宋庄

2016年8月23日 / 黒四角





第2回/宋庄 

 宋庄は北京の北東に位置する農村だ。「黒四角」の主な舞台になっている。十数年前から様々なジャンルの芸術家が住み着きはじめ、僕が初めて行った2008年には3千人の芸術家が暮らしていると聞いたが、「黒四角」を撮った2012年春には5千から6千人いると言われた。中国人は数を多めに言う傾向があるのでそれを真に受けていいかどうかはともかく、とにかく宋庄には大勢の芸術家が住んでいて、美術館やギャラリーがあちこちに点在している。80年代に北京のもっと中心部に近い場所にあった芸術家のコミューンが(当時はその場所も郊外だったのだが)、当局による取り締まりや開発に伴う家賃の上昇などの理由により郊外へ郊外へと逃れ、たどり着いたのが宋庄だと聞いた。今や北京の観光名所にもなっている798も、元はといえばその移動の過程で発生した美術区だ。宋庄の規模がそこまで膨らんだのは2000年代の中国現代美術のバブルと関係があるのだろう。中国の目覚ましい経済発展の中で、美術品が投機対象として欧米などからの金を集め、一夜にして大金持ちになった芸術家も少なくないようだ。噂が噂を呼び、全国から少しでも絵心のある者たちが宋庄を目指して集結した。なぜ宋庄かといえば、そこに先行した同郷の友達や知人や知人の知人が住んでいたからだろう。中国では地縁が大きな意味を持つ。
 僕が初めて宋庄に行ったのは、北京に着いて早々、9月か10月のことだったと思う。U君の知人のI君が車で連れて行ってくれた。記憶に残っているのは夜からで、I君の友達の画家たちと円卓を囲み白酒を飲んでいた。白酒は初めて飲んだ。アルコール度数の強い酒で、飲み過ぎると大変なことになるとあらかじめI君から聞いていたのだが、僕はいつものように飲み過ぎた。I君は車だからと飲まずに先に帰ってしまい(彼はそういう男なのだ!)、僕は同席したモンゴル人芸術家の家に泊めてもらった。彼はおかしな男で、モンゴル出身ではあるが、イタリアのパスポートを持っていた。イタリアの美術大学留学中に、偽装結婚で国籍を取ったのだそうだ。そういう中国人芸術家は結構多い。僕は何人かに会ったことがある。すべてが偽装結婚によってではないだろうが、89年の事件を境に出国した人々を支援する組織のようなものが欧米にはあったのかもしれない。彼は偽装結婚のために中国に残した妻と離婚し、国籍取得のために10年間イタリアの中華料理屋で働いたのだが、それが本当に辛かったと言った。その辛さのがどういうものなのか、簡単にわかったつもりになってはいけないと僕は思った。イタリア国籍取得後、偽装結婚の相手とさっさと別れ宋庄にやってきた。家族はモンゴルにいるという。家族というのは国籍取得のために離婚した妻と子。彼は酔っぱらうとイタリアの歌をオペラ歌手のような身振りで歌いだす。彼の複雑に屈折した心境を思い、僕はやるせない気持ちになる。
 それからも宋庄には度々訪れた。日本から一緒に北京に渡ったU君が宋庄に引っ越したからだ。U君はI君の紹介で友達になった画家のTのアトリエで居候を始めた。U君は人当たりが良く、言葉数は少ないが、甘え上手というか、とても自然な感じで他人の親切を受け取れる。僕はそんなU君のことが羨ましい。Tのアトリエはガランとしてて小学校の体育館くらいの広さがあり、壁には巨大で不気味な自作の絵が掛けられている。U君はアウトドア用のテントを借りて寝床にしていた。僕も訪ねて行くと、Tからテントを借りてそこに寝た。彼が何張りのテントを所有してるのか僕は知らない。朝起きるとまずTが作ってくれる薄いお粥をすする。おかずはフールーという豆腐の漬け物。沖縄の豆腐ようによく似た食べ物だ。朝食を終えるとソファに身を沈めてお茶を飲む。特に会話はない。器が空くとTが黙ってお茶を注いでくれる。まったりと流れる時間というのはまさにこういうことなのだろう。やがてTが立ち上がる。「飯喰いに行こう」。Tの車は日産で、愛用のカメラはソニー。彼は僕と同い年なのだが、この年代の人たちは日本製品に絶対的な信頼をおいている。Tの日産に乗り友達のアトリエへ。昼飯の伴侶を拾うためだ。あるとき、立ち寄ったアトリエの庭先で4人の男がトランプをしているのを見かけた。まだ陽射しの強い時節で、木陰の下、4人とも上半身が裸だった。「彼らは詩人なんだ」とTの友達が事も無さげに教えてくれた。中国では詩人が4人で裸でトランプをするんだ!。僕は嬉しくなった。もしかすると自分は素晴らしい場所にいるのではないかと思ったのだ。
 昼飯はだいたい湖南料理を食べる。宋庄にはおいしい湖南料理のレストランがいくつかある。湖南料理は僕の好物になった。昼食が済むとTのアトリエに戻り、ソファに座ってお茶を飲む。一緒に昼食を食べた友達のアトリエの場合もある。まったりと午後の時間が流れてゆく。やがてTが立ち上がる。「飯喰いに行こう」。車に乗り込み昼間と同じ行動が繰り返される。夜は酒だ。昼間は飲まない。ただし夜はとことん飲む。へべれけのままTの危うい運転でアトリエに戻り、テントの中に身を横たえる。それが僕の知る宋庄の1日だ。もちろんそうでない1日もあるはずで、Tも彼の友達も自身の創作活動があるわけだから。
 広く砂っぽい宋庄の空間は距離の感覚を狂わすような静けさに満ちていて、茶色いレンガの壁の連なる路地にはたくさんの犬が気ままに歩いたりじゃれ合ったり寝そべったりしている。彼らはノラの状態でありながら何となく飼い主がいる、そんなような犬たちだ。未知の空間に流れる未知の時間。僕は銀河鉄道999の主人公になった気分。ここで映画を撮るならSFだ。そんなわけで宋庄は「黒四角」の発想の原点となった。


Hiroshi Okuhara

投稿者について

Hiroshi Okuhara: 映画監督  1968年生まれ。『ピクニック』がPFFアワード1993で観客賞とキャスティング賞を、『砂漠の民カザック』がPFFアワード1994で録音賞を受賞。99年に製作された『タイムレス・メロディ』では釜山国際映画祭グランプリを受賞した。その後『波』(01)でロッテルダム国際映画祭NetPac Awarを受賞するなど、高い評価を受ける。その他の作品に『青い車』(04)、『16[jyu-roku]』(07)がある。本作品は、5本目の長編劇場作品に当たる。