講演会デビュー 汗

2016年8月26日 / Tokyo Panda



(写真)講演の時も、テレビ取材のカメラが。。。この人はNHKのカメラマンさん


 今日は東京での初めての講演会への挑戦について書きたいと思います。
 まず8月4日は、渋谷のインキュベーションセンターで伊藤忠IFSのセミナーにて45分間、100人くらいのファッション関係の方たちの前で私が知っている中国をパンダ目線で語る講演会でした。

空気にやられました。。。

 今10月になって振り返ってみて思うのは<パンダが知っている中国>という意味をまだきちんと理解してなかったのだと思います。理解していないから、自信もない。自分が知っていることがなぜ面白いと言われるのかわからず、普段中国に生活しているということがどういうことにつながるのかわかっていませんでした。それが私の根底の問題であるので、緊張もするし空気にも呑まれやすかったんだと思います。

 IFSさんで講演会をやらせていただいたときには、私が展開した内容には調べようと思えば調べられる情報の割合が多く、パンダしか知らない、パンダが中国のネット社会にどっぷりつかっているからこそ知っている中国人女子の部分の作り方が全然話せなくて猛省しました。

 まず、私は自分の経歴とタオバオについての解説を中心に話しました。前日には和光大学でも講演会をやらせてもらったりと準備は万全にしたはずでしたが、どうやら100人の聴衆のあの空気に呑まれ、楽しむ余裕など全然ありませんでした。

 気づけば、机がなくて立ちで話したので原稿も何も見てなくて、得意のマシンガントークで空気完全読めない女になっていて「講演会はライブだ」ということを完全無視していました。
 途中で空気読んでないことに気づいてこれ違うな。。。という風に思っていましたが、そこはもう止められず突っ走りました。

某タレントさん引退騒動で、すとん!

 この講演会の反省を生かし挑んだのが日産厚木での講演会でした。
 そこでも、「パンダの知っている中国」を、ファッションや今中国の女子たちやネットで熱いものにフォーカスして講演をするという内容で、ここでは前回のIFSのところでは足りなかった内容も足してたっぷり90分話しました。
 前回の一番の反省でもある「講演会はライブだよ」というマネジメント会社の方のお言葉をしっかり頭に入れたのと、あとあの日は私にとって特別な日でした。
 某タレントさんが引退するという会見後、とある番組で知人でもある某タレントさんがその方についてのコメントを生放送で語っていたのをその日の朝にたまたま見た私は、その方が直接知っていることだけを想いにのせて話していた放送を生でみて、心がすごく動いたんです。
「ライブっていうのはこういうことだ!」と思いっきりこの夏の1ヵ月半悩んでいたものがすとんと抜け落ちました。

この夏、悩んでました 

 やっぱり自分が直で感じて本当に想っていることこそが人の気持ちの琴線にふれるし、それを伝えていくことがパンダに必要なことなんだと思いました。
 というかこの1ヵ月半私悩んでたんです。なんでこんなにみなさんが私の話に興味をもってくれるのかとか、妙に自分の頭ではわかっていても腹ではわかっていなくて、どうもよくわかっていませんでした。
 そのことがあったおかげでその日の日産厚木での講演会では終わったあとにもたくさんの激励のお言葉をいただき、講演会という機会を設けていただいたことに感謝しました。

PANDAに求められてることは。。。  

 みなさんがパンダに言ってくださるのは、
「パンダは中国女子の気持ちをつかんでいる。どっぷりつかってることからしか見えないリアル中国を知っている」
 ファッションに関してもデザインに関しても、いろいろなところでみなさんが本音の部分で知りたいことを「パンダ」という「フィルター」を通して知ることができる。
 あと、私の中国に対する感覚を日産の講演会のときには聞かれました。たとえば、
「パンダさんは今後10年で中国は日本と同じように発展すると思いますか?」
「私なりの見解で中国について、大きくみてどう思うか」など、本当に幅広い質問をしてくださいます。
 なので常に感覚をどの分野においても研ぎ澄ますことが私に求められていることなんだなと思いました。そこにもっと研ぎ澄ませばそのぶんだけ、ニーズが集まっていくんだと思います。がんばります!



中国の女の子たちとつながれた瞬間 2秒で完売したチャリティイベント

2016年8月26日 / Tokyo Panda





瀋陽|TOKYO PANDA

東日本大地震を受けて、TOKYO PANDAが、3月22日に中国のインターネット市場「タオバオ」で、チャリティイベントを開いたーー。

 3月11日東日本大地震が起きたとき私は瀋陽の自宅にいた。Mr.Pandaこと彼からの電話で日本に地震が発生したことを知ったのだ。どのくらいの規模などわからずに、とにかく家族に連絡をとった方がいいといわれたので早速東京にいる家族に安否の確認をしようとメールをした。家族とはすぐに無事の確認がとれ、安心していたのもつかの間。余震、福島原発問題など多くの情報が錯綜し、瀋陽に住んでいる私でさえも翻弄され、戸惑った。そして何ができるのか?!をすぐに思ったのだった。TOKYOPANDAとして、少しでも日本の被災者のお役に立てれば本望だと思い、その方法を考えた。

 今私にあるのはファッションを中心としたブログだけである。そして大きなお金もない。だけど、できることをしたいという想いがすごくあった。寄付できるお金が少ないにしてもそれでもアクションを起こしたかったし、身の丈に合うことからやっていこうと思った。

 いままでほぼ毎日更新してきたブログには中国人女子の仲間たちがいて、その子たちの善意を日本に届けることができたのならすごくうれしいし、これが私TOKYOPANDAのするべきことなのではないかと思った。思い立ったその日にブログにて皆が賛同してくれるか聞いてみたところ、100件以上の応援メッセージが届いたのだった。パンダがんばれ!日本の皆さんに平和が訪れますように、一日も早い復興を、、このようなメッセージに、みんな日本を応援している、そう確実に実感した。そこからチャリティイベント用の洋服を選びそして写真をとりブログ内でイベント告知をした。

 実際にイベントをブログ内で開催するとなると写真の準備、タオバオ内でURLを作ることなど細かい作業が多く、2日ほど時間を割いた。そして洋服は自分が一度も着ていないものや、サイズが合わないものなどを中心に25点ほど選んだ。始まるまではどのくらい皆が買ってくれるのか検討がつかなかったし、初めての試みでほぼすべてを一人でやらないといけなかったため精神的にもすごく緊張していた。でも、毎日見るニュースやMIXIの普段全然つぶやかない友人たちの頻繁な地震についてのつぶやきを見ていると東京に住んでいる日本人の友人たちでさえ、どれほど精神的にまいっているかなどが容易に想像できたため、やはり私自身少しでも皆に何か届けることができたらと想いを奮い立たせ今回のイベントに臨んだのだった。

 イベント開始は3月22日の16時だったのだが、何と用意していたほぼすべての服が2秒ほどですべて完売したのだった。本当に驚いたとともに、すごく感動して、どうやって中国女子たちにお礼を言えばいいのかわからないほどだった。昨日やっと発送したのでまだみんなの手元には届いていないのだが、手にとって募金をすると同時にパンダの洋服を気に入ってくれたらすごくうれしいと思う。

 日本人を応援してくれる中国人がこんなにもいる。今回のイベントで感じたのはファッションを通してでも何を通してでもつながれるものはつながれるということ。一生懸命想いを伝えようとするならきっと伝わるということ。これからが日本にとって、被災地にとって大変(という言葉で締めていいのかはわからないが、)になってくると思う。国を越えて人種を越えて応援している人たちの存在を少しでも励みにして生きていってほしいと思う。わたしからもできる範囲のことをしていきたいと思う。



第1回 はじめまして、TOKYO PANDAです。

2016年8月26日 / Tokyo Panda



(写真)ジャケット250元 / 水玉ワンピ160元 / 眼鏡79元 / フェイクレザーレギンス50元 / 蛇ブーツ650元 / ベルト35元 / ネックレス15元 / バッグ以外全て@タオバオ ―瀋陽の中心地・太原街、大好きなごはんどころ通りにて―


 毎日夕方17時に医学部での実習を終えるとすぐに帰宅し、パソコンを開く。起動する数分の時間を使ってお茶をいれ、ひと息つく。そして自分のブログをチェックし、メールをチェックし、ブログ友達からのコメントや仕事のメールなどを一気に返していく生活を送って早1年というところである。

 今年の1月に日本に帰ったときには、中国で活躍するブロガー・TOKYO PANDAとして記事に取り上げられたり、テレビにまで出させていただいたりして今までの生活とは全然違うまた新しいことに挑戦させてもらっている。

 もともと平凡な医学部生だった私が趣味のファッションを通して中国人女子たちと交流することになったのは、単純に自分の好きな洋服をシェアしたかったから。それと、瀋陽で全然気の合う友達に出会えず、余暇を楽しむすべがなかったからだった。

 さかのぼること2年ほど前。中国のBBSで自分の購入した洋服を紹介したところ、多くの中国人女子たちから問い合わせがあった。そして、少しずつTOKYO PANDAという名前が浸透しはじめたのである。同年12月にはブログを開設し、今に至る。

 ブログに毎日のようにコメントを残してくれる子がいたり、チャット機能を使って交流したり。ネットを通して日本女子と中国女子が交流しているのだ。中国のネット社会に飛び込んだ当初は、このようにチャットで見ず知らずの人と交流するなんて思っていなかった。ましてや注目を浴び、日本でこのような形で露出していくとは予想もしなかったことだ。

 このウェブで私の自己紹介と、ブログを通して出会った中国の女の子たちとのストーリーを書いていこうと思う。

——高校3年生になった私はオーストラリアへの語学留学をひかえていた。

 海外へ長く住むのは初めてだった。英語も全く話せなかったのでいろいろと不安はあったものの、若さゆえの好奇心だけでシドニーへ留学した。シドニーへ渡って世界各国の人たちと知り合い、世界の多様性を学んだ。考え方から、習慣までありとあらゆることが新鮮で、毎日が本当に楽しく充実していた。そんなときにオーストラリアで仲よくなった人たちが、皆そろって代替医療に興味を持っていた。それで自然と私自身も代替医療に興味を持った。

 最初はレイキヒーリングやエンジェルカード、アロマセラピー、フラワーレメディーなどのレッスンを受けて資格をとったりもしたが、何かもの足りなかった。もっと人間の本質的なことを学びたい。人体の不思議とは何か?医学を学びたい——。そう強く思った。短期間ではあったが、代替医療の面白さを生身で感じていた。中学高校とずっと漢方を服用してきて、中医学が予防医学的に効くということも知っていた。そして母親が、代替医療を実践する病院で働いていたこともあり、中医学を学ぶのだったらと、中国へ留学するのに賛成してくれたのだ。

 こうして中国の大学を受けるために中国語を勉強しはじめた。日本で1年ほど中国語を勉強しているときに今の大学の存在を知った。

 その時期と重なり、メディアでは中国の発展を予期するかのように時折中国のことを取り上げていた。2008年北京五輪、2010年上海万博と中国の発展も期待されていただけあって、相変わらず好奇心旺盛な私は今後の中国の発展に期待し、ますます中国へ行く決意は固まったのだ。



第2回 タオバオ!宝探し!

2016年8月26日 / Tokyo Panda



(写真)ニットコート 150元 / ワンピース 130元 / 靴 370元 / ネックレス 20元 / カチューシャ 10元 / 水玉タイツ 16元 / すべて@タオバオ(1元=約13円)/ ―瀋陽駅の前で 瀋陽駅は東京駅をモデルとして建設されました―


瀋陽は、日本人にとってはあまりなじみのない場所かもしれない。私が瀋陽に来たのは5年前。その時思ったのは、想像していたよりも生活できそうな感じだということ。
 ちなみに、瀋陽は北京から新幹線で4時間ほど北に行ったところにある。東北三省(遼寧省、黒龍江省、吉林省)遼寧省の省都で、人口は700万人強くらい。外国人も徐々に増えてきてはいるが、まだまだ昔の中国が残る。外国人からすれば、かなり中国的な街でないか。
 5年前は、アパートの階段そこら中に冬の間白菜を積み重ねて保存していたり、道にはロバが行商に連れられていたりした。ある程度のカルチャーショックはあったものの、アパートだって1000元(日本円約1万3千円)も出せば、2DKでキレイめな内装の部屋を借りることができた。
 日本人の先輩とのシェア生活が始まった。
 私よりも1年先に来ている先輩が、中国では「ふつう」が最高のほめ言葉だということを教えてくれた。食事にしても衣類にしても、よけいな味つけがされていなかったり、日本では見られないようなださいデザインでも大げさにスパンコールがついていなかったら、それは「よい」の部類に入ること。
 瀋陽に来た当初は、食べることも洋服も大好きな私には、何もかもが受け入れがたかった。しかしそこは妥協するしかなかった。というか、それしかないのだから、妥協せざるを得なかった。

 それよりも、中国語を上達させる必要があった。大学の授業に慣れるのに必死だった。言葉がわからないというのはすごくストレスが溜まるし、時間がもったいないような気がする。せっかくみんなと同じ時間を共有しているのに、中国人クラスメートたちが笑っているところで笑えない。先生が解説していることがわからないのでは、授業を受けている意味があるのかさえ疑問だった。どうにかして中国語の問題を改善する必要があった。そんな思い悩む日々を送っていたときに、クラスメートで華僑の子がタオバオというショッピングサイトの存在を教えてくれた。

眼からウロコ。買い物から中国語マスターまで、タオバオ一色!

 もともとインターネットに詳しいわけでも興味があるわけでもなかった私は、そのお薦めのサイト、タオバオをまず見てみた。見て思ったことはその商品数の多さだ。本当に「タオバオ(淘宝)」という言葉の意味どおり、宝探しをしているようだった。諦めていたオシャレをすることが、タオバオでは問題なく可能だった。大げさにスパンコールがついている洋服どころか、その年の流行を網羅した洋服をはじめ、とにかく何でも売っていた。
「眼からウロコ」とはまさにあの瞬間のこと。私のタオバオに対する熱は一気にヒートアップした。最初は知らない単語ばかりで解読不能だったが、写真と言葉が一体に書いてあることによっておおよそ単語の意味は推測できた。自然とタオバオが私の中国語の教科書になっていった。中国人が普段使う単語が学べるのがとても魅力的で、毎日毎日買うでもなく眺めていた。一日に何時間見てもまったく飽きないうえに、見れば見るほどいろいろな商品が探せて終わりがこないのだ。

 慣れてくると、この生地でこの程度の値段なら、中国の◯◯地方産だとか、そのようなこともわかってくる。そうすると、バイヤーでもないのに「買いつけができそう」とか、「自分のお店だって出展料が無料なのでできるぞ!」とか、若者にとって夢のある場所であることがわかった。

 また、チャット機能がついているので直接中国人と会話ができる。私の知りたかったアパレル用語やネットの流行語など、勉強尽くしだったのだ。これぞ一石数鳥。中国語の勉強はできるし、中国人とのチャットは楽しい。安くてかわいい掘り出し物だらけ。値段交渉もできる。仲よくなれば、たわいもない話や「私あなたのお店で買った服がすごく気に入って……」などなど、さまざまなチャットが日々行われているのだ。アパレルの勉強などしたことがない私が、知らぬまに店主と仲よくなって。原価や仕入れ値など教えてもらうこととなった。
 私の中国語が飛躍的に伸びたのはいうまでもないが、買い物から語学までとことん「タオバオのおかげ」になっていった。タオバオで中国での消費の感覚をつかんだ私は、「タオバオならこれはいくら、日本ならこんなに高いのにタオバオならこの価格で買える!」といったふうにタオバオ価格で計算するクセがついてしまった。そして、街では何も買えなくなっていったのだ。


第3回 日本人バッシングの洗礼、半年で2000人のブログ仲間

2016年8月26日 / Tokyo Panda



(写真)カーディガン 130元 / Tシャツ 100元 / スカート 218元 / バッグ 79元 / 靴 158元 / すべて@タオバオ(1元=約13円)―瀋陽の歴史ある文化宮(劇場)の前にて、ここで中国式漫才を見ることができます―


タオバオ漬けな毎日の中で、たまたまひとりの女の子の写真をタオバオのショップ内で発見した。彼女の名前を百度(バイドゥ:中国最大の検索エンジン)で検索してみると、すぐにBBSがヒットした。そして私は中国のBBS文化を目の当たりにした。ふつうの中国人女性たちが自撮りや自分の買った洋服たちをおしげもなく写真におさめ公開していたのだ。
 
 日本にいたときはBBSで遊んだことなんてなくて、というかネットで遊ぶということ自体したことがなかった私にはとても衝撃的だった。
 私もタオバオで買った商品を紹介してみようと、ふと思った。
 
 すぐに2日ほどBBS研究をした。どのように写真をとればいいのか、どんな感じで返事を書けばいいのか、何を求めて女子たちはこのBBSで遊んでいるのかなどなど。その中で気づいたのはまずみんな個性的なハンドルネームを持っているということ。せっかくなら、私も自分らしくて目的にあった名前をつけてみようと考えた。
 
 まず何よりも東京出身だから、東京という街のもつ世界におけるブランド力でTOKYOを入れるのは必須だった。次にくる単語……。なかなか想い浮かばず彼氏に相談してみたところ、即答で“PANDA”と返ってきたのだ。私がなぜ?と聞くと、
「だって顔がパンダだし…」
 とのこと。苦笑。
 パンダって、中国の国宝で、ストレートに中国を連想させる。
 
 せっかくなら日中友好を兼ねたオシャレ大好き女子をアピールしたかったので、即決でハンドルネームが決まった。TOKYO PANDAである。そして自分の選んで買った気に入った服を紹介してみようと慣れないなりにまずはコーディネートだけ5点ほどBBSに載せてみた。1分もたたない内に“どこで買ったの?”など、さまざまなコメントが届くようになった。初めての経験が本当におもしろくて、今はMr.Pandaとなっている彼氏と一緒に興奮した。そして私のBBS生活が始まった。
 
 BBS初投稿数時間後、サイトを開いてみるといきなり強烈な写真が飛び込んできた。南京大虐殺のときの写真を思わせるもので、正直かなりえぐかった。TOKYO PANDAという名前にし、“日本人で中国に何年在住です!”とBBSに書いたために日本人バッシングが始まったのだ。  
 
 過去の日中間の争いの写真をBBSのコメント欄に貼られ、ファッションと全く関係のない日本批判のコメントが数十もつき、3日ほどで炎上しかけてしまった。バッシングに対しては想定内だったので動じることもなかったが、ファッションのサイトにそのような主旨の違う写真、コメントが殺到するのもいかがなものかと思い、どうやって対処するのがいちばん早いか考えた。
 
 BBSの下には運営サイドの電話番号が書いてある。とっさに私がとった行動は“直接BBS運営側に電話しよう!”である。電話をかけて、どうにかファッションと無関連のコメントをすべて削除するように頼んだところ、意外にも対処は早く、数時間ですべて消してくれ、そのあとは“日本人として歴史上的バッシング”はほぼなくなった。
 
 BBSにこんなことが起きてもやめなかったのは、想定内だったから。予期せぬことが起こればショックも相当大きかったかも知れない。でも、瀋陽にある9.18博物館などを見たこともあったし、ネットという環境で顔を合わせて話したことのない人たちが集う場所においてはそれも起こりうるという、私の中での想定内。

みんなが1位にしてくれた——かけがえのないコミュニティのメンバーたち

 BBSはブログと違ってさまざまなネット有名人たちが集う空間なので、訪問量もやたらと多い。私ひとりを目的に見にくるわけではなかったが、その中で仲よくなり交流するネット仲間が出てきた。その子たちと一気に交流したほうが時間も効率的だし、何より安くてかわいい洋服の購入場所などの情報量が何十倍にもなるということで、パンダコミュニティをネット上に3つほど開設。総勢750人程度のパンダファンたちの集いをBBS開始後半年ほどで設けた。毎日さまざまな一斉同時チャットがコミュニティ内でできる。親近感、一体感がわくのでより仲よくなれるのが魅力的だった。

 内容はほとんど、共同購入を一緒にするためのもの。“この洋服かわいいと思う?”とか、“これ買ったけど似合わないから売ります”とかその手の会話が中心になる。一緒に共同購入するなんていったらかなり熱狂的になって、みんなで人数をコミュニティ内で集めて、洋服、タイツなどの衣類、またおいしそうなお菓子類も共同購入した。人数が足りなければ他のコミュニティにもコメントを出したりして、人数集めをしたり少しでも安く買うためにみんな団結して買うものだ。

 もちろん人数不足になってがっかりすることもあれば、思っていたものと違うなどの苦情もある。慣れてくればそれも醍醐味になり、やはり“お買い物はやめられない”となるわけだ。そしてまた、女子同士仲よくなれば、ファンとしてか友だちとしてかわからないが、応援もしてくれる。

 私が一度参加したイベントは、とある日本風ファッションを扱うショップでイメージキャラクター的ポジションを募集していた。私ともうひとり人気ブロガーがいて1位をとるのは難しく思えたのだが、コミュニティのメンバーたちが“一致団結してパンダを1位にしよう!”と投票してくれた。こんなふうにして、コミュニティ内のメンバーたちの存在はかけがえのないものとなっていったのだ。

 その毎日の中で、日々買ったものをアップすることにも慣れたとき、自分のブログを持ちたいと思い始めた。TOKYO PANDAセカンドステップ、ブログ開設である。実際そんなかっこいいものではない。単純に、自分だけの空間だったら、人は果たしてそれでも見てくれるのだろうかと思ったのだ。


第4回 TOKYO PANDA、BBSイベントで盛り上がる!

2016年8月26日 / Tokyo Panda



(写真)HERSの人気中国人ブロガーたちとパンダ


 ある日突然、メールボックスにメールが届いた。
 BBS「HERS」からのイベントの招待状だ。
「HERS」はファッション、美容、ストリートスナップなどオシャレ全般を紹介するBBSで、中国の若い女子たちに人気だ。とにかく訪問量が多くて、みんなノリノリでコメントを書いたりしている。

 私も「HERS」で、自分の買った服を着て写真を撮って紹介したりしていた。
女の子たちにすごく人気で、去年は一日平均のページビュー数500万、今はなんと2000万にもなっているという。

 その「HERS」が3周年記念のパーティをするという。その招待状だったのだ。

 もちろん絶対に行こうと思った。こういうブロガーを集めたパーティに招かれるのは初めて。ブロガー仲間たちに会えるのが楽しみなうえに、こんなに人気のある「HERS」っていったいどんな会社なのか実際に確かめたかった。



(写真)中国最大規模のファッション全般BBS /「HERS」のパーティにて


 そして4月28日。北京の藍色港湾というイベントスペースにブロガー30人弱が集結。そしてネットの抽選で当たった500人の女の子たちで、会場はぎっしり埋まっていた。

 ガールズDJがテクノ、ハウスミュージックなどの音楽で場を盛り上げる。人気メイクアップアーティストが登場すると女の子たちは一気にヒートアップし、会場に一体感が生まれた。

ファッションショーが終わると、女の子たちが話しかけてきた。
「パンダーずっとブログをチェックしてて大ファンなの」
 と言ってくれる子や、中には、
「Can i take a photo with you?」
 などと、外国人の私に、英語で話しかけてくれる女の子もいた。
 そしていちばんうれしかったのは、ずっとネット上でしか話したことがなかった中国人人気ブロガーの子たちと出会えたこと。
「あーパンダだぁ、写真撮ろう」
 とすぐに写真撮影に入り、打ち解けるのが早いところも中国らしいなと感じた。



(写真)HERSの人気中国人ブロガーたちとパンダ


 パーティが終わったあともみんなでごはんへ行き、呑んで、いろんな話をした。
 ブロガーならではのネット上でバッシングを受けたりするなどの悩みや、タオバオ上で自分の店舗を持っている子はネット有名人だから高くものを売っているなどと批判されることもある、など。
 気がつけば朝の5時までしゃべっていた。
 女子同士の話は尽きない。
 ネットで出会った子たちとこうしてリアルにもつながれていくところは、中国のネット社会ならではのおもしろいところかもしれない。
「HERS」で出会った女の子たちとのストーリーは、別の回でたっぷり書こうと思う。


(写真)3人の中国人人気モデルが3周年記念ケーキを持って登場



第5回 ネットで知った中国のスピード

2016年8月26日 / Tokyo Panda



(写真)ハット75元 / カーディガン180元 /ワンピース260元 / 靴350元 / バッグ250元 / 北京五輪の会場でもあったマスターカードセンターにて / 先日ここではTGC北京が行われた


 もともと大好きだったファッションを中国の人たちとシェアする——。
 BBSサイトを見つけるまでは、こんなことは夢にも見ていなかった。しかも、中国全土のあらゆる地域の人たちとシェアができる、インターネットという世界。このインターネットの世界に自分が足を踏み入れるなんて思ってなかった。まして、ここで出会ってリアル友達になるなんて、考えもしなかった。虚偽情報が溢れているネット社会の中で、日本人の私をずっと応援してくれる中国人のみんなの存在が支えとなるのに、そう時間はかからなかった。リアル友達になった子たちには、生活面でも助けてもらうことにもなった。

 実際、ブログを通じて知り合ったタオバオにも出店している店主や中国人人気ブロガーの子たちとも、直接会ったり、頻繁に連絡をとる仲にもなった。

 私はよく上海にいくのだが、タオバオで知り合う人たちは上海に住んでいる人たちが多い。ネット上でだけだったら、お互いどんな人物なのかわからないのだが、実際に会うようになればネットで知り合ったという感じもしない。話す内容だって、自分の経歴や職歴など、ネット上でする話とは違う。ネット上では衣服のコーディネートの話とかスキンケア方法など互いの共通の興味のみしか話さないが、現実に会えば人生の話、恋の話、仕事の話が主になる。そして何よりも中国ではコネクションがいちばんだと感じる。実際に会えば、自分の知人を紹介したり、次に会ったときには……などと、次に続く話が出てくるのも現実の友達となったからだと思う。

人と人がつながっていくのに国籍のカベはない。「大切なのはリアル」を教えてくれたー

「上海人は外国人に対してとてもオープンで、新しいものを受け入れる能力がある」
 生粋の上海人の友達がそう言っていた。だから日本人である私が国も越えて、虚偽の世界といわれる世界も超えて、彼女たちのリアル友達として馴染んでいけるのではないかと思う。女子はあっというまにつながりを持ち、仲よくなれる。やはり趣味が共通であればそれは中国であろうと日本であろうとさほど差がないように思える。かわいい洋服をきて、「かわいい~」と友達にほめられるのが大好きなのだ。私自身ももちろんそうだし、だからこそファッションの情報をシェアすることにやりがいを見つけてしまったのでないかと思う。

 医学部生だけだったときは、月曜日から金曜日までほぼオシャレをすることなく過ごしていて、共通の趣味を持つ女子を見つけることなんて到底できなかった。オシャレをすること自体をあきらめていたのだ。中国の医学部、特に修士までとる学生は小さいときからいい大学に入るために必死に勉強してきた子たちで、おしゃれを楽しむ暇などなかったのではないだろうか? だから私も誰とショッピング情報をシェアすることもできず、欲求不満になっていたのだと思う。普段クラスメートとする会話といえば、日本のドラマかもしくは芸能人。今でこそ共同購入が流行っているのでネットの話題も増えてきたが、私が授業を受けているときは、まだそこまでクラスメートと一緒に何か……というふうになれるほどの共通の趣味を見出すことができずにいた。

 そんなとき、同じ日本からの留学生でおしゃれ好き女子とおしゃべりしていて、ふと疑問に思ったことがあったのだ。中国国内に私たちと同じだけのオシャレ知識を持つ女子がいるのかということである。完全に井の中の蛙ちゃんだった私たちは、そんな女子たちはいないと思っていたのだ。苦笑
 今思うと本当に恥ずかしくてありえないことだが、そのときは、中国という国のスピードも中国人についても全然知らなかったのだと思う。インターネットという社会を通して私は中国の、そして中国人の様子を垣間見ることができた。今後、ますますインターネット社会が普及する中で、きっとより多くの人たちと出会い、交流し、「今の中国とは何か?」を知るのだと思う。
 人と人がつながっていく、それはどこであってもやはり同じで、そういう想いとリアルな世界の人間関係を大切にするべきだということを、中国で出会ったネット友達たちに教えられているような気がしている今日この頃。
 だからネットは止められない。 笑



第6回 Tokyopanda、帰ってきました

2016年8月26日 / Tokyo Panda



(写真)和光大学での講演では学生から人生問題について質問されました。OMG〜


久しぶりにBBに登場させていただくパンダです。
 夏がおわり秋ですがまずは夏の活動報告を。。。
 最近日本、そして中国とさまざまなことに挑戦する機会をいただいているパンダですが、
7月中旬から8月末まで日本に帰国していました。日本で何をしていたかというと、どれも初めてだらけだったのですが、初めての講演会、初めてのラジオ生放送、テレビ生放送、初めての雑誌企画などです。

スタッフあってのTokyoPanda

さまざまなことに挑戦させていただいていて、最近心から感じたことがあります。それはスタッフの皆さんがいてこそのパンダ。スタッフの皆さんがいてこその私。
 そういう社会の一般常識におそらくなっていてきっと社会人であるすべての方が知っている連帯感、一体感と言ったことを私はTokyoPandaというキャラクターを通して学んでいました。
 この年になってやっとわかってきたというのは恥ずかしいことではありますが、これは私の人生にとってはとても大きいことでTokyoPandaになってよかったと心から思える瞬間でもあります。

汗!講演会!

 そんな中で8月は講演会をやらせていただきました。まさに意図するところは、BillionBeatsでのこの「The TokyoPanda」のコンセプトと同じでありますが、 TokyoPandaとは果たしてどんな者なのか、そしてパンダが知るパンダ目線の中国とはいったいどんなことなのか。これを語る講演会でした。
 それなのにも関わらず、私が1回目の講演で展開した内容には、調べようと思えば調べられる情報の割合が多くて、パンダしか知らない中国女子のファッション傾向、パンダが中国のネット社会にどっぷりつかっているからこそ理解している部分の出し方が甘かったように感じます。

 この自分の良さが出せないというのは私にとっては全然ダメで、本当に反省した次第であります。そのときにスタッフが講演会というのはライブなんだよ。だから常に聞いてくれてる人とのコミュニケーションや距離感を計ってやらないと。と言ってくれたのがとても自分の中で腑に落ちました。 光栄なことに8月はあと1回講演会があったのでそこでパンダらしさを発揮できるように、巻き返すことができました(詳しいことは次回!)。

 日々の経験が私を成長させてくれるとともに、パンダを成長させてくれてやっぱり毎日に感謝感謝。