わが家のプロフィール
わが家は現在、中国の無錫という街に住んでいます。
無錫は江蘇省南部の経済都市、上海市から西へ車で2時間ぐらい。太湖という湖に面した自然に恵まれた場所で、長江が近いこともあって、昔から経済的に栄えていたそうです。今も外資企業の誘致に熱心なこともあり無錫の経済は良好で、日本企業の進出も多く、中国において比較的住みやすい環境といえます。
幸いうーたんには持病もアレルギーもなく、熱を出したのも1回ぐらい、健康面では何の憂いもありませんでした。ただひとつの問題は、娘の性格!
娘の辞書に「慎重」の文字はない
当時の娘は気の向くまま自由に行動する子どもで、それはそれは無鉄砲。慎重という言葉はうーたんの辞書には存在せず、瞬発力のある猪突猛進な子でした。
買い物に出かけても、お店は彼女にとっては陸上のトラックのように見えるらしく、一人でひたむきに走り始めます。子供が走りだすと、スピードは速くはないものの、人と人の隙間をかけてゆくので、大人でも追いつくのが大変です。何度冷や汗をかいたかわかりません。
一度こちらの大病院で、診察の順番の札を取るのに並んでいる時に事件は起こりました。
唐突につないでいた手を振り払い、うーたんは私から離れていきました。はじめは列の側でちょっとうろちょろしているだけだとタカをくくり、横入りされないように意地になって列に並んでいました。いざ札を取り終わってみて、ふと辺りを見回しても彼女の姿が見えません。何度名前を呼んでみても返事もありません。さらに当時病院は人でごった返していました。
「ここは中国。人さらいも多いって聞くよね??もし迷子になれば、どこに訴えればいいのだろう。的確な場所に届けたとしても、日本のように帰ってはこない可能性は大だ…どないしよ??」と半泣きになりながら、途方に暮れながら必死に探しました。探しても探して見つからず、もうダメだ。連れ去られたと諦めかけた時、ちょうど同じ病院に来て居合わせていた友人に電話をかけ、いなくなった旨を伝えました。
すると友人が、「え?ちょっと待って。うーたん、今私の前を走っていったよ~」と。
はあああ、良かったと胸を撫で下ろしながら、「どこにいる?」と聞くと、「5階の…」
え?私は今4階いますけど…
どうやって5階にたどりついたのか、今だに謎です…
嬉しい誤算?!子供にやさしい中国の人たち
こんな思いもしましたが、中国に来てよかったと思うことの1番は、中国は実は子供に寛容な環境だということです。もともと中国人は日本と比べて大らかな性格な上、子供にはやさしいのです。「子は宝」という考えが根付いているからでしょうか。皆さんが良き育児アドバイザーというか、おせっかいないい隣人というか。
子どもを連れて外出するとよく話しかけられます。住んでいるマンションの警備員さんからご近所さん、その辺にいるおっちゃん、おばちゃん。お兄ちゃん、お姉ちゃんまで子供を見つけるとフランクに話しかけてきてくれます。
「こんにちは」「子供は何か月?」は定番のご挨拶。
「薄着だからもっと着せないとだめだ」は冬にはしょっちゅう言われます。
「足首が見えているじゃないか。こんな事したら風邪をひいてしまう」とおもむろに言いながら、うーたんのズボンの裾を下げて心配するスーパーの店員さんまでいました。
日本では「子供には薄着を」が一般的ですが、ここ中国では薄着なんてご法度。子供には遠慮なく何枚も洋服を着させます。特に赤ちゃんはいつもいっぱい着せられて、汗をかいていてもだるまのようにくるまれています。そっちの方が大丈夫なんかいなといつも思うのですが、論破できないことは言わないほうが得策です。
子供にやさしい方も多いです。無錫でバスに子供連れで乗ると、必ず誰かがすぐに席を譲ってくれます。こちらのバスは運転がとても豪快で、子連れだと危ないことも多いので、これは本当にありがたいです。しかも譲ってくれるのは若い子が多いんですよ!!
しかし上海だと逆になかなか席は譲ってもらえません…特に若い子が譲りません。都会だからかなあ…
食事に出かけても、子供がいるからといって嫌な顔をされることはまずありません。たぶん子供がじっと座れられるなんて最初から思ってないのでしょう。
うちのうーたんはまあ「元気」な子ですので、退屈になったら席を離れ、店を徘徊しようとするんですが、店員さんが自らすすんで相手になってくれます。娘が大きくなるにつれ、さすがにいつも甘えてばかりいてはならないと思い、今は子供には店員さんと遊んでもらってはダメだと言うことにしています。
レストラン店内を徘徊しても、嫌がる店員さん、他のお客もほぼいません。
さらに店員さんの中には自分の休憩用のお菓子をわざわざ子供にくれる人も多いようです。もともと中国では大人が子供にちょっとしたおもちゃやお菓子を渡す習慣があるからなんでしょうが、その気持ちはなんとなく嬉しいものです。
以前娘とバスに乗って横並びの椅子に座っているとき、私がふと娘に視線をやるとうーたんの隣に座っていたお兄ちゃんが、お菓子をそのまま娘の口に持っていっていき、娘もパクリと食べていました。
欧米では「知らない人からのキャンディーは毒だと思え」と言われて育つといいます。しかし私も正直驚きでしたが、中国では欧米の正反対のようなのです。つまりこれは子供に対する愛情のしるし、つまり好意なんです。
という訳で、日本とは違う暖かい子育て環境で、当初は戸惑う事も多かったですが、今じゃ親子ともども、すっかり中国の周りの優しさに甘やかされています(笑)
お友だちができない!
無錫に住み始めた当初一番困ったこと。それは、ちょうど遊びたいざかりなのに、近くにうーたんと月齢の近いお友達を見つけることができなかったことでした。相方の職場の都合で、我が家は日本人ファミリーの多く住むエリアから遠く離れた市中心部に住んでいたせいもあり、他の日本人ファミリーと知り合うことがまったくなく、いろんな生活情報を入手する機会が皆無でした。
中国では両親共働き家庭がほとんどで、専業主婦は希少人種。だから昼間、未就学の子供の面倒を見ているのは、おじいちゃま、おばあちゃま、もしくはアイさん(ベビーシッター)ばかり。彼らと出会っても私は中国語の勘が取り戻せず、コミュニケーションもままならない状態。お友達をつくるチャンスをつかめずにいました。
勇気を出して外出、しかし…
家で過ごす毎日にもやがて限界が訪れます。しだいに母子ともども家にいることに飽きてきて…。それに情けない話ですが、うーたんといると日々の家事もままならない状態でした。
ある日ついに意を決し、うーたんと私、ふたりのストレス解消を兼ねて、平日昼間に室内プレイルームに出かけてみることにしました。
私たちがたどりついた近所のデパートのプレイルームは、さほど広くはないのですが、ちょっとした滑り台や乗り物などがあり、うーたんは久しぶりの遊具を見て大喜び。その場にいた子どもたちに中国語でいろいろ話しかけられると、「ティンプゥトォン」(聞いても理解できないという中国語)であるにもかかわらず、無邪気に一緒に遊ぶわが子。
「さすが子どもやなあ。いろんな先入観や理性やプライドなしで、素直に遊べてええなあ。私も見習わなあかんなあ」と妙に感心してうーたんの様子を見ていました。
ところがしばらくすると、ある男の子の付き添いのおばあちゃまが怒鳴り始めました。
うーたん、なんかした?と心配で様子を見てみると、ある男の子が遊具のブランコをそのおばあちゃまのお孫さんに譲らないことに腹をたて、子ども相手にケチをつけはじめているのでした。孫が可愛くてしょうがないんだなあと思っていると、
次はそのケチをつけられた子どものパパらしき人が、応戦を始めました。うちの子に大の大人が何を言うんだと。
ふたりは次第に感情的になりヒートアップ。
小皇帝たちの未来は?
中国の子供は「小皇帝」(ひとりっ子「男」)で、両親、そのまた両親、つまり祖父母にとても大事にされて育っているとは聞きますが、ここまでとはと感心しました。実は私、ゆかっち自身も「小皇后」(ひとりっ子「女」)なんですが、ここまでのストレートな愛情表現をもらったことはないなあ。ちょっぴり羨ましい気持ちと、この先この子たちはどうなっていくんだろうかと心配な気持ちが交錯して、少し複雑な気分になりました。
で、うちの小皇后うーたんはというと、そんな様子を見て、遊ぶ気持ちもそがれてしまったようで、その日はそのまま家路につきました。
お友だちはできたけど…
私たちの無錫生活。昼間のうーたんと二人きりの生活も、滞在2か月ぐらい経つと終了。お友だちと知り合う機会も増え、お互いのお家を行き来するようになりました。やはり子どもは子ども同士で遊ぶのが一番!うーたんもイキイキし始めました。もちろん私も…
無錫に引越ししたのは、うーたんがまだ2歳になっておらず、日本でいうと3年保育の幼稚園の入園まであと1年余りという時期。無錫には日本語ができる先生のいる幼稚園はなく、必然的に中国語か英語となるので、母語の日本語が固まるといわれる満3歳ぐらいに幼稚園に入れようかなと、その頃は漠然と考えていました。
お友だちができてうーたんにも楽しい時間が増えた!と喜んだのもつかの間、 当たり前のことなんですが、ご家庭の予定もそれぞれで毎日毎日お友達と一緒に遊べるわけではありません。英会話教室にでも通わせてみようかと調べていたところ、こちらの幼稚園は満2歳から通わせることができると聞き、渡りに船、「母語が固まる満3歳まで日本語環境」という立派な教育方針は軽く吹っ飛び(笑)、幼稚園入園を考え始めるようになりました。
幼稚園えらび
現地の知人たちのオススメ幼稚園は、家の近くにある実験幼稚園。しかしこの幼稚園は基本的に外国籍の子女を受け入れません。そこで市中心部がある我が家から10キロほど離れた、日本人を含む外国人が多く住む無錫新区の幼稚園から選ぶことにしました。
その新区にある外国籍の子女が通える幼稚園といえば、インターナショナル系か現地ローカル系の幼稚園の二択でした。せっかく中国にいるんだから現地の言葉に触れてほしいという私たち夫婦の思いもあり、たまたま近所におられたご家族のお嬢さんが通園されていた、台湾人オーナーのローカル幼稚園に入園させることにしました。
とりあえず学校見学です。渉外担当の方が出てきて、まず一言。「あなたの子どもは何歳?」
「2歳ならここのクラス」と教室に案内され、ほんの数分間教室の様子を拝見。そこで彼女はおもむろに
「どんな感じ?入園する?しない?」
学校からの説明、アピールポイントは何もなし。
え?これだけ…?
これでは不安だったので、こちらからも質問してみる。
「おむつまだとれてないけど…」
「大丈夫、クラスに一人アイさん(子どもの身の回りの世話をしてくれる人)いるから」
ちなみに学校のパンフレット、入学書類さえもいただけませんでした。この対応にちょっと面食らっている間もうーたんが落ち着いて私の側に立っているわけはなく、それに大した質問も思いつかなかったので、滞在時間20分ほどで帰途につきました。
今から考えると無錫に来る前は、あれだけ不安がっていたくせに、幼稚園選びに関しては、お恥ずかしい話、 学校見学がこんな内容だったにもかかわらず、思い返せばびっくりするぐらい簡単に決めてしまいました。決め手は送迎バスもあるし、ご近所の方も通われているし、という2点だけです。
うーたんの通う幼稚園
中国では子どもに立身出世を強く願う親が多く、小さい頃から教育に敏感で熱心です。特に英語を取り入れたバイリンガルをうたった幼稚園は人気があるようです。うーたんの通う幼稚園もバイリンガルを校名にいれています。そして学費はだいたい日本の幼稚園と同じくらいの金額。中国の平均年収から考えるとけっして安くはないのですが、ウェイティングされているお子さんもいるそうです。
うちの幼稚園は基本的に園庭で自由に遊ぶ時間を時間割に組み込んでいません。正直、小さいころに体力をつけることを考えてやらなくてはなりませんが、どうもこちらの親御さんはそこまで体力面にはこだわっていないようです。空気も悪いですし、そのほうが安心なのかなと思った時期もありましたが、それより、しっかりお勉強をさせたり、しつけ(生活習慣)をきっちりする要望の方が強いようです。
お世話になり始めて2週間目のある日。初めて教室の前まで直接うーたんを送り届けてみました。
教室にたどりつくと、うーたんは、泣きながら必死に私にしがみつくのですが、しかし教室の中から現れたアイさんに無理やり抱っこされ入室。まあ、幼稚園通いはじめによく見られる親子の「別れの儀式」でした。
といっても、もう1週間も幼稚園に通っているから、そろそろ新しい環境にも慣れてくるころ。泣くのは私への愛嬌、どうせすぐ泣き止むんだろうなあとこっそり教室をのぞくと、アイさんに抱かれながらうーたんはまだ大泣き。
「お、かわいいやん、うーたん」と思っていると、泣き止まないうーたんの口にすっと「あめちゃん」投入…うーたん、泣き止む…
これまで、私は飴を与えたことなかったのに…
言葉も通じないんだし、しょうがないか。どうぞ娘をよろしくお願いします。私はトボトボ教室を後にしました。
なんだかんだで入園から2年。幼稚園で一日どのようにすごしているのか、いまだに完全には把握できていません(笑)けど、うーたんの成長を見る限り、屈託なく明るい子に成長しています。現在1クラス33人の小皇帝と小皇后たちが在籍していて、2人の先生とアイさんもてんやわんやでお世話に大変そうですが、きちんと面倒をみてくださっています。何より、入園当初は言葉がまったくわからず、今も流暢には話せない子をきちんと預かってくださっているということに心から感謝せずにはいられません
こちらの幼稚園は満2歳から入園可能なところが多いようです。そして送迎するのはおじいちゃま、おばあちゃまというご家庭も多いようです。近くに頼れる方がいらっしゃらない場合は、平日に終日預かってくれるお泊り保育もあるので、月曜日の朝に子どもとバイバイして、次は金曜の夕方にお迎えということも可能です。
幼稚園で何をやっているのか、完全に自信をもって言えることはあまりありません…。いろいろ総合して想像した幼稚園での1日のタイムスケジュールは、
9:00が始業時間。朝の体操の後、軽食、授業を3レッスン。
11:00からランチとお昼寝の準備。
12:00~14:00までお昼寝。
14:00~14:20でお着替えタイム。
14:20から、さらに1レッスンとおやつ。
15:50~17:00までがお迎えタイム。
幼稚園とはいっても、1日のスケジュールを見ると、幼稚園と保育園を合わせた、日本でいう幼保園のような感じです。日本と違って中国は共働きが当たり前だからかでしょうか。
私がまず気になったのが3回もあるお食事タイム。食べ過ぎちゃうん?虫歯になりやすい?とかいろいろ心配していましたが、家に帰ってきたとたんに「おやつ」と要求してむしゃむしゃ食べる様子からして、食べている量は多くないようです。虫歯に関してはわかりませんが(汗)
いろんなことがはっきりわからない幼稚園ですが、献立表だけは幼稚園のサイトに1週間毎にアップされるので、必ず確認できます。アレルギーも入園申請表にあり、対応してくれるようです。
年間スケジュールは、9月始まりの2学期制を採用。冬の旧正月にあわせて前期が終了、3週間ほどの冬の長期休暇をはさんで2月ぐらいに後期が始まり、だいたい6月下旬あたりに一学年修了となります。うちの幼稚園の夏休みは2か月ありますが、別途サマーキャンプがあり、希望者はこれに通えます。
この1年のスケジュール表、日本のように新学期に配布されることはありません。冬休みがいつ始まるかもだいたい12月の末あたりにわかればラッキーという感じです。前もって個人的に問い合わせない限り、お休みの正式発表は1週間ぐらい前となります。
スケジュールだけではなく、いろいろなことが直前にしか確定しないので、こっちも先を決められず、なんとなくいつも落ち着かない気分。これがいつも不思議でしかたなかったのですが、こちらの保護者さんたちは基本的に学校の休みにあわせて予定を組むということがないらしく、自己責任でやっているようです。まあ、両親以外にも助けてくれる手があるからかもしれないですね。
必要なのは「臨機応変」な対応
こちらで生活するのには「臨機応変」が大切です。急にいろいろなことを言われることが多くて、戸惑うことも多いのです。幼稚園もしかり。いろんな連絡が突然やって来ます。
「明日保護者会をします」
こういう場合には現在専業主婦の私ならいつでも対応できるんですが、
「明日、瓶の蓋を形や大きさの違うものを何個か持ってきてください」
「3日後の遠足は仮装フェスティバルをするから変装してきてください」
こういう物理的なものは、いくら専業主婦の私でもなかなかすぐには対応できない…。
けれど、私は日本人。学校からの指示にはきちんと応えようとして、できない時のいらだちも多く、情けない気持ちになることも。ちょっと話がずれるかもしれませんが、こんなこともありました。
ある朝のこと。いつもは遅くても8:15には来るお迎えのバスが、待てどくらせどやってこない。たまたまその日は私の体調が悪くて熱もあり、早く来て欲しいのに待ち人は来ず。幼稚園からも連絡がなく、こちらは置いていかれたのかととても不安になりながら待っていました。8:50になってようやくバスが見え、まちくたびれたうーたんも元気にバスに乗り込んで登園しました。バスを見送って、すぐに私は部屋に戻り、倒れこむようにベッドへ。横になってうとうとと眠りについたころ、電話がなりました。
着信は幼稚園から。何ごとかと思えば、
「明日からバスのスケジュールが変わります。8:50ぐらいです」
我が家から幼稚園までは、バスで少なくとも10分はかかる距離。8:50にお迎えとなると、9:00の始業時間には間に合わない計算に。幼稚園の始業時間に間に合わないバスのタイムスケジュールを組むなんて本当にびっくり。しかも50分ぐらいってなんやねん。
突然の申し出に、珍しく怒りが頂点に。怒り口調で、
「それじゃあ、始業時間に間に合わないから、もう少し早めに迎えにきてよ!!」
「大丈夫。幼稚園は実際には9:20からだし」
「え?いやいや。あなたたちは、9:00が始業時間じゃないの?いつも9:00には幼稚園に登園させろって言ってるじゃない?あなた達のバスが9:00以降に着くようにスケジュールするっておかしくない?もう一回検討してよ」
「うーん。もう決まったことだから、そちらの都合が悪いなら、バス通園をやめて、自分での送迎に切り替えたら?もちろん残りのバス代は精算するし」
「いやいやそういう問題ではなくて…そもそもなんで学期途中で急に時間が変わるの?」
「バスが故障したから」
「今朝はいつもと同じバスやったやん?」
「ちがうちがう。うーたんのバスじゃない」
「それじゃうちのバスと何が関係あるの?」
根堀り葉掘り問いただしたけど、結局理由はわからないまま幼稚園の申し出のとおり変更することに。しかも変更後は、定時に来ることはなくなり、8:50にバスが来る日もあれば、8:30には来る日もある、というように、いつバス来るのかはっきりしなくなってしまいました…。他の子どもがバスの時刻に遅れても待っているから、時間がずれこんだりするようです。そういうところはほっといて、出発すりゃいいのに…とは思うものの、その律儀さで私も助かったことがあります。けどやっぱり始業時間に間に合わないのが今だに腑に落ちない。それに今から考えると、あの電話のやりとりでの私の言動は「モンスター」。ちょっと言い過ぎたかなあと反省しています。
同じマンションに住む中国人ママも、急な変更に当初は怒っていたけど、切り替えも早く、変更後数日ブツクサ言っていた私に、「しょうがないよ」と笑顔で諭してくれました。その後は、バスが遅れようと早かろうと動じず、「まあこんなもんでしょ」とかっこよくいう彼女を見習うことにしています。
うーたんの通う幼稚園の校名は、☆★バイリンガル幼稚園となっています。ローカル幼稚園なので、バイリンガルといっても中国語と日本語のバイリンガルではなく、中国語と英語です。こちら中国では、以前にも書いたように子どもの立身出世を願う気持ちが強いせいか、幼少時から教育熱心。英語を重要視しているので、幼稚園から英語を勉強させるのに積極的です。
というわけで、うーたんにも英語のレッスンが毎日あり、中国人の先生とネイティブの先生からそれぞれ1日1レッスンずつ受けています。以前にクラスメイトの中国人ママに、
「うーたんは日・中・英を話すトリリンガルなのね。いいわねえ」
と言われたこともありますが、2年通っての英語の成果はというと…。正直なところ、英語はそれこそ発音がなんとなく少しうまいといえるぐらいで。お世辞にも話せるとは言えないレベルです。
ただ日本の英語教室と同じように、歌を歌ったり、リズムを踏んだり、ゲームをしたりしながら授業が展開されていくので、うーたんにとっては、とても楽しい時間。英語の授業は気に入っているようです。
年少クラスの時は英語の他に週に2度、知能開発や算数の授業もありました。その授業のおかげで4歳前後にして「長方形・正方形・三角形」の識別もできるようになりました。足し算や「+1」の概念も身に付いています。
量的には10分程度で終えることのできる宿題も週に2度だされ、週に1冊、中国語の絵本の暗唱もします。日本ではお受験用の勉強をする場合、幼稚園に行かせて、さらにその後塾に通わせなければならないので、教育熱心な親御さんにはありがたい環境だといえます。
毎学期、中間・期末テストのようなものもあり、そのたびに各項目3段階評価の成績表をもらいます。うーたんが産まれて初めて成績表をもらってきたのは、2歳半すぎでした。こんな小さいころから成績表もらって…と当初は笑い話にしていましたが、一度英語の成績がどの項目もひどい結果になっていたときには、本気で落ち込みました(笑)。
小さい子どもに勉強させることには、賛否両論ありますが、幼稚園が勉強の習慣をつけてくれるありがたさは感じています。たま~に自分でひらがなドリルを取り出してきて、「お勉強しよう」とおもむろに勉強をしだすことがあります。そんなうーたんを見ながら、「この習慣があと10年は続いてくれるように」と祈っています。
将来を見据えたサバイバル
こんなに幼稚園でいろいろ勉強をしているのにもかかわらず、幼稚園が終わった後も中国ではお稽古事に通う子が多いです。先述した英会話、ピアノなどの音楽レッスン、バレエに囲碁、お絵かき教室、英語で教える体操教室などいろいろあります。以前は幼稚園で放課後の3時半以降、希望者に有料で知能開発、英語、絵画などの選択授業を行うサービスがあり、多くの子どもが居残ってがんばっていました。
うーたんにも何かを習わせたいと思い、いろいろ調べて、今は週に1度だけピアノに通っています。どのお稽古事も学費は日本とほぼ同じ値段、もしくはちょっとは安いかなぁというぐらい。こちらで生活していると割安感を感じられることも多いのですが、幼稚園の学費もお稽古事のお月謝も、物価や年収から考えると高く感じられます。
しかしこの教育熱、中国の子どもにとっては、どうなんでしょうか?実際にはもしかしたら大きなストレスになっているかも、と思うこともしばしばです。クラスメイトのひとりは、週6日お稽古ごとに通っているそうです。
ある中国人ママさんは「中学までは国内でしっかり勉強させて、高校からは海外に行かせようと思っているの」と言っていました。中国は詰め込み教育がひどくて子どもの負担が大きいのに、たとえ大学に行けたとしても就職できない子どもが多い。多くの時間とお金を費やしても、結局就職できないのでは子どもにとって一番不幸。だから海外でいろんな経験をさせてあげたいんだそうで。ある中学校では希望者には、学校の先生の引率のもと、日本でいう夏休みホームステイに参加できるコースも設定されていると聞きました。
私が初めて中国にやってきた15年ほど前は、エリート大学生でも自分の希望だけで海外に行くなんて難しい時代でした。今の中国の子どもには、多くの選択肢があって、多くの夢を持てる環境になっています。これが経済が発展することなんだと実感しています。
進学校では小学生になった途端に一日をほとんど勉強に費やす生活になります。毎日宿題がでるのが当たり前。その宿題の量は多く、1年生から宿題をするのに2、3時間かかるのは普通だそうです。知人は、仕事で疲れていても、家に帰ると息子の宿題を毎日見てやっています。親がまだ自分で見てあげられる場合はいいんですが、おっつかない場合は宿題のための家庭教師を毎日つけている人も。そんな生活が大学受験まで続くんですから、本当に中国の子どもも親御さんも精神的にも金銭的にも大変です。
うーたん、蚊帳に興奮して負傷する
無錫に来てからの半年間、幼稚園にも通ってなかったせいか、うーたんは病気ひとつせず元気いっぱい。なので私は病院に関する情報収集や下調べをあまりせずにいました。そんなある日、うーたんがやらかしたんです…。
夏も近づき、蚊が出始める頃。無錫では夏には蚊帳を吊って寝るのが一般的です。私自身も蚊には神経質、まして寝ている間に蚊に起こされるのはとっても不愉快だし、蚊帳をつけると涼しげでなんとなくセレブな気分になるかも?と蚊帳を購入しました。帰宅後早速蚊帳を開封すると、それを見たうーたんは大興奮。私と相方がベッドに蚊帳を設置している間、何度も蚊帳に入ろうとしては追い出されていました。
やがて、ようやく蚊帳が形をなしてきたのを見計らってうーたんは蚊帳の中へ、ベッドの上でトランポリンのように飛び跳ねて喜んでいました。その時です。
危ない!勢い余って、うーたんはベッドから転落。運悪くそこにあったサイドボードの引き出しの取っ手に後頭部をぶつけ、出血…。
初めてのうーたんの負傷で、私たち夫婦は大慌て。後頭部から出血しているから、髪の毛で傷口の深さはよくわからないし、わかったとしても縫うケガなのかどうかも判断つかない。頭を打った=何かまずいんではないか?と夫婦でケンカになり、第三者の意見を求めるため、両実家の母にそれぞれ電話をかけて相談までしました。どちらの母も答えは「大したことないよ~」でしたが、私たちはそれに納得できず、病院に行くことにしました。
病院ってどこにあるの?
病院に行くにしても、情報収集を十分にしていなかった私たち。どこにいけばよいのやら。中国では外国人とVIP専用窓口をもつ病院があるのですが、うーたんがケガしたのは、夕食後。たとえその病院に行ったとしても夜間診察の時間です。近所の人民病院に日本語の話せる看護師さんがいて、お友達から紹介だけは受けていたので、とりあえず彼女に相談しました。しかし、この時間では外科を診ることはできない。彼女の勤務先ではなくもう少し遠い人民病院に行くか、家から徒歩圏内にあるローカル児童病院に行ったほうがいいとアドバイスを受けました。
急いで、うーたんを連れてその人民病院に向かおうとタクシーを探しましたが、渋滞する時間帯でなかなかタクシーがつかまらず、結局徒歩でいける児童病院に向かうことに…。
その病院は、お散歩でよく通る道沿いにあり、外見は少し古ぼけた感じです。昔、友人が中国で入院したときにお見舞いに行ったことがあるのですが、現地の人が利用する診療、待合いスペースは、なんというか古ぼけていて照明も暗い。廊下に病人がたくさん横たわってもいるさまには、ちょっとカルチャーショックを受けたものです。
私と相方は共に中国経験が長いのですが、日本人の医者がいない街に住んだことはありません。ましてやローカル病院を利用したのは初めてでした…。
「でも打ってください」
病院に着いたら、まず受付で薄いノートを購入、そこに住所と名前を記入します。このノートはカルテ。中国ではカルテを自分で保管するのが一般的なようです。それから、何の診察に来たかを受付に伝え、診察代を支払います。
そうです。こちらの病院は前払いなんです。日本とは違う受付システムに戸惑いながら、その診療代の領収書を片手に案内された診察室に向かいました。診察室を覗くと、先生が患者を看ているすぐ後ろに何人か待っている人がいるのが見えます。私たちも順番取りのため、診療室に入りこみました。患者のプライバシーもなにもあったものではありません(笑)。
そんなこんなでうーたんの順番に。お医者さんが髪をかき分け傷を確認、5センチほどの切り傷で深いように見えました。
「先生、どうですか?」と聞くと
「傷は大したことないとは思うけど、念のため、破傷風のワクチンを打ちましょう」
「え?!半年前に日本で何回か破傷風のワクチンを打ったので、大丈夫だと思うし、打ちたくないです」
「でも打って下さい。」
「……」
室内でのケガだし、ワクチンを打つ必要性があるとはまったく感じられなかったのですが、やはりお医者さんの言われることなので、そのままワクチンの代金を払いにいき、また領収書を持って、今度は注射室に向かいました。病院の建物も古ければ、注射室も古い。使いふるした木の長椅子が、まるで昭和初期の駅の待合室のように並び、それぞれの椅子の上には点滴を吊るすためのフックがついています。うーたんも頭を負傷してちょっと元気がなく、私たち両親もこの環境に不安感でいっぱい…。うーたんはどうなってしまうのでしょう。
注射室で看護師さんに呼ばれ、ワクチンの説明を聞くと、2回に分けて打つとのこと。1回目はおしり、2回目は手首のところです。2歳の子どもには痛くて負担の大きな場所。私たちが「だったらやめる」と言っても、時すでに遅し。案の定うーたんは大泣き大暴れ…。
今から考えると病院になんか行かなくてもいいほどの浅い傷、ただ私たち夫婦が未熟なばかりに、うーたんはえらい目にあったというわけです。先生たちのおっしゃる言葉はなんとなく聞いてわかるけれど、こちらの聞きたいことがうまく伝わらない。さらに診察を受けるのも点滴をうけるのも血液検査を受けるのもすべて前払い。それも先生に指示をされてから支払いにいくことになるので、病院内をいったりきたりすることに。病気のこどもを抱えて病院に行くのは、外国人であるという条件以上に、保護者一人の付き添いでは至難の業だと感じました。家路につき、後頭部のガーゼの付け方を見てうーたんには悪いけど思わず失笑してしまいました(写真参照!)。
ここが違う、日本と中国の病院
ちょっとびっくりなローカル病院デビューを飾った我が一家。その後いろいろ調べてみると日本語を話せるアシスタントサービスの通訳アテンドをお願いすれば、煩雑な手続きも言葉の心配も軽減することがわかりました。しかし、その後幼稚園に通い始めると病院に行く回数も増えて、今度は新たな問題点が見えてきたのです。
無錫は日本人医師が常駐する病院はなく、病院にかかるとなるとローカル病院、もしくは欧米・外資系病院で診てもらうか、車で片道1時間の蘇州市にある日系診療所まで行かなければなりません。子どもの体力が落ちているときに車での長時間移動することを考えると、いっそ無錫のローカル病院に行くべきか?といつも迷い、判断が遅れてしまいます。
日本にいても通院となるとなかなか的確な判断ができないのですが、ローカル病院に行くとなると、言葉の問題に加え、診療体制、治療方針など、お国変われば当然変わる、これらのことが気になります。
その違いの中でいつも特に悩んでしまうのが、医療方針。中国でも病院では西洋医学を学んだ先生が診てくださいます。しかし中医学の考えが生活の根底にあるこちらでは、中医学の診療所も数多くあります。小さな子どもが風邪を引いたときにも生薬(日本でいう漢方薬)を処方されることは多く、うーたんもローカル病院に行くと西洋の薬とあわせて生薬も必ず処方されます。
生薬は体によさそうだし、うーたん自身苦くてもごねずに飲んでくれて助かるのですが、治りが遅いこと遅いこと。一度うーたんが高熱を出した時、ローカル病院にかかって薬をいくつか出してもらいました。しかし出された薬が抗生物質・熱冷まし以外は生薬ばかり、3夜続けて熱が38℃以上になったために体力も落ちてきて、結局蘇州の日系病院まで行くはめになりました。
もうひとつ気になるのが、血液検査をすること。白血球の数値をみて症状を判断するのです。日本では発熱や風邪で血液検査をすることは少ないと認識していますが、こちらでは血液検査をすることが多いようです。点滴もよくすすめられます。私は点滴というものはそれほど体力がおちていない状態でするものでないと思っているのですが、友人の中国人ママが「子どもは鼻水が少し出たら幼稚園を休ませ、さらに少し状態が悪くなったら、病院に連れていって点滴を受けさせる」と言っていたのには驚きました。
そんなにも点滴をしたがるのに、うーたんの風邪の治りが悪くて、少し痩せてきたように思えたので点滴を望むと断られることもあり、治療方針がよくわからないのです。今までの自分が経験したことは異なる方法を見かけることが多いので、一つ一つ神経質になってしまい、介抱と不安と心配でこっちも滅入ってしまうことが多々あります。
その病気で出席停止?
お国変われば事情も違う、出席停止になる病気も違います。
中国では数年前に手足口病になった子どもが重篤化し、死に至ったケースがあったため、それ以降、手足口病を発症した子どもは約2週間の出席停止になっています。ですから手足口病のシーズンには学校も保護者も敏感になり、毎年流行シーズン前には必ず注意勧告のお知らせが配られます。クラスで一人でも手足口病が発症すると、発症した子はもちろん、それを聞きつけた保護者が健康な子どもも幼稚園を休ませたりします。
2012年の夏休み前、友人の子どもが通うローカル幼稚園のクラスで、一人が手足口病にかかりました。すると感染防止のため自主的に欠席する子が増え、あっという間に30人いたクラスの出席者が8人程度になってしまったそうです。その後、他のクラスでも感染が確認されると、発症元と思われる友人の子どものクラスは学級閉鎖。 その2、3日後には幼稚園ごと閉鎖になりました。日本では手足口病で学校閉鎖など、私は聞いたことがなかったのでとても驚きました。日本で学級閉鎖といえばインフルエンザですが、ローカル病院ではインフルエンザの診断はありません。血液検査でウィルス性か細菌性の風邪かを判断するのみです。ですから、私の周りではインフルエンザで学級閉鎖という話を聞いたことがありません。
またワクチン注射も日本では認可されていないものが認可されていて打つことができたり、親の自己責任になりますが、外国製か国産かの選択肢があったりして、そこは少し羨ましかったりします。
私が日本にいるときには、いつもお医者さんのおっしゃるままの受け身でした。お医者さんを信頼していてお任せするばかりで、薬の効用などあまり深く考えたことはありませんでした。しかし中国に来てからはもっと慎重にいろいろ考え、無知さを責め、責任をもたなければと考えるようになりました。
うーたんが病気になると、いつも脳をフル回転させて悩むことになります。発熱すると家中が落ち着かなくなり、介抱と心配ばかりでこちらも疲れてしまいます。
日本にいても中国にいても、どこにいても体調管理は自己責任。病院がどうのこうのといろんな心配しないためには、体調がすぐれない時には重症化する前に体をよく休ませてあげるのがうーたんにも私にも相方にも最良で最善、と肝に命じながら、私たちは無錫で3年目の冬を迎えます。
そんなこんなで、バスは目的地のカウボーイ村に2時間半ほどかかりやっと到着。うーたんはバスの中で楽しく遊べたようで、満面の笑みを浮かべて友だちとじゃれていました。相方と私は、あまりの長旅に少々げんなり気味。相方にいたっては、初の遠足参加にも関わらず「来なくてよかったんじゃないの?」と目的地に足を踏み入れる前から言い出す始末…。引率の副担任も「1時間半ぐらいで着くって聞いてたんだけど…」とつぶやいていました。
そういえばここに着くまでバスの添乗員らしきお兄さんが、携帯アプリのナビを片手に、運転手に道の指示をしてました。プロの案内人、添乗員でさえこんなんだから、結局結果オーライならいいんだろうなあと、しみじみ考えていました。
カウボーイ村に到着して、まず少し広めの原っぱで、クラスごとに集まりなんとなく時間を過ごしていました。何をするのかわからないまま突っ立っていると、相方の顔がさらに曇りだします。急いで副担任に確認してみると、保護者によるクラス対抗の綱引きをするので待っていてとのことでした。
やがて大人の手で握るとちょうど一回りするくらいの、少し細めで長い綱が登場。それでクラス対抗綱引き大会をするとのことです。綱引きするにはちょっと細い印象ですが、子どもがするんだろうなあと思っていると、あるクラスの保護者たちが綱を握り始めました。あれ?大人がするんだと見ていると、引っ張り始めてしばらくして、
「ぶちっ!!」
綱が切れました…。
幸い尻餅をついた人はおらず、大事にはいたらならなかった様子。このあとどうするんだろう?と見ていると、切れたところを結び直して試合再開…。しかし引っ張りだしてしばらくすると、案の定、綱はまた切れ…。2回ほど綱がきれてやっと大人同士の戦いは休戦に。
次にうーたんのクラスが戦いに挑みました。今度は子どもだけです。しかし綱を握る子どもたちの横に保護者が群がり、綱の周りは人でもみくちゃに。正直綱引きどころではありませんでした。私にはただ、もみくちゃになっていた子どもたちがドミノ倒しにならないように気を配っていたことぐらいの記憶しかありません。そんなこんなでぐだぐだ綱引きも終了し、その場で解散。自由行動となりました。相方もほっとしたのか、うーたんと楽しそうに歩きだしました。
みかんはひとりいくつまで?
カウボーイ村では子どももアスレチックや乗馬などが楽しめます。スワンにも乗ったり、お友達と遊んだり、うーたんもかなり楽しんだ様子。最後はクラスごとに集合して写真を撮りカウボーイのパレードを見て、バスに乗り込みました。
カウボーイ村を出発すると、今度はみかん狩りです。
みかん畑に着き、バスから降りて、クラスごとに決められた畑に到着。副担任が、
「袋を用意していますか?どうぞここでみかんを採ってください」との指示が。
誰かが「何個採ってもいいですか?」と質問すると「たくさん採っていいですよ~」という回答が。
そう聞いた私たちうーたん一家。まずひとつ採って味見。甘さも酸っぱさもあって程よい完熟度、とってもおいしい。さあこれは採らなければと、家族3人はりきってつみだしました。けど摘むに従い、なんとなくちょっと遠慮気味になり、結局15個ぐらいまでにして、エコバッグに入れたみかんを眺めていたところ、副担任がやってきて、
「採っていいのは味見をするための1個だけらしいです。帰りに一家族一袋、みかんのおみやげがあるそうです」
「え?こんなに採っちゃったよ…大丈夫?」
と言ってると、クラスメートのママが
「大丈夫大丈夫、気にしない」
って、いいんかい!
ふと周りを見ると、20個以上のみかんを持っている家族も。袋を忘れたママにビニール袋を渡す人もいました。ってそれは私です。(笑)
郷に入っては郷に従え
今回の遠足を通して学んだのは、いろんな出来事にいちいち驚いてばかりではダメだということ。そもそも中国では計画があっても段取りというものがないので、様々なハプニングに要領よく順応することが肝心なんじゃないでしょうか。それがこちらで生活する上で必要な『臨機応変』なのかも?と思うようになりました。
それに比べ、日本では『細部まで段取りも心遣いも行き届いたサービス』を当然のように受けることができるので、私は知らず知らずのうちに受け身のままでも問題なく過ごせる環境に慣れすぎているではないかと思うのです。その日本でのスタンスのままでいると、ここではストレスばかり貯めこむことになるのではないでしょうか。古人の言う『郷に従う』とはこういうことなんだろうなぁと実感しました。
ちなみにうーたん、この無錫でたけのこ掘り、ザリガニ釣り、桃狩りを経験してきており、そして今回はみかん狩りです。日本ではなかなか機会に恵まれないような経験ができて、親としてはありがたいです。
で、みかんですが、やはりお土産に配られたみかんより、私達自ら採ったみかんのほうが断然美味しかったことは言うまでもありません。
うーたんもこの9月で年長さん。無錫ローカル幼稚園通園4年目になりました。こちら無錫では小学校受験が来年の旧正月明けから始まるようで、年長さんは幼稚園でお勉強だけでなくお稽古事にも大忙し。オリンピック数学などの受験対策のお勉強はもちろん、ピアノやバレエに絵画、囲碁と、放課後や週末には誰もが何らかのお稽古をしています。こちらでは小学校入試から願書に特技を申告でき、さらに一部の中学校では一芸に秀でた生徒に別枠での入試が設定されることもあるそうです。そういう背景も手伝ってかみなさん習い事にはとても熱心です。うーたんのあるお友達は、私が知っているだけで、習字(週に4回)にピアノ(週に2回)、空手にオリンピック数学、英語にピンイン(週に1回) を習っており、1日に3つお稽古が重なることもあるそうです。ママたちは皆一人一台車を所有、幼稚園と習い事の送迎に大忙しです。もちろん習い事もやりっぱなしではなく、自宅でもそれぞれの課題・宿題を毎日こなしています。意外にも子供もイヤイヤやっている様子はなく、私はいつも彼らの頑張りに感心しています。
「小学校受験は9月から対策しないと間に合いません」と先日幼稚園から説明を受けたばかりということもあり、最近ママ友たちが集えば、その話でもちきりです。私のママ友さんたちは、無錫で人気の2校どちらかを志望校にしています。どちらも私立で、1つ目は1年生から山ほどの宿題の嵐、さらにテストの度に順位を発表、学年末のテスト最下位から数名は退学処分になるというとても厳しい学校。けど、1年生から英語の授業があり、それもアメリカの教科書を使って行うというところが人気です。もう1つは、低学年では宿題も多くはないのに、優秀な生徒が多いという学校。みんなの第1志望はこの比較的自由なイメージの後者のようです。
ちなみに昨年度の厳しい方の人気校の受験は定員百数十名に、1500人が受験したそうです。人気の高さにもびっくりしますが、その受験者の数の多さもさすが中国。この小学校の入試問題では、「うさぎのママには3匹の子供がいます。1匹8個ずついちごを配りました。ママは全部でいちごをいくつ持っていたでしょうか」という掛け算を使う問題や口頭試験で去年起こった四川大地震の発生日時を問う時事問題もあり、年長さんにはなかなか即答できなさそうな問題を多く目にしました。
うーたんの習い事
それはさておき、うちのうーたんも年中さんからピアノと囲碁とサッカーをやっています。できるならいろいろやらせてあげたいと、お稽古事の情報をキャッチしては見学にいき、うーたんが興味をもてば習わせるというようにして、この3つを習っているのです。囲碁にもピアノのようにレベルに合わせた級テストがあり、受験に少しでも有利になればと年に1度か2度行われるテストを目指してみんな練習に励んでいます。
ピアノは4歳になりたてのころから習いはじめ、現在うーたんのピアノ歴はかれこれ1年半以上に。こちらのピアノレッスンでは、本レッスンと練習をみてもらうレッスンの2種類を行うことが主流で、うーたんもこの2つのレッスンに通っています。
レッスンの成果はというと、初等教本であるバイエルもかなり進んでいるクラスメイトも多い中、うーたんはバイエルももらえない相当残念なレベル。先生からも横で聞いていて「ちょっとそこまでは」と思うぐらい感情的に怒られるので、ピアノのレッスンはもとより、練習もいつもイヤイヤやっていました。そんなうーたんに対し、やってはいけないとわかっちゃいるけど、理解の遅さについ怒ってしまう母ゆかっち。当然うーたんのピアノ嫌いがますますひどくなり、最近ではこのまま続けさせてもよいものかと悩んでいました。
何しろ「音を楽しむ」どころか、うーたんにとってピアノは地獄の沙汰のようで、いつも泣きながら練習するありさま。このまま無理矢理続けさせてもトラウマになるような気がしはじめ、先生にあんまり怒らないで褒めて伸ばしてやってくださいと言おうかな、いやいや一度始めたのに簡単にレッスンをやめさせるなど親としてあってはならぬ、いくらはたから見て理不尽に怒られていても、先生のおっしゃることに逆らってしょうがないし…と親である私自身もピアノに対するスタンスはブレブレ。その悩みを抱えたまま1年が経とうとしていました。
ちなみにうーたんが一時帰国していた夏休みの間に、うーたんのクラスメイト数名は、毎日2時間のピアノレッスンに通い、3級に合格。年長さんで3級は皆から尊敬されるレベルだそうです。うーたんの今現在のレベルはちなみに先生曰く1級か2級かなあ…(1級が一番レベルが低く、最高は10級)だそうです(笑)。
さて今年の夏休みは2か月丸々日本に帰国、ピアノレッスンはお休みです。それでも日本でピアノ嫌いがどうにかなればと私の母の力も借りて、毎日ではないですが練習を重ねていました。そして夏休み明け、2か月ぶりのレッスンに行くと…
「にーはお、先生、お久しぶりです。」
「にーはお、早速ですが10日後に発表会があるから、頑張りましょう」
おばあちゃんちはどうだった?とか、練習してた?とかないの?それに発表会って何?と面食らいながら、
「え?いやいや、無理ですし、おっしゃる日は予定があります」
とやんわりお断りしてみても、
「いえ、全員参加なので、都合をつけてください」とけんもほろろ。
どう考えても時間的にも無茶な話。どう断ろうかと悩んでいるうちに
「では、この曲で」と先生は曲を選択し、レッスンを始めました。
先生が選んだ曲は、初見でしかも見開き2ページの曲。
「先生、暗譜なんですか?」
「もちろん、暗譜です」
「えええええええええ!!」
…いやいやそれ、初見でしょ?うーたんのモチベーションと実力を考えても無理ですってと反論する間もなく、先生はレッスンを進めます。
横から「夏休みまでに練習した曲ではだめですか?」と聞いてみても、先生は首を横に振るだけ…。しかし、いやまてよ。これはうーたんにとってピアノの転機になるかも?発表会に出席できなくてもどこまでやれるのか試すいい機会になるのでは?と、とりあえず、私はピアノレッスンを見守りました。
そして発表会当日!
残された10日で課題曲を仕上げるため、夏休み明けレッスンから3日後に再度レッスンをすることとなり、中2日で課題曲を少しでも上達させなければと頑張りました。いやいやピアノに向かううーたんが少しでも前向きに効率よく曲をこなすため、まずは教本の付録のCDで課題曲を聞きながら何度も歌わせて、リズムを覚えさせてからピアノにむかって練習という私なりの秘策を編み出し、それを試みると、なんと今までが嘘のようにうーたんは見開きの課題曲の半分を弾けるようになったのです。
そうして臨んだ、次のレッスン。練習してきた曲を先生に披露したら、なんと!
「やはり間に合わないので、夏休みに練習した曲にします」と曲変更。
…だから言ったやん…。この3日の頑張りどうしてくれんねん。と先生を少々恨みもしましたが、心の何処かでほっとしたのも確かです。
その後の1週間、うーたんと私は毎日ピアノの練習をしました。いつも以上に。いや頑張りました。うーたんも少しずつピアノに積極的になり、暗譜もなんとかクリア。自信をもって、いざ発表会を迎えました。
そして発表会当日
発表会当日は予定があったため、うーたんはトップバッターを務めることになっていました。うーたんと私は早めに会場に入り、自信をもって自分の出番を待っていました。すると同じ教室に通う、何をさせても優等生という噂のクラスメイトが現れました。彼はこの夏休みに3級を合格したという話。さっそく彼がレッスン室で練習するのをこっそり聞かせてもらうと、レベルの違いがすごいこと。長い曲をきちんと弾き、さらにやっと暗譜までごじつけたレベルのうーたん演奏とはちがい、曲に感情まであります。聞いてはいたけど、すごいなあと感心していると、うーたんは一目散で他のレッスン室へ。自分の曲の完成度の低さにやっと気付いたのか、一心不乱に練習をし始めました。何度か練習した後、私にしがみつき
「ママ、どうしよう…」と。
緊張に満ちた表情でつぶやきました。胸に手を軽くあてると、心臓の鼓動が強く感じられます。
発表会がどうだったかというと、先生が忘れていたためにうーたんは2番手となり、1番目の子が演奏をとちったため、少しリラックスしながら弾けたようです。演奏前の挨拶でど忘れして曲名を言えず、会場から暖かい笑いと拍手をもらいながらのスタートでしたが…。
演奏を終えたうーたんに、どうだった?と尋ねると
「楽しかった~」
「ピアノ楽しい?」
「うん」
つい10日前までやめさせようかと真剣に悩んでいましたが、あれから2か月、以前よりはピアノに積極的に取り組むようになりました。そしてついに赤のバイエルをもらい、私もうーたんも大喜び。けど、そんな喜びもつかの間、その赤いバイエルは、今度は私、ゆかっちに暗雲をもたらすことに…。これについては次回お話したいと思います。