学生時代からIT系ベンチャー企業を立ち上げるなど、起業意識の高かった本田英俊さんは、2004年、家族の反対を押し切って北京にやって来た。約1年中国語を学ぶと05年から英語学習のためカナダにも留学。06年、貿易関連の会社を北京で立ち上げた。
本田さんは中国語力をアップさせ、また、この国の文化をより理解したいと積極的に中国人の友人を持とうとした。チャットでもよく中国人と会話をし、「カノジョ」ともQQのチャットで知り合った。数ヶ月の対話の後の07年春、カノジョの通う大学近くで初めてふたりは実際に会った。19歳のカノジョはAKB48の渡辺麻友似の美少女だった。何をご馳走しても「おいしい」と子どものように無邪気に喜び、積極的にソーシャルワークに参加する心優しいカノジョ。次の年の春節、カノジョから「我愛你」のショートメッセージが届く。それからカノジョが大学を卒業するまでの1年半は、本田さんにとって最も楽しく美しい時間だった。
カノジョが大学を卒業し一緒に暮らし始めた頃から、カノジョの恐ろしいほどの嫉妬と束縛の日々が始まった。
ある日ふたりで街を歩いていると突然カノジョの機嫌が悪くなった。どうしたの?と本田さんが尋ねても返事もしない。その夜、本田さんが眠りについた頃、カノジョはガバッと起き上がって怒鳴った。
「あなた、なんで他の女の子を見るのよ!」
確かに道でかわいい子がいれば、男なら自然と目線はそちらにいく。その日もそういうことはあったかもしれないが、特に誰かをなめ回すように見た覚えはない。
「女性を見てはいけなかったらどこを見ればいいの?」と本田さんが聞くと、「男を見なさい」と言う。
これを機に、携帯電話、持ち物、引き出し、すべてカノジョにチェックされるようになる。やましいことはないのでしたいようにさせておくと、要求は更にエスカレートし、女性と2人で会ってはいけない、チャットはダメ、mixiもダメ。共通の友人の女性をほめれば怒り、携帯のショートメッセージでビジネスの連絡を取っていた女性に「晩安!おやすみ」とメッセージを締めくくると他の女性に「おやすみ」と送ってはダメだという。 そして本田さんの友人や会社の従業員の悪口を言い、つき合う人を制限した。
本田さんは、カノジョを甘やかしすぎた自分を反省し、態度をリセットした。本田さんは2年ぶりに友人の女性とお茶を飲んだ。当然このことも携帯をチェックしているカノジョの知るところとなり、逆鱗に触れた。我慢の限界にきていた本田さんはついに、
「僕を信用できないんなら別れよう」
と切り出した。するとカノジョは人が変わったように「ごめんなさい、ごめんなさい」と、泣きながら謝り続けた。本田さんは努力するというカノジョをいとおしく感じた。
「朝ごはん、7時? 頭オカしいんじゃないの?」
ある時友人の韓国人夫婦と食事し、お酒をついでくれるなど周りに細やかに気配りする韓国人の奥さんを見て、女性にはこういう風に優しくしてもらいたいと本田さんは改めて感じた。
本田さんは結婚を前提にカノジョに話をした。
「もし僕たちが結婚をするのなら、毎日朝ご飯を作ってほしい、頑張ってと励ましてほしい、人前で感情を出さないでほしい、他人のことを悪く言わないでほしい、掃除洗濯をしてほしい。ダメなら、朝ご飯だけでも作ってほしい」
カノジョは聞いた。
「朝ご飯って何時に?」
「7時」
それを聞いてカノジョの答えはひと言、
「你疯了吗?=あんた、頭オカしいんじゃないの?」
日本人的とはわかっているが、奥さんが作ってくれた朝ごはんを食べて1日が始まるのが本田さんの理想の家庭だった。
朝ご飯を作ってくれないのなら結婚は無理だと言うと、カノジョはまた、努力すると泣き出す。実際、料理学校も探し始めた。だがしばらくするとカノジョは「朝ご飯のことを家族に話したら、家族全員にその日本人は頭がおかしいと言われた」と本田さんに伝えた。「お前を好きならそんなことは言わないはずだと」と言われたというのだ。家族の言葉に打ちのめされた本田さんは二人の関係に少し時間を置いて考えることにした。
その後しばらくして女性の友人と食事をしていてばったりカノジョに出くわした。カノジョは誤解して「私たち別れましょう」と言った。カノジョとの関係に疲れ切っていた本田さんは、カノジョに釈明する力も尽き、そのままふたりの関係は終わった。
本当のカノジョは一体本田さんとどう生きていきたかったのか、最後までわからなかった。カノジョは家族にも友人にも本田さんを紹介しなかった。知り合いの中国人女性から「カノジョを信用しない方がいい」とも言われ、「身分証(政府が発行し中国人は常に携帯する市民証)を見せて」と言った時に「なくした」と見せてもらえなかったことが、ふと思い出される。
本田さんは振り返る。
「もしかすると、大学も出身も、名前だってウソだったのかもしれません。でも僕は本当にカノジョを愛していましたから、それはどうでもよかった」
病的なまでの嫉妬も束縛も、両親が離婚をしているカノジョの生い立ちを考えれば折り合えたという。
「ただ、自分が当たり前と思ってなじんできたものを「疯=狂」と否定された時に全てが終わったのです。この人とは無理だと思いました。いつか結婚するなら、やっぱり日本人か、日本語が話せ日本に理解がある人と、と思ってしまいます」(文中仮名)
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SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト)