2005年夏、会社の事務所設立に伴って木村祐介さんは北京に赴任した。現地スタッフとコミュニケーションをはかろうと中国語学習にも力を入れた。赴任して1年半ほどの頃、友人の結婚式に同席していた13歳年下のカノジョ・李麗(リ レイ)に出会う。ちょうど会話ができるようになっていた木村さんは、会話の練習のためにも中国人の友人を作りたいと思っていた。明るくて人懐っこいカノジョを木村さんは食事や映画に誘うようになった。それからしばらく、ふたりは親しい友人として過ごしていた。
木村さんは実家の秋田に住む両親とスカイプのテレビ電話でよく話をしていた。2008年8月10日、デートでオリンピック競技を見に行きふたりが木村さんの家に戻ったとき、両親からスカイプ通信が入った。それまで、木村さんの結婚のことに触れたことはなかった母親だが、その日なぜか、
「国際結婚でもかまわないから、いい人がいたら早く結婚しなさいと」言った。そのとき、木村さんはふと、横にいるカノジョに聞いた。
「僕の両親と話してみる?」 カノジョは少し考えた後、うなずいて木村さんの両親に片言の日本語で初めて挨拶をした。
ふたりが結婚を意識した瞬間だった。
しかし、木村さんの勤める北京事務所は東京本社の方針転換で撤退を決め、木村さんも半年後の帰任が決まる。
木村さんについて日本に移住するか決めかねているカノジョに、木村さんは先ずカノジョに日本を見せようと思い、日本の入国ビザを申請した。しかし、カノジョのビザ申請は簡単ではなかった。不法就労、偽装結婚の件数が増え、入国管理局の審査が厳しくなりビザがおりないケースもあると聞いて木村さんは気をもんだ。インターネットなどで情報を見ると、確実にビザを取るには保証人である木村さんとカノジョの関係を証明する何かが必要だった。木村さんは考えた。カノジョが婚約者であることを証明できるものはあるのか? ひとつ証拠になるものがあった。母親からの手紙だ。木村さんの母親は、食物など秋田の名産品を定期的に石川さんに送っていた。その中には短い手紙が入っていて、いつでも「レイちゃんは元気?レイちゃんによろしく」と書き添えてあった。
帰国前の正月、ふたりは秋田の実家に行き、春節、木村さんは重慶に住むカノジョの両親を訪ね、結婚の申し込みをした。
言葉より、気持ちでわかり合えた
帰任後、カノジョは木村さんが住む東京にやってきた。するとその2週間後に、木村さんの父親が入院、手術をすることになった。まだほとんど日本語ができないカノジョを実家に連れて行っても世話をする人もいないので、カノジョを残し木村さん一人が病院に行く予定だった。しかし出発の前日、カノジョは言った。
「言葉はできないけど、私にも何かお父さんお母さんの役に立つことがあるかもしれない」
ふたりは一緒に秋田の病院に駆けつけた。憔悴した母親にカノジョがつき添い、代わって木村さんが父親につき添った。木村さんは驚いた。片言しか日本語がしゃべれないカノジョだが、木村さんの母親とはなぜか会話が成り立っていた。誰かがついていることで、母親も心強く感じているようだった。木村さんは言う。
「このとき思いました。日本人どうしでも、気持ちが通じない人はいます。コミュニケーションって言葉じゃなくて、お互いを理解しようとする気持ちなんだと」
それから1年と少しが経ち、カノジョも東京の暮らしに慣れてきた。街にゴミが落ちていないこと、空が青いこと、道路が人優先で歩けることが東京の暮らしでカノジョが一番喜んだことだった。そして、物価が高いこと、これが一番のストレスだった。木村さんは、カノジョが病気になった時のコミュニケーションなど、日本でのカノジョの暮らしに心配事がなかったわけではないが、だんだんと日本語も話せるようになり、日本の暮らしに慣れていくカノジョを、子どもが育つようなうれしさで見守っていた。
そんな頃、実家の木村さんの父親に余命1カ月の宣告があった。木村さんは思いきってひと月休みに近い体制を取り、カノジョを連れ実家に戻った。両親は、年若く言葉もまだ流暢ではない外国人のカノジョを、まるで孫ができたかのようにかわいがった。 そうして家族は一緒に悲しくも充実した最後の時間を過ごした。
12月30日、木村さんの父親は永眠した。正月と重なり、お葬式は1月4日に行われた。それまでの5日間、実家に眠る父親に、カノジョは毎朝声をかけていた。まだ気の利いた日本語が話せないカノジョが言っていたのは、
「お父さん、おはようございます。レイちゃんですよ」
のひと言だった。けれども木村さんは感じていた。たったひと言でも、父親にはカノジョの気持ちはちゃんと届いている、と。
その12(最終回)シドニー→東京→上海→北京。転戦とスキルアップでカノジョと生きていく ー加羽澤充さんの場合ー
その11 北京で起業の元キャバクラマネージャーが弱音吐けるカノジョ ー 山口慶(きょう)さんの場合 ー
その10 一文無しの元証券マン、最愛の中国女性と30歳年の差婚 ー 橋下慎太郎さんの場合 ー
その9 大学准教授カップル+ひとり息子、北京と四国で営む11年の別居婚 ー 井口一馬さんの場合 ー
その8 タクラマカンに魅せられた探検隊長、上海で理想のカノジョに出会う ー 黒川真吾さんの場合 ー
その7 「サルサが引き寄せる運命の男と女 ー 三谷義之さんの場合 ー
その6 想いはなお募る、別れても好きなカノジョ ー 泉卓也さんの場合 ー
その5 鬼嫁は最強のビジネスパートナー
その3 中国人女性はもうこりごり。嫉妬・束縛に耐え続け、そして燃え尽きた関係
その1 スナック小姐から実業家へ。彼女についていこうと決めたワケ ー 梅木鉄平さんの場合 —
SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト)