その10 一文無しの元証券マン、最愛の中国女性と30歳年の差婚 ー 橋下慎太郎さんの場合 ー

2016年9月1日 / 僕のカノジョは中国人

 バブル絶頂期の1990年、42歳の橋下慎太郎さんは最年少で大手証券会社の法人部長を務めるエリート証券マンだった。当時銀行は橋下さんのようなエグゼクティブには無担保で数千万円の融資をしていた。自宅を担保に借りた資金と合わせ1億円を投資したゴルフの会員権は10倍となり、橋下さんは10億円の資産家となった。橋下さんはその10億円を担保にゴルフ会員権に再投資した。
 しかし、すぐにバブルが弾け会員権は価格が下がりはじめ、98年のアジア金融危機の頃には13億円ものマイナスに。橋下さんは一気に3億円の借金を抱えた。会社員の給料では一生かかっても返済できない。銀行から取り立てにあう橋下さんに当時の妻は冷たかった。貯金を数百万円返済に回したいと言ったが、そんなものはないと突っぱねられた。取り立ては会社にまで及ぶようになり、橋下さんは辞職。ノイローゼから深刻な鬱病になった。
 ある日、女性問題で妻と口論になった橋下さんは我を失い、気がつくと椅子を振り上げていた。これまで人に暴力を振るったことなどなかった橋下さんは愕然とした。緩めた手から落ちる椅子の音が家中に響いた。家庭が壊れる音だった。妻は鬱病と借金を背負った橋下さんを捨て出て行った。後日「なるべく早く提出して下さい」と添えられた離婚届が送られてきた。

 仕事も家庭も失い、3億円の借金とともに絶望のまっただ中にいた橋下さんに米国系ヘッジファンドから投資先コンサルタントへの誘いがあった。もともと証券会社では法人部長で投資のトップセールスだった橋下さん、成功報酬でマージンを受け取る形でどんどん数字を出し、再び1億円の黒字となった。橋下さんはその1億円を資金に株に投資し順調に利益を出した。また派手な生活が始まった。しかし金は潤沢でも1人の生活はわびしかった。
 夜、暗い部屋に戻って「ただいま」と言っても誰も答えてくれない。入浴中に心臓発作が起こっても1人で死ぬしかない。若い頃には想像もしなかった恐怖が頭をよぎるようになった。誰でもいいからそばにいてくれる人が欲しい、橋下さんは切実に思った。
 橋下さんは経済援助をする形で数人の中国人留学生とつき合った。
「援助交際とは違います。僕は本気で彼女たちを愛おしく思ったし、結婚を考えた子もいました。でも、つき合う段階では年も取って見た目もそれほどよくない僕ですから、経済的援助でもしない限り相手にされないのです。学費や大学の入学金や住むところの世話、帰国の際の家族へのお土産などで、1人に年1千万円くらい使っていました」

ジェットコースターなバクチ人生、ついに愛の巣に

 そんな頃、友人の紹介で黒龍江省出身のカノジョと出会った。カノジョ23歳、橋下さん53歳。カノジョは親戚中から借金をして知り合いもいない東京に留学、通っていた大学の狭い寮に数人で住み、一尾のアジを半身ずつ4日もかけて食べるような貧しい生活のなかで一生懸命勉強をしていた。自分よりずっと根性のある子だなと橋下さんは感じた。純粋にそんなカノジョの力になりたいと思った。その後、カノジョは結核で入院。アルバイトができないため学費を払えず国に帰るという。当時株の売買が順調で銀座で一晩数十万円も使っていた橋下さんは、50万円の学費くらいなら自分が支援してもいいと思った。
 顔見知り程度の橋下さんが学費を援助してくれたことにカノジョは驚く。お礼にせめて掃除でもさせてくださいとカノジョは橋下さんの家にやってきた。1人暮らしの橋下さんの部屋の荒れようにあきれながらもカノジョは数日かけて掃除をした。そこにはふたりの空間がだんだんと整っていった。
 17歳で母親を、19才で父親を亡くし、その後一人張りつめた思いで生きてきたカノジョは橋下さんと一緒にいると大きな安堵感を感じた。橋下さんも金目当てで近づいてくる女性たちとは違うものをカノジョに感じた。お金に興味がある風でなく、安いお好み焼き屋に連れて行くだけで子どものように喜ぶ。この子は本当に精神的に自分を必要としていると感じた。 ふたりは30歳の年の差を越えつながりを感じるようになる。
 2002年の暮れ、ふたりでカノジョの故郷に帰った。
「あなたたちいつ結婚するの」と聞くカノジョの叔母に、思わず「僕はいつでもいいと思っています」と答えた橋下さんの言葉がプロポーズとなった。
 翌年ふたりは結婚した。
 結婚後、橋下さんの運勢は上がり始め、順調に株式投資を続けた結果資産は数億円に膨らんだ。折しも小泉内閣が郵政民営化を掲げ総選挙で圧勝。橋下さんは今後の好景気と株価の上昇を確信し勝負に出た。信用取り引きを利用し手持ちの3.3倍の融資を受けて急成長中のライブドア株などを大量に購入。元エリート証券マンの読みは確かなものだった。その後ほとんどすべての株が値上がりし、一時期、日本はバブルの再来かと言われるほどの好景気を迎えた。しかし、なんとその直後にライブドア事件が起きる。東京地検の家宅捜索がライブドアに入ると、関連株価は連日ストップ安をつけ橋下さんは大慌てで持ち株を売りに出した。やっとのことで株価が3割下がった時点で売り抜けたものの、元金をすべて失い橋下さんはまた一文無しになった。残ったのは、以前にカノジョ名義で買ってあった中国のマンションだけだ。
 マンションは離婚してもカノジョのものになる。橋下さんはカノジョも自分を捨てて、金とともに去ってしまうのかと元妻との離婚を思い出した。しかしカノジョはそんな橋下さんに言った。 
「もともと、私はお金持ちと結婚したわけじゃありません。あなたという人と一緒にいたくて結婚したんだから、あなたにお金があってもなくても関係ないわ」
 その年ふたりの間に生まれた長男は、今年6歳になる。(文中仮名)


SadoTamako

投稿者について

SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト