよくはありませんが、中国人の友人ができやすいというメリットもあります。彼女が生活した『筒子楼』は「ほのぼのとした人と人の距離が近い」環境で、日本人の彼女に対してもとてもよくしてくれたそうです。中国人は一旦仲良くなると、とことん面倒見てくれる人が多いのです。
仲良くなった友人たちとの交流で中国語力は飛躍的に上達します。語学力を短期間で高めたいという人にはもってこいの環境と言えるかもしれません。
留学期間中にどこに住むか。与えられたものだけに縛られるのではなく、自分の条件に基づいて、色々と検討してみるのもいいかもしれません。
(写真)学生でごった返す経貿大学学生食堂
民以食为天(民は食を以て天となす)
その国の食べ物が合うか否かという問題は、長期的な留学生活ではとても重要なポイントですね。
中国といえば「中華料理」を思い浮かべると思います。留学で中国に来たら毎日この中華料理をたらふく食べれるのかなぁと。まぁ、ちょっと考えればわかる事ですが、日本人用に改良されたレストランで食べる中華料理と、実際に一般の中国人が食べている料理は似て非なるもの。過度な期待は禁物です。
それでは大学の中はどうでしょう。
「食」の場は基本的に学食です。価格は約4~8元で、私が初めて留学した90年代と比較すると、近年はメニューの多様化も進み、定食、丼、面類など以外に、串焼きや鍋料理なども提供しています。
私も普段から学食で食事をする機会が多いのですが、お世辞にも「美味しい!」とは言えません。中国人の学生や同僚に話を聞いても、「まずくて高い。仕方がないから食べている」とぼやいていました。
では留学生はどうか。
私の知っている限りでは、留学生のほとんどがこの学食では食べていないようです。学生時代、私は毎日のように食べていましたけどね……
それでは、何を食べているのかというと、学校付近のレストランが多いようです。人が多く集まる学校の近くでは、必然的に外食産業が発達。今では中華、和食、洋食、何でもあります。
中華料理といえば円卓を囲むイメージがありますが、最近は個食化が進んでいます。90年代には、あまり見かけなかったラーメンや丼を提供する中華ファストフードの店がかなり増えてきました。年々加速し続けている北京の生活リズムを反映しているのでしょう。
また、北京のセブンイレブンでは、温かい惣菜料理も提供しています。冷たいものを食べない中国人への配慮でしょうか。
さらに最近では、デリバリーが随分発達してきました。私が学生の頃はよく韓国料理のデリバリーを頼んでいましたが、最近では和食や洋食もあります。また、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンなどは、インターネットでもデリバリーを受け付けていますので、中国語ができなくてもクリック一つで注文可能です。
あぁ、なんと便利な世の中になったものでしょう。
ただ、便利になった反面、語学習得、国際交流という観点からは負の影響も否定できません。私の場合、96年当時、一人で分厚い辞書を片手に食堂を訪れ、片言の中国語で必死にコミュニケーションをとっていました。
それが今では全く喋らずに用事を済ませることが可能となっています。語学力が伸びる瞬間。それは、どうしても中国語を使わなくてはならない状況に自分を追い込み、その壁を乗り越えた時に最も顕著に感じることができます。
留学期間中にその「快感」を、是非味わっていただきたいものです。
(写真)老北京ジャージャー面
中国語に『吃货』という言葉があります。原義としては「無駄飯喰い」「穀つぶし」といった意味があるのですが、最近では「食いしん坊」のような意味でよく使われています。私は『美食家(グルメ)』ではありませんが、かなりの『吃货(グルマン)』です。
「文化を理解するには、まずは食文化から」
食文化ほど地域に根ざした文化はありません。中国には山東、四川、江蘇、浙江、広東、湖南、福建、安徽の『八大菜系』と呼ばれる著名な料理がありますが、その中に中国の首都北京を代表する『京味(北京料理)』は含まれていません。そんなマイナー(?)な北京料理ですが、北京留学の際には是非食べてもらいたい料理があります。ジャージャー面です。
ジャージャー面は中国語で『炸酱面』と書きます。読んで字の如く、油で炒めた味噌を『菜码儿』と呼ばれる具と麺の上にかける料理です。この『菜码儿』を「中日辞典(小学館)」で調べてみると「めん類にそえたり混ぜたりする具。野菜を千切りにしたものなど」とありますが、そのような単純な付け足し的なものではなく、季節によって内容を変えるなど、北京人はこの『菜码儿』にこだわりがあるようです。
麺のゆで方もこだわりがあるようで、冬の寒い時期にも湯で麺を一度水通ししたものを食べる人が多くいます。茹で上がった面を水にさっと通すことにより、面にハリが出て、最後の一本まで歯ごたえを楽しむことができるのです。
このジャージャー面は標準的な北京の家庭であればどこでも作れるようで、それぞれ作り方が微妙に異なるため、味が各家庭で違うのが特徴。つまり、北京版「おふくろの味」です。私も多くの北京人のお宅でいただきました。
最近食べたのは、親友の郭くん家のジャージャー面です。『菜码儿』はキュウリ、モヤシ、大豆、赤カブ。麺は自家製ではなく、市販のもので、一斤(500g)約5元で手に入ります。肝心の味噌ですが、北京では有名な老舗『六必居』の『黄醤(大豆と小麦粉で作った甘辛い味噌)』を使う家庭が多く、郭くん家でもそれを使っていました。具材も、肉、卵を両方入れ、さらに椎茸やネギをいれていました。
折角の中国留学です。日本料理もいいですが、「食」を通じてご当地の文化に触れあい理解することも大切です。また、北京人の友人ができたら、
「あなたの家のジャージャー面が食べたい」
とアタックしてみてはいかがでしょう。北京版「おふくろの味」は、きっとお腹も心も満たしてくれるはずです。
(写真)対外経済貿易大学の留学生卒業式
留学とは、よその土地に在「留」して「学」ぶこと。つまり勉強こそが一義的な目的です。私は10数年間北京の大学に籍を置いていますが、その中で多くの外国人留学生と交流してきました。
「中国に行けば中国語が喋れるようになる」
うーん甘い考えですね。
しかし、このように安易に考えている留学生は少なくありません。語学学習はそんなに甘いものではありません。実際、数年も中国にいるのにほとんど中国語をしゃべれない外国人をたくさん知っています。逆に、中国に来て数か月しか経っていないのに、自在に中国語を操ってコミュニケーションをとっている人もいます。
彼らの違いはどこにあるのでしょう。
実際住んでみるとわかるのですが、現在の北京では中国語を全く話せなくても生きていけます。スーパーやコンビニは充実しており、ネットで何でも買い物できます。日本料理屋も数多くあり、毎晩日本人でにぎわっています。
以前はなかなか手に入らなかった日本の食材や加工品も、日系のスーパーや百貨店の出店に伴い充実してきました。今では刺身や納豆、生で食べられるたまごさえも簡単に入手できるようになりました。
外務省の統計によると、中国の邦人数は平成23年10月1日現在で140,931人、その内上海が56,481人、北京が10,355人となっています。ここまで邦人数が拡大すると、日本人向けのサービスが充実するのは当然です。
また、フリーペーパーをみれば県人会や同窓会、趣味サークル等の広告がたくさん出ています。寂しくなったら日本人のコミュニティに行けば、日本語で会話を楽しむことができます。
このような日本人にとって便利な環境が、語学習得、国際交流に与える負の影響は無視できないレベルにまで達しています。私の場合、1996年当時、一人で分厚い辞書を片手に食堂を訪れ、片言の中国語で必死にコミュニケーションをとっていましたが、それが今では全く喋らずに用事を済ませることが可能となっています。趣味のサッカーを通じて多くの中国人と交流を深めましたが、今では日本人チームがいくつも存在します。日本の情報もインターネットで検索し放題。中国にいるのに全く中国語を喋らず、中国人と接することなく生活できるのです。
同じ留学に来ている人でも、伸びる人とそうでない人の違い。一言で言えば「気持ち」です。
「絶対に習得してやる!」
という気持ちが無ければ、このような日本とほぼ変わらない便利な環境の中で語学力を高めることはできません。私は精神論者ではありませんが、私が約二十年間真剣に取り組んできた語学学習に関してだけは、自信を持って言えます。上達するか否かは本人のやる気次第だと。
心地よい環境に甘んずることなく、自らを律し「日本」と適度な距離を置く。その上で、中国人のコミュニティに果敢に飛び込み、異文化交流の輪を広げ、語学だけではなくリアルな国際感覚を養いたいものです。
そのような人材をグローバル社会は求めているのです。
(写真)街中で中国将棋に興じる人々
海外留学の最大のメリット。それは何と言っても、外国語に触れ合う機会が圧倒的に増す事でしょう。日常的に外国語と接することにより、当然語学力は飛躍的に高まっていきます。
簡単に説明すると、中国の留学カリキュラムは、通常『学歴生』と『非学歴生』に区分されます。前者は、『本科生(学部生)』や『研究生(修士・博士課程)』といった学位の取得を目的とする留学生。中国で博士号を取得した私の場合はこれに該当します。後者は、『漢語班』などに通う「語学の習得」を目的とする短期の留学生を指します。
全体的にみると、日本人留学生の場合、『学歴生』は比較的少なく、多くが語学上達のための『漢語班』に在籍しています。
この『漢語班』で教えている先生は対外漢語のプロ。つまり外国人を相手に中国語を教える専門家です。熟練の先生になれば、どの国の学生がどのようなミスを犯しやすいのか、発音にどのような癖があるのかといった細かい点までわかるようになります。実は、これが結構曲者なのです。
漢字文化の日本人は、中国語は読めば何とか理解はできます。また、1,2カ月もすると耳も慣れてきて、先生が言っていることが徐々にわかるようになってきます。そうなってくると、
「お、中国語って楽勝!」
と勘違いしてしまう人がいるのです。実は、対外漢語のプロの先生は、使う中国語を厳選してわかりやすく話をしますし、発音の癖もわかっているので、多少つたない中国語でも理解してくれます。
実際街に出てみると、タクシーの運転手やお店の店員が喋っている事がわからない。上級者においても、TVやラジオのキャスターが喋る標準語はわかるのに、『相声(中国漫才)』やドラマ、映画等が聞き取れない、という事はよくあることです。つまり、教室で使う「お客様用の中国語」はわかっても、実際に使われている「本場の中国語」は理解できていないのです。
これを解消するには、多くの中国人との「生きた会話」を積み重ねるしかありません。
私の場合、初心者の内はできるだけタクシーを利用し、助手席に座りつたない中国語で運転手に語りかけました。もともとそんなに高くないタクシー代ですが、レッスン料と考えれば安いもの。北京のタクシーの運転手は、ほとんどがネイティブの北京人です。中には発音を矯正してくれたり、北京語などのスラングを教えてくれたりした運転手さんもいました。
また、北京語以外の、訛りのある標準語にも対応できるようにと、街で座っておしゃべりしている高齢者の方々や、暇そうにしている出店のおばさんにもよく声をかけました。とても優しく丁寧に対応してくれたのが印象的でした。さらに、中国将棋を指している人を取り巻き討論している人たちの中に入って聞き取りの練習もしました。おかげで、ある程度の訛りのきいた中国語でも聞き取れるようになりました。
語学習得に近道はありません。単語一つ一つ、言葉一つ一つをコツコツと積み上げていくしかないのです。せっかくの中国留学です。果敢に街に飛び出して多くの中国人との会話を楽しんではいかがでしょうか。
(写真)中国語の辞書と教科書
「語学は恋愛と相通じるものがある」
私の持論です。男女が付き合っていても、毎日会って意思疎通を図るのと、二日に一回、一週間に一回とでは二人の親密度は顕著に異なってくると思います。これと同様、外国語学習も毎日の積み重ねが重要なのです。
それでは恋愛のタブーはなんでしょうか。そう、「浮気」です。
留学すると先ずは語学班で中国語の勉強をするのが普通です。留学当初から中国人の友達なんてなかなかできませんから、当然クラスメイトの外国人と仲良くなります。彼らとの交流が深まるにつれ、徐々にその人たちが喋っている言葉に興味を持ち始め、「浮気」の衝動に駆られてしまうのです。特にその傾向がみられるのが英語。
「あぁ、みんな英語がしゃべれるのに私だけ……中国語と同時に英語も勉強しよう!」
誘惑に負けた瞬間です。
語学学習は脳の中に引き出しを作ることです。我々日本人は、すでに「日本語引き出し」を持っています。それとは別に「中国語引き出し」が作れるか否か、これが語学学習のポイントです。
ところが、入門・初級の段階では、「中国語引き出し」ではなく「外国語引き出し」しかできていない状態。つまり、日本語以外の言語はその中にごった煮状態なのです。そのような状態で他言語を学ぶとどうなるか、想像に難くありません。
私の知人で、まだ中国語を習い始めて半年しか経っていないのに、周囲に感化され英語を習い始めた人がいました。その結果、
Wo (我) will go
など、二つの言語がごっちゃになったり、文法がメチャクチャになったりと惨憺たるものでした。このように、「浮気」をすると結局どちらも中途半端になってしまい、語学をマスターするどころか、外国語をまともに使うことすら困難な状態に陥らないとも限りません。「二兎を追うものは一兎をも得ず」とはよく言ったもの。古人の言葉はいつも正しいのです。
外国語学習は同一言語の勉強を毎日繰り返すことが大切なのです。そうすることによって、語学との関係はより緊密になり、徐々に「自分のもの」になっていきます。逆に、他に気を取られよそ見をしたり、忙しいからといって邪険に扱ったりすると、必ず離れていくでしょう。恋愛でも語学でも浮気はよくありません。
(写真)『北京孔庙和国子监博物馆』の孔子像
子曰:「知之者不如好之者、好之者不如乐之者」(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)
これは孔子の「論語」の一節で、わかりやすく言うと、
「どんなにそれに関する知識が豊富にあっても、それを好きになれる人には及ばない。どれだけ好きになれたとしても、それを心から楽しめる人にはかなわない」
といった感じでしょうか。これこそが私の語学学習の基本となっている考え方です。
我々は中学校一年より英語の勉強を始め少なくとも高校卒業までの6年間は英語を学びます。現在、英語教育にこれほどの時間を費やしている日本人の中で、
「私は英語ができます!」
と自信を持って言える人はどれくらいいるのでしょう。私個人の経験では、英語学習はあくまで「試験のための勉強」でした。文法や読解を中心に、試験テクニックを数多く学びました。しかし、試験後時間が経つと、多くの時間を費やして覚えた英語もいつの間にか脳の中から消失していました。
北京には『狗熊掰棒子』と言うことわざがあります。これは意訳すると「クマがトウモロコシをもぎ取っては脇に挟み、次のトウモロコシを取るときには最初のトウモロコシを落としてしまう」となります。
語学はこの『狗熊掰棒子』の様に「単語を暗記し、試験が終わったら忘れる」の繰り返しでは絶対に進歩はありえません。語学とは日々の積み重ねこそがものを言うものなのです。
ただし、語学学習のように、毎日同じことを繰り返し、単語量をコツコツと積み上げる作業というのは単調で、味気ないものです。「語学は日々の積み重ね」と口では簡単に言えますが、面白みのないものを毎日続ける事は極めて困難です。
そこで私は、
「もし自分の好きな事だったら楽しく続けられて、いくらやっても飽きないんじゃ?」
と考えました。中国語学習と自分の好きな事のコラボレーションし、中国語習得を「勉強」から「趣味」に変える事ができれば、それに勝るものは無いと考えたのです。
私は中国映画に非常に興味があったので、ビデオを使った学習方法を開始しました。私が日本で勉強していた頃の90年代は種類も少なく、朱旭氏主演の『变脸(邦題:変面)』や姜文氏の初監督作品『阳光灿烂的日子(邦題:太陽の少年)』が私の教材でした。
勉強方法も試行錯誤しました。最終的にたどり着いた方法は至って簡単で、私は勝手に「モノマネ学習法」と名付けているのですが、気に入ったシーンのセリフをモノマネもしくは書き取りをするだけです。ただ、今でこそDVDは字幕が調節できますが、当時は日本語字幕を隠すために、テレビにガムテープを張っていました。今となっては良き思い出です。
留学に来てからも映画を使った学習方法は続きました。それに加え『相声(中国漫才)』にも魅せられ、中国語「モノマネ学習」に取り入れるようになりました。毎日時間にして約30分程度でしたが、たったこれだけでヒアリングも口語もかなり上達したものです。
味気ない語学学習も工夫と心がけ一つで効果が大きく変わります。
中国語を「好き」になり、上手になりたい、喋れるようになりたいと思って始めた中国語学習です。面白みのない勉強に自分の趣味の要素を加える事によって「楽しみ」に変え、「学習」ではなく「楽習」の感覚でレベルアップを目指しては如何でしょう。
※映画に興味がある方は、私のブログ『村哥の中国映画で中国語楽習』も是非お役立てください。
(写真)モノマネ学習に勤しんだ学生寮の学習机
「学ぶ」という言葉は、「真似ぶ」と同語言だそうです。中国語でも、『学』には、『学习(学習する)』と『模仿(模倣する)』の二つの意味があります(『现代汉语词典』商务印书馆)。つまり、学ぶことと真似をすることは密接な関係にあるといえます。中国語の上達のコツはこの「真似ぶ」、つまり中国人をモノマネすることにあると言えます。
子供は成長の過程において親のモノマネをして“語学”をマスターします。私も、中国語をネイティブのレベルまで高めたいのであれば、
「ネイティブ・スピーカーが喋っているのをそっくりそのままモノマネすればいいんじゃないか?」
と考え、早速これを実行に移してみました。これが大当たりで、この「モノマネ学習法」を取り入れてから、中国語、特に発音は飛躍的に伸びました。
方法はいたって簡単。教科書に附属されているヒアリングテープやCDを使い、丸暗記してマネするだけです。このような教科書附属のテープの中国語発音は非常に正確で、単調のようにも思えますが、実は一人一人の発音、発声は異なります。私もまずはこの特徴をおさえる所から始めました。例えば、
