その12(最終回)シドニー→東京→上海→北京。転戦とスキルアップでカノジョと生きていく ー加羽澤充さんの場合ー

2016年9月1日 / 僕のカノジョは中国人

 2006年11月、オーストラリア・シドニーに留学中の加羽澤充さん(当時20歳)は、友人宅のパーティーで酔いをさまそうと一人バルコニーに出て初夏の景色を眺めていた。ふと部屋の中を振り返ると、セクシーに踊っているスタイルのいい女性に目を奪われた。加羽澤さんより3才年上、大学の修士課程に通う安徽省出身の鲁少颖さんだった。なんとか理由を探してカノジョと二人で会いたいと思い、ちょうど引っ越したばかりだったのでハウスウォーミングパーティーを開くと誘った。他に女の子は来るの?と聞かれ、「もちろんたくさん来るよ!」と返事をした加羽澤さんは、あわてて女友達に電話をし、来てくれるよう頼み込んだ。カノジョは家に来ると準備や片づけを手際よく手伝ってくれた。セクシーなのに家庭的なカノジョは加羽澤さんがこれまでに出会ったことがない理想の女性だった。
 カノジョと知り合って、加羽澤さんの中国人に対するイメージは大きく変わった。
「正直言って、それまでの僕は中国人が嫌いでした。お金に汚くて、嘘つきで、下品だというイメージを持っていたのです。以前は中国人とつき合うなんて考えたこともなかったです。けれどそれは根拠のない先入観だったんです」
 動物園や教会やビーチでデートを重ね、半年後に二人は一緒に暮らし始める。

 最初は習慣や考え方の違いからしょっちゅう喧嘩した。日本人の友人と一緒に食事をし、加羽澤さんが彼らに先に料理を取り分けた時、カノジョは「私はあなたのカノジョなのにどうして私が後なの」とみんなの前で怒り出した。周りが盛り上がり始めた頃に「疲れたから帰る」と、雰囲気を気にせず立ち上がる。加羽澤さんは、日本では近い人ほど後回しにする礼儀や習慣、男友達をないがしろにしてカノジョと先に帰るなどとは言えないことを説明したいが、英語ではうまく伝えられない。もどかしさは怒りに変わり、二人になると加羽澤さんは、
「どうしてそんなこともわからないんだ!」と壁にグラスを叩きつけた。
 するとカノジョも、
「なんで私をケアしないのよ!」と怒って同じようにグラスを叩きつける。
 加羽澤さんはその頃を振り返って言う。
「二人でどれだけのグラスを割ったか知れません。でも喧嘩したおかげでお互いを知ることができました。今ではカノジョは僕のことは何でも理解してくれるし、食べたいものもいつも一緒というくらいに一心同体です」

場所選ばず生きられる二人でいたい

 2年半が経ち、卒業後は結婚して永住権を取りオーストラリアで生活するつもりだった。
ところがオーストラリア政府の移民政策が突然変わり、それまで簡単に取れていた永住権が下りなくなった。ビザが下りないからには日本か中国に戻るしかない。中国に行ったことがなく言葉もできない加羽澤さんが中国で暮らしていくのは難しい。選択肢は二人で日本に戻ることだけだった。帰国後加羽澤さんは東京で貿易会社に就職が決まったが、日本語が話せないカノジョは仕事を見つけることができず、ほどなく上海の海運会社で仕事が見つかり、二人は離れて暮らすことになった。

 加羽澤さんの仕事は充実していて待遇もよかったが、カノジョのいない生活は味気なく、生きている意味を感じられなかった。毎日のようにかける国際電話料は月に20数万円と加羽澤さんの月給を超えていた。
 やっぱり一緒に暮らしたいと、上海で貿易会社に仕事を見つけたものの、加羽澤さんは中国語ができないため、待遇は現地採用の最低基準価格の4,000元(約5万円)程しかなく、カノジョの収入と合わせても6,500元(約8万円)程度だ。住居費の高い上海では収入の半分は家賃で飛ぶ。苦しい生活になることは目に見えていた。それでも、仕事よりカノジョへの愛が大切だと転職する。
 上海での生活は予想以上に苦しかった。市場で野菜を買うのに1角(約1.25円)を値切るようなぎりぎりの生活で、後悔がよぎる時もあった。夜中の12時になる帰りを食事を作って待つカノジョが、加羽澤さんを支えた。月に2回だけ、近くのバーで1杯ずつのビールを飲みながら、オーストラリアの思い出や将来の夢を二人で話した。

 その後猛烈に中国語を学習した加羽澤さんは、大学で学んだ英語と観光・ホテルマネジメントを活かして北京のホテル・京倫飯店に転職しステップアップした。カノジョも北京にあるオーストラリア系企業でマーケティングの仕事についた。
「日本人同士のカップルなら簡単なことでも、生まれた国の違いや言葉の問題で僕たちの場合には努力が必要です。でも、それらは努力で超えられるということをもう僕らは知っています。将来どこの国にいても一緒に暮らしていけるように言葉や仕事の実力をこれからも磨いていこうと、カノジョと話しています」 


SadoTamako

投稿者について

SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト