その5 鬼嫁は最強のビジネスパートナー

2016年9月1日 / 僕のカノジョは中国人

大学時代に半年間北京に留学し、急速に変化・発展する社会にビジネスチャンスを感じた益子知大さんは、大学卒業後の2004年、北京大学で2年間中国語を学び、北京のクリニックに就職した。
 そこで、中国医薬大学を卒業して働いていた黒竜江省チチハル出身のカノジョと出会った。見た目もかわいく、一生懸命仕事に取り組む姿に益子さんは密かな好感を持った。ある時、益子さんはカノジョに鍼灸マッサージを施してもらい、初めてカノジョとゆっくり話した。日本語を勉強していたカノジョは益子さんに日本語を教えてほしいと言った。益子さんにとっては願ってもない申し出だった。それ以降、ふたりで日本語の勉強をしながら触れ合う中で、だんだんとお互いの気持ちが重なるのを感じた。益子さんはカノジョに日本語を教えてはいたが、中国人の考え方や流儀など多くを学んだのは益子さんの方だった。4年後の2008年、ふたりは愛情に満ちあふれ北京で結婚した。

 しかし結婚後、びっくりするほどカノジョの態度が変わった。束縛がすさまじく、1日に15回は所在確認の電話が益子さんに入る。ある時、益子さんがカノジョに無断で集金を兼ねてスナックに行ったことがバレてしまった。その夜カノジョは怒って家を飛び出し戻って来なかった。それ以降、益子さんは1日の行動のすべてをカノジョに報告するようにしている。
 また、家の家計を任せないのは信頼していないからだと詰め寄られ、家計のいっさいをカノジョに握られてしまった。益子さんは仕事以外でお金が必要な時にはカノジョの許可を得てお小遣いをもらう。仕事で忙しく、ほとんどお金を使う時間がないからではあるが、受け取る小遣いは月に200元ほどだ。
 益子さんは、この結婚後の変わりようをカノジョに尋ねたことがある。
「どうしてそんなに変わっちゃったの?」
 カノジョはひと言、
「妻の自覚よ!」
 と言った。

カノジョから教わる、中国人の機微

 カノジョは日本語学校に通い今では流暢な日本語を話す。現在は、中医の免許を取るために仕事と両立させながら大学にも通っている。恐妻家の益子さんではあるが、何事にも一生懸命に取り組み向学心の強いカノジョは、益子さんのこの上ないビジネスパートナーだ。中国でビジネスをする上で妻が中国人であるメリットは大きい。益子さんはカノジョを法人代表に益洋金塔(北京)電子商貿有限公司を中国内資企業として設立した。外資企業(主に北京の日系企業)のコンサルティング・代理業務を主とする。外資企業の場合、政府から許可される業務内容や輸入品目などには規制が多い。そういった許認可外の業務を益子さんの会社がサポートする。内資企業の強みを生かし、同時に日本人のきめ細やかなサービスを合わせた業務展開だ。益子さんは言う。
「中国のことは中国人でなければわかりません。たとえば、微妙な人間関係の保ち方は私1人ではうまく運べませんが、生活費を切り詰めてでもお客さんに会う時はお土産を持って行く、友人に仕事を手伝ってもらったお礼は直接ではなく『子どもに何か買ってあげて』と間接的に心づけを渡すなど、カノジョが教えてくれます」
 考えの方の違いで喧嘩をすることもしょっちゅうだ。業務契約を結ぶのに日系クライアントは本社とのやり取りなどで時間がかかることがある。益子さんは時間をかけて丁寧に対応すれば、次の仕事に繋がると信じ、契約前の問い合わせや相談にも忍耐強く対応する。しかし、カノジョは今後のつながりよりも今何件仕事が入るかという目の前の数字を重視し、「なんで仕事になるかわからない相手にそこまでするの?」と益子さんのやり方を無駄だと考える。
 考え方が違った場合、ふたりはとことん意見をぶつけ合うようにしている。そうして、一番いいやり方をふたりで探していく。 今ではカノジョも日本流のやり方を理解するようになってきた。

 益子さんはこれまでカノジョと暮らして感じた事をこう話した。
「一緒に暮らせば暮らすほど、中国人と日本人の大きな違いを感じます。特に、中国人と日本人ではまったく時間軸が違うと思います。日本人は積み重ねを大事にしますが、中国人はトライアンドエラーで、先よりも今できる事をスピーディーに思いっきり進めるやり方です。彼女と暮らしながらその違いをもっと知り、楽しんでいきたいと思います」


SadoTamako

投稿者について

SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト