そこは真っ暗な雪山。中型バイクの後部座席に股がっている私は、凍てついた冷気で顔面を叩かれているようだ。 足の感触はすでにない。 鎧のように重く着込んだ身体がバイクから弾き飛ばされないように、左手で必死に後部座席を握っている。 力む指先の皮が零下の外気にさらされた鉄にへばりつく。皮膚がもっていかれそうだ。垂れ流しの鼻水がマスク内に付着し息苦しい。 吐く息で眉毛が凍り、瞬きが重く感じられる。もうどのくらい経っただろうか?
眠気と疲労で意識が朦朧とする。前方を照らすバイクのライトが、暗闇のなかに唯一現実を照らし出している。見上げると溢れんばかりの星々。天然のプラネタリューム。
タイヤが小刻みに滑ると同時に両足に力が入る。暗やみのなか、氷った川を渡っていることを確認した。突然、「バキバキ!」と静まり返った空気が息を吹き返した。 氷が割れ、後輪が沈むのを感じた。重さの負担を軽くするため、私は氷った川を歩いた。 川幅がどれほどなのか、暗くて想像もできなかった。 後方はついて来ているだろうか? 振り返りヘッドライトの数を声に出して数えた。 1つ、2つ、3つ…… 7つのライトは、まるで蛇のように、伸びたり縮んだり、上がったり消えたりしながらこちらに向かって来ている。
こう回想して思い出すのは、私が7日間過ごした冬の遊牧民生活を夜の闇に残し、氷の山を麓へと目指している旅路だ。
中国の首都北京から約3000キロに位置する新疆ウイグル自治区のウルムチから、南西に列車で約25時間下るとカシュガルに着く。すでに現代化が深刻なシルクロードの古都カシュガルから、乗り合いの車で西へ更に数時間、そして今回訪れた遊牧民が生活する谷は、そこからバイクで北上9時間半の人里離れた山深い谷である。遠いと形容詞するより、中国は広いのだ。
今回私が訪れた雪山は中国の西の端。西方に隣国キルギスタンのアレイ谷。南方には「世界の屋根」と呼ばれるパミール高原。高度3000メートルを超える中国天山山脈に位置する辺境である。
中国の克(ク)族(キルギス少数民族)の村を訪れるのは、今回で2度目だ。昨年2011年の夏、個人の撮影プロジェクトとして訪れた際に出会った家族を再び2012年の冬に訪問したのである。彼らの言葉、宗教、食べ物、住居は、我々が「中国」とまとめる中華人民共和国、主に「漢族」のそれと全く異なるのである。キルギス語を使い、イスラム教を重んじ、豚を食べることは御法度。羊が主なタンパク源で、ナンという小麦粉を薄く伸ばして焼いたパンが、主要な炭水化物である。
2度目の訪問にも関わらず、この場所は中国からは遠い「異国」だと錯覚してしまう。