「この女性の『不知道』という発音は『不』が微妙に強いな」
「この男性は随分間延びして発声するな」
といった感じで、これを全てモノマネしていきます。このような特徴を耳で聞き分け、耳で聞いたままの音をそのまま発声するのは、決して簡単ではありません。これも毎日繰り返すことによって、徐々にできるようになっていくのです。
次のステップでは歌手や芸能人、漫才師のモノマネを徐々に学習に取り入れていきました。この場合も学習方法は至って簡単で、気に入ったフレーズをみつけてモノマネするだけです。ラジオ、テレビ、映画などソースはどこからでもかまいませんが、繰り返し聞けるものを用意。最初の内は一言のセリフや、比較的短い文章を選び、徐々にそれを長くしていきます。最終的には10秒くらいモノマネで喋れるようになれば理想的です。
格闘家の角田信朗さんはとても流暢な英語を話すことでよく知られています。後から知ったのですが、その彼も「ブルースリーの映画のサウンドトラックを繰り返し聞いて英語のセリフを丸暗記した」そうです。
私の場合も、言葉を売り物としている漫才師や、役者のモノマネでは特に大きな収穫を得る事ができました。ここでは中国語の正確な発音というよりも、中国人独特の「息遣い」、「間の取り方」、「会話のリズム」を学び取る事ができます。日本人の中にも非常にきれいな中国語を話すけど、なんか中国人とはちょっと違うという人がたくさんいます。これこそまさに、「息遣い」、「間の取り方」、「会話のリズム」の訓練が不足しているのです。
「学ぶ」=「真似ぶ」、このモノマネ学習法を一度試してみては如何でし
(写真)話のネタとなる熊本産馬刺し
「ある程度中国語ができるようになったんで、中国人とおしゃべりして口語力を高めようと思うんだけど、あんまり話すことがないんだよね」
よく聞く話ですが、外国人の口語力が伸びない核心をついた問題だと思います。つまり、共通の話題が少なく、会話が続かないのです。
仕事で使えるレベルの語学力を身につける為には、「浅く広く」ではなく、「狭くても深い」議論ができるようになる必要があります。実際、私も毎週のように会議に出ていますが、話の内容はかなり専門的なものばかりです。それではどうすればそのような議論ができるようになるのでしょうか。
私の場合は、まず一つの分野を徹底攻略することから始めました。90年代の留学の時には、幼少の頃から慣れ親しんでいるサッカー、二度目の留学では、中国語の勉強に一役買った中国映画です。
「中国人と映画の話題でとことん話す!」
という目標の下、週末になると貪るように観続けました。まずは手始めに、幼少時代に大きな影響を受け内容をよく知っているジャッキー・チェンの作品からスタート。チャン・イーモウ、チェン・カイコー、フォン・シャオガンといった国内有名監督の映画を一通り観た後は、監督や出演役者、ジャンルを問わず幅広い映画にチャレンジしました。
その後はドラマにも守備範囲を広げました。『我爱我家』、『编辑部的故事』、『北京人在纽约』などの誰でも知っている『经典』と呼ばれるドラマをおさえた後は、『蜗居』、『奋斗』など流行中の作品も欠かさず観ました。また、日本にいた時はほとんど観ることのなかった日本のドラマは、あえて中国語吹き替えバージョンを観ました。日本のドラマに興味がある中国人との会話のためです。
もちろんただ見るだけでは、中国語のレベルは上がっても、深い内容の会話ができるようにはなりません。私の場合、毎回見た後で、自分なりの感想や気になったシーンに関する自分の意見をまとめました。
「『初恋の来た道(我的父亲母亲)』で、現在が白黒、過去がカラーで表現されているのは……」
「『我爱我家』で姜文が友情出演するシーンは……」
そしてその自分の頭で考えた独自の意見を中国人にぶつけました。最初はぎこちなくても、繰り返し話をしていると、不思議なもので内容が更に深まり、会話も流暢になってくるのを実感できました。
「それじゃ、これから何の話題について学べばいいんだろう」
と考えておられる方に私がお勧めするのは、「食」に関する話題です。中国人の「食」に対する関心は極めて高く、ほとんどの人と会話を楽しむことが可能となります。まずは、自分に身近な日本料理の中国語表現を覚え、中国人の友人に紹介する所から始めてみてはいかがでしょうか。さらに自分の地元の郷土料理などを詳しく話ができるようになれば会話はどんどんはずんでいきます。私も日本食の話になったら、必ず地元熊本の馬刺しの話をしています。
共通の話題を見つけることで、会話も盛り上がり、相手との距離も一気に近づきます。自分に適した話題作りにチャレンジしてみてください。