第6回 清華大学MBA Crystal(女性)26歳 ー 清華高→清華大→清華大MBA→MIT→清華大教授!?

2016年9月11日 / 清華大MBAリアルトーク

近々、彼氏の両親に挨拶に行くらしく、そちらも「合格」間近。公私ともに順調なCrystalを教室にて直撃撮影。

<プロフィール>
1986年辽宁省葫芦岛市に一人娘として生まれる。父親は元海軍の连长(中隊長)で現在は北京市平谷区にある町の镇长(町長)、母親は会計事務所に勤務。清華大学附属高校、清華大学会計学科卒業後、4大会計事務所の一つ、アーンスト・アンド・ヤングを経て、清華大学MBAに入学。今夏よりマサチューセッツ工科大学(MIT)とのダブルディグリー・プログラム(2年間で清華大学とMITの2つの学位を取得するプログラム)のためアメリカに出発予定。

 
 
 
 
Q. 1学期目の成績はダントツでNo.1(100点満点中、全科目平均98点)でしたね。小さい頃から頑張り屋だったの?

昔から学校で一番の成績を取ると、両親が私の大好きな串焼き屋に連れて行ってくれて、おかげで勉強に対するモチベーションを保つことができ、成績も常にクラスで1、2番でした。清華大学入学後は勉強だけでなく、演劇部の活動に熱中したり、大学3年生の時はシドニー大学に留学したりと、学生生活を謳歌しました。しかし、私が所属した会計学科は1学年51人いたのですが、最終的な成績は不本意ながら17位。また、修士課程に進学することが内定していたのですが、海外留学中に別の同級生にそのポストを横取りされてしまいました。更に海外留学のため、就活にとっても最も重要であるインターンシップの機会を逃し、投資銀行に就職するという希望もかなわず、一方で私より成績が悪い人でも投資銀行に進む人が多くいて、悔しい思いをしました。そこで清華大学MBAでは少しでもよい成績を取って、将来のキャリアにつなげたいと思い、課外活動も行いながら、勉強に注力しています。

 
Q.なぜ新卒時に会計士事務所に勤めようと決めたのですか?

専攻が会計学科だったのとため、また他の職種より給与がよかったため、第二希望の業界であった会計士事務所のアーンスト・アンド・ヤングに就職しました。恥ずかしながら、大学で会計学科に進んだ理由はちょっと不純で、高校生の時に清華大学の大学生との交流会が頻繁に行われていて、進路の相談をしていた清華大学生から「今、最も人気のある学部は、情報工学、自動車、電子工学、そして経済管理学院の4つ。しかし、最初の3つの学部は、それこそ朝から夜まで勉強漬けで寝る暇もないから、経済管理学院がお勧め。更にその中に、金融学科、経済学科、情報経済学科、会計学科があって、金融学科は数学がかなり得意でないと厳しいから、2番目に人気のある会計学科が君にはピッタリだよ!」とアドバイスをされ、母親も会計士事務所で働いていて馴染みもあったので、会計学科に進むことにしました。

 
Q.会計士資格(CICPA)はいつ取得したのですか?

就職後2年目に取得しました。新入社員の多くはCICPAを保有していないので、働きながら取得を目指すことになります。新卒が入社する7月は、中間決算(6月末)が終わったばかりで、業界全体がちょうど閑散期に入る時期です。この時期には勤務時間中の勉強や有給休暇の消化が奨励され、多くの新入社員がこの時期に勉強をします。
しかし、私は閑散期にも関わらず色々な部署に顔を出して、コピー取りなどの雑用からから書類作成まで労をいとわずに行っていました。そのおかげで、多くのマネージャーと知り合いになることができ、後に様々なプロジェクトに採用してもらえることにもつながりました。

 
 
解雇の嵐を乗り越え、アーンスト・アンド・ヤング中国のトップ社員に

 
Q.新卒1年目は主にどんなプロジェクトに参加していたのですか?

私は製造・運輸系企業を担当するグループに所属していて、その中でも国際部、つまり中国企業の国外子会社、もしくは外資系企業の中国子会社の会計処理を担当する部署にいました。最初はSavcorというNokiaの部品会社の中国子会社の会計処理を担当するチームに加わり、銀行取引確認書のチェックや、簡単な監査を行いました。5人の小さなチームでしたが、当時のリーダー(女性)は今でも社会人として尊敬する人物です。通常、中国の会社では結果さえ出していれば、勤務態度を厳しく問われることはありません。しかし、彼女は職場での私用電話や私用インターネット閲覧を固く禁じ、信賞必罰という方針が明確で、部下に対しては積極的にフィードバックをしてくれました。皆からとても尊敬されていた彼女ですが、金融危機のあおりで、2009年に解雇されてしまいました。この年、私のグループは約200人中80人が解雇されるという悲惨な状況で、彼女のように仕事ができてもCICPAを保有していない人は解雇されたのです。
2年目は、上記の通り多くの人が解雇されたため、いくつかのプロジェクトで私しか詳細を熟知していないという状況になり、逆に有利な仕事環境になりました。上述のSavcorの中国子会社に関しても、私はリーダーではなかったのですが、私が最も会社について熟知し、且つ人間関係もすでに出来上がっていたため、私が顧客との対応窓口になり、実質的にはチームを主導する役割を担いました。また、天津荣程联合钢铁集团という大手鉄鋼会社の国外子会社の会計処理は退職時までチームリーダーとして担当し、その後も多くのプロジェクトでリーダーを務めることになりました。
3年目には上記の荣程联合钢铁のプロジェクトで必要だったオーストラリアの会計士試験にも合格し、約60人いた同期の中、最速でシニア・アカウンタントに昇進しました。またアーンスト・アンド・ヤング中国(台湾、香港、マカオ含む)全社員の1%しか選ばれないトップパフォーマー賞を受賞し、給与も同じポジションの同僚より30%上乗せしてもらえました。

 
Q.順風満帆な社会人生活に見えますが、なぜ清華大学MBAに進学したのですか?

一つ目の理由は、リーダーを任されるようになって出張が多くなり、年の半分は北京以外で過ごし体調を崩しがちになったため、二つ目は、婚約者との時間をもっと大切にしたいと思ったためです。MBAに進学した理由は、憧れの諸葛孔明のように、分析的に物事を考えられる戦略立案者になりたいと思い、官僚、コンサルタント、もしくは大学教授を目指していたためです。しかし、最近重慶市で起こった事件(重慶市委書記だった薄熙来がすべての職務を停止された事件)を垣間見て、政治の世界は何が起こるか分からないということを感じました。今は、清華大学の教授になることを目指していて、そのためにはアメリカでの教授経験が必要になるので、今夏からMITに留学している1年の間に、まずは博士課程進学を目指して一生懸命勉強しようと思っています。


Hitoshi Kono

投稿者について

Hitoshi Kono: 1981年鹿児島県出身。 一橋大学経済学部卒業後、2005年に新卒で外資系金融機関に入社、金融派生商品の開発や法人営業を担当し、2010年9月に退社。 世界一周旅行をエンジョイした後、2011年9月より清華大学MBAに入学。 北京では大好きなサーフィンができないけれど、出会いと発見に満ちた中国生活を満喫中。