快要上映

2016年8月23日 / 黒四角





第8回/快要上映 

まずは告知から。
 今週末、5月17日土曜日から新宿K’s CINAMAにていよいよ「黒四角」の劇場公開が始まります。新宿での公開後、全国各都市の映画館で順次公開していく予定なので、是非ともよろしくお願い致します。上映スケジュールにつきましては「黒四角」公式ホームページ(http://www.u-picc.com/black_square/)をご確認ください。記載されていない都市につきましても今後上映が決まり次第HP上でお伝えしていきます。尚、17日は初回上映後と2回目上映開始前に舞台挨拶をします。監督の僕と主演の中泉英雄、それから現在中国でドラマ撮影中の鈴木美妃が間に合えば参加します。お時間のご都合がつきましたらどうか劇場に足をお運び下さい。その日以外も僕は極力劇場にいるようにしますので、ロビーなどで見かけましたら気軽に声を掛けてください。ご感想、ご質問、何でも受け付けます。イベント等も計画しておりますのでそちらの方もHPにてご確認の上、ご来場頂けたら嬉しいです。新宿K’s CINEMAでの上映は3〜4週間を予定しています。よろしくお願い致します。

 「黒四角」は東京国際映画祭コンペティション部門出品作品として2012年10月に東京で初上映された。東京国際映画祭はオープニングの日に、参加者がレッド・カーペットならぬグリーン・カーペットを歩く習わしになっている。「黒四角」チームは僕と日本側プロデューサーを務めた妻の智子、主演の中泉英雄と鈴木美妃、助監督の東伸治が慣れない盛装をし、慣れない観衆の中、ゴール地点までをそそくさと歩いた。僕らは決して晴々とした気持ちではなかった。なぜならそこに共に映画を作った仲間の半分がいなかったからだ。東京国際映画祭での上映が決まったのは8月の終わりの頃だったと思う。しかも栄誉あるコンペティション部門への参加だ。その知らせに一同が大喜びした。僕は撮影中、スタッフにも役者にも理不尽な苦労をかけ通しだった。とりわけスタッフに。通常の撮影とは違う、かなり特殊な日中混成チームによる撮影だった。監督として僕が皆にしてあげられるのはただ一つ、最善を尽くして作品を仕上げることのみだ。映画祭への参加が決まり、皆に喜んでもらえて僕は心から嬉しかった。そして9月になり、日本政府が尖閣諸島を国有化した。
 中国側プロデューサーの李鋭は映画祭への参加の方法を模索していた。映画祭の公式な場には一切姿を見せず、陰から見守る形だったら可能かもしれないと言っていたが、結局断念した。主演女優の丹紅は初めから慎重だった。彼女は本来とても芯が強く、負けず嫌いな女の子だ。生粋の北京っ子で、天安門広場に程近い前面という街の胡同の中に家族と暮らしている。その家族が娘の身を案じて反対し、彼女はいち早く参加を諦めた。最後の最後まで参加を希望していたのが主演男優の陳玺旭だ。僕は撮影前に彼に言われていたことがある。どこでもいいから海外の映画祭にとにかく連れて行ってくれと彼は僕に言った。映画祭が決まり、僕は心を躍らせた。彼との約束が果たせる。しかも東京だ。陳玺旭をどの店に連れて行こうか。彼はきらびやかな豪華さは好まない。胡同の路上に並んだ屋台のがたつく椅子に座り、羊肉串はこう食べるんだと言って、テーブルに常備されている生のニンニクと肉片とを交互に齧り、きつい白酒を彼はあおってみせてくれた。やってみると羊肉串の香辛料とニンニクの辛みが喉を焦がす白酒の独特な風味と相まって実にうまい。僕は彼と東京で酒を飲みたかった。しかし、願いは叶わなかった。
 2012年は日中国交正常化40周年の記念の年で、様々な交流イベントが予定されていたが、その殆どが中国側からの一方的な通告によりキャンセルとなった。映画祭への不参加は、中国当局からの要請があったのかどうかは僕は知らない。でも、最終的には個人の判断であったのだと思う。中国国内では映画制作は国からの認可事業である以上、プロデューサーは当局に目をつけられるような行為は避けたいところだろう。ただでさえ「黒四角」は李鋭にとっては危うい企画だった。役者は役者で人気商売という性質上、ネット世論が怖い。参加をすれば「あいつは売国奴だ」というレッテルを貼られ、それがSNSを通じてあっという間に全国に広まるのは目に見えている。大きな権力は僕らを不自由にするが、それに拍車をかけているのは僕ら自身でもあるのだ。そう思うと絶望的な気分になる。もしかすると僕もせめてグリーン・カーペットくらいはキャンセルしてもよかったのかもしれない。そんなことをしたところで大して意味はなかったのだろうけど。だいたい、せっかく選んでくれた映画祭に失礼だ。
 2011年のクリスマスの夜、喫茶店で僕は李鋭に「黒四角」のシノプシスを見せた。ペラで2〜3枚のシノプシスを読み終えると、「すごくいい物語だ。投資したい。幾ら必要なんだ」と彼は言った。これはダメだと僕は思った。シノプシスを読んだだけで、しかもその場でいきなり金の話をしだすなんてまったく信用できない。初めのうちはいいことを言って後で平気で覆す。期待して振り回されてそれで終わり。よくあるパターンだ。3年余りの中国生活で僕は学習済みだった。「とりあえず家に帰ったらすぐに脚本をメールで送るので、読んでもう一度考えて欲しい」と僕は言い、彼と別れた。後で知るのだが、李鋭はかなりせっかちな性格をしている。その場の瞬間的な思いつきで発言し、数日経ってその発言を撤回したり覚えていなかったりすることがよくある。ところが幸いなことに、この夜の発言は彼は撤回もしなければ忘却もしなかった。李鋭は貿易会社を経営していて、そっちが本業だ。中国人ビジネスマンと金銭的な交渉をし、パートナーとして関係を結んでいくのは素人の僕と妻にしてみればかなりしんどい体験だった。撮影前も、撮影後も、それから今回の公開に際しても、何度彼とぶつかったことだろう。関係が崩れては修復し、その繰り返しだった。不信と信用との狭間を何度も往復しながらやってきた。そして、不毛とも思える長いやり取りの中で、気づいてみれば僕らは相手への理解を深めていた。今になってみれば、こういう人間関係の育み方も悪くはない。これからもまだまだ彼とぶつかることはあるだろう。けれども今の僕らは友人と呼べる関係になっている。不満があれば包み隠さず言えばいい。中国でこれと同様の経験をした日本人は少なくないだろう。日中関係の未来が明るいものであるように僕は願う。李鋭にはとても感謝している。


Hiroshi Okuhara

投稿者について

Hiroshi Okuhara: 映画監督  1968年生まれ。『ピクニック』がPFFアワード1993で観客賞とキャスティング賞を、『砂漠の民カザック』がPFFアワード1994で録音賞を受賞。99年に製作された『タイムレス・メロディ』では釜山国際映画祭グランプリを受賞した。その後『波』(01)でロッテルダム国際映画祭NetPac Awarを受賞するなど、高い評価を受ける。その他の作品に『青い車』(04)、『16[jyu-roku]』(07)がある。本作品は、5本目の長編劇場作品に当たる。