その8 タクラマカンに魅せられた探検隊長、上海で理想のカノジョに出会う ー 黒川真吾さんの場合 ー

2016年9月1日 / 僕のカノジョは中国人

 2000年夏、タクラマカン砂漠のホータン川で立正大学探検部のカヌー3艇が激流に突き上げられながら目的地のアクスへ向かっていた。日本ではありえない流れの強さで押し寄せる大波は、海のしけに似ていた。いくつかの危険に遭遇しながらも、3艇は9日間かけて約700Kmのホータン川縦断を果たした。当時大学4年の黒川真吾さんはこのカヌー部隊の隊長だった。この縦断はその後の黒川さんの人生に大きな影響を与えた。
「努力して出来ないことは世の中にはない」。黒川さんはこのホータン川縦断の成功以来、この言葉を自分の信念とした。
 ホータン川縦断の経験から新彊ウイグル自治区に興味を持った黒川さんは卒業後新彊大学に2年間留学し中国語を勉強した。留学後東京に戻った黒川さんは通信社に就職し記者として働き出した。

  後に黒川さんの妻となる浙江省出身のカノジョは、アメリカ国籍の伯父がいることもあって、小さな時から国際感覚に触れて育ち英語が堪能だ。そして父親は実業家で、しつけのしっかりした家庭だった。
 長身で欧米人とのハーフのような顔立ちのカノジョは10年ほど前に上海に移りモデルとして活躍していた。 その後アメリカの叔父が上海に空運会社を立ち上げるとカノジョもその会社で営業職として働き出した。カノジョは極端なほどに好き嫌いがはっきりした性格で、社会知識などでも興味のないことにはまったく触れない代わりに、好きなこと、やりたいと思ったことは絶対にあきらめずにやり遂げる女性だった。持ち前の社交性とこの猪突猛進的な性格が相まって、カノジョは会社のトップセールスとして高額の収入を得ていた。
 
 2007年初夏、黒川さんが上海に赴任して間もない頃、ふたりは共通の友人に紹介され上海のバーで知り合った。カノジョは粋なワンピースでスレンダーな体を包み、コロナビールを傾けていた。黒川さんは一目見て、自分の理想の女性そのものだと思った。話をしても、お互いの前向きではっきりした性格がとても似ていた。これほど会話の波長が合う女性と出会ったのは生まれて初めてだった。カノジョも、人を批判することがなく、優しく、そして力強い黒川さんと一緒にいると、なぜかとても落ち着くのだった。 営業職のカノジョの仕事は主に接待で、仕事が終わる時間はいつも遅い。夜中の1時2時からでもふたりは、泰康路や巨鹿路といった眠らない上海の街に繰り出しふたりの時間を重ねた。それぞれが違った国、違った環境で育ったにも関わらず、こうしてこんなにふさわしい相手と出会えたことにふたりは「縁」というものを感じた。
 日中の習慣の違いも問題ではなかった。食べ残した食事を大量に捨てたり、食事中に立ち歩いたり、立て膝で食事をしたりと、中国では良く見かけることだが、日本人の黒川さんは違和感を覚えたこともある。けれども、ふたりの関係においてそういう小さなことはどうでもいいことだった。
 出会って1年と経たないうちに、ふたりは上海で入籍した。
 
カノジョに会って、前言撤回した父

 家族の反対がなかったわけではない。カノジョの故郷は旧日本軍が進駐していたこともあって、カノジョの親戚は日本人に負のイメージを持っていた。黒川さんの父親も、商社勤めで世界中の人や事柄に触れて来たにも関わらず、黒川さんが上海に赴任する際には、
「一つだけ言っておく。中国人女性とは結婚するな」と、黒川さんに釘をさした。中国人女性はきつくて怖いという漠然としたイメージを持っていた黒川さんは「はい」と、特に違和感もなく返事をしておいた。
 それぞれの家族の反対は予想していたが、黒川さんはさして気にしなかった。
「 反対されたら、何か手だてを考えればいいだけです」
 実際には、カノジョの親戚は黒川さんに合うとそのさわやかな人柄に好感を持ちすぐに家族として迎え入れた。中国人女性との結婚に反対していた父親には上海にやって来た際、まずは友人としてカノジョを紹介した。父親とカノジョはそれぞれ堪能な英語で話し会話は弾んだ。数ヶ月後、そのカノジョと結婚すると報告すると、知らせを聞いて誰よりも喜んだのは当の父親だった。
「僕は、相互不理解って、とても怖いと思います。日本に対していいイメージを持っていない中国人でも、一度日本に来ると、イメージが変わって日本を好きになる人が多い。日本側にしても中国側にしてもそうですが、メディアなどを通じたお互いの先入観があって、実際会って話してみれば好きになる人に反感を抱いている。こういうことが日中の場合はよくあります」

 結婚後、黒川さんは転勤で北京に赴任することになった。カノジョはためらうことなく黒川さんと一緒に、一人の友人もいない北京にやって来た。家事も料理も黒川さんのためによくこなす。カノジョが家族を大切にすることは、結婚後に身をもって知ったうれしい驚きだった。
 黒川さんは結婚当初のことを思い返した。結婚式後の二次会で友人が余興の手品をした時のこと。友人はカノジョに言った。あなたの一番大切な言葉を一文字この紙に書いてください。それを当てます。カノジョが紙に書いたのは「家」という文字だった。黒川さんはその時、カノジョの書いたその言葉が意外だった。けれども結婚して4年が経った今、それはカノジョが本当に一番大切に思っているものなのだと感じている。見た目も性格も理想的で、家庭も大切にするカノジョ。
「日本にいたら、彼女のような女性には出会えなかったかもしれません。どこの国というよりも、世界のどこかに自分の理想の女性がいて、その人と出会うことができた。そして結婚できて、僕はすごくラッキーな男だと思っています」


SadoTamako

投稿者について

SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト