前回までのあらすじ
2012年9月、日中関係の悪化から不穏な空気が流れる中、老大が病気に。
デモがあるという前日、病院に向かうダンナと老大だった。
病院をたらい回し?
しばらくして、台湾系の病院についたダンナ様から電話があった。声がちょっと緊張気味だ。「なんか診れないらしい」「虫垂炎かどうかも分からないの?」「ここ、外科の先生も内科の先生もいないんだって」「ええ?」「これから家の近くの総合病院に行く!」…せっかく行ったのに!それで救急が成り立つのか…「気をつけて!」おもわず、私も声がうわずる。我が家の近くには3つほど総合病院があるが、その中でも比較的綺麗な病院をダンナ様は選んだようだ。何かあったらダンナ様と交代して動けるようにと急いで老二、三を寝かせる。何か起きているのを感じるのか、大興奮で目がぱっちりな二人…寝ない!そんなこんなしているうちに、1時間ほど経ってダンナ様から電話がきた。「何言っているのか分からない、聞いて!」いきなり会話が中国語になる。「ウェイウェイ?ご家族の方ですか?」どうやら女医さんらしい。「はい、そうです。息子はどうですか?」「今、エコーを取ってみたのですが、まだ異常は見られません。もしかしたら胃腸炎かもしれないけど、うちには内科も外科の先生もいません。児童病院の方でしたら内科も外科もあるし、両方診てもらえるのでそちらに行かれたほうがいいと思います」丁寧な中国語だった。でも…ここもまた外科も内科の先生もいない?ここは総合病院では?この国の救急のシステムはどうなっているだろう?ダンナ様に変わったところで手早く説明すると、「やっぱりそうか!じゃあこれから児童病院へ移動します!」プツッと電話は切れた。一瞬、頭をよぎったのは、老大、ちゃんと生きてるかな…ということだった。
テキパキした児童病院のスタッフ
やはり子どもの病気とくれば、児童病院なのか?児童病院といえば、いつも人で混み合っている。中国中の子どもたちが集まってくる病院。「並ぶ」という言葉とは無縁の診察システム…つまり私にとって、できれば極力足を踏み入れたくない場所だった。我が家から一番近いこの児童病院は、夜だと車で20分ほどだろう。老二の水疱瘡の時に、この病院にお世話になったことがあった。当時見た救急の様子はまるで「野戦病院」のよう、
冬の風邪が流行っている時期でもあり、いたるところで子どもたちが咳をし、またはぐったりしながら吐いていた…発熱の子どもたちと分けている様子もなく、それもちょっとしたスリルだった。水疱瘡を治す前に他の病気をもらいそうだ…と戦々恐々していたことを思い出す。あの病院に連れていくのか。ただでさえ、日中関係の悪化している中、地元の病院に連れて行くのは不安だった。ダンナ様の中国語もそうだし、名前を書けば、一発で日本人、とわかってしまうだろう・・・巷ではいろいろと在上海日本人に関するニュースも話題になっていた。
ダンナ様、大奮闘!
ダンナ様から電話がかかってきたころには夜の12時も過ぎていた。「今またエコーを取って、検査もしてみたんだけど、今のところ正常値みたいで。でも子どもの場合、数時間で状況変わることもあるし、お腹まだ痛いみたいだから、救急の処置室で点滴を打つことになった。朝にもう一回検査をしてそれでどうなるか、決まるっていうことで。朝までついておくので。」という答えだった。あのプレハブ救急の片隅にある処置室(ズラッとベッドが並んでいる部屋)で朝まで…かぁ。人は多いんだろうか?横になるところはないだろうし…手想像してみる。病院の対応がどうか、など具体的に聞く暇もなく電話は切れた。わざわざ院内で日本語をおおっぴらに話すのも憚られるだろう、と電話をするのもやめた。その日はなんとなく眠れず、ネットを見ていた。ネットの画面には「1000隻以上の船が尖閣を目指している」のニュース。ああ、落ち着かない!夜は長く、朝方やっと眠りについた。
ダンナ様、大絶賛!
朝の9時過ぎ、2人は帰ってきた。老大も元気そうで、顔色が良くなっていた。「どうだった?」と聞くと、「薬飲めって。また痛くなったら手術するからすぐに病院に来てくれって言われた」「結局、何だったの?」「分からない。でも一応薬もらった!」いい加減な答えにため息をつく。でも2人とも満足そうだ。一息ついたダンナ様に立て続けに聞いてみた。「病院、どうだった?先生の対応は?」「いたって普通だった!」即答だ。「まったくなんにもなかった!それどころかみんな優しかったよ。検査とか勝手がわからなくて困ったら、すぐに看護婦さんが駆けつけてくれて、教えてくれたし。こまめに見に来てくれていた。とにかく、みんなテキパキしていて気持よかったよ。」緊張していたのもあるのだろうけど、それでも対応は気持ちの良いものだったということだ。一般的に病院には家族一同で来る場合が多いのが、この国の事情。お父さん一人が子どもを連れてきている、それは上海の医療現場の人にどう映ったんだろうか?なにか作用しただろうか?とにかく、何よりも順調に帰ってきてくれたのは嬉しかった。
思わぬ副産物!?
もっとも、不安な夜を過ごした価値(代価)は別のところにもあったようだ。「これでもうよく分かった!これからは病院は俺に任せておけ!」とのダンナ様の力強いお言葉。ここまでダンナ様に自信をつけさせてくれた、上海の医療関係者の方々にもあらためて敬意を表したい気持ちになった。
tako: 1998年より上海在住。留学後、現地ベンチャー、フリーコーディネイター、駐在員を経験。現在、専業主婦。 ローカル生活の中で「小さな幸福」を見つけながら、地道に暮らす。 家族は、現地で起業している夫と現地校に通う息子が三人。趣味はネットリサーチ。