週末、郊外に出かけたり、コンサートに行ったりするのが大好き。写真は北京の十渡(北京十六景の1つ)にて。
<プロフィール>
1984年四川省宜宾生まれ。父は地方政府機関(中国人民政治协商会议)勤務、母は産婦人科医。リベラルな両親のもと伸び伸びと育つ。上海対外貿易学院(大学)での専攻はビジネスフランス語。卒業後、国営企業からフランス語圏であるアルジェリアの支社に派遣される。2年後、北京に戻りカナダ系企業に転職。2年間勤務ののち退職、2011年秋より清華大学MBAコース(英語)で学ぶ。
Q.就職していきなりアルジェリアに赴任したんですね?
ええ。現在中国企業はアフリカに積極的に進出していて、私が就職した中国建筑工程总公司もその1社です。インフラ設備の建設をする国営企業です。フランス語の語学力を見込まれ、入社してすぐフランス語圏のアルジェリア支店に赴任しました。プロジェクトマネージャーのアシスタントからスタートし、その後アルジェリア支店の中国人向け社会保障システムの設計を担当しました。ふつう、大企業であれば社会保障システムはHR(人事部)が管理します。しかしアルジェリアは宗主国であるフランスの社会保障システムを「形」だけ導入しおり、法律上の形式と実態が異なる部分も多く、かなり複雑だったため、HRから独立した部署となっていました。この複雑さは中国の比ではありません。
このことに関して興味深い話があります。アルジェリアは、労働者への社会保障が手厚いフランスの制度を過去に積極的に導入してしまったため、例えば働いている人は中国元に換算して月給約1,500元(日本円:18,000円)である一方、働いていない人も国から月1000元が失業保険として支給されていました。だから多くのアルジェリア人は今もって働かないし、政府の財政も悪化する一方なんです。
Q.中国企業がアルジェリアでやっていく上で大変だったことは?
特に面倒だったのはやはり監査です。決算を締めた後、監査局の役人がやって来るのですが、大したことでもないのに根掘り葉掘り調べては文句をつけてくるんです。外国企業をコントロールしようとするんですね。とは言っても、現場の役人にとっては賄賂がほしいだけだったりするので、本当に困ったら、最終的に袖の下で解決していました(笑)。
外資へ転職、そしてMBA。遠恋だった夫と次はパリ?
Q.2年で北京に戻っていますね?
実は当時の彼氏、現在の夫が北京で働いていて、さすがに2年以上のアフリカと中国の遠距離恋愛に耐えられなくなり、本社への転勤を願い出ました。
北京に帰国後、中国建筑工程总公司の進出先の外国政府関係者とやり取りをする部署に転籍しました。しかし、アフリカでの仕事に比べ、国営企業の本社で働くのはつまらないことが多い毎日。そんな時にカナダ系環境企業BIOREMが中国市場に新規参入するというので、そちらに転職しました。バイオテクノロジー(汚染物質を食べる特殊な微生物)を使った排ガス対策機器メーカーです。
Q.転職先は外資系ですが、国営企業での仕事とはどのように違ったんでしょう?
中国法人の立ち上げから入社したので、最初は10人未満で、それこそプロジェクトマネジメントから経営企画、HR、財務まで多くの業務を担当し、非常に働き甲斐のある毎日でした。
しかし、予算の達成がうまく行かず、本社からカナダ系中国人である上司へのプレッシャーは強まる日々が続きました。というのも、競合である中国企業の類似商品は非常に低価格で、入札ではなかなか勝てません。また、中央政府、地方政府も表面上は「環境保全」を謳っておきながら、与えられた数値目標を、嘘の数値でも本当の数値でもいいから、とりあえず達成したいだけで、環境のことを本当に考えているケースはまだまだ少ないです。そのため、入札に関しても、性能や価格よりも人脈で決まってしまい、結局中国企業が応札してしまうケースが多くなります。
Q.資金力の大きくない外国企業が中国で生き残っていく秘訣はありますか?
まずは、中国のビジネス作法を知るべきです。例えば、BIOREMの本社からカナダ人社長が中国企業に挨拶に行った時のこと。夜そのまま飲み会になったのですが、その日の夜は地方政府の役人も出席し、宴会自体はかなり盛り上がりました。翌日、相手方中国企業の担当者も、当社カナダ人社長が非常に満足しただろうと思って質問したところ、カナダ人社長は「仕事の話もほとんどせずに、単なる飲み会だけだったのは時間の無駄だった」と怒っていました。それを聞いて、相手方中国企業担当者も怒ってしまい、結局契約自体がなくなってしまったのです。
この経験から分かること、それは、中国のビジネスは、商品ありきではなく、まず人ありきということなのです。人間関係ができているからこそビジネスが成立するのです。それを忘れてはいけません。
もちろん人脈だけではなく、中国企業と伍していくために、自社の強みを磨きつつ、製造コストの低減に努めることが重要です。この点で言えば、最初は苦労していた前職のカナダ企業も、価格面で中国企業に対抗するためコア技術以外を中国内での調達・生産に切り替えて以降、中国での売り上げが伸び始めました。
Qせっかく軌道に乗り出した会社を辞めてMBAを学ぼうと決めたのはなぜでしょう?
確かに小さい会社でしかも外資系だったため、責任も大きくやりがいもありました。しかし、小さな会社だったからこそ、会計、人事管理、また対外交渉等、経営全般に関して体系的に学ぶ機会が少なかったのです。そこで、それらを一から体系的に学ぶためにMBAに進学する決心をしました。
Q.今後のキャリアについて教えてください
フランス語の強みを生かすべく、フランスの高級アパレルブランドに興味を持っています。今年9月からHEC ParisのMBAに1年間通う(Dual Degree)ことが決まっているので、フランスのアパレルブランドでマーケティングの仕事を探してみようと思っています。
Qダンナさんとは別居婚の予定ですか?
夫とはつき合い始めて約7年目、結婚して約1年半ですが、今まで一度も長期間一緒に暮らしたことがないんです。しかも、現在彼は香港にある投資会社で働いています。一方、私は今年9月からHEC Parisに進学します。そしてそのままフランスで仕事を探す可能性もあります。そうなった場合は、私の仕事(フランス)を優先するか、彼の仕事(香港)を優先するか考えないといけないですね。ただ彼は、私がフランスで仕事を見つけたら、一緒にフランスに移住してフランスで仕事を探すよ!と言ってくれているので、職場を中華圏に限らず、あくまで「やりがい」を軸に仕事を探すつもりです。
Hitoshi Kono: 1981年鹿児島県出身。 一橋大学経済学部卒業後、2005年に新卒で外資系金融機関に入社、金融派生商品の開発や法人営業を担当し、2010年9月に退社。 世界一周旅行をエンジョイした後、2011年9月より清華大学MBAに入学。 北京では大好きなサーフィンができないけれど、出会いと発見に満ちた中国生活を満喫中。