競争は幼稚園から始まる
「老三」が今年の9月に老二と同じ幼稚園へと入ることになった。
上海に短い「春」がやってくる時期
世間話の話題に必ずのぼるのが
「小学校はどこにする?」
「どこの幼稚園に入れる?」
などといった子どもの進学問題だ。
上海での進学問題はディープな面をもっている。
上海では幼稚園から「お受験」モード。
よい幼稚園はよい小学校へとつながり
よい小学校はよい中学校へ、さらに高校へ、とつながる
という鉄則ができあがってきているように思う。
小学校の面接の時、先生の覚えめでたい幼稚園出身ならば
たしかに印象アップに役立つだろう。
しかし、毎年微妙に幼稚園の評判は変化している。
さて、子供が幼稚園に在籍する数年の間に
評価はどのように変わるだろう?
進学競争がヒートアップするにつれて
教育の現場も常に変化を迫られている。
もし学校の評判が落ちれば、生徒の流出もありえるだろうし。
こうして「お勉強」幼稚園は、ますます「お勉強」化していく。
暗黙の了解?
老二の通うバイリンガル幼稚園でも
今年から個別面接が始まった。
面接予約も今年からはネットで行う。
しかし幼稚園へ「報名(申し込み)」できる日はたったの1、2日。
この日をうっかりと逃してしまうと、
もう入学できるチャンスは巡ってこないから、注意が必要だ。
しかもここ数年、老二の幼稚園は人気が上がってきているらしく
定員オーバーは確実だと聞いている。
なので、幼稚園の門に貼られる告知ポスター&園長先生の
Wチェックを入れていた私。
なのに言われたとおりにちゃんとネット予約をして
当日面接に連れていったら
目線を合わせた園長先生のお言葉は
「なんで来たの?」
だった。
面接に連れてきたことを話すと
「何を面接するの?もう充分知ってるわ」とゲラゲラ笑っている。
暗黙の了解、というものを私は理解できていなかったらしい…
先生の中では私が質問を投げかけた時点で「はいOK!」と
いうことだったと思われる。
どの部分で暗黙の了解ができていたのかは謎だ。
老三を連れ、続々と面接に来る親子達に逆流しながら帰路につく。
人の波に押されながら「園長先生、忘れないかな?」
と心配になった。
その数日後、老二の連絡帳に、手書きのメモが挟まれていた。
「老三の入学について。必要書類を連絡帳にはさんでおいてね!」
ホッと、ひと安心だ。
私はよくこんな「暗黙の了解」に不意打ちや肩透かしを食らう。
しかし、そんな「暗黙の了解」に何度助けられてきたかわからない。
社区の「先生」
老三を連れて、社区のコミュニケーションセンターにある
キッズルームに通っていた時のこと。
「社区」というのは、その地域の住民の生活に深く関わる組織で
私の生活にも深く関わっている。
政府の機関っぽくもあるのだけれど、運営そのものは半ボランティアによって運営されているような
私にとっては実態がいまいち掴めない存在だ。
その社区のキッズルームには常駐の女性がいて、顔見知りになっていた。
私にとっては、今ではなんでも相談のできる気の置けない存在だ。
事務室をのぞくと、彼女はいつも大きい声で「来たわね!老三!」と迎えてくれる。
しかしその日は機嫌が悪かった。
小太りでいつもムスッとしているように見える40代の彼女
実は元小学校の先生で、派閥に巻き込まれて馬鹿らしくなって辞めたと
老大の赤ちゃん時代に世間話で聞いたことがある。
いつも彼女は今の上海の教育事情を憂いていて、元教育者らしいことを話している。
だけどサバサバしていて気持ちのいい彼女だから、発言に「建前」を感じることはない。
利害関係のない私の前だからかもしれないが
子供に付き添ってくる他の大人達にも熱弁を奮っているところを見ると
権力争いの場となった小学校なんて合わなかっただろうな…
と納得させられる。
この先生、社区の小さなキッズルームの責任者だったのは数年前のこと
ここ数年であれよあれよという間に施設は移転拡大
いまや彼女は大きな施設全体の責任者となり
研修やなんやと国外出張までする身分にまでなってしまった。
ところがその日、先生は事務室に入ってきた私を見て、いきなり憤慨し始めた。
「上海の教育は行くところまで行ったわ。さて、どこに行き着くんだろうかねぇ!」
先生のいらだち
彼女はここのところ、息子の中学受験に頭を悩ませていた。
公立か、私立か、と悩んで
結局、私立に「後門(ホウメン)」で入れたという。
この「後門」という中国語については、いろいろと思うところがあるのだけど…
これはまた機会があれば、話させてもらいたいところ。
それは置いといて。
先生が払った「後門」の費用は2万元。
先方から4万元と言われたのを、なんとか交渉で2万元にしたのよ、とため息混じりに話してくれた。
「良い学校が学区内になくってね。しょうがないわ。
少しでも生徒に公平な、ちゃんとした学校に入れようと思った結果がコレよ。
本気でシンガポールに留学させちゃおうか、とも思ったんだけど。
やっぱり子供は側に置いておきたいじゃない?
でもこの調子で行くと2年後には8万元くらいになっていてもおかしくないわね!フン!」
と鼻息を荒くする。さらに…
「教育の現場は腐敗していて、今じゃあ、ちゃんとした『教育者』なんて教育現場にはそうはいないわよ。
うちの子なんて卒業間際まで、ご丁寧なことに先生から電話かかってきてたわよ。
テストの結果が悪いんですけど、って。
みんながみんな、授業内容を一発で理解できる頭もってるわけじゃないのよ。
そこのところを理解させるのが教育者の役目でしょうに。
それもできないで、非難するばかり。
先生はそれを嫌ってるんだけど、それがなんでいけないっていうの!
私の子は、これからも私が守るわ!」
とマシンガンのように一方的に話をした後
「じゃあね!」と先生は風のように去っていってしまった。
「母親」の後ろ姿を残して。
そこには、いつもの「先生」の姿はいなかった。
tako: 1998年より上海在住。留学後、現地ベンチャー、フリーコーディネイター、駐在員を経験。現在、専業主婦。 ローカル生活の中で「小さな幸福」を見つけながら、地道に暮らす。 家族は、現地で起業している夫と現地校に通う息子が三人。趣味はネットリサーチ。