第4回 清華大学MBA Lina(女性)27歳 ー 「国内組」のエリート、外資系投資銀行を渡り歩く

2016年9月11日 / 清華大MBAリアルトーク

その愛嬌のある笑顔からは想像もつかない程、授業中のコメントは鋭く的を得ている。2011年春北京郊外にて。

<プロフィール>
1985年宁夏回族自治区银川市生まれの一人娘で、両親とも電力網の管理を行う国家电网に勤務。大学受験に必須の「中国高考」(全国統一大学入試)で「状元」(統一大学入試の実施区画ごとの成績最優秀者)を獲得し、北京大学光华管理学院へ。外資系投資銀行、英国大使館勤務を経て、清華大学MBAに入学。興味のある授業しか出席していないのに、成績は抜群に優秀で、次学期からはイエール大学に交換留学予定。

 
 
Q.中国人の成績優秀者の多くは海外留学を目指しますが、Linaは長期で海外留学したことがありますか?

実は長期で海外留学をした経験はないんです。しかし今までで留学するチャンスはありました。例えば、北京大学の入学予定者は、中国本土で香港大学の入学試験を受験する資格が与えられ、一部の入学予定者は香港大学に進学するケースがあります。ところが、当時の私はその情報を知らず、香港行きのチャンスを逃してしまいました。ただし、合格して香港大学に進学したかと言われれば、そうでもないですね。これは今だから言えることかもしれませんが、中国本土にいても外資系企業で働ける機会は存分にありますし、中国での人脈を広げることもできます。なにより北京大学で夫と出会うことができました。

 
Q.それにしてもLinaはネイティブ並みに英語が上手ですよね。それはなぜですか?

最大の理由は、中学生のときの恩師にあります。親の薦めで英語の塾に通っていたのですが、その先生の英語学習法は、英文を読んで録音し、先生と一緒に発音チェックをして、また録音する、という作業をひたすら繰り返すものでした。さらにアメリカの最新の話題や考え方を授業の教材として使っていたため、当時の私にとって非常に新鮮で刺激的な内容でした。
更に、大学生の時に2度短期留学を経験しています。1度目はカナダに3か月間留学。2度目は日本に留学し、九州大学の教授のご自宅で2か月間ホームステイさせていただきました。だから日本の文化や人々を心から尊敬しています。留学中は、学部の授業はそっちのけで、午前中は日本語の勉強、午後は茶道などの習い事をしたり、農場に行って農業を手伝ったりと充実した日々を過ごしていました。特に思い出に残っていることは3つ。1つ目は、近所で共産党が選挙活動をしていて、中国以外でいまだに共産党が存在していることに驚いたこと。2つ目は、東京を訪れた際に地震に遭い、日本は地震国であることを身をもって体験したこと。そして、長崎市の原爆資料館を訪れ、日本人の戦争体験を知ったことです。

 
 
入社早々、学生気分が吹き飛ぶ社内政治を体験

 
Q.就職活動では、得意の英語を活かせる職場を探したのですか?

英語というよりは、専攻が金融論だったため、金融機関を全般的に探し、オランダ系金融グループ・ABNアムロの投資銀行部門から内定を得、2007年7月に上海オフィスに入社しました。
1年目は、4つの部署を3か月ずつデスクローテーションしました。RM(大手顧客担当営業部)、GM(市場取引部)、Transaction Brokerage(大手顧客銀行取引部)、Rep Desk(投資銀行部)の順に配属されました。特に印象に残っているのは、最初のRM部で社内政治に巻き込まれたことです。学生気分が一気に吹き飛びました。英語を流暢に話せること、金融の知識があったこと、そして、睡眠以外は夜中も週末も仕事に励んだので、部署のマネージャーに非常に良くしてもらいました。彼女から社会人としてのイロハを学び、出張にも同行させてもらい、そして某大手保険会社IPO(株式公開)のデューデリジェンス(企業価値算定)を任せてもらうことになりました。しかし、その保険会社の案件とは別に、同部署の先輩から、今後も明らかに取引がないと思われる別の会社の調査を依頼され、そちらに相当な時間を取られてしまいました。後から判明したのですが、その調査は先輩がマネージャーの許可もなく勝手に命令してきたもので、実は某保険会社IPOの案件の足を引っ張るための罠だったのです。
2年目はM&AやIPOを扱う部署で、ある中国企業の香港上場を手伝っていましたが、5か月後にABNアムロの経営危機により上海オフィスは閉鎖になり、従業員は一部を除き全員解雇されることになりました。私は他のオフィスに異動する選択肢もあったのですが、当時モルガンスタンレー上海オフィスに勤務していた彼(北京大学の同期、現在の夫)が北京にある政府系最大手の投資ファンドに転職することになっていたので、北京で仕事を探すことにしました。
2009年3月より働き始めた北京の英国大使館では商務庁(Office of Government Commerce)のデスクに配属され、イギリス企業が中国展開する際の支援や中国政府に対するロビー活動を行っていました。英国大使館というと非常に洗練されたイメージがありますが、ここでも政治的な駆け引きがあり苦労も多かったです。

 
Q.なぜ清華大学MBAに入学したのでしょうか?

結婚を機に2011年5月に大使館を退職したとき、ファイナンスの世界に戻るためにMBAで経営やファイナンスを勉強し直そうと決意しました。
「なぜアメリカのMBAに行かなかったのか?」という質問をよく受けるのですが、答えは簡単です。特にファイナンスの分野では今後10年の変化の多くはアジア、特に中国で起こると思っています。そんな時に2年超もアメリカに行ったらせっかくの機会を逃してしまうかもしれないじゃないですか!更に清華大学に進学することで、北京大学のネットワークに加え、清華大学のネットワークも得ることができます。

 
Q.今後のキャリアプランを教えてもらえますか?

ある米系投資銀行の香港オフィスから夏期インターンシップのオファーをもらっているので、ファイナンスの世界に戻るきっかけにできればと考えています。もし香港で働くことになれば、夫も別の米系投資銀行の香港オフィスからオファーをもらっているので、夫婦とも香港で働くことができて、それはそれでラッキーです!
しかし、ファイナンスの世界は変化が激しいので、夫婦一緒に暮らすことにはこだわらず、まずはキャリアを優先して仕事を探そうと夫とは約束しています。
ただし、いずれにせよ最終的には中国本土でファイナンスの仕事をするつもりです。金融に関する規制が緩和された時に、経験を活かしてチャンスをつかむ。これが私のキャリアプランです。


Hitoshi Kono

投稿者について

Hitoshi Kono: 1981年鹿児島県出身。 一橋大学経済学部卒業後、2005年に新卒で外資系金融機関に入社、金融派生商品の開発や法人営業を担当し、2010年9月に退社。 世界一周旅行をエンジョイした後、2011年9月より清華大学MBAに入学。 北京では大好きなサーフィンができないけれど、出会いと発見に満ちた中国生活を満喫中